THE DOOR INTO SUMMER #7





 十二の鐘が鳴る。
 『世界』の扉が開く音が聞こえて、まどろんでいた意識が手を引かれるように覚めた。



 ────2015年12月24日。








white memories








 そして一ノ瀬薫は、エンデュランスは、マク・アヌに降り立った。
(この世界にもう、君はいないけれど)
 ゲートのある高台から見渡したタウンは見覚えのあるオレンジ色に染まっていて、けれど街並みはすっかり変わってしまっていて、懐かしくて寂しかった。
 郷愁を噛みしめながら、大階段を下りていく。
 タウン中央の大通りはオープン初日だけあってPCで溢れかえっていた。
 洪水のように視界に押し寄せてくる、無数の人、そして無数の文字。久しく覚えのなかった感覚に圧倒されてくらくらしながら、足は自然と裏通りへ向かっていた。
 ずっと昔もそうだった。
 夕暮れに染まったマク・アヌの、さらに薄暗い裏通り。人の波に流されて迷い込んだその場所で、かつてエルクは彼女に出会った。
(この世界にもう、君はいないけれど)
 二ヶ月前のThe World最後の日、おそらく彼女の遺言を受け取った。それを届けてくれた彼女の悪友は、スタッフとしてエリアデータの修復作業に当たっていた時に、その今にも消えそうな光を見つけたと言っていた。
 小さな光は、彼女からの別れの言葉だった。
 彼女は死んでいた。
 理解した途端に逃げ出したくてログアウトして、でも逃げきれなくて薫は声を上げて泣いて泣いて、声も涙も涸れるまで泣き続けて、けれど結局またこの世界に来てしまった。
(この世界にもう、君はいないけれど)
 優しい奇蹟が再び起きることを期待しているのかもしれない。
 それともまだ、彼との約束は生きているのだろうか。
(もう、誰もいない)
 彼女は死んでしまった。彼はいなくなった。
(だから僕はひとりなんだ)
 この世界で、ひとりきりで。
「ニャア」
 ぼんやりとオレンジ色の空を見上げていたエンデュランスが、その声に地面まで視線を落とす。
 足下には、真っ白な猫がいた。
 人懐っこく足にまとわりついてきそのた白猫に、そっと手を差し伸べる。
「君は……誰?」
 そして、ひとりではなくなった。








 そして火野拓海は、八咫は、知識の蛇で目を開いた。
 闇に沈んだホールに、冷たく光る無数のウィンドウだけが浮かび上がる。
 The World:R2。それまで数百のスタッフやテスターが行き交うだけだった世界に、オープン初日の今夜は何千何万という人が満ちている。そのすべてを、このウィンドウから一望することが出来る。
 ここは世界を見渡す『眼』だ。
(来るだろう。奴らはきっと)
 黒い泡。あるいは定まった形を持たざるもの。その異質な存在がR2サーバー内で確認されたのは数週間前のことだった。その知らせを、どれだけ待ち焦がれたことだろう。
 あれは失敗した神産みの儀式から生まれ落ちた、醜い虚ろだ。究極AIどころか放浪AIとしての自我も確立し得なかった、一人の男の狂気の残骸。しかしArtificially Intelligent Data Anomaly──AIDAと名付けられたその怪物こそが、あの日から眠り続ける六人の未帰還者を目覚めさせるための唯一の鍵でもあった。
 だからワイズマンという過去の経歴と、CCジャパンの株主という現在の立場を使って、八咫はこの舞台裏で役を手に入れた。AIDAを調査研究し、未帰還者の回復を目指し、社にとって有害ならば排除する役。
 すべてはここから始まる。
 奪われたすべてを取り戻すために。
「カイト」
 病室で眠り続ける彼の姿は思い出さない。
 思い出すのはあの日の光だ。五年前の今日、彼は世界が生まれ変わる奇蹟の中心にいた。その傍らでワイズマンは、世界で最も美しいものを知った。
 それをAIDAは奪った。
 だから取り返す、そのために拓海はこの日を待ち焦がれていたのだ。ずっと、ずっと。
 すべてはここから始まる。
「必ず追いついてみせる」
 そして、奇蹟をこの手に掴む。








 そして氷上千尋は、彼の病室を訪れていた。
 カーテンの隙間から見える窓の向こうは灰色の空と色濃い常緑の木ばかりで、朝の光は白く色褪せていた。
「そっちは12月24日になった頃だな」
 ここにいない彼には、この声はきっと届かないけれど。
 彼女と、あの世界の何処かで五回目になる祝いの言葉を交わしているだろうか。
 日本ではさきほど日付が変わったばかりだ。12月24日。日本サーバーは新たな時を刻み始めた。それは氷上千尋がアメリカに招かれた理由である、一つのプロジェクトが本格的に動き出すことも意味する。今日はもう抜け出す暇もないだろうから、まだ薄暗さの残る朝のうちにここを訪ねた。この病院はCC社の系列であり彼は特殊な患者であり、氷上千尋の今の立場を利用すればそれも容易だった。
「海斗」
 あの日から五ヶ月が過ぎた。真っ白な寝台で眠り続ける彼は、ずっと意識が戻らないまま、少し痩せたようにも見えたし、何も変わらないようにも見えた。
 ここにいない彼には、この声はきっと届かないけれど。
「誕生日おめでとう」
 言いながら空っぽのテーブルに置いたメモリは、海の向こうから届いたメッセージが詰め込まれている。
 仲間たちは皆、信じている。彼が帰ってこれる日を。
 そのための戦いは今日、次のステージへ進もうとしている。
 千尋は扉を開き、まっすぐに前を見据えた。
「明けない夜がないように、終わらない冬はない。そうだろう?」
 そして、真冬の戦場へ向かう。








 そして、カイトは。
「ハッピーバースデイ、アウラ」
 ささやくように言って、そっと手と手を重ねた。
「カイトも。おめでとう」
 はにかむように目をわずかに伏せて少女が、重ねた手を左手でふわりと包み込む。
 毎年この日にカイトが差し出す手を、アウラの手が触れていた。けれど彼女の指の細さもやわらかさも、温度も、ずっと海斗は知らなかった。それがこうして触れあえるのは、これが夢の中だからだ。
「みんなと会わせてあげられなくて、ごめんなさい」
 いつもはネットスラムの広場で、大きなクリスマスツリーの下で、みんな集まってこの日を祝っていたのだ。一年前、彼女が別れを告げた日も。
「アウラが謝ることじゃないよ。それに大丈夫」
 絡めた指に、ほんの少し力を込める。
 遠くから鐘の音が聞こえる。新たな時代の始まりを告げる音。
「明けない夜はないし、覚めない夢はない」
 海斗はいつか必ず目覚め、カイトの夢はいつか必ず終わる。現実で生きている、みんなにはまた会える。
「……ええ」
「でもこの夢が消えるわけじゃない」
 彼女のこの手のあたたかさすら、夢でしかなくても。
「僕の目が覚めたら、君に伝えたいことがあるんだ」
 それでも、この想いは本物だ。








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2010年12月24日『再誕』の日に。
あの日から五年、真冬に夏への扉を追い求める。