その沈黙が破られたのは、唐突だった。
 AGEシステムのリンケージ回復と、データの受信を示すシグナル。
 彼方から送られてきた膨大なデータは瞬く間に箱の奥へ注ぎ込まれて、すぐにモニターの灯は消えてしまう。
 けれど。
 呆然と立ち尽くしたままそれを見届けたロディは、我に返るとすぐさま壁に埋め込まれた通信端末に飛びついてブリッジへの回線を繋いだ。
 そうして叫ぶ。
「艦長! 今、AGEデバイスとの通信が復活しました! 発信元を逆探できればAGE2の位置がわかるはずです……!」
 だって、あいつが死ぬわけないだろう。
 彼が格納庫に置いていった端末では、生まれたばかりの息子が笑っている。





 まだ間に合うだろうか。
 思わず艦長席から腰を浮かしたミレースは、きつく手を握りしめた。
 取り立てて何を言うこともないような哨戒任務のはずだった。そのさなか漂流船を発見し、船籍の確認と調査を行うだけのはずだった。
 そこで何が起こったのか、わからない。
 彼らの向かった宙域は突如通信が絶たれ、しばらくして謎の爆発に飲まれた。爆発の後には船の残骸がわずかに漂うだけで、誰もいなかった。四機のアデルはおろかAGE2のかけらすら見つからなかった。
 消えてしまった五人の生存は絶望視されている。ディーヴァが爆発によって生じたと思われる新しいデブリ群を追いかけていたのも、他には何も、彼らを捜す当てがなかったからだ。
 だからきっと、これが最後の。
「至急アンティフォナのMS隊で捜索隊を編成。AGE2の座標が特定でき次第アンティフォナで宙域に接近し、MSでの捜索を行う。ディーヴァとサーモディアは周辺宙域の警戒。何処にも邪魔させないで」
 けれど怖ろしかった。
 この先にあるのは希望かもしれないし絶望かもしれない。
「それと今すぐ総司令へ繋いでちょうだい。急いで」
 ウルフ。ふと浮かび上がった名前を、声にはせずただ祈るように噛みしめる。
 あの子を守ってあげて。





 AGEデバイス健在。
 ディーヴァから飛び込んできた緊急通信を受け取って、フリットは光の弾けるような目眩を感じた。
 それは行方のわからないAGE2のコクピットブロックがまだ通信可能圏内に存在するということだ。原因不明の通信途絶の後、該当宙域に爆発が発生してからまだ数時間、生命維持機能に損傷がなければまだ十分にエアはあるはずだ。もし何か損傷があっても、もしどこか怪我をしていても、もしかしたら今ならまだ。
 座標解析の手順を口早に指示しながら、頭の片隅はおぼろげな希望の輪郭をなぞることを繰り返す。
 遠く遠く、星のような光が白く小さく輝いている。
「アセム」
 すがるように息子の名前を呼んだ。
 声が届けば、あの光にも届くような気がして。





 ――届かなかったけど。





こぼれおちた、





 命の火が尽きる瞬間の、感覚を知っていた。
 だからなのか、この手から音もなくこぼれ落ちた息子の死を、まだ受け入れられずにいる。





 海の見える丘の上に、その墓地はあった。
「だから今でもまだ、生きているのではないかと思ってしまう自分がいるんです」
 つぶやくように言いながら、フリットは自嘲を滲ませた。
 途方に暮れた声だった。
 ひどく老いた、ひどく疲れた声だった。
 そのあまりの無様さを暗く嘲笑いながらもこの目は、墓石に刻まれた名前をなぞることを止められない。
 アセム・アスノ。息子の名前。
「おかしいでしょう」
 どれだけ親しい人の死を見送って、どれだけ兵に死ねと命じたかももう、数え切れないのに。
「仕方ないわ」
 ゆるりと膝を折ってミレースが、白い百合の花束をそっと置いた。
「だって誰も、あの子の最期を見ていないんですもの」
 AGEデバイスの信号を辿った先で見つかったのは結局、AGE2の残骸だけだった。
 その中にいたはずの、息子の亡骸さえ見つからなかった。
 空っぽだった。
「……すみません」
 空っぽだった。
 大きな穴が空いたように。ごっそりと抉り取られたように。
「謝らなくたって泣き言くらい聞いてあげるわよ。簡単に割り切られる方が殴らなきゃいけなくなる」
 風が通りすぎていく。
 水の匂いがする、海からの風が。
 残っているのは想いだけだ。それでも。
「今までずっと、ありがとうございました。思えばずいぶん甘えてしまった気がします。私自身もですが、息子のことでも」
「子供の頃のあなたには何も出来なかった反動かしらね? こんなに長くなるなんて私も最初は思ってなかったけど、この十年、悪くなかったわ。ううん、私にはもったいないくらいだった」
 立ち上がってきらきらと輝く水平線を見やった、ミレースが微笑む。
「もし子供が、――もし息子がいたら、こんな風に愛せたのかもしれないって、夢を見させてもらった」
 遠く、懐かしむように。
 慈しむように、愛おしむように。
「私はあまり良い父親ではなかったでしょう。あなたやウルフの方がずっと、息子にいろいろなものを示してやれていた」
「私もそんな良いものじゃないのよ。私には戦場しかなかったから、だったら全部あの子にくれてやろうって思っただけ。あの人がそうしたように。そうしたかったように」
 それはきっと痛みであり慰めだったのだろう。
 ここに確かに愛はあったのだと、形のない輪郭をなぞるような。
「だから面倒なしがらみとか、みんな私が引き受けて片付けてやろうって思った。ほら、艦長なんて責任を取るのがお仕事でしょ」
「私も上にいたんですからわかりますよ、あなたがどれだけ手を尽くしてくれていたか」
 AGEシステムを抱えるディーヴァはその特殊性から、連邦軍でも各軌道艦隊に属すことなく本部直属の独立部隊として宙をさまよっている。煙たがられやすいにもかかわらずこれまで上手く立ち回って実績を上げてこれたのは、ひとえに長年艦長を務め続けたミレースの手腕だ。
 そうして彼女は、今回もすべての責任を取って、後始末をして。
 軍を辞めた。
「最後に礼くらい言わせてください」
「じゃあ私からもお礼を言わないとね。私がこんなにあっさり退役できたのもフリットのおかげでしょう? もっと長引かされるんじゃないかと覚悟していたのに」
 言って小さく笑った彼女は、もう戦場には心を残していなかった。
「大佐をぜひ司令部にと惜しむ声もありましたが」
「あら。でもフリットには悪いけど、中央に切り込んでいくような気力はもうないわね。それに少し前から考えていたのよ、そろそろ潮時なんじゃないかって」
 こんな形でとは思っていなかったけど。こぼれた声は寂しげだったが、虚ろではなかった。
「これからどうするんですか」
 ではこの先に、何があるのだろう。
 青い海の向こうに、何を見ているのだろう。
「さあ、どうしようかしら。一人だし、帰る家もないし」
 軍の宿舎住まいだったミレースは誰もいなくなった実家をとうに処分している。軍を離れた後、今はホテル暮らしで腰を落ち着ける先もまだ決めていないという。
「ああそうだ、あの子と約束していたの、お祝いのプレゼントを贈るって。送り先はどうしたらいいかしら」
「なら連絡先を交換させてください。エミリーも喜びます」
 フリットは手帳に新しい住所を書き付けると、そのページを破り取る。
 オリバーノーツ。地上の地名であるそれに目をとめてミレースがぽつりと言った。
「トルディアは引き払うのね」
「ええ。孫のこともあるので皆で地球に降りようと」
 前線を退いて、地上の基地でMS教官と新型量産機開発のテストパイロットを兼任するはずだった息子夫婦の新居は、その基地近郊にある。さらに数年内には次のガンダムの開発を始める計画もあって家族全員で地上に移り住むつもりだったので、敷地は相応の広さを用意してあった。まさかこんなに早く使うことになるとは思っていなかったが。
「エミリーにもロマリーにもその方が良いのかもしれないわね。じゃあ、私も何処かに落ち着いたらまた連絡するわ」
「やはり宇宙にですか」
「ええ。地球はいいところだけど、私には綺麗すぎる」
 この先に、何があるのだろう。
 彼女が何を見ているのか、その目に何が映っているのか、フリットにはわからなかった。





 それでも戦争は終わらない。世界も時間も、止まることはない。





 ――取り残されていたのだろうか。
 思わずそう感じたほどに。
「まさかフリットが直接ファーデーンにまで来てくれるなんてね」
 老いてなお美しいミレースの微笑みは、しかし数ヶ月前に地球で会ったときの静けさとはまったく違う色をまとっていた。
「けど、こんなところに来ていて大丈夫なのかしら?」
「私もいつまでも総司令でいられるわけではありません、たまには予行練習も必要でしょう。それに私は今日、ここにはいない人間です」
「そこまでして、私に会わなければならなかった理由があるのね」
 面白がるような試すような瞳の奥に、涼やかな鋼の光が見える。
 自分で会いに来たのはわがままだったかもしれない、だが必要だったとも思う。外界から隔絶されたホテルの最上階で、奇妙な確信を覚えた。
「本当のことを知りたいのです。こんなのは何かの間違いだ。そうでしょう」
 ローテーブルの上にフリットが滑らせた一枚の書類を一瞥し、彼女はうっすらと苦笑をこぼした。
「そうね。こんな覚えはないわ」
「わかっています。ですが、こんな疑惑がどうして出てきたのか。よりにもよって」
 宇宙海賊への関与の疑惑など。
 ヴェイガンへの憎しみとはまた違った温度で、フリットは吐き捨てる。
「連中が、アセムを殺したというのに」
 捜索隊のメインカメラに映った、AGE2の無残な姿が今も脳裏に焼き付いている。
 どうしてこんなことになってしまったのか、今も何もわからない。理解も納得もすべて置き去りにして、ただ息子を失ったのだという事実だけが重く、そして折れそうなほどに軽い。
 だから。
「あなたの造ったAGEシステムは、本当にそんな結論を出したの」
 彼女の言葉のその鋭さに、思わずたじろいだ。
「……最後に記録されていた戦闘データは、異常としか言いようがない」
 該当宙域に起きた爆発は巻き込まれたAGE2に致命的な破壊をもたらしたが、その直前、隊が海賊のMSと接触して間もなく通信が途絶した後に、何者かとの戦闘が発生したことをAGEデバイスの解析データは示している。
 だが真相を解き明かすには、残された不完全な戦闘データだけでは見えないことが多すぎた。わずかな断片を繋ぎ合わせたところで、でたらめな想像図にしかならない。データを分析して敵機のシミュレーションを試みたロディは、思わず化け物と呟いていた。
「ありえないでしょう」
 あるとすればそれは、ガンダムもヴェイガンも超越した何かだ。
「なら海賊ごときにガンダムを墜とせるの。アセム・アスノを殺せるの。──らしくもない莫迦を言わないでちょうだい。それこそありえないわ」
 言い放って彼女は、口の端を歪めるように微笑む。
「私もね、本当のことを知りたいの」
「それは」
 もし何もかも投げ捨てられたら、真っ暗な海に沈んでしまった星のひとかけを、探しにいけただろうか。
 その思いつきは、ぞっとするほど甘く、苦い。
 我知らず唇を噛みしめたフリットに、ミレースがふと表情を和らげた。
「今日、あなたはここにいない。私もここには来なかった。私たちは会わなかった。そうよね」
「しかしっ」
 音もなくこぼれ落ちた星は、光は、それでも消えていないとしたら。
「あなたにはまだ、やるべきことも守るものもあるでしょう。私なら大丈夫よ、危ない真似はしないから」
 目の前に線を引いていくその声はけれど、ひどく優しく響いた。どうしてか母を思い出した。炎に消える前の、今はもう面影ばかりが記憶に残る母の声を。
 そして。
「ねえフリット。今のあなたには理解できないことでも、たまには理解できないまま信じてみてもいいんじゃないかしら」
 世界は、あなたが考えているほど絶望したものではないかもしれないわよ。





 そんな謎かけのような言葉を残して、彼女は姿を消した。
 それでも毎年、孫の誕生日にはどこからかプレゼントが贈られてくる。
















back
















続きようがない。

『Life Goes On』を書いたときの、アセムとウルフにミレースをまじえて擬似親子のような代償行為のような微妙な関係を思いのほか気に入ってしまった自分が、最近の展開ですっかり暴走した結果の産物。
シド7月号に小説版3巻に#34の海賊、のたうち回りっぱなしだよ。
でもぶっちゃけアニメの海賊の前からこの話の最後はこのつもりだった。

フリットは天才とXラウンダーの両立で現状も近い未来も見えすぎて逆に、世界がどうしようもなく絶望的に見えて、無邪気に希望なんか持てない、きっと何とかなるとか思えないヤツなんかしらとか思ってたら、気がついたらこんな話に。
なんとなく息子が生きてる気がするけどそんな莫迦なって思ってたから本当に生きてても歓喜よりああやっぱり生きてたんだって思ってしまいそうな親父になったのは、だから不可抗力です。アニメで息子と気づいたならもうちょっと喜べや親父、と思った腹いせじゃないよ!

あと私が書くフリットはついついヌルくなるんですが、小説版のおかげでさらに悪化したよ何あの親バカっぷり。