THE DOOR INTO SUMMER #3





「ずっと、会いたいって思っていたの。誰になのかも、どうしてなのかもわからなかったけど、会いに行かなきゃならない人がいるって、ずっと思っていたの。でも、私じゃどうしようもなくて。教えてくれてありがとう。やっぱり、この子には好きな人がいたんだね。だったら、この子をその人に会わせてあげなくちゃね。それに私も会ってみたいの、この子が大好きなその人に。だから私、会いに行くわ。――本当にありがとう、カイト君」








アウローラの涙


女神だった少女と勇者だった少年の物語








 ふつりと前触れもなく、夕暮れの街並みを映していたディスプレイが暗転し、ログアウトしていた。
「切断された……?」
 眉をひそめつつログインし直そうとするが、まるでサーバーがダウンしているかのように弾かれてしまう。だが、それは考えられなかった。ガラス越しに見える室内の気配は、一瞬前と何も変わっていない。
「ちょっと、なんで急に落ちてるんですか」
 ノックもなしにガラス扉が開かれ、非難がましい声が飛び込んでくる。一面ガラス張りの壁の向こう、パーティションに仕切られたブースの一つで、声の主にぞんざいに扱われたのだろう椅子がくるくると回っているのが見えた。
「知るか。いきなり弾かれた」
 ため息を一つ落として肩を竦める。
「何ですかそれ。どうでもいいですけど早く戻ってきてくださいよー」
「そうしたいんだが……入れん」
「はあ?」
 ディスプレイは何度ログインを選択しても、ログイン画面から動いてくれない。
「サーバーは生きているな?」
「当たり前じゃないですか。死んでたら即行で騒がしくなってますよ」
 呆れた声を上げる藤尾には取り合わず、ふと昨夜の会話を思い出して、壁に掛かった時計に目を向けた。
 ――そういえば、もうすぐ今日の実験が始まる時間ではなかったか?
「あれ、バルムンクさん何処に行くんですか?」
「ちょっとな。嫌な予感がする」
 すれ違い様そう言い残してブースを足早に出た刹那、オフィスの照明も何もかもが一斉にブラックアウトして。



 その瞬間、世界が息を止めた。



 手を、握った。
 指先まで感覚はある。意識はまだ、呑まれていない。
 じわじわと認識が追いついて、邪魔なFMDを脱ぎ捨てる。
 膝をついて腕を伸ばして、力の入らない身体を無理やりデスクの上へ持ち上げると、コンピュータのスロットに覚束ない指でディスクを押し込んだ。間もなく中のプログラムは自動的に実行を開始し、ひどいノイズが荒れ狂うディスプレイに作業完了までの残り時間を示すバーを表示する。
「……これで、いい」
 すべての準備が整うまで使うつもりはなかったのだが、こんなことになってしまっては仕方がない。もう今しかない。これで扉は開かれるだろう。そうすれば、きっと後は。
 細い息を吐く。と、ともすればこのまま遠のきそうな意識を、必死で繋ぎ止める。
 まだ、世界の底には行けない。
 重りの巻きついたような足を引きずりながら、倒れ伏した何人もの人間の頭を覆っている物を、次々と剥ぎ取っていく。露わになった目は、何も見ていなかった。会いに行くと笑って約束してくれた彼女も今は、虚ろでしかない。
「ごめん……」
 ゆるゆると唇を噛みしめる。
 どうして、こんなことになってしまったのか。
「何故だっ!!」
 ひび割れた声が唐突に上がって、ぐらぐらと霞む視線を持ち上げる。
「何故だ、失敗など……こんなことが、あるはずが……っ」
 室内でただ一人だけ立ち上がった若い男が、悲鳴のような声で喚き散らしている。髪をぐしゃぐしゃに掻き乱して、狂ったように叫び続けている。
 天城、と口にした男の名前は掠れて声にならなかった。
「あるはずがない、あるはずがないのだ! 私の理論は完璧だった、私のプログラムは完璧だった、私は、私は神を手に入れたはずだ――っ!!」
 立ち上がった、感覚はもう失せていた。
 だが、立ち上がっていた。
 喉を震わせた、感覚はもう失せていた。
 だが、言葉を発していた。
「神は人から生まれても、人の手で神を作ることは出来ないんだ」
 そうだ。あの日、彼女は自らの死を選び、そして女神として再び誕生した。
 海斗はゆっくりと目を閉じる。
 遠く、波の音が聞こえた。



「坊やは関わろうとしないと思っていたし、関わるべきでないとも思っていたわ」
「うん……僕もそう思う。でも、ミアのことがあったから、受けちゃった」
「そう、あの放浪AIを捜して。……残酷な結末ね」
「知ってたんだ」
「最初からではないわよ」
「そっか」
「あの猫を捜していた子には、何と言うつもり?」
「まだ何も。僕は、こんな終わり方、納得できないんだ。まだ何もしてない」
「だから、私」
「うん」
「坊やの達てのお願いだし、特別に聞いてあげないこともないけど、さすがに碑文使いPCのデータをこの目で見てみないことにはね」
「僕はどうすればいい?」
「網を張ったエリアに入るだけで構わない。――プロジェクトには私の部下も一枚噛んでいるから、動けるよう何とかさせるわ」
「部下、って」
「何を驚くことがあるの。私はヘルバ、闇<ダック>の女王よ」
「うわ。さすがヘルバ」
「ハッカーの表向きの顔なんてそんなものよ。それで、見返りだけど」
「え、ええと……どうしよう?」
「ふふ、坊や相手に吹っ掛けるつもりはなくてよ。ただ、そろそろ物語の結末を聞かせてもらいたいのだけれど」
「物語の、結末」
「アウラが眠りについた、真実は坊やの中にしかない」



 波の残響が、世界を震わせる。
 先ほどまでが嘘のように静まり返って、ゆらりと振り向いた、天城の目は暗く濁っていた。
「薄明の腕輪の持ち主、アウラに最も愛された人間……」
 ノイズでめちゃくちゃに乱れていたディスプレイの一つが、ごぽりと泡立つ音を立てた。と、海斗に視線を定めた天城が、ぶつぶつと地を這う声で呟きながら、幽鬼のように歩み寄る。
「そうか、貴様が」
 突然ぬっと伸びた彼の両腕が海斗の胸倉を掴み、そのまますぐ傍の壁に押しつけた。
「貴様が邪魔をしたのか……!」
「天城っ」
 咄嗟に腕を掴み返すが、ぎらぎらと正気を失った目で海斗を睨み据える天城の力は強すぎて、振り解けない。
「何故だ!? どいつもこいつも私の邪魔ばかりをする! 愚か者ばかりだ! 貴様も、番匠屋も! 何故わからない!? あの気紛れな究極AIは人間を見捨てた!」
「アウラは、誰も、見捨ててなんか」
「不完全すぎるネットワークには、支配し管理する神が必要なのだ! だから私が新たな神を作る、消えたりしない、世界を導く本当の神を、この私が」
 締め上げる、腕にますます力が入る。
「無理、だよ」
 もはや呼吸すらままならない中で、それでも海斗は声を絞り出した。
「創り出す、力の逆は……破壊する力、だったんだ……」
 かつて彼女はそれを、死と再誕でもって自らに内包してみせた。
 だから。
「初めから、間違っていたんだ……」
 だからきっと、これは罰なのだ。
「うるさいっ!」
 ぼこりぼこりと不気味に泡立つディスプレイが、どす黒く染まっていく。
「私は間違ってなどいない! 私は神を作る、今まで誰も到達しえなかった高みに行く、」
 その音は沸騰した水のように、次第に激しくなって。
「神は、私のものだ──!!」
──海斗!!」
 叫び声が、重なる。
 つと鈍い音が響いて、ふっと首が解放された。
「海斗、しっかりしろ!」
 そのまま壁に沿ってくずおれながら激しく咳き込む海斗に、駆け寄ってきた青年が支えるように腕を回す。
「ち、ひろ……?」
「ああ。もう大丈夫だ」
 彼の優しい声に、力が抜ける。
「どうして、ここに……」
「いきなり『The World』から追い出されてな。嫌な予感がして来てみたら案の定だ」
 答えて、千尋が鋭い目で天城を一瞥する。咄嗟のことで加減なく殴り飛ばしたからか、彼が動き出す気配はない。
「そっか……」
 滲むように、最後に見た彼女の姿が脳裏に溢れる。
 もしかしたら彼女は、今も。
「何があったんだ、今日の実験は、大したことはしないはずじゃなかったのか? それともあの」
「ううん、ヘルバのじゃない……天城が、独断で、例のプログラムを実行したんだ……それが、暴走して……みんな、引きずり込まれた」
 顔を上げると、ぐらりと眩暈がした。意識が朦朧と溶けていく。解放されて自由に酸素が取り入れられるようになっても、それはひどくなっていくばかりで。
「もう、時間がないや……」
「海斗?」
「だから、千尋、お願い……」
 ほとんど何も見えなくなってしまった視界で、それでも自分を抱きかかえている腕の持ち主の、肩に手を伸ばして引き寄せる。
「僕の、パスワード、は」
「おまえ……何を、言って」
 されるがままに顔を近づけた千尋が何かを察したのか、声を震わせた。その彼の耳もとに、海斗は残る力を振り絞って囁きを流し込む。すると彼は深く息を飲むと、掠れた悲鳴のような声で叫んだ。
――海斗!! 俺はそんなもの預からんぞ! アウラが信じたのは、おまえだろうが……! おまえじゃなきゃ駄目なんだ!」
 もう何も見えなくて、彼が呼んでくれる声すら遠ざかっていく。
 自分が上手く笑えているかどうかすら、感覚が失せてしまった今ではもう、わからないけれど。
「ごめん……」
 泡の音が聞こえる。いくつもの、泡の音が。
 もう、すぐ近くまで来ている。



 ──さようなら。
 真っ暗な泡と共に沈んでいく意識を埋め尽くしたのは、最後に見た彼女の姿だった。
「アウラ……」
 あの日、静かに涙を流して彼女は終わりを告げた。
 彼女は『世界』の神だった。だがあの日、彼女はもう神ではいられないと言った。涙を流しながら、この感情を知って、この想いを抱えたまま神には戻れないと。けれど、この想いを捨てることはしたくないと。
 だからこの想いと共に眠りにつくと、彼女は別れを告げたのだ。
 紡がれる彼女の最後の言葉を聞きながら、初めて聞く彼女の感情に彩られた声を聞きながら、自分は立ちつくしたまま何も言えなくて、ただ、彼女の流す涙を見つめているだけだった。
 あの時どうすればよかったのか、何を言えばよかったのか、今もわからない。
 何もわからないまま彷徨った果てに、こんなところにまで来てしまった。
 自分はいったい、何を求めていたのだろう。何を望んでいたのだろう。
 ――自分は、アウラをどう想っていたのだろう。
 何も返せなかった。言葉も答えも、何も。
 眠るように目を閉じる。
 何も見えないはずなのに、優しい光が見えた、そんな気がした。
 彼女のような、光が。
「ごめんね、アウラ……」
 溢れた呟きは、朝露の落ちる音に溶けて、消えた。



 あの日アウラは、愛していると、そう言った。
 世界よりも誰よりも、たった一人の、あなたを愛していると。
 そして、涙と口づけと微笑みだけを残して、カイトの前からいなくなってしまった。









back








それは恋を知った女神と、女神が恋をした勇者の物語。


愛情は知っていた。母を愛していた。娘を愛していた。世界を愛していた。すべての人々を愛していた。
けれど、あなたに会えない時、あなたに会えた時、いつからか感じるようになったこの想いは、そんな愛し方とはまるで違っていた。

世界よりも誰よりも、たった一人を愛してしまったら、それはもはや神ではないのでしょう。
それでも私は、あなたを愛していたい。


恋を知った女神は、少女であることを選んだ。
故に、この世界に神はいなくなった。それが物語の結末だった。

そして残された少年は………