四月の魚
- 2008/04/01
- 雑記
- 遊戯王GX
四月莫迦にかこつけて、サイト上で莫迦やったのはもう何年前だろう。
鏡花水苑のURLを開いたら、バナナのイラストと「次はバナナだ。」の文字だけがあるという、そんな莫迦っつーかむしろ意味不明を過去やったことがありました。
何故にバナナかといえば、当時「SDガンダムフォース」放映中で、すっかりはまってまして、次元転送装置の実験台としてゼロが持ち出したのが「次はバナナだ」だったんですが。たぶんSDGF布教のつもりだったのだと思う。
そんなエイプリルフールの想い出。
GX(+5D's?)チャット、4月5日(土)夜にやりたいです。たぶん10時半頃から。
誰か遊んでください。GXの想い出とか未来とか。
web拍手、いつもありがとうございます!
>昨日3月31日にGX『境界線上』へ感想をお寄せくださった方へ!
わかりにくかったみたいですみません、エピローグも更新済なんです、『境界線上』七日目の本文ページ内にある「#epilogue(以下略)」から続きがリンクしてあります……
ここは素直に「next」と表示するべきだったのかしら……_| ̄|○ごめんなさい。
ところで。三月は執筆と平行しながら一人で藤原祭りをやっていたので、吹雪さんVS藤原戦以降あまり手を回せなくて語り足らずだったGX感想175~176話分に代えて、ちょいと藤原&オネスト語り+αをだらだら書いてみる。
藤原とオネスト。このコンビは十代とユベルの要素を分解して散りばめたような感じ。
この二組とそれを取り巻く環境の、共通点や相違点を考えると結構面白い。
幼い子供だった頃、十代は共働きで両親と一緒の時間が少なく、藤原は両親二人ともが一度に死んでしまった。その孤独に寄り添っていた庇護者が、カードの精霊であるユベルでありオネストだった。
しかし、十代を守ろうとして暴走してしまったユベルは宇宙へ送られ十代の記憶からも消されてしまって、見捨てられる恐怖を抱えながら生きることに疲れてしまった藤原はオネストを置き去りにダークネスへ身を委ねることで自らの存在を周囲の記憶から抹消した。
ユベルは十代によって捨てられたと認識しながらそれに耐えられず、この仕打ちすら愛情表現であるとすり替えた。オネストも藤原に捨てられたと認識しながらそれを誤魔化し、吹雪さんが見殺しにしたせいでマスターがいなくなったと敵意を向けた。
大切な人を忘れられるわけないじゃないか。
藤原にそう言ったのが、かつてユベルの記憶を人為的に封じられ、また友達を喪ったことで力のみを追い求める覇王と化し、その力で残っていた友達も斃してしまい、それを悔やんで苦しんだ十代だというのが面白い。
その人の存在は覚えていても、友達との絆やそれに伴う感情をすべて捨ててしまった、いったんは忘れてしまったという点で、藤原は踏み外していたときの十代そっくり。
この場合、ジムと吹雪さんがポジション的にかぶるのか(笑)
藤原は、子供にとって本来絶対的であるはずの両親の愛情すら信じきれていなかったから、愛し愛されたい一方で、誰から向けられる愛情もいずれ忘れられるものという信念から逃れられず、その狭間で精神的に限界になってしまっていたんだろうな。誰かを信じられないことそのものも辛いし、優しい人たちを信じたいのに信じられない自分も辛い。
十代とユベルの母子的な関係はまだ限定的な面だけど、藤原とオネストはかなり深いところまで代理を担ってる。「両親の不在」のレベルが違うから、その深さも違ってきているんだろうな。
オネストが「絶対的な愛情」を藤原に見せたからこそ、藤原はオネストを本当に信じられるようになって、その安心感が礎になったことで吹雪さんとも向き合おうと思えるようになったんだろうな。
十代はそういう不信は持ってない感じ。精神に自立した土台がある。
「孤独」と「孤高」の性質の違いというものを、十代とあと亮には感じずにいられない。2/15の感想でも触れたけど、十代と亮はたぶん、うっかり孤独に耐えられちゃう真実「孤高」の人。
……年長組も面白いんだよなあ。
四期後半は、十代VS斎王や、十代VSヨハンVS藤原でヨハンの自己犠牲、十代VSダークネスでの超融合のような過去の節目にあったデュエルの構図を持ち込んだデュエルが多かったけど、藤原そのものも覇王を意識して作られているのかな。
そういえば気がついた、一期の構図はないのかと思っていたら、世界の危機に相当するボスを斃して平和になった後、十代にとって「尊敬する偉大な先輩」からデュエルを申し込まれて真のラストデュエル開始、見失った自分を十代が取り戻して笑顔でエンドという構図が、十代VS亮の卒業デュエルと、十代VSW遊戯の卒業デュエルでぴったり重なるのか……!! じゃあ勝敗は私の中ではどっちも引き分けってことにしておこう、うん(笑)
- 2008/04/01