ひととき振り返る背に、嘆く息を吐いたことがあった。
 遠くを透かす眼差し。
 超えようのない過ぎた日々。
 立ち入ることの叶わぬ結ばれた記憶。
 だからそれは、ただの慰めなのかもしれないけれど。
「どんな想い出もね、自分の中にしかないのよ」
 そう言って、彼女は笑った。
 ほんの少しだけ、寂しそうに。
 それでも、幸せそうに。





 だから自分たちは、振り向いた彼の人に笑いかけることを覚えた。






想い出の在処









 少し離れた高台から見下ろせば、眼下には何もなくなっていた。
 辺り一帯の岩の起伏は根こそぎ削り取られ、その様はさながら水を落とした平皿か何かのようですらあって。
「派手に暴れられたな」
 今は静まり返った、少し前まで戦場だった岩場を遠く眺めながら、何処かぼんやりとヤクモは呟いた。
 最初の戦場だった洞窟も崩落して、今では見る影もない。
 それでも。
「まあ、あいつらは大丈夫だろう」
 洞窟を抜けるには充分な時間があったし、抜けてしまえば巻き込まれることもない。きっと今頃は、彼らを待ちわびる仲間の元へ帰り着いている頃だろう。
 と、零神操機を取り巻く空気が俄に、ささめき出した。
 こういう時は概ね、中の彼らが何かを言いたがっている時で。
「一度、現し世に戻られませんか」
 案の定するりと霊体で抜け出してきたブリュネの、しかし口にした言葉は思いがけない内容で、きょとんとしたヤクモが肩の後ろを振り返る。
「こないだ戻ったばかりじゃないか」
 そして不思議そうに言い返せば、人とは違いすぎる貌が困惑に染まった。
「いえ、ただ……」
「珍しく、はっきりしないな」
 主の苦笑いに二の句を告げない青龍に、どうやら他は焦れたらしい。何もないところから転げ出るように、まず硬質な黒の手足がひょろりと現れた。
「さてこそ言葉はげに不便なもの、なれば今ここに鏡の一つもありゃしませんか。徒に百万言を費やすよりも、一たびお目にかければ一目瞭然!」
 胡座を組んだような体勢でくるりと転がって頭と足をひっくり返すリクドウの貌を、腰を屈めて覗き込んだヤクモは、怪訝に眉をひそめる。
「俺、そんなに変な顔か?」
 鏡を見ろと言われれば、そういうことなのだろうとは思う。
 生憎ここには鏡なんてないけれど。
 久しぶりの零神操機、久しぶりの総動員、そうして久しぶりに大降神を退けた。ヤクモ自身は特に疲れを感じていないが、鈍すぎると断じられた経験は過去に、両手では数え切れないほどあった。
 だが。
「あの白虎と会ふたからでおじゃる。多分」
 続いて現れたサネマロの、この言葉には大きく目を見張った。
「――何だ」
 そしてすぐに、困ったような微苦笑へと色を変える。
「それで気を遣って、くれた? みんな」
 黙って姿を見せたタンカムイとタカマルも揃って、肯定の言葉も仕草もなくても、ただその目が何より雄弁だった。
 だから笑った。
「無理なんかしてないよ。俺は」
 嘘じゃない。
 だって笑っていた。笑えた。
 それに。
 ヤクモは零神操機を右手に取ると、真っ直ぐ構えて。
 いっそ無造作に印を切る。
 ――乾坤艮兌巽。
 今でも、呼吸をするように切れる。
 連撃怒濤斬魂剣の印。
 すべてが始まったあの日、父の大きな手に導かれ刻んだ印。
「ちゃんと覚えてるから」
 想いを陰らせてしまうものなど、何もない。
 いつまでもいつまでも。
「わかってないなあ」
 と、タンカムイがヤクモの目の前に、鰭の手をぴっと突きつけた。
「だからこそなんだよ」
「って言われてもなあ……」
 夜明けにも似た色合いで白む空を所在なく仰いで、呟く。
 何がだからこそなのか、まるで訳がわからない。
 しばし考え込むように式神たちも互いの顔を見合わせていたが。
「お会いしたこと、父君にお伝えには行かれぬのですか」
 ふと。それまで黙して成り行きを見守っていたタカマルが、ぽつりとそう言った。
「え?」
 一瞬ヤクモはぽかんとするが、すぐに我に返ると顔を手で覆って後ずさる。
「いや、それは」
 頬がかっと熱を帯びた自覚はあった。
「ほんに朱をそそがれておじゃるぞ」
 くつくつと喉の奥で笑われても、むくれて睨み返すが精一杯で、無論そんなことで引いてくれるような相手ではなくて。
「嬉しいなら我慢することないのにね」
「別に、これは我慢とかじゃなくてだなっ」
「あな嬉しや嬉しや、嬉しければ笑み栄えや!」
 リクドウの踊った言まで重なって、堪らずヤクモは深く息をついた。
 妙に式神たちが浮ついている気がする。はしゃいでいる賑やかな三体はもちろんだが、生真面目な二体も少し空気が違う、気がする。
「何でそんなに浮かれて――」
 思わずぼやくように呟きかけて、気づいた。ようやく。
 そう、確かに鏡と呼べるかもしれない。式神の在りようと、闘神士の感情は。
 ならば今、その鏡に映るのは。
「……わかった。俺の負け」
 無性に笑いがこみ上げてくる。
 笑っているから。
 堪らず俯いて、笑った。
 声を立てて。震えるくらい。
 手のひらの下で、どうしてか涙さえ、滲んだ。





 そんな風に笑っているのを見たのは本当に久しぶりだと、笑われた。











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 あなたが笑うと、私も嬉しい。

 なんとまあ、よくここまで遠回しなセリフだらけになったものです。
 一番肝心なことを、結局、誰も言っていませんよ。ブリュネやタカマルですら、婉曲な物言いをしてしまいましたよ。どうしてヤクモさんを帰らせたがっているのか、どうして素直に言ってくれませんか、こいつらは。帰らせたいというか伏魔殿から出したいというか、久しぶりに笑っている今だけは戦いから遠ざけたいというか。
 タイトル前は五行戦隊とナナです。このナナのセリフが話の核でもあるのですが、Vジャンプ連載で際どい状況の彼女をどうするか、かなり悩みました。でもやっぱりモンジュさんがこれを五行戦隊に言ったら、それは違うんです。モンジュさんはヤクモさんの家族で、コゲンタ=アカツキの闘神士でもあったから。それにもともと経緯はどうあれネネとの契約は解けている前提だったので、このまま出すことにしました。

 しかし私は大道芸人の口上の語り口というものを、絶対に激しく誤解している。
 ……暗喩とか、いろいろ仕込むのは楽しかったですけどね。やっぱりこれ、オカシイですよね。
 もちっと勉強してきます。あと公家言葉とかも。