道 、 重 な り て
 道 、 重 な り て




 とにかく、目が離せなかったヤツ。
 なんだかんだとかなり振り回されもした。
 ……最初は毛嫌いしてたことなんざ、忘れちまうほどに。


 再会したときは、だから正直、困った。


 あんな別れ方、したから。仕方ないとはいえ。
 最初はあまりにも唐突で素っ気なくて、逆に盛大に驚かされたものだが、落ち着いてくれば、当時を思い出せば、フリックはまともにシフォンと目を合わせられたものではなかった。
 そう、仕方ないとはいえ。あの時、崩れかけた帝城の奥から脱出する時に、フリックはシフォンを庇って矢を受け、さらにその負傷した自分を置き去りに脱出を強いたのだ。最悪の事態だけは避けねばならないのだから、そういう点では間違っていたとは思わない。
 思わないが、ある意味では明らかに。
「何言われてもおかしくないよな…」
 技量と成り行き、たぶんそんなもので、気がつけば解放戦争時は、シフォンのそばにいることがフリックには多かった。
 彼が大切な人たちに先立たれてゆくときさえ。だから。
「そうだね。いろいろ、言いたい」
 しばらく前からごく微かに聞こえていた静かな足音が途絶えると同時に、そんな言葉がフリックの背に投げられた。
「ここにいたんだ」
「よく、わかったな」
 まだこの城に来てそれほど経っていないのに。
 声の主を振り返ることなく、フリックが言った。
「訊いたら、ここだろう、って」
「いつもここにいるわけじゃないんだがな」
 酒場か自室に姿が見えなければまず屋上を探せ。自分はいつの間にやら、すっかりそういうことになっているらしい。覚えは多少なりともあるから否定もしきれず、フリックは苦笑をにじませた。
「波の音が聞こえる」
「同じ、湖の近くだからな」
 その答えを聞いて、シフォンが隣に並んだ。
「見える?」
 その問いに首だけ振り返って、フリックはシフォンの表情をうかがう。無表情ではない、ただ、静かなだけで。
「……さすがに、見えないな」
 少しだけ、遠すぎる。
「そっか」
 ちょっと残念だ。
「フリック」
 同じように囲いに手をついて、目線を追いかけるように、シフォンが見上げる。と。
「――そこ。あからさまに目を逸らすな」
 すかさず放たれるむくれた色の一言に、渋々といったようにフリックが、思わず背けた視線をシフォンへ戻した。
「なんであんなことした?」
「そう、したかったからだよ」
 義務とか役目とか、そんな難しいことを考えていたわけがない。咄嗟、そう、矢が向けられたことに気づいたら、ただ咄嗟に庇っていただけ。
「あの時は、二人まで喰われるかと思った。……特にフリック」
 矢の刺さった傷口を、押さえる左手、止められなくて、あふれる赤。
 ――ぞっと、した。
「そう簡単に死んでたまるか。オデッサの元へ行くには早すぎる」
「そう、かな」
 人とは、とても呆気なく、呼吸をやめて。
 どれだけ泣いても叫んでも、止められない。
 死に逝く人を引き止められない。
「それは」
 ――気がつけば解放戦争時は、シフォンのそばにいることがフリックにはかなり多かった。
「その、な。――悪かった」
 彼が親友にまで先立たれてゆくときさえ。
 彼が狂気へ堕ちゆきかけたときでさえも。
 いなかったのは、自身の最愛の人が喪われたときだけで。
 だから。
「別に謝ってほしいワケじゃないけど」
「俺が言いたいから言っただけだ」
「あ、そう……」
 だから、そばで見ていた。
 だから、わかっていた。
「いつもいつも死んじまうばかりってのでも、ないさ」
 小さく笑ったような吐息、風がかすめて。
「世の中、そんなに優しくないよ」
 細めて遠くを見る、瞳に映る其は。
「冷たくも、ないがな」
 喪われた人。愛おしい人。
「……そう、だね」
 頷いた。頷けた。
 そうでなきゃ、生きてなんていられない――


「あーあ。なんか、フリック、こんなんだったっけ」
 ぐっと腕を伸ばしながら、突然シフォンがそんなことを言い出した。
「なんか引っかかる言い方だな?」
「苦労したんだねとかみんなに言われたろ?」
 にやりとシフォンが続けた言葉に、フリックが苦い顔をする。
「言っとくが……俺はおまえの十、上だぞ」
「……そういえばそうだった」
 これにはさすがに、力も抜けた。
「おまえ、俺をいったいどういう目で――いや、聞かない方がいいような気がするから、いい。言うな」
 言いかけた問いは、空恐ろしい予感がしたので打ち切ってしまう。世の中には聞かないでいた方が幸せなことも多いはずだ。
「あれ、遠慮しなくてもいいのに」
「ったく……」
 ずいぶんいい性格に磨きがかかった気がして、ため息がもれた。と。
「そこのお二人さん。逢い引きしてるところ悪ぃんだが、シフォンが何処にもいねぇってセファルのヤツがもううるさ――ぃて」
 無言ですたすたと歩み寄った、フリックが一発。
「いきなり何しやがる」
 殴られた頭をさすりながらビクトールが睨め上げた。
「熊が馬鹿なことをほざいてたからな」
 まるで悪びれずに明後日を向いて、フリックはビクトールに言い捨てる。
「そうそう、心配は、してなかったから」
 ビクトールがさらに何か言う前に、シフォンが口を開いて。
「生き残ったとは、ちゃんと信じれたから」
 どうせトランを出ていた自分は連絡などつくはずなく。
「でもさ、二人と会えてよかったよ、ホント」
 もう、信じてなくてもいいから。
 もう、現実だから。
「――ああ、そうだ」
「何?」
 きょとりと聞き返すシフォンに、フリックがその端正な顔をほころばせて、
「よく晴れた日なら、見えるかもしれないぜ?」
 遙か南を、夕焼け色が溶け込んだ不可思議な青で指す。
「……そっか」
 つられるように地平線を見やると、シフォンも微笑った。