winter garden #2



 バイタルサインの電子音が、規則正しく響く。
 血の気の失せた顔色で、生命維持装置や点滴に囲まれ、それでも運び込まれた直後は命すら危ぶまれていたのが嘘のように、彼の容態は安定していた。
 だが、彼は、ここにはいない。
「何と戦えばいい。何から取り戻せばいい」
 まるで血を吐くように呟いた男を一瞥し、女は苦笑じみた吐息を落とした。
「長い戦いになりそうね。今回の未帰還者は、前回と訳が違う」
「どういう意味だ?」
「前回はすべてモルガナの仕業だった。けれどもう、モルガナはモルガナ・モード・ゴンとしては存在していない。ならば今回、坊やたちを未帰還者にしたのは何者か」
 あの場所で行われていたのは、アウラに代わる神産みの儀式だった。
 しかし彼はあの時、初めから間違っていたと言った。
 ならば、新たな神となる究極AIは産まれなかったのだ。
 産まれたのは。
「あの事故で産まれた、怪物か」
「でしょうね。けれど怪物を追いかけたくても、The Worldの大半が消滅してしまった」
「昨日、最新の報告が上がっていた。復旧は絶望的らしい」
「となると問題になるのは、坊やたちの意識は今、いったい何処に閉じこめられているのか」
 怪物に無残に喰い荒らされ、サーバー本体も火事に見舞われ、日本のThe Worldは現在そのすべてが停止している。かつてはこの事態をこそ回避するために全力を尽くしたが、今はその最悪の状態から始まってしまったようなものだ。
 だが。
「アウラが守ってくれているだろう。俺はそう信じている」
 そう言い切った男に、女が目を瞠る。
「あなたは何か聞いているの? あの日からアウラがいなくなったことについて」
 それはついぞ、彼が語らなかった物語。
「カイトがアウラと最後に何を話したかまでは聞いていない。だが、あの少し前に、俺とオルカとブラックローズでアウラの相談に乗ったから、何となく想像はつく」
「そんなことがあったの」
「さすがのおまえにも、アウラの内緒話は覗けないようだな」
「私も女神様のプライベートに踏み込む趣味はないわね。それでその内緒の相談って?」
 暫し逡巡して、男はぽつりと言った。
「AIも、恋をするんだな」
「……どういう意味?」
「単なる好意ではなく、たった一人を特別に好きになるという意味で」
「それが女神様の、真実」
「ブラックローズの見立てによると、そうらしい」
「そう……そういうことだったの……」
 だから、神はいない。
 いなくなった。
「あの時は、まさかアウラが姿を隠すなんて思いもしなかったがな」
「でも、それなら確かに坊やは無事ね。愛する人のためなら何だって出来るのが女という生き物だし」
 くすくすと笑みをこぼして、女はハンドバッグの中から一枚のディスクを取り出した。レーベルにもケースにも何も書かれていない、至って普通の市販されているディスクだ。
「何だ」
 差し出されるままディスクを受け取って男が、目を眇める。
「あのプロジェクトに入り込んでいた私の部下は、モルガナ因子が定着した碑文使いPCとそのプレイヤーの調整を担当していた。これは、その研究記録。モルガナ因子とそれを扱うプレイヤーに関するすべてが記録されている」
「そんなものを、俺にどうしろと」
「あなたなりに役立たせなさい。碑文使いが再び現れるのは、実験室の中じゃない。あまりにも危険だわ。下手をすれば坊やたちを助け出すどころか、完全に喪ってしまう可能性だってある」
「……碑文使いが突破口になると?」
「どんなに世界の形が変わってしまったとしても、碑文の欠片は必ず揃う」
 艶やかに微笑み、女はさながら預言者のように口ずさむ。
「その時が、未帰還者を取り戻す最初で最後のチャンスになるわ」
 まだ、物語は終わっていない。








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事故から一週間後。最初で最後の密談。
向かう戦場は凍てつく冬のごとく。

あえて地の文から名前を外しましたが、バルムンクとヘルバ。
この時のディスクは翌年、後にG.U.メンバーとなる、ある人物の手に渡ることに。