THE DOOR INTO SUMMER #6





「何だ、ありゃ」
 観客席の片隅で思わず呟いた、クーンの胸中を占めたのは驚きよりも、呆れのような色だった。
 天狼が伴うパーティメンバー二人は、あまりに異質で。そして。
「あんなエディット、有りなわけ」
「そんなわけないでしょ」
 パイの声がバカにしたような色を帯びる。闘宮エリアがどれだけ歓声に溢れていても、チャットの音声はいつだってクリアだ。
「だよなあ」
「似てると、思う?」
 私は当時のスクショでしか見たことないの。
 そう呟くように付け加えたパイを、クーンはちらりと見やった。
「……昔見た本物を思い出して、ああやっぱり違うな、全然違うなって思うくらい、かな」
「そう」
 思わず低くなってしまった声を、何と思ったのかパイは小さく笑いをこぼす。
「笑うなよ」
「だって三爪痕の時と態度違うじゃない」
「さいですか」
 わざわざ言われずとも自覚はあった。フィアナの末裔。蒼天のバルムンクと蒼海のオルカ。後に彼らになぞらえて蒼炎ともあざなされるようになった勇者カイトに、何の思い入れもないと言えば嘘になる。個人的にも恩人だからということもあるが、しかしカイトの特別さとはおそらく、本物の特別なのだ。未帰還者と世界を救った、本物の勇者なのだと思っている。次元が違う。
 だが、蒼天のバルムンクを、そんな風に見れたことはなかった。彼が.hackersの噂にすらその名を連ねていた時にはさすがに呆然としたが、それも蒼海のオルカまでが未帰還者になっていたらしいとなれば当然の成り行きだったのかもしれない。だがそれ以上に、最難関クエストのクリアからゲームマスターへの転身に至るまで、かつての己の描いていた理想と嫌味なくらいことごとく重なって見えてしまう後ろ姿に、羨望と嫉妬を抱かずにいられなかった頃があった。
 香住智成にとって、バルムンクの存在とはそういう意味で特別だったのだ。だからといってそうと素直に肯いてみせるのも癪で、口をついて出たのは拗ねたような、結局は情けない声でしかなかったのだが。
「安心しなさい。中身が別人なのだけは確かだから」
「へえ?」
 くすくす笑いながら彼女が言い切った根拠を、言外に問い返す。
「私、バルムンクのプレイヤーを知っているもの」
 微笑を含んだ女の声はとっておきの秘密を耳元でささやく、蠱惑的な響きにすら似ていた。








ペリフェレイアで春を待つ


いつか叶う誰かの願い








 リアルで話していたらきっと、ひどく間の抜けた面を拝めたに違いない。
 クーンの、香住智成の落としていった沈黙を数えながら、令子はコーヒーに少しだけ口をつける。
「あのバルムンクの、プレイヤー?」
「そんなに驚くことでもないでしょ。一応は同じCC社の社員なんだから、会ったことくらいあるわよ」
「い、いや、そうなんだろうけど」
 それは半分嘘だ。令子がCC社に移ってくるより前に彼はサンディエゴの本社に出向していて、それは今も続いていて、社内で顔を合わせる機会は皆無だった。
 もしこのログを八咫が見たら、どう思うだろうか。
「それに、さっきシステム管理から返ってきた調査結果でも、今回もバルムンクのプレイヤー本人のアカウントデータとの関係は認められなかった。あれが放浪AIなのかAIDA現象なのかは、やっぱり不明なんだけど」
「そっか……」
 そうして動揺を引きずったクーンの生返事は、わかりやすい気がした。
 何も言わなかった八咫は、わかりにくかった火野拓海は、昔の仲間たちを模したあの姿にいったい何を思ったのだろう。
 ふと、そんなことを思った。



 ──本当に、わかりやすい。
「とことん無視か」
 しばらく前に飛び出していったきり姿を見せなくなった男の名前を睨むように見据え、令子は小さく小さく吐き捨てた。
 呼びかけに答えは返らない。いや、この沈黙こそが回答か。
 クーンは、香住智成は、未帰還者を割り切れない。それはおそらくかつて自分自身が未帰還者になったことがあるからで、その時にどれだけ家族や友人に心配をかけたか身をもって思い知っているからだ。そして七年前のその痛みを、今の未帰還者にダブらせている。同じ割り切れなさでも、今まさに身近な未帰還者に心を痛めている側のハセヲとは、三崎亮とは、だから温度が少しだけ違う。
 わかりにくい八咫は、火野拓海は、また別の温度で、手段を選ぶ基準から良心をばっさりと切り捨てた。目的のためなら手段を選ばない火野のその姿は、孤独に真相を求めていた頃の三崎と同種の、必死すぎる一途さの表れなのかもしれない。さんざん手を焼かされたハセヲほどのわずかな可愛げさえ見当たらないのが、困ったところなのだが。
 故にこの破綻は、訪れるべくして訪れたのだ。
 そうやって飲み込んでしまうことが、冷静な目で俯瞰するパイの、自分の、今の役割だ。そう結論づけて令子は、髪がもつれるのも構わず無造作にHMDを脱ぎ捨てた。覆う物がなくなった視界の真ん中で、ディスプレイに映ったピンクの分身は静かに佇んでいる。
 パイ。彼らの始まりが未帰還者であるなら、佐伯令子の始まりは兄という死者であり、兄が遺したこのキャラクターデータだった。令子がノートPCごと手に入れた時にはまだ、こんな姿がエディットされていたわけではなかったが。
 そう思って、ふと一人の男を思い出す。
 やはり未帰還者から始まっているのであろうその男は、令子に始まりをもたらしたもう一人の人物でもあった。
 バルムンク。氷上千尋。The Worldのプロトタイプであるフラグメントのテストプレイヤーに当選し、あの.hackersのメンバーとしてモルガナ事件に深く関わり、後年CCジャパンに就職してからはゲームマスターを務めていた彼は、The Worldの黎明から黄昏までをその目で見届けた数少ない一人と言えるだろう。
 現在はアメリカのサンディエゴにあるCC本社に出向しているが、今でもれっきとしたCCジャパンの社員だ。ただし過去のプロジェクトG.U.には参加していなかった。なのに彼は兄の遺言のみならず、火災で焼失したと思われていたモルガナ因子の研究データを持っていて、それを令子に譲り渡したのだ。しかも秘密裏に。
 氷上がもたらしたその研究データは、兄の秘匿していたタルヴォス因子とあわせて令子がCC社に入り込むための道具となり、今では新たな碑文使いがその力に翻弄され身を滅ぼすような事態を回避する、助けになっている。
 人間は未知のもの理解できないものを、ことのほか恐怖する。兄の死のショックを引きずったまま碑文に触れた令子が、それでもタルヴォスを暴走させることなく制御できたのは、真実を追い求めようという意地に支えられた面もあったろうが、やはりモルガナ因子の異常性を事前に知っていたからだ。
 今はその研究データも八咫のもとにある。一緒に受け取った兄の手記は、遺言の部分以外を複製して送った。すべてに目を通した八咫は、直接会って話をしてみたかったと言いかけて、それを取り消した。データの入手ルートはその時に、一度だけ問われた。パイは約束どおり、兄の友人からとだけ答えた。
 CC社の目をかいくぐるような真似をしてまで令子にデータを託していった、氷上個人の思惑を令子は知らない。かつての密会では兄のことで手いっぱいで、そんなことを訊ねる余裕などなかった。その後は直接連絡を取ることが出来ていない。だからその後に知った、過去の真相から推測することしか出来ない。
 だが、きっと同じなのだろう。そう確信に近い思いがあった。
 いずれ碑文は揃う。別れ際に告げられた、そんな予言じみた氷上の言葉を、令子は誰にも話したことがなかった。彼と同じく.hackersの一員だった火野拓海にもだ。その火野はむしろ、AIDAにこそ執着している節があった。だが氷上千尋が碑文を追い求めているのも、火野拓海がAIDAを追い求めているのも、きっと同じ奇蹟を探しているからなのだ。そしてそれは、三崎亮がこの世界の真実を追い求めている理由とも重なるのだろう。
 朝倉海斗。七尾志乃。兄と死別してしまった令子と違って、彼らが再会を願うその人たちは、未帰還者になってはいても、今もまだ生きている。
 だからきっと、もう一度会える。
 この世界に、そんな奇蹟が起きればいい。



「だから私は戦うの」
 言って令子が微笑めば、画面の中でパイも微笑んだ。
 そして。
「……参ったね」
 美人の語る過去ほど、男が勝てないものはない。困ったように笑うクーンの声は確かに、しおらしかった。
「そうよ、この秘密は私のとっておきの武器なんだから。だから絶対に、誰にも言わないこと」
「わかってますって」
「よろしい。──だからあなたもいい加減、意地張ってないで戻ってきなさいよ」
 未帰還者も、声を奪われたアトリも、たったひとりでは誰も救えない。
 それを彼が理解していないはずがない。
「別にいいじゃない、八咫様の考え方が気に食わないままでも」
「言うね」
「お望みならいくらでも言ってあげるわよ。だって、それでもハセヲは自分に出来ることを頑張ってるんだから。なのに、あの子たちより年長者のあなたは、いつまで燻っているつもり?」
「そう、なんだよなあ。うん。それは俺も思い知らされた」
「だったら、さっさと戻ってきなさいよ」
「頭ではわかってるんだけど」
「大見得切って飛び出した手前、戻りにくいとか」
 冗談まじりのパイの言葉に、しかしクーンはぎょっと驚いたように目を瞠って、やおら笑みを引きつらせた。
「……なんか、そんな風に言われたら、本当にそんな気がしてきて怖いんですけど」
「男って面倒くさいわねー」
「突き刺さるなぁ」
 ほとほと情けない声に、パイは呆れた嘆息を落とす。それから、はたと思いついたそれを唇に乗せた。
「もうじき天狼とのタイトルマッチがあるんだけど、どう?」
「どう、って」
 まさか。最初は不明瞭だったクーンの表情がじょじょに鮮明さを帯びてきて、パイは口の端に笑みを刻んだ。
「復帰戦」



 謎はまだまだ深まるばかりだが、それでもアトリの碑文は、取り戻された。
 ほっと息をついて、HMDを外すと令子はチェアに深く身を沈める。
「よかった」
 呟いた、自分の声は安堵と喜びの色だった。ちゃんと。
 戦いを始めた最初は、兄を奪ったものへの復讐だったかもしれない。AIDAへの。The Worldへの。あるいは。
 けれど今は、その憎しみも遠い。
 かつて兄がこの世界で夢見た何かも、令子に託したかった遺志も、きっと奇蹟の先にあるのだ。
 いつかそれを見届けるまで、だからパイはThe Worldに立ち続ける。
「だから私は、ここにいる」
 半身の後ろ姿を見つめ、令子は微笑んだ。








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ゲームでパイ個人やその内面が話の中心に来ることはなかったので、彼女はど真ん中より少し距離を置いて見ているイメージでした。それでもか、それだからこそか、17歳二人がいろいろ問題児だった頃には難しい部分を担ってくれていた、ストーリー進行において地味に重要なポジションだったと思ってます。

ところで、せっかく八咫の目を盗んで呼びかけたっていうのにシカトされちゃったのでどうしたもんかとパイがため息ついていた頃、クーンは欅に、柳というPCを使う元オルカ本人こと植野泰彦を紹介されていたり、したかもしれない。