一番の願いは叶わない。
untitled intermezzo





scene 1:十三年ぶり



 背を向けた扉が完全に閉まって、アセムは一つ息を吐いた。
 喉の奥で息詰まる感覚が消えていく開放感と、どうしようもない諦念が染み渡る。父を残して出てきた部屋からは足早に離れて、ドックの方へ向かった。
 アセムが歩き回れるのはコロニー港の施設内だけだ。滞在時間にはまだ余裕があるが、ここにいても、またいつ父と鉢合わせるかわからない。
 父との話は、果たして完全な物別れに終わった。だがそれは最初からわかっていたことだ。平行線を辿ることに何故と憤る気にもならなければ、追いすがる気にもならない自分がいる。
 ただ、ああやっぱりなと、そう思うだけだった。
 父に理解してもらえると期待したことはない。
 そして理解されないのと同じくらい、きっと自分は父を理解できていない。
 十八の時に顕在化したその深く静かな隔絶は、アセムの中にある父への尊敬や信頼を少しも損なうものではなかったが、それだけに絶望的な諦めでもあった。翼のない生きものは自力では空を飛べない。だから今も変わらず、アセムの奥底にくっきりと線を引いている。
 角を曲がる。ドックに面したガラス張りの通路から、並んで停泊するバロノークとディーヴァが見えた。
 ──もう戻ってしまおうか。
 そうして目を向けたバロノークに、うっすらと重なった鏡写しの自分が、自嘲じみた苦笑を滲ませていた。まるで逃げるようだと一瞬思ってしまったくらいには、本当は何かを期待していたのだろうか。もうあの頃のような子供でもないのに。
 細く嘆息がこぼれる。と。
「お、いたいた! アセム!」
 横合いから飛んできた聞き覚えのある声にアセムが振り返るが早いか、右腕を捕まえられた。
「あーよかった、もう戻ったんじゃないかと焦ったよ」
「ロディ」
 そのまま大仰に安堵のため息をつくとロディは、ふと目を瞠る。
「あれ、フリットさんとまたケンカした?」
「なっ」
 不意を打たれたアセムが絶句すると、やっぱりとロディが笑った。
「そんな顔してる。全然変わらないなあ、おまえも」
 変わった。そう言われて当然だと思っていた。
 言って懐かしそうに嬉しそうに笑う旧友に、決まりの悪さを誤魔化すようにアセムも意地の悪い笑みを滲ませる。
「そう言うおまえも、久しぶりの里帰りでララパーリーさんに派手に締め上げられたって聞いたぞ」
 途端に笑顔を引きつらせ目を泳がせたロディは、つと苦笑いの混じったため息を落とした。
「十三年ぶりの再会で最初に親の話って、俺たちも大概だよなあ」
「いい年してな」
「アセムも四十越えてこれかあ。童顔はこんな風に老けていくのかとしみじみ思うよ」
「なんか引っかかるな。ロディは俺の六つ上だったから、もう立派に中年か? そのバンダナもまさかハゲ隠しとか」
「怖いこと言うなよ! ってか四十後半でこの若々しさと褒めてもらいたいね。おまえこそ何だよ、海賊らしく箔つけたくて真似したかったけど失敗しました、みたいなそのヒゲ!」
「それは言っちゃいけないだろ! どうせ俺はヒゲ薄いよ、見るからにボンボンだよ!」
 父さんみたいにもウルフ隊長みたいにもなれなかったよ! 最後の叫びだけはさすがに飲み込んだが、アセムの肩にぽんと手を置いたロディは憐れむように慰めるように言った。
「短くしたら爆発する髪の毛はフリットさんそっくりだったのにな」
 まるで言わなくてもわかるとばかりに。
 実際この少し年上の友人には昔からいろいろとわかられてしまっているので、潔く諦めるしかないのだろう。
「だから言うなって」
 ふて腐れるよりも先に、気の抜けた笑いがこみ上げてきた。
「――本当に生きてたんだよなあ、アセム」
 それを見たロディが、つぶやくように噛みしめるように言った。アセムのその嬉しそうな、けれどほんの少しだけ影が滲んだような、わずかに碧眼を細めた静かな笑い方は、昔とちっとも変わらない。
「なんだよ急に」
「なんか、やっと会えてほっとした」
 するとアセムが怪訝に目を瞠る。
「ロディもいただろ、工房に」
「うちでAGE3のパーツ受け渡しやったとき? それどころじゃなくて、話す暇もなかっただろ」
「あー、そういえば結局ユノアとしかまともに話してなかったっけか?」
 首を傾げながらアセムが三ヶ月前の記憶を引っ張り出す。あまりそんな気がしないのは、出発までの短い時間にアセムを捕まえたユノアが、しかしこれまでのことを問い質すようなことをせず、家族や共通の知り合いのこと、今のディーヴァのことを、とにかく話して聞かせてばかりいたからかもしれない。ロディの話もそこで何度も出た。
「それでさ、実はアセムに見てもらいたい物があるんだけど、今から時間あるか?」
「海賊がいつまでも長居してるわけにいかないだろ」
「確かにその黒ずくめは悪目立ちするよなあ」
 しかもロングコートだ。
「……何を企んでるんだよ」
 もっともらしく言いながら、うんうんと芝居がかった仕草で頷いてみせる様がどうも胡散臭く感じられて、アセムは目を眇めて睨み返す。
 だがロディはそんな視線の圧力を平然と受け流して、何でもないことのように、とんでもない言葉を続けた。
「物はディーヴァにあるんだよね」
「さすがに無理すぎるだろ!」
 そこは懐かしい古巣である以上に、連邦軍の現役戦艦なのだ。
 そもそもこの軍基地を有するコロニーの港にバロノークが堂々と入港していることが、本来ありえない。そしてMIA認定されたとはいえ軍の脱走兵で今は海賊の首領であるアセムが、こうしてコロニー港の中を自由に歩いていることもありえない。
 それだけの無理を押し通しているのは、ひとえにキオが願ったからであり、火星圏で入手したヴェイガンや新型の情報で連邦軍と取引した結果だが、それもまだここが軍の施設ではないから許されているに過ぎない。
「わかってるよ。だから着替えよう」
「人の話を聞けよ」
 いきなり押しつけられた手提げ袋を咄嗟に受け取ってしまったアセムが、好奇心に引かれてその中身をちらりと見やる。と。
「……なあ、何でこれがここにあるんだ?」
 問い返す声が、引きつっているのが自分でもよくわかった。
「おまえが他に何を着るんだよ」
 さも当たり前のように言われて、アセムは慌てて首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて。──これは駄目だろ。やっぱり」
 連邦軍パイロットが制服として着用するジャケット。色は白。かつてアセム・アスノのパーソナルカラーであり、そして戦死したウルフ・エニアクルから受け継いだ色だ。丁寧に折りたたまれて袋に入ったそれを見つめて、懐かしむようにけれど寂しそうにアセムが微笑んだ。
 ロディはわずかに痛むように目を伏せて、それからわざとらしいまでに悪戯めいた笑顔を貼りつけて、軽い声でささやく。
「あー、十三年も経ったら、さすがのおまえも太った?」
「バカ言え、まだ着れる!」
 つい感傷を押しのけて言い返したアセムが、次いで決まり悪そうに表情を歪めた。
「……どうなっても俺は責任取らないぞ」
 押されると弱いのは相変わらずか、まんまと妥協を引き出すことに成功してロディが小さく歓声を上げる。
「大丈夫! フリットさんはとうぶんディーヴァに戻ってこないから」
 アセムは呆れて、問題はそれだけじゃないだろうと突っ込みたかったが。
「あ、あとそれあの人の形見じゃない方だから」
 思い出したように付け加えられたその一言に、ほっとしたようながっかりしたような複雑な気持ちが、少しくすぐったかった。



「あ、着れた」
 そうして引っ張り込まれたドックに近い個室の一つで、おそるおそる白のジャケットに袖を通したアセムがぽつんとつぶやいた。
「やっぱり不安だったんじゃないか」
「何か言ったか」
 そのまま肩を回して着心地を確かめている後ろ姿にロディが言うと、振り向きざまにぎっと睨まれたので笑って誤魔化す。
「いや別に。懐かしすぎて感動するなあ、と」
 だがその言葉は嘘ではない。
 今のアセムは黒いコートを脱いで赤いスカーフを外して、白いジャケットを羽織っただけの姿だ。特徴的だったあの長い金色の尻尾はなくなって、短くなった髪が好き放題に跳ねている。昔そのままではないが、もしもの未来としては上出来ではないか。
「大げさな」
「おまえが生きて帰ってきたから笑い話に出来るんだよ」
 つとアセムがわずかに目を伏せて表情をかげらせる。その薄暗さはずっと生存を隠していたことへの後ろめたさとはまた違う気がして、ロディは黙って視線をそらした。そしてざっとアセムの全身を眺める。
「なあ。そのインナーって軍のと同じだよな?」
 コートは前を閉じていたので気づかなかったが、その下は連邦軍の制服と同じだ。よく見ればブーツも、通常MSパイロットに支給される物とは違うが、やはり軍で見覚えがあった。生身で作戦行動を行うことも多い特殊部隊の標準ではなかっただろうか。
「あ、ああ、手に入れやすいからな。ノーマルスーツとかも全部改造」
「略奪?」
「そんなもん怖くて使えないから、ちゃんと製造元からの横流し」
 つまり不良品などの名目で書類上は廃棄し、実物は裏に流れているということか。
「へーえ、上手くやってるわけだ」
「組織としてはもう出来上がっていたものを引き継いだからな」
「そういえばビシディアンも長いんだっけ」
「先代から数えたら、三十年近くになるんじゃないか」
 そこにアセムがいるとわかってからロディも軍で引き出せる情報は調べたし、繋がっていると知ってから母にも頼み込んで話を聞かせてもらった。
「たぶん俺も、親父の客として見たことあるんだろうなあ」
 Gエグゼスやシャルドールのカスタマイズ機も、もともとは今は亡き父が手がけた物だという。
 さらにはあの大破したAGE2をダークハウンドに改造したのも実家だと聞かされた時には呆然とするしかなかったが、言われてみれば、本物のガンダムを相手にそんなことが出来るのは確かにマッドーナ工房以外にありはしない。
「……なあ、」
 と、何事か思案に暮れていたアセムが躊躇いがちに何かを言いかけたそのとき、おざなりなノックとともにドアの電子キーが解除される。そうして。
「失礼しまーす。兄さん捕まった?」
 あっけらかんと入ってきた妹に、思わずがっくりと肩を落としながらアセムはこの茶番の共犯者を理解した。
「おまえか、ユノア」
 これ見よがしにため息をついてみせると、ユノアは少しも悪びれない笑顔を浮かべてアセムを、正確には着ている白いジャケットを指差した。
「それ持ってきてくれたのはロマリーさんだからね」
「ぅあ……」
 何とも言い難いうめきがアセムから漏れる。
 ディーヴァが入港している現在、ドックに隣接するこの区画に民間人は立ち入れない。だから面会も上のフロアで行われた。ロマリーからユノアに荷物の受け渡しがあったのならその前後だろう。そんな素振りはちっともなかったのに。
「何を考えてるんだよ、おまえらは」
「うん、兄さんを困らせようと思って」
 着替えた兄を前に満足そうに言い放ったユノアは、その腕を捕まえて有無を言わさずソファに座らせる。
「何だ?」
「もうちょっと昔っぽくしてみたいのよね」
 じゃーん。どこからともなく現れた櫛と細いヘアピン数本を両手に構えて見せつける妹の姿に、逆らえる気がしなくてアセムは大人しく観念した。
「もう好きにしてくれ……」
「言われなくても」
 こんな下らなくも懐かしい時間は、いつ次があるかなんてわからないのだから。



 父親から受け継いだユノアの髪質は、気難しい父親そっくりに扱いにくい。
 十三年ぶりに会えた兄は、ユノアが物心ついたときにはもう長かった、長くて当たり前だった髪をすっかり短く切ってしまっていた。そしてずっと母に似たと思っていた兄の髪も、自分とそして父と同じような癖がついていることを発見した。
 だがこうして触ってみると、やっぱり同じではないかもしれない。
「なんで切っちゃったの」
「一度ばっさり切る羽目になって、短いと楽だった」
 当たり前といえば当たり前な簡潔すぎる答えに、ユノアは怪訝に眉をひそめた。じゃあ何でずっと伸ばしてたんだろう。子供の頃に一度聞いたことがあったような気もするが、思い出せなかった。
「何だ?」
 つと黙り込んだユノアに、アセムが少し不思議そうな視線を返してくる。
「……それって、兄さんが漂流船調査で大怪我したっていうとき?」
 声が一段低くなるのを抑えられない。
 さっき初めて知ったばかりなのだ。十三年前のそのとき、兄が瀕死の重傷を負っていたことを。
「違う、切ったのは海賊始めてしばらくしてからだよ。ちょっとヘマやらかして半端になったから、全部切ったんだ」
「なんだ。てっきりアセムのことだから、断髪で堅気とおさらばのケジメ付けたのかと」
「おまえは人を何だと思って……」
 隣のソファの背もたれに浅く腰掛けて見ていたロディの軽口に、アセムが憮然と横目で睨む。
「思いっきり形から入る奴?」
「ああうん、兄さんってそういうところある」
「どうせ俺は形ばっかだよ」
「えー、そこまで言ってないってば」
 すっかりふて腐れてしまった兄のふわふわと跳ねた癖毛を、笑みを忍ばせながらユノアは手早く整えていく。櫛を通せば昔羨ましかった、母に似た細めの髪質は今も変わっていないのがわかる。
 そうして。
「ねえ、その右目って見えてるの」
 顔の右側を覆い隠すように長く伸びた前髪を横に流しながら、ユノアは殊更に平静な声を装って問いかけた。
「眼球は無事だからな」
「そうなの?」
 右目の上から頬の下に向かって、かなり派手にざっくりと切れた痕のように見えるが。
「今はこんなんだけど実は、上と下は別々の傷」
「ってことは偶然そんな風に繋がったのか」
「下が先で、十三年前に目の下から頬を切った痕が残ってたんだよ。その後また右を怪我した時にこうなった。塞がって包帯取れたときには出来すぎって笑われたよ」
「それは俺も笑いたくなる」
 難しい顔で押し黙ってそれを聞いていたユノアが、つと今度は鏡越しでなく兄の頭をしっかりと捕まえて、右目をぐっと覗き込む。
「おい!」
 無理やり首を捻られて抗議の声を上げるアセムの右目は確かにユノアを捉えていて、見えていないということはないらしい。
「うん、嘘じゃないみたいね」
「片目でMSパイロットはキツいだろ」
「だって隠してたら気になるじゃない」
「この傷見るたび変な顔する奴がいて鬱陶しいんだよ」
 ユノアは思わず手を止め、ついでロディを見やった。するとちょうど彼もユノアに視線を向けたところで、目があった二人は同時に、ため息混じりに肩をすくめた。
「何だよ二人して」
「ううん、何でもないよ?」
「そうそう、アセムだなあって思っただけだから」
「意味わからん」
「だから兄さんなんて、海賊とか言っていきなりディーヴァ襲ってきたし、こっちに私たちがいるとわかってたくせにあのカプセルはなんか他人行儀だったし、おかげで父さん大荒れしちゃってキオも混乱しちゃうし、せっかく生きてるってわかったのに素直に喜べる空気じゃなかったこっちの気持ちなんて全然わかってないでしょ、ってこと」
 そう一息で言い切ったユノアの声は怒声でも罵声でもなかったが、静かな迫力が滲んでいて、アセムがたじろぎながら後ろの妹を振り返る。
「ユノア、」
 一ヶ月前には息子に。そして少し前には妻にも。
 黙って置き去りにしてしまった家族に、アセムは謝ることしかできない。生きていたのに帰らなかったこと、生きていると知らせなかったこと、悲しい思い、寂しい思いをさせたこと。覚悟を決めた自分より、きっと冷たく背負わせてしまった。
 しかしユノアの手がすぐに、アセムを正面に向き直らせた。
「謝ってほしいわけじゃないの。私は妹なんだから、キオやロマリーさんとは違うんだからね」
 力がこもっておらず添えられていただけのその手は、そのまま最後の仕上げに取りかかる。
 そして。
「だから謝らないでよ。だってまだ、何も終わってないんでしょう」
 呆れたような諦めたような苦笑まじりに、呟くような声がこぼれ落ちた。
「──はい出来上がり! ロディさん鏡!」
 けれどそんな湿っぽさはすぐに吹き飛ばして、ユノアは景気の良い声を上げる。さらに素早くロディからユノアへと手渡された鏡が、アセムの目の前に突き出された。
「うわあ……」
 思わず途方に暮れたくなった。
 四角い鏡の中には、まるで十三年前の続きのような今の自分の姿があった。





scene 2:答え合わせ



 さすがにディーヴァ艦内を通り抜けることはアセムから断固拒否されたこともあって、資材搬入のため開放されているハッチから直接、格納庫へ入り込む。
「懐かしいだろ」
 中央は避けて壁沿いに床を蹴って流れながら、ロディは後ろをついてくるアセムを肩越しに振り返った。
「そうだな。あまり変わってない」
 言われてアセムは小さく苦笑をこぼす。最深部に鎮座する巨大なAGEビルダーも昔のままだ。もちろんMSの顔触れは変わった。奥に純白のAGE2があるはずもなく、ずらりと並ぶのも今はアデルではなくクランシェだ。
 それでも十年の大半を母艦として過ごしたこのディーヴァで、アセムが一番長くいたのはこの格納庫だった。アリーサがディーヴァに戻ってきて、さらにロディが配属されてきてディケからAGEシステムのオペレートを引き継ぐようになってからは特に入り浸っていたものだ。
「今はおまえが整備士長なんだっけか?」
「といってもオリバーノーツから一緒の連中ばかりだから気楽なもんだけどね。海賊の首領様には負ける」
「何だそれ」
「あ、あと、クランシェ開発初期からいた奴はアセムの顔知ってるんだから、一応気をつけといてくれよ。アセムが今は海賊ってここじゃ公然の秘密だし」
「え、マジ?」
 アセムがぎょっと目を瞠る。家族や仲間内には最初から気づかれて当然だと思っていたので、これまで気にしてもいなかったが。
「大マジ。サルガッソーでおまえに気づいたフリットさんとキオが、ここで大声で喧嘩始めてさ。おかげでディーヴァで知らない人はいない感じ」
「何考えてんだ父さんっ」
 思わず頭を抱えたくなったのは我慢したが、小声で叫ぶのは止められなかった。
「元凶が何言ってるんだか。まあ、あのフリットさんもそれだけアセムのことで動揺してたってことだよ。ユノアさんは思いっきり呆れてたけど」
 ロディの言葉に、一瞬ぽかんとしたアセムはすぐに苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。
「……ここも今はそれどころじゃなさそうだから、たぶん平気だろ」
 ルナベース奪還作戦を間近に控えて、各機体の調整に追われる格納庫内は忙しなく騒がしい。防衛網を突破すれば各部隊は月面降下に移るが、月には地球の1/6とはいえ重力があるのだ。これだけの喧噪の中、見慣れないとはいえパイロットの制服を着た人間が一人紛れ込んだところで埋没するだろう。気まずさだけでは塗り潰せない懐かしさに引きずられたアセムのその考えは、しかし少し甘かったらしい。
「中尉ー、お連れの美人はどなたですかー?」
「班長ひどいじゃないですか、ガンダム待ちだからってデートですか!」
 整備の合間と思しきメカニックたちから、すれ違いざま怪訝に見られるだけでなく、好奇の目や、からかいの言葉が投げられてくる。
「俺の昔の友達だよ! おまえらふざけてないで作業続けろ! あと俺はまだ休息時間だ!」
 声を張り上げてそれらを追い払うロディの影で、アセムも嘆息を落とした。
「何だこれ」
 不満も露わに渋っていたのを頼み込んで、ユノアにはわざわざ別に搭乗口から回ってもらったというのに。おまえのせいか?と目を眇めるアセムに、それは濡れ衣だとロディは苦笑する。
「おまえが目立ってるんだよ」
 たとえガンダムがなくても親の七光りがなくても、アセム・アスノは目立つ人種だ。だが本人にその自覚は乏しいらしい。そういえば昔、アリーサもそんなようなことを言っていた。最初にディーヴァに配属されたばかりの頃、あのフリット・アスノの息子だから、あのガンダムのパイロットだから、あのウルフ・エニアクルが構っているから、そんな外的要因で自分は目立っているのだと思い込んでいる節があったと。
 そんなズレを、今さら教えてやるのも面倒くさい。
「ロディさん! AGEシステム、50%行きましたよ!」
「ああわかった!」
 いまいち納得しきれない顔をしているアセムは放っておいて、ちょうどガンダム付きの整備班が寄越してきた報告に、手を振って答える。
「もしかして新型か?」
 AGEビルダーに繋がれている、未だ残骸同然のAGE3を一瞥したアセムが小声で問うた。AGE3を修理しようという気配が見当たらない。
「ヴェイガンの新型ガンダムもどきに派手にやられたんだろ。AGEシステムがやたら張り切りだしたよ。装備一新だしもう換装じゃなく乗せ換えだな」
「ならAGE3じゃなくなるのか」
「AGE-FX。Xラウンダー専用装備がメインになる」
 それはキオのための決戦兵器だ。
 もう一度AGE3を見上げたアセムの目に、複雑な色が滲む。
 セカンドムーンでの経験は、それまでの白黒はっきりしていたキオの世界を一変させてしまったようだった。この一ヶ月、まだそれを受け止めるのに必死で、飲み込みきれていない様子がうかがえた。
 あの子はこれから、何と戦うだろう。
 最後に納得を見いだすのは自分だ。それまではひたすら足掻くしかない。
「アセム?」
「いや。仕上がりは戦場で見せてもらう」
「ルナベース、来るのか」
「そのつもりだ。──今のは内緒な」
「またフリットさん怒るぞ?」
「言うこと言ったら通信はさっさと切るに限る。それより、これを見せたかったわけじゃないんだろ。あんまりのんびりしてると俺の時間なくなるぞ。見せたい物って何なんだよ」
「わかってるって。見せたいっていうか、見てもらいたい、かな」
 曖昧に答えながら、ロディは辿り着いたAGEビルダーの前に回り込む。この位置は巨大なビルダーの影になるので、周囲からはほとんど見えない。話し声が通るほど静かな場所でもないので、これで人目には付かなくなるだろう。
 と、艦内を通り抜けて先に着いていたユノアが、小さく手を振ってきた。
「二人とも遅い」
 上機嫌な妹に、アセムが小さく首を傾げる。
「……なんか企んでるか?」
「企みならもう成功してるけど?」
「そうだった」
 自分が今こんな格好でこんなところに連れてこられているのが企みの結果だ。澄ました笑顔で胸を張る妹の髪を、アセムは子供の頃のようにくしゃりと撫でた。
「あ! もうっ」
「んで、今から何が始まるんだ?」
 そして慌てて手櫛で髪を整えるユノアを尻目に、ロディの手もとをのぞき込む。
 ロディはコンソール脇に置いてあった自分の端末を開いてプログラムを立ち上げていた。ディーヴァにシステム本体を置いた、アセムにも馴染み深い戦術シミュレーションのようだったが、少し違うようだった。
 画面の片隅に、あの十三年前の日付が映し出される。
「十三年前の、答え合わせ」



 漂流船の調査から始まった、十三年前のあの不可解な事件。
「あの時、海賊のMSと接触したっていう報告を最後に、通信が全然繋がらなくなっただろ。爆発の後には何も残っていなかったし、AGEデバイスが送ってきた戦闘データだけが唯一の手がかりだったんだ」
「あのデータがあるのか……」
 アセムが目を瞠る。
「AGE2は酷いありさまだったけど、AGEシステムは辛うじて生きていたからね。数時間後にリンケージが回復して、転送されてきたんだ」
 絶望的な捜索のさなか、AGEデバイスから転送された戦闘データの存在が最後の希望になった。その発信元を辿ればAGEデバイスが、AGE2のコクピットブロックがあるはずなのだ。だが。
「でも、やっと見つかったAGE2の中にアセムはいなくて」
 大破して四肢も翼も失った無残な姿で漂っていたAGE2の、中は空っぽだった。
「それで何があったのかも全然わからないままMIAが確定して……なんか悔しくてさ、艦長の許可もらって、あの戦闘データを解析して敵機の再現データを組んだんだ」
 言いながらロディは、敵機の設定数値を画面に呼び出した端末をアセムに渡す。
 戦術シミュレーションプログラムを応用し、AGE2が観測していた戦闘データを落とし込んで、最後の戦場の再現を試みたものだ。あの宙域で何と戦ったのか、何がアセムたちを殺したのか、答えが欲しかった。
 そうして出来上がった敵機は、化け物だった。
「──本当に、こんな化け物が存在するのか」
 機体の巨大さもあってか本体の運動性能はAGE2が上回っているが、攻撃端末機と思しき小型機はほぼ互角に近く、しかもその数が尋常ではない。さらには本体だけでなく小型機の火力ですらAGE2を易々と貫く。ハイパードッズライフルで敵機の装甲を撃ち抜けているのでまったく太刀打ちできないわけではなかったようだが、ノーマル装備で包囲されてしまったら、結局は数で圧されて終わりだ。
「シドだ」
 その数値にざっと目を走らせたアセムは、勝手知ったるプログラムの入力画面を呼び出して設定を書き換え始める。
「シド……」
「そう呼ばれていた。自律型の無人MSで、EXA-DBに近づくものを片っ端から殲滅する守護者らしい」
「でも兄さんたちは漂流船の調査に向かってたんでしょう? なのに、どうしてそんな化け物に襲われなきゃいけないのよ」
「その漂流船の近くに、このシドがいたんだよ。たぶん子機たちが本体の修理だか改造だかをやるのに、船の残骸を集めて利用していたんだ」
「改造!?」
「ビシディアンが最初にシドを退けたときにはバロノークの主砲が効いていたのに、数日後にまた襲ってきた時にはもう通用しなかったんだと。AGEシステムに少し似てるかもな」
「とことん化け物だな……」
 無数の子機は高火力の攻撃端末であり、高性能なメンテナンス端末でもあるということだ。そして遭遇した障害にその都度、自らを適応するよう造り替える。すべてはEXA-DBを半永久的に守り続けるための機能だったのだろうが、それはAGEシステムよりもずっと、いびつだ。
 あるいは、いびつだからこその化け物か。
「一部を盗んで使ってるヴェイガンとも違う、100%、条約以前の技術で造られた機体なんだ。俺たちの常識は通用しないさ」
「そりゃそうなんだろうけどさ……」
 ロディは呆れた嘆息を滲ませた。
 プログラミング方面では知識も技術も長けている自負がある。無人機に搭載する自律システムそのものはロディの専門外だが、参考がてら既存のそれを囓った経験もある。なので、驚きを通り越して呆れるしかない彼我の隔たりを実感できる程度には、現代の技術レベルは知っているつもりだ。
 拠点防衛などに特化させたタイプならまだしも、単独でMS戦闘のみならず自機の維持管理をもこなしてしまうほどの高度な自律システムを構築する技術は、連邦軍にはもちろんおそらくヴェイガンにもないだろう。
 あまりにも次元が違いすぎる。
「俺も詳しく知ったのは、終わってからだったけどな」
「そんな化け物に勝てたのか?」
「──勝ったわけじゃない」
 つと手を止めたアセムが、苦い表情で首を横に振る。
「AGE2で子機を引きつけている間に、シドのコアを狙ってGサイフォスの融合炉を自爆させたんだ」
 画面が切り替わる。プログラム上に構築された十三年前の戦場に存在するAGE2の味方機が、アデル四機と、それからGサイフォス一機に識別された。
「Gサイフォス?」
「Gバウンサーと同系列のカスタム機で、当時のビシディアンの若頭が乗っていた」
「アセムが接触したっていう海賊か」
「ああ。俺と一緒にシドと戦って……あの爆発の後、見つからなかった。陽動で距離があったはずのAGE2も巻き込まれたしな、手筈どおりあの二人が自爆前に脱出できていても、爆発がでかすぎたんだ」
 だからきっと、駄目だった。
 痛むように碧眼を細めて、アセムが消え入りそうな声を落とした。
「先代の一番弟子でさ。本当なら、あいつがビシディアンを継ぐはずだったんだけどな」
 ユノアが悲痛な顔で何かを言いかけて、しかし何も言わず口を噤む。
 それを視界の端に認め、ロディは呻くように言った。
「……あの爆発ならディーヴァからでも見えたよ」
 アセム隊との通信が完全に途絶し、宙域で何らかの事故が発生したと見なしたミレースが救助隊の編成を命じて間もなくだった。あの爆発が観測されたのは。
 MS一機のプラズマ融合炉を自爆させただけで、あの規模の爆発にはならない。アセムもかつて目の前でGバウンサーの爆発を見ているからわかっているはずだ。
 ならばあの爆発は、シドの爆発だったのだろう。
「そっか。そういうことか」
 爆発の瞬間を最後に、AGE2の戦闘データは途切れていた。あの爆発が敵機を消し去り、またAGE2をも破壊してしまったと推測できても、残された戦闘データからわかるのはそこまでだった。
 ──あの時、生き残ったのはアセムひとりだけだったのだ。
 それがどんな意味を持ってしまったのか、わかるくらいにはロディもつきあいが長かった。





scene 3:家族の憧憬



「見たって気分のいいもんじゃないと思うぞ?」
 だって本当に酷いぞ。明らかに気の進まない顔でウットビットが念を押してくる。
 その言葉に苦笑を滲ませながら、キオは肯いた。
「みんな忙しいときにわがまま言ってごめん」
 破壊されたAGE3は入港したバロノークからディーヴァに移されて、今はAGEシステムに接続されていると聞いて、どうしても見ておきたくなった。
 セカンドムーンを脱出する際の戦闘で、ヴェイガンの新型に四肢を吹き飛ばされ動けなくなったキオのAGE3は、父の駆るAGE2に抱えられてバロノークに着艦した。その後AGE3は格納庫奥の倉庫に運び込まれ、器具ですっかり覆われた状態で固定されていたので、キオは父の手を借りて機体を降りたときにちらりと見たきりなのだ。
「ほら、あそこ。見えるだろ」
 先を行くウットビットが、つと格納庫の奥を指差した。
 大きなAGEビルダーの影から天井に吊されケーブルに繋がれたAGE3の姿が現れて、キオは思わず床に足をつけてその場に立ち止まった。
「……本当だ、ぼろぼろだね」
 AGE3は頭部と胴体が辛うじて残っているだけの、無残な姿だった。しかも新型に造り直されるから、おそらくこれが最後のお別れになる。
 もっと子供だった頃からずっと祖父からその存在をほのめかされていて、いつか乗れる日を楽しみにしていた。ガンダムはヒーローだった。オリバーノーツが襲撃され、初めて戦ってからまだ数ヶ月しか経っていないが、あの頃が今はとても遠い。
「あれ、ロディさんいないのかな?」
 立ちつくすキオの横で、ウットビットがきょろきょろと辺りを見回す。と。
「こんなところに立ち止まると危ないぞ」
 オブライトの穏やかな声とともに降ってきた、ファイルがキオの頭をぽんと軽く叩いた。
「ご、ごめんなさい!」
 だいぶ奥まったところとはいえ通路のど真ん中には違いない。我に返ったキオは慌てふためき、ここが仕事場のウットビットはばつが悪そうに笑いながら一礼して、探し人の行方を尋ねる。
「すみません、ロディさん知りませんか?」
「少し前にメカニックたちがやたら騒いでいたから戻っているはずだ。今はAGEシステムのところじゃないか」
「騒いでたって、何かあったんですか?」
「心配しなくても別にトラブルがあったわけじゃない。行くのなら、よろしく伝えておいてくれないか」
「え?」
 しかし少年二人の疑問を置き去りにして、さっさと踵を返したオブライトは、軽く手を振っただけで自分のジェノアスの方へ戻ってしまった。
「何なんだ?」
「行ってみたらわかるんじゃないかな」
 よろしくって、誰にだろう。お客さんが来ているのだろうか。ディーヴァの停泊するドックには他にバロノークしか入港していないが、このコロニーの軍基地は今はルナベース奪還の臨時司令部になっているので、多くの戦艦が集まってきているらしい。ロディの昔の知り合いもいるのかもしれない。
 果たしてAGEビルダーの前にはロディと何故かユノアもいて、さらにその二人の間には、ディーヴァでは見たことのない白い服の連邦軍パイロットがひとり――
「え?」
 キオは咄嗟にビルダーの影に隠れると、ウットビットの腕を掴んで引き寄せる。格納庫内は騒がしく、三人とも端末を囲んで何やら話に集中しているので、まだ気づかれていないはずだ。
「どうした?」
「父さんがいる。僕の」
 一目見た瞬間あれは父だと、アセム・アスノだとキオは間違いなく確信していた。が、どうして父がディーヴァにいるのだろう。どうしてあの黒いコートではなく、白い、連邦軍のMSパイロットのような格好をしているのだろう。そして二人と何を深刻そうに話しているのだろう。
「おまえの? ってことはあの海賊の? 真ん中の人だよな、映像のと全然違くねえ?」
「そうかな」
 最初に宇宙に上がった時から、キオの感じる父の気配というのはとても優しくて、あたたかくて、そしてほんの少し寂しさが影を落とす色だ。
「ってか……あの人、母ちゃんの写真で見たことある気がする」
「え、どんなの」
 ウットビットの母親が父の昔の戦友だったことは以前にも聞いたことがある。そういえばオブライトもそうだ。さっきのは、アセムがここに来ていることを知っていたからなのだろう。
「ディーヴァのパイロット全員で撮ったっていう写真。あ、そうか、あの白いおっさんは隊長だって言ってたから、母ちゃんの隣にいた金髪の兄ちゃんがキオの父ちゃんだ。おまえん家にはねえの?」
「僕は見たことない」
 白いおじさんって誰だろう。父さんが今着てる服が真っ白なのと関係あるのかな。きゅっと眉根を寄せてキオは、両親の写真にあまり興味を持たなかった昔の自分に今さら苛立ちを覚える。
 母の部屋にある写真は学生時代やプライベートの物ばかりで、パイロットらしい姿の父は見たことがない。母はすぐに軍を辞めたと聞かされていたのでそういうものなんだと思っていたが、実は仕舞われていただけでアルバムにはあったのかもしれない。ねだればもっといろいろ出してもらえたのかもしれない。
 とりあえずキオは考えるのをやめて、思いっきり床を蹴って白い背中に飛びついた。
「父さん!」
「っと。キオ?」
 難しい顔をしていたアセムが、キオに気づいて表情をやわらかくゆるめる。ついで差しのべられた手を借りて、キオはその隣に着地した。
「どうして父さんがディーヴァにいるの?」
 キオはうっすらと期待の色を込めて父を見上げる。再会を泣いて喜んでいた母も、祖父との約束の時間が来てしまった父との再度の別れはひどく静かなものだった。そこでキオが駄々をこねたら、両親どちらも困らせてしまうような気がしたくらいに。
 でも今は、そんな繊細な空気はない。
「そこの二人に拉致られてな……」
 言ってアセムがロディとユノアへ憮然とした眼差しを向けると、二人は誤魔化すように曖昧に笑った。
「……海賊なのに?」
 キオは小さく首を傾げる。
 何の話をしていたのか探ろうにも、父の手もとにある端末の画面はキオには理解できない大量の文字や数値がなめらかに流れていくばかりで、父が何を打ち込んでいるのかまったく想像もつかない。軍の端末で、刻印された名前からしてロディの物のようだったが。
「海賊だから? っていうのも何かおかしいな?」
「キオが言いたいのは海賊の首領が、俺たちにあっさり拉致られてていいのってことじゃないかな」
 揶揄を含んだロディの言葉に、アセムの口の端がゆるりと笑みの形に歪む。
「何かあっても責任はロディが取ってくれるんだろう?」
 と、ぐっと息を詰まらせてロディの笑顔が引きつった。
「そりゃ取らせていただきますけどね?」
「まあ俺も、せっかく軍からもぎ取った時間めいっぱい使ってこいと言われてたから、すぐに戻るのはちょっと気まずかったし」
「こじれるって端からわかりきってるんだから、フリットさんとの話は最後にしとけばいいのに」
「父さんの一方的な時間指定を動かせると思うか?」
 ユノアが小さく肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「言ったら父さん、絶対に理由聞いてくる」
「おまえ嘘下手だしな」
「Xラウンダー相手に、嘘をつこうとするだけ無駄だって昔思い知らされたんだよ。――少しいじったけど、出来が良くてぞっとするな、これ」
 アセムは嫌そうに表情を歪めて、抱えていた端末をロディに押し返す。そしてキオに向き直ると、やわらかな微笑みを浮かべた。
「あの後キオは検査の時間だったよな。もう済んだのか?」
「うん、ちゃんと受けてきたよ。二時間後に結果を聞きに行くんだ」
「そうか」
 くしゃりと父の手が頭を撫でる感触がくすぐったくて、キオは小さく首を竦める。まるっきり小さな子供扱いだが、十三年分を今もらっているようなものだからか、ちっとも不快感はない。
 するとユノアがくすりと笑って、からかうような声で言った。
「あら! いつも私のところになかなか来ないくせに、お父さんの言うことには素直なのね」
「お、叔母さん!」
 キオは慌てて誤魔化そうとするが、ユノアはここぞとばかりにアセムへ話を振る。
「ちょうどいいから兄さんからも言ってやってよ。キオったら、MSパイロットに義務づけられてるメディカルチェックを面倒くさがって、すーぐサボろうとするんだから」
「そうなのか?」
「……」
 左手を頭の上に置いたまま腰をかがめてキオの顔を覗き込む父の視線から、思わずキオは逃げてしまうが。
「悪いとわかってるから目をそらすんだろう」
 にやりと笑みを含んだアセムの声に、ひくりと肩が強張る。
「返事は」
「……もうサボったりしません」
「よし。あんまり叔母さんを困らせてやるなよ」
 おずおずと頷くと、先ほどよりも荒っぽく、頭をくしゃくしゃと掻き回すように撫でられた。
「兄さんキオに甘い」
「甘くて何が悪い」
 でも普通に叱られるより気恥ずかしい。
 そう思いながらキオは、不満そうに口を尖らせる叔母と、面白がるように笑いながら開き直る父を、新鮮な気持ちで見上げる。
 ディーヴァに乗り込む前は近所の軍病院勤務だった叔母は、優しいけど真面目で厳しい人だった。キオが友達とふざけていて怪我したときに、一番厳しく説教したのは叔母だった。軽はずみな行動が取り返しのつかないことにもなりうるのだと冷静に諭された。
 バロノークで一ヶ月ずっと一緒だった父は、荒くれ揃いの海賊を率いる首領らしい無骨さより、キオの話を聞いてくれる時の静かに微笑む印象が強かった。火星圏から逃げ切れば後は見えざる傘に隠れて帰るだけの静かな航海、ビシディアンの人たちが気を遣ってくれてキオはほとんどの時間を父の側で過ごしたが、その大半はキオが喋って父が聞く形だった。セカンドムーンでのこと、シャナルアのこと、キオの中でずっとぐるぐる渦を巻いている何かを吐き出すような話を、ただ寄り添って聞いてくれた。そうして祖父のことに話が及べば、父は少し困ったように微笑んでいた。
 しかしキオにとってアセムが父でユノアが叔母であるだけでなく、アセムとユノアは兄妹なのだ。キオが生まれるずっと前から。初めて見る両親の再会にも感動したが、それとは別のあたたかさを感じる。
 家族一緒なら、こんな顔もするんだ。
 今の二人に感じているのはきっと、そんなあたたかさだ。



 ──ふと、何かがキオの感覚に引っかかった。
 そっと辺りをうかがう。あの扉の向こう、システムルームから感じる。
「どうした?」
 視線を彷徨わせるキオに気づいたアセムが怪訝な顔をする。と、その背後、今はアセムから死角になっているユノアがキオに向けて、音もなく困ったように笑いながら、唇の前で人差し指を立てた。
「ううん」
 だからこれは、父には秘密にしておこうと思った。



 その代わりにキオは、AGEビルダーに目を向ける。思いも寄らなかった父親の存在にすっかり気を取られてしまっていたが、ここには一人で来たわけではなかったことを思い出したからだ。
「ん? ……ウットビット? そんなところに何こそこそ隠れてるんだよ」
 その視線に気づいたロディが、置いてけぼりを食らったままビルダーの影でまごついていたウットビットの姿を見つけ、噴き出した。
「ロ、ロディさんっ」
 途端その場にいた全員の視線が集まり、泡を食ったウットビットは悲鳴のような声を上げてしまう。だが見つかってしまった以上、いつまでも隠れているわけにはいかない。ぎこちない所作になりながらなんとか前に進み出る。
「え、ええと……は、初めまして、ウットビット・ガンヘイルですっ」
 みっともなく上擦った自分の声が聞こえて、ウットビットはかっと頭に血が上るのを感じた。
 この人はキオの父親で、母とロディの親友で、母の昔話にあった凄いエースパイロットで、ロディの肩越しに盗み見た映像の海賊で。しかしこのパニックはそういった頭の中にある混乱だけでなく、ただただ単純に、両親と同世代とはとても信じられない、まるでテレビの中みたいな美人が目の前に並んでいる存在感に圧倒されてしまった動揺だった。
 傍から見ている分には平気でも、こうして引きずり出されたら話は別だ。ユノア一人だけでも気後れするのに、アセムと二人、兄妹で並んでいたら二倍じゃなくて二乗だ。
「ガンヘイルって──ああ、そうか」
 驚いたように目を瞠っていたアセムが、つと気さくに笑う。
「実は初めてじゃないんだけどな」
「へ?」
 思わずぽかんとするウットビットの頭を、ロディの手がぽんぽんと叩いた。
「赤ん坊の頃に会ってるんだよ。おまえが六ヶ月くらいの頃だったかな、ディーヴァがコロニーに寄港したから、みんなでお祝いに行った」
 アセムがまだ行方不明になってしまう前のことだ。軌道艦隊に所属せず、ビッグリング直属の独立部隊だったディーヴァ艦隊は、有事でなければその行動は旗艦艦長の裁量に任されていた。その立場を利用したとも言える。
「でっかくなったなあ。アリーサたちよりディケさんそっくりで驚いたけど」
 知らない名前だ。キオはそっとアセムの横顔を見上げた。話の流れからすれば、アリーサというのがウットビットの母親の名前なのだろうけど。
 するとアセムが隣のキオを振り返る。
「ああ、キオは知らないよな。アリーサっていうのはウットビットのお母さんで、昔ディーヴァで一緒にパイロットやってたんだ。ディケさんはお祖父さん、俺が軍に入った頃、AGE2の面倒を見てくれてたメカニックの人だよ」
「オブライトさんも、だよね?」
「え? ああ、そうか、今はディーヴァにいるんだったか」
「うん。さっきオブライトさんに会って、よろしく伝えてくれって言われたんだ。父さんにでしょう?」
 ほんの少しだけ、アセムの表情が陰ったように見えた。
「父さん?」
「そうだな。中尉と同じ部隊だったのは最初だけだったけど……」
「──昔のお父さんが気になる?」
 何事か考え込むように言葉尻が溶けていったアセムの横から、ロディがキオに問いかける。
「うん」
「いいものがあるよ」
「いいもの?」
 答える代わりにロディは端末を操作して、それまで開いていたシミュレーションプログラムの設定画面から全然別の、画像フォルダに画面を切り替える。そして。
「これ……!」
 大きく目を見開いて、アセムが息を飲んだ。
 その隣でキオは、画面を食い入るように見つめる。
 出てきたのは一枚の写真だった。五人のMSパイロットが並んで写っている。
 真ん中に、長い金髪を後ろで束ねた青いジャケットのパイロットがいる。キオもよく知っている、母の部屋にある学生時代とちっとも変わらない父の姿。控えめな笑みは今の父とも重なる。
 その隣で、父に腕を絡めている三つ編みの女性が、ウットビットの母親のアリーサだろう。顔立ちはあまり似ているところを見つけられなかったが、にかっと気取らない笑い方は親子そっくりだと思えた。
 両端には少し困惑したような緊張したような笑顔を作っている、ヒゲのない若いオブライトと、もう一人は知らない眼鏡のパイロット。
 そして父の後ろで肩に手を置いて豪快に笑っている、一人だけ年かさの、今の父と同じ白いジャケットを着たパイロット。
 間違いなく、先ほどウットビットが言っていた写真と同じものだ。キオがちらりと目を向けると、ウットビットも驚いた様子で何度も肯いてみせた。
「何でこのデータがここに……」
 訝しみながらも、アセムの声に深く懐かしさが滲んでいる。ロディは端末に差し込んだ外部メモリのスロットを、とんとんと指先でこづいた。
「全部ある。アセムのMIAが確定して、端末止められる前にデータまるごとコピーしておいたんだ。こいつのメモリも、別れ際に押しつけるつもりだったんだけど」
「それであの写真だったのか」
 ぽつんとアセムが呟いた。
 その言葉にロディははっと瞠目し、言いかけた言葉を咄嗟に飲み込んだ。俯いて視線をそらして、収まりのつかなさを誤魔化したくて、きつく目を閉じる。
「あー、うん、やっぱり訊こう」
 でも無理だった。
 何より目の前のアセムは、ロディが何が言いたいのか、もうわかっているようだった。
「あのさ……艦長は、おまえのところに辿り着けたのかな?」
 十三年前、あの事件の事後処理を終えたディーヴァ艦長のミレースは軍を退役した。その後の行方は、地上のオリバーノーツに転属したロディにはわからない。頼まれていたアセムとAGE2の写真を渡した最後の挨拶の時も、曖昧にぼかした言い方しかしてくれなかった。だがきっと、事件の真相を追い求めていったのだろうという気がしていた。彼女は、アセムたちが海賊に殺されたとはまったく信じていなかったから。
 アセムはこうして生きていたし、実家はビシディアンと繋がっていた。一個人に戻ったミレースならそのつてで、この答えに辿り着けたかもしれない。
 果たしてアセムは、碧眼を細めて懐かしむように笑った。
「会ったよ。――驚いた。艦長が大泣きするのを初めて見た」
「そっか。そうなんだ。よかった」
 ロディはほっと息をついて、いつの間にか強張っていた肩の力を抜いた。言葉少なに伝えられた行方に、長年の引っかかりが消えていく。これ以上は今ここで聞くべきではないだろう。ただ最悪の結末にならなかったというだけで充分だ。
「ねえ、父さん」
 話の終わりを見て取ったキオが、アセムの白い裾を引く。
「今着てるのってパイロットの制服だよね」
「昔の服だよ。軍にいた頃はこんな格好してたんだ。変か?」
「ううん、何で白いのかなって思って。それに、この写真の時は青いよね」
 アビス隊のジャケットはみんな同じ茶色だ。それにこの写真でも、ウットビットの母親やオブライトたちは茶色だ。
 二人だけが違う。
「特殊なMSやカスタム機のパイロットだと、目立つように、機体やノーマルスーツの色を普通とは別の色に出来るんだ。祖父さんも真っ青なノーマルスーツ着てたんだぞ」
「見たことある。父さんのは、この写真の人と一緒なの?」
「ああ。その人はウルフ・エニアクルといって、父さんが軍に入って最初に配属されたときの、隊長だった人なんだ」
 キオの肩に手を置いて、アセムがゆっくりと話し始める。言葉を選ぶように。
「白はずっとこの人のパーソナルカラーだったんだけど、このしばらく後に、父さんがその色をもらったんだ」
「どんな人?」
「凄い人だった。何十年もずっとエースパイロットだったくらい強くて、それに部下をとても大事にする人だった」
「父さんの尊敬してる人なんだね」
「ああ。俺にとってもう一人の父親みたいな人だったな」
 キオは父の碧い瞳を見上げる。その奥にある、懐かしさと寂しさと、これは痛みだ。肩に触れている父の手から伝わる体温はあたたかくて優しくて、少し哀しかった。
「ウルフ隊長がいなかったら、俺は生きてなかったよ」
 ──わかってしまった。
 その人はきっと、父の目の前で死んでしまった。



 ジャケットの裾を掴んでいただけだった、まだ小さな手が強く握りしめられて、アセムは何も言わず息子の頭を抱き寄せて宥める。
 アセムの前で不意に出るキオのいとけない仕草は、不安の表れなのかもしれない。ロマリーやユノアは、他愛ないわがままを言ったり甘えることはあっても、しっかりした良い子だと言っていた。察しの良さは、おそらくXラウンダーであることも関係しているのだろう。今の話だけでも、死の気配を感じ取ったかもしれない。
 腕の中のぬくもりは命を実感させる。何度も死を目の前にして、そのたびにアセムは生かされてきた。ウルフにも。ゼハートにも。そして彼にも。だから今も生きている。生きて息子を抱きしめている。
 だから痛むのだろう。
 ディーヴァに連れて来られてから思いがけず昔を思い出してばかりで、きっと感傷的になっている。自嘲じみた苦笑を滲ませながら、アセムは迷うのをやめて口を開いた。
「ロディ。俺も一つ訊いておきたいことがある。さっき、工房で昔ビシディアンを見てるかもしれないって話、したよな」
「ああ、うん」
 ロディは戸惑いながらも肯く。特に深い意味を持って言ったわけではなかったが、アセムの中には引っかかっていたらしい。
「覚えてたらでいいんだけど……大柄で黒いひげもじゃの男と、赤毛の子供って、見たことあるか?」
 海賊に子供。その取り合わせを少し意外にも感じたが、思い当たる記憶はあった。あの工房に子供連れの客は珍しい。子供を持つような人種が少ないという意味でも。
「それって、うちみたいに年の離れた親子で、男の子はここにこんな傷がある?」
 言いながらロディは、自分の左頬に指で×の字を描く。
「あった」
「なら知ってる。一度だけ見たことある」
 遠目にも目立つ親子だった。ロディは依頼された仕事に関わっておらず、話したこともなければ名前も知らないが、父の古馴染みらしく、あのガキは将来大物になると父が面白そうに笑っていた。
 あの男がビシディアンの首領で、あの少年が未来の若頭だったなら。そしてアセムがビシディアンに身を置いたのは、その若頭と入れ違いだったなら。
「あんまり騒ぎすぎて頭にゲンコツ食らってたけど、とても仲良さそうな親子だった」
「そっか。――ありがとう」
 涙は滲んでいなかったが、アセムの表情は泣き笑いのように歪んでいた。
 きっとアセムは、二人が一緒にいるところをその目で見たことがないのだ。
 息子を失ってしまった父親の姿しか。
 だがアセムが見れなかったものは、もう一つある。
 それをロディは知っている。
「なあ、アセム。十三年前、おまえがいなくなったときは本当に大変だったよ。通信は全然繋がらないし、謎の大爆発は起きるし、AGE2は完全にロストするし。AGEシステムのリンケージが復活した時はみんな、奇蹟を信じた」
 だが奇蹟は起きなかった。
 いや、奇蹟は起きていたが、自分たちの手が奇蹟に届かなかったのだ。
 それを今さら嘆いたところで仕方がない。
 奇蹟を祈りながら、けれど奇蹟を取りこぼしてしまった、あの時あの場所にいたから言えることがある。
 唐突に始まったロディの話に怪訝な顔をしたアセムが、続く言葉で表情を変えた。
「デバイスの座標解析さ、フリットさんの指揮で俺がやったんだ」
「父さんが……」
 戸惑うように瞳を揺らしたアセムが、小さく呟く。
「総司令直々なんて異例にも程があるだろうけど、そんなこと言ってられる時じゃなかった。必死だった。あの人だって、息子のために奇蹟を祈るし、もし手遅れだったらって考えて怖くなるし、……息子が死んだら、弱くなるんだよ」
 捜索隊のメインカメラに映った、手足をもがれ翼を失い無残な姿になったAGE2を、真っ暗な宇宙を漂う空っぽのAGE2を声もなく見つめるフリットの姿は、総司令室との通信回線を開きっぱなしだった艦長席のミレースと格納庫のロディしか見ていない。あの時、モニタ越しであってなお鮮烈な存在感を放っていたあのフリットが、ひどく小さく見えた。
 そこにいたのは、息子の死に打ちひしがれた、ひとりの父親でしかなかった。
「それにあのシドとの戦闘データ、フリットさんは結局、一度も最後まで見なかった。艦長は凄い目で何度も見てたのに」
 言い切ってロディは、目の前の親友を見つめる。
 安堵のような寂しさのような、嬉しさのような悲しさのような、碧い光がゆらゆらと揺れている。
 誰も何も言わなかった。
 その沈黙を、鳴り響いた小さな電子音が不意に破る。
 そっと目を伏せたアセムが、ため息のように声を落とした。
「……もう、時間か」
 慌てて端末に表示された時刻を振り返る。バロノークが、そしてアセムがこのコロニーへの滞在を許可された残り時間が、あと三十分を切っていた。
 時間切れだ。
「そっちに押しかけて、あの黒いAGE2をいじってみたかったけど」
 端末から抜き取ったメモリを、ロディはアセムの手に押しつけた。少し躊躇うように指が震えたが、すぐにしっかりと握りなおされる。
「それは頼もしいけど遠慮しておく。キオのこと頼んだ」
「わかってるよ」
「――ありがとな。それとごめん」
 困ったように、アセムがくしゃりと笑った。
「いつか全部上手くいくって、思えたらいいのにな」
 諦めたように。



「……父さん」
 もう戻らなければならない。それがわかっているからキオはアセムから身体を離した。が、裾を掴んでいた指が心細げに残ってしまった。
「キオ。頼み事してもいいか」
 その指をほどくでもなく、アセムがささやく。
「何?」
「オブライトさんに、約束守れなくてすみませんでしたって伝えてほしい」
「どんな約束してたのか、聞いてもいい?」
「ディーヴァを守るって約束。絶対にディーヴァを沈めさせないって、オブライトさんが転属になったときに約束してたんだ」
「ディーヴァ、沈んでないよ?」
 それにAGE2が失われてAGEシステムの運用艦としての役割がなくなってからは、ずっと戦線を離れていたと聞いている。
「でも、父さんもずっといなくなってたからな」
「──うん、わかった。伝えるね」
 きっと大切な意味があったのだ。
 だからキオは、結んでいた指をほどいた。
「今は父さんの分も、僕が守るから」
「ありがとう」
 ぽんと触れるだけのような軽さで、アセムの手がキオの頭を撫でていった。
 そして。
「ユノア」
「うん」
 アセムと、部屋の鍵を持っているユノアが踵を返して床を蹴る。これからすぐに着替えて、バロノークに戻ってコロニーを出港しなければならない。
「さてと」
 二人の後ろ姿がすっかり見えなくなった頃合いを見計らって、ロディが奥のシステムルームのドアを開いた。
「どうぞ、フリットさん」
 ぎょっとするウットビットの横で、キオは案の定という顔をする。その部屋は格納庫側と艦内通路側に、入口が二つある。
「やっぱり、じいちゃんだったんだ」
 仏頂面で腕組みをしていても、いつもより怖くなく見えるのは、さっきの話を聞いていたせいだろうか。
 最初に海賊の正体が父だとわかったときの祖父は突き放すような物言いは、今も叔母が言うようには理解できない。けれど、祖父が父を本当に嫌っているわけではないということは、今ならキオにも信じられた。
「……こしゃくな真似をする」
「僕も差し出がましいとは思いましたが、ユノアさんが言い出したことですので」
 他人事のように答えたロディが、つとキオを振り返った。
「キオ、さっき頼まれたことを済ませておいで。今からならバロノークの手前で少しだけど、お父さんを捕まえられるはずだ」
 そのときならアセムは一人だろう。
「うん……!」
「あ、お、おいキオ!」
 ぱっと弾かれたように飛び出すキオを、ウットビットも慌てて追いかける。ロディは笑って子供たちを見送ると、こちらをじっと見据えるフリットに向き直った。
 責任は取ると、大見得切ったのだ。
「ユノアには戻ってから聞こう。君は何のつもりだ」
「僕はただ、親友の味方をしたいっていうだけですよ」
「だったらあいつの莫迦な真似を止めんか」
 フリットの言い方は投げやりな調子だったが、声には苛立ちと、途方に暮れたような疲れが滲んでいる。
「アセムがビシディアンにいるのが、そんなに気に入らないですか」
 三ヶ月前、連れ去られたキオを救出する話をアセムが持ってきたときも、最初は取りつく島もなかった。あの時のような言い争いをまた繰り返したのだろうか。
「それどころではない。連邦軍とヴェイガンの会戦準備に妨害工作を仕掛けることで、大規模な戦闘を起こさせず戦況を膠着させようとしているなどと、莫迦げたことを言っておった」
「アセムがそんなことを?」
「そんな生ぬるい考えで、この戦争は終わらんというのに」
「ああでも、何となくわかるかもしれません」
「なんだと?」
 憮然と目を眇めたフリットに、ロディは口の端に色濃く苦笑を滲ませた。
 十三年前、新型量産機開発に参加を決めた時もそうだった。彼は戦場で戦い続けることに限界を感じ始めていた。
「世界が今よりも良くなるなんて、どうして信じられるんです」
 いっそ冷ややかなまでに、そう言った自分の声は平静に響いた。
 世界は変わらない。──変えられない。
 自分たちがまだ子供だった頃、世界を知るということは絶望することだった。いつか父のような大人になるという夢を捨てて、いつかなれるという幻想を壊して、自分は決して父のようになれないという絶望を受け入れることだった。そして自分たちに世界は変えられないと認めることだった。少なくとも、本当に世界を変えてしまった父たちのようには。
 そんな絶望的な確信を受け入れて、それでも生きていくと知ったことが、最初の諦めだった。
「……ずいぶんと悲観的だな」
「子供の頃のように無邪気に信じることは出来ないですよ。僕たちが生まれる前から戦争は続いていて、それがいつか終わるってことにも、どうやって終わるのかってことにも、あまり現実感はないんです。だったらこれ以上悪くならないように踏みとどまるしかないじゃないですか。世界が良くなる希望なんてほとんどないのに、今より悪くなる可能性だったらいくらでもあるんですから」
 それでも守りたいものがあって、守るための何かが欲しかった。そう願う彼だから、ついていこうと思った。そこに価値があると思った。だから彼がいなくなっても、オリバーノーツに残った。
 この手で世界は変えられないかもしれない、出来ることは少ないかもしれない、でも決して無力ではなかった。
 無力ではいたくなかった。
「EXA-DBのことだって、きっとアセムにはそうなんでしょう」
 世界を変えてしまうような化け物は、確かに存在する。
 そのことをよく知っている。
 じっと見定めるような眼差しで押し黙っていたフリットが、不意に嘆息をこぼした。
「ルナベースの後始末が片付いたら、そのAGE2とシドというMSの戦闘データを見せてもらう。アセムが補正したデータも反映させるのだろう?」
「それはもちろん。お待ちしてますよ」
 ロディはにこやかに微笑んでみせた。
 理解してもらえるなんて期待していない。
 けれど、理解し合えなくても、許せるはずだ。
 許し合えるはずだ。
 そうして彼は生きてきたのだから、それは確かにひとつの希望だった。



「持って行けばいいのに」
 あっさり押しつけられた手提げ袋を抱えて、ユノアは口を尖らせ言い返す。子供の頃のような拗ねた声を、けれど取り繕う気にはなれなかった。キオもいないのだから、自分はただの妹でいい。
「いいんだよ」
 目の前の兄はもう、海賊のキャプテン・アッシュの姿だった。
 白いジャケットはユノアの腕の中にある。ひとりで行ってしまう兄を引き止めない代わりに、兄の側に形ある物を残したかった。だからロマリーとも示し合わせて、用意したのに。
「そっちで持っててくれ」
 俺は写真だけで、充分だから。
 そんな兄の言葉が寂しかったし哀しかったし、ほんの少し怖かった。
「また死んだら許さないんだからね! お兄ちゃん!!」
 もうあんな思いは二度としたくない。
 ユノアが力いっぱい叫ぶと、アセムは少し驚いて、それから昔のように笑って頷いた。
















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これから三世代スタート時点だから、肝心なことは何も進展しないけど「続き」はあるよってな感じで幕間したかったんでした。あと節目に今までばらまいた捏造ネタを回収しようと盛大にやらかしたわけなんですが、気がついたら合間に新たなネタもばらまいてしまった悪癖。
詰め込んだ小ネタは気が向いたら拾うかもしれません。
ミレース艦長の件も含め、端書きは長ったらしくなるので→雑記に落とします。

フリットとアセムのぶきっちょな親子愛がアニメより甘いのもいつものことだった。むしろ最初に書き始めた頃からだった。
しかし何この両片想い状態。フリット→アセムが素直になれなくて、アセム→フリットは諦め入ってるんだよ。

AGEって二代目がちっとも親父の後を継がないですね。
アセムは軍を離れて海賊に、ロディは実家を離れて軍に。ウィービックは本人しっかり継ぐつもりだったけど消息不明。
三人とも親父大好きだったのに上手くいかないね。