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陰陽大戦記ヤクナナこぼれ話


改めて、陰陽ヤクナナ『明日にとどく』へweb拍手コメントありがとうございました!
書いててとても楽しかったですが、やっぱりリクエストしてくれた人にも楽しんでいただける物であってほしかったので、ホント良かったです!
ヤクナナ観を整えるにあたって過去作読み返してみたらあまり深掘りして書いてなかったので、『風道/空から吹く風』に含んでた要素をテーマにして大丈夫だろうか、というかうちのヤクナナが当たり前の顔して一緒にいるのかこの際とっくり語ってもいいだろうか、とか不安になりながら捏造が大爆走してました。

またweb拍手クリックいただきましてありがとうございます!
陰陽だけでなく幻水からもクリックされててビックリ歓喜です……!

自前設置のweb拍手がutf8対応してないので予備として&外部メルフォ代わりにツイッター連携無しでも送信可能らしいという理由でお題箱をチョイスしてますが、普通にお題箱本来の用途もOKです。残念ながらジャンルだけでは如何ともしがたい性分なので、その時はネタ振りでお願いしたい所存ですが!
正直『明日にとどく』のプロットがガンガン組み上がっていった勢いが自分でもちょっと不思議だけど、いただいたリクがヤクナナでデート擬きだったので、私の中に今までうちのヤクナナ観で真っ当にデートという発想がなかったので「あいつらデートっぽいこと出来るのか!?」って可能性を考えてたら、なんか当時やり残した未練に火がついたのかもしれない。
年末年始の買い出しとかならギリいけんじゃね?ってのよりはマシな物が書けたのか、ぶっちゃけ自分でもよくわかりません。


以下、ツイッターでぽろぽろ書き散らかしてたヤクナナこぼれ話まとめ。

ヤクモの母方がマホロバの血筋ってのは表に出す機会なかった『空の青さ』裏設定だったんですが、漫画版連載中から普通に可能性の一つに挙げてたものでもありました。関空事件からの十年で人間に絶望した理由に、親子のファクターがあるんじゃないかって思いたくなるリアクションをマホロバがしてたので。
今回の後書きであえて書き添えたのは、この話のヤクモ当人がその辺の事情を知ってるのか知らないのかはさておき「成分が含まれております」的な意味で、まあ裏設定だけど「運命的にそうなってしまう」前提でヤクナナ書きたかったという主張です。

うちのヤクナナは『風道/空から吹く風』のとおり、ヤクモが世界のために命懸けて五行柱やって、事が上手くいって無事に帰ってこれたら、ナナからある意味理不尽に怒られて引っ叩かれるけど、そうやってナナに命がけを否定されたらヤクモ本人がほっとするような関係性なんすよね。
ヤクモの自己犠牲的な選択がどんなに正しくて必要でも、ナナはその精神を尊い美しい立派とは絶対に褒めたりしないし、ヤクモも正しくて必要なことなら実行は迷わないけど、どっかで自己犠牲なんか大嫌いな気持ちもある。ヤクモもそれに置いていかれた側だから、ナナがそっちの気持ちを肯定してくれるのが嬉しい。

正式に巫女になるときのモンジュさんとナナの話も、身も蓋もない言い方するとモンジュさんが「あいつ好きにさせてると母親みたいに早死にするから気をつけたげてね」で、ナナも「(私もおじ様も)とんでもない人を好きになった…!」と悟った感じになるわけでして。
なのでこの後のナナが根性入れ直して守ろうと頑張ってるのは、ヤクモの人間味になるんだと思います。
モンジュさんもナナも「ヤクモは目を離したら式神に負けず劣らずの献身を迷いなく発揮しかねない」って危機感は意識してます。
ただヤクモみたいな精神性が裏返るととてもヤバいって認識は、まだナナにはないかな。
モンジュさんはマホロバの末路を知ってるので、純粋で強いものは怖いと知ってる。
でもまあ妻そっくりに育ってしまった息子が、何だかんだ可愛くてしっかり者の彼女を捕まえてるので結構大丈夫かなとも思ってる。たぶん「自分も妻には苦労したなーあの子は自分より手回し良いなー」と微笑ましく見守ってる。
両片想いなのに実質的には親公認。

ヤクモの方はそこまで深刻に危なっかしく思われているとは知らず。
とりあえず何だかんだナナのことを女性として意識してる自覚はあるし、守るべき人だと思ってるし、大切な人だと思ってるし、泣いてほしくないし、たぶんこういうのが好きってことだと思ってるけど、たとえばマサオミが姉のために謀略も不義理も何でもありで形振り構わず戦ってたのを、自分だって昔は父親を助けるためにマホロバと戦ってたけど、たぶん今はもうそんな風に『誰かのため』だけで一途にはなれないんだろうなー、正しくないことは選べないんだろうなーとかバカみたいに考えてるかもしれない。

『空の青さ』でも触れた"モンジュさんがアカツキを喪って以後、他に契約していた式神とも別れ、ヤクモさんに「同じ思いをさせたくない」と願う、その「思い」とはどんなものだろう"の自前解釈を今回持ち込んでます。
命を捧げられて、ひとりぼっちで立ち止まってしまったときに、当然のように受け止められる式神の犠牲に慣れることが怖ろしくなった、闘神士として人間社会の秩序維持のために式神の命を使い潰すことは仕方ないと考えてしまうことが怖ろしくなった、それを苦にしない式神の献身/犠牲に見合う価値が人間にあるのか、そんな風に深淵を覗いてしまって戻れなくなったのがこの話のモンジュさんとナナ。
故に二人は闘神士ではない道に生き方を変えたわけですが、ヤクモはそれを引きずりながら闘神士を貫く方。
式神に報いることはヤクモ自身の意志だけど、命と引き替えに救われた過去は未来への祝福でありながら、もしかしたら正しく在らねばならない呪いでもあるかもしれない。
こんな風にしか生きれない自分が彼女に想いを告げることは不誠実じゃないかとバカみたいに思ってるかもしれない。

でもまあ実際のところでは二人とも、たぶん相手もそれなりに特別に想ってくれてるんだろうな~って感じに気づいていないわけでもないつもりですけども。そうでなきゃ『ただならぬ思い』でああはならない。
ヤクモもナナもお互いに、笑い方も怒り方も泣き方も、闘い方も諦め方も我慢の仕方も許し方も、生き方も愛し方も、本当は知ってる。
あえてお互い「はっきりさせない」ことで成り立ってる、両片想い。

まあそんな二人でも、マリお姉ちゃんが空気あえて読まずに「あんたたちも18歳になったんだし式挙げたら?」とか爆弾発言の一つも投げ込んだら、盛大にパニクった末に進展するかもしれない。


#勢いあまるくらいノリノリに書けてしまうときって脳内に何かどばどば出てる気がする。そっから抜けるとき反動が結構くる。まあ長年書いてても更新から数日間は変になるさ、こんなでも誰か拾ってもらえるだろうか…って思わずにいられない程度には、自他共に認める隙間産業にいることが多かった。


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