その日は、空が何処までも何処までも青ざめていた日だった。











空の青さ














「――お久しぶりです」
 囁くような小声で言うと、縁側から僅かに腰を浮かせながら少しだけ目を見張って、それからほろ苦く微笑んだ。
「こんなところに来て、いいのか」
 疲れたような、ひどく傷悴した笑い方だった。
「アリバイ工作はしちょります。それに今回は……特別やき」
 すっと視線を落とすように目を背ける。
 そして殊の外ゆっくりと意識的な瞬きと呼吸をしてから、そのまま小さく頭を下げた。
「お悔やみ申し上げます」
 すると、ため息のような吐息が聞こえた、気がした。
「いや……ありがとう」
 深い、深い吐息。
 咄嗟に顔を上げる。
 何かがとてつもなく儚いと、痛いほどに苦しいほどに思わされた。










「葬場祭は」
「明日だ。夕方には手伝いが来るから、別れを済ますなら今のうちだぞ。さすがに人前で顔は出せんだろう?」
 そう言って振り返った視線の先を追うと、庭に面した大きな縁側のあるこの部屋が賓室になっているようで、部屋の奥に白木の棺が見えた。
「しかし」
「せっかく来てくれたんだ。きっと、あいつも喜ぶ」
 開けっ放しの障子の端に背をもたせかけながら、目を細めて言われて。
「ほんならお言葉に甘えさせてもらいます」
 縁側の沓脱石から部屋に上がって足音を忍ばせるような歩き方で棺に歩み寄ると、そのすぐ傍らに膝を落とした。
 息を潜めて、真新しい白木の蓋をそっとずらす。
 とても綺麗な人だった。本当に。
 聡明で、優しくて、淑やかだが心の強い人だった。
 大きな別れの傷にもそっと寄り添って、支え続けた人だった。
「いつ以来になるか」
「儂が最後に会うたんは、七五三の時じゃったと思います」
 とても綺麗な、幸せそうな笑顔を覚えている。
 三歳になる一人息子と家族三人、並んで笑っていた。
「そう、か」
 たくさんのことが変わりすぎてしまった。
 棺の中で眠る人の美しさはあの頃と何も変わっていないように見えるのに、決定的に違ってしまった。
 眠っているように見えても、もう目覚めることはない。
 このまま美しく静まり返ったまま、もう微笑みはしないのだ。
 棺の蓋を閉めて、離しかけた手をきつく握り締めた。
 いったい何を求めていたのか。
 あまりにも静かすぎて、息が詰まる。
 これが、死だというのに。
「おじさんも泣いてるの?」
 小さな声が聞こえて、いつの間にか深く俯いてしまっていた顔を跳ね上げると、棺の傍に小さな子供がいた。
 一目でわかるほど、二人にそっくりな。
「……、……おまんは……」
「でかくなっただろう」
 そう言った声が、切なかった。
 今日初めて聞いた、生きた声だった。
 喪って、また喪って、あまりにも儚くて、それでもまだ。
「よお似ちょる」
 小さな小さな、けれど、大きくなった、大きくなっていく子供。
 笑いかけると少し戸惑ったように首を傾げたから、握り締めていた手をほどいて、やわらかな髪をかき回すように荒っぽく撫でた。
 面食らったような顔をしたが、それでも逃げなかった。
「お父さんとお母さんのお友達?」
 腰の闘神機を見つめて発せられた問いかけは肯定も否定もしがたくて、思わず苦笑する。
「こいつを知っちゅうか」
 問い返すと黙って肯いて、父親の方に振り向いた。
「それで悪い魔物をやっつけるんでしょ。僕も大きくなったらお父さんみたいになるの」
 つられるように目を向けると、また、ほろ苦く微笑んで。
「……闘神士に育てる気はないんだがな」
 ひどく困ったように、そう言った。










 呼び寄せて膝に抱き上げて、やんわりと一人息子を抱き込みながら、眼差しは遠い。
 青ざめた空よりも遠い。
「何というかな……俺のような思いをさせたくないんだ」
 闘神士と式神は、人に仇なす妖魔の祓えこそが使命、だから。
「だから、他にどうしようもなかったとは理解しているつもりだ。あの時はもう、ああするしかなかった。後悔するとすれば、あいつを犠牲にしなければならなかった自分の無力さを悔やむ。だが」
 そこで言い淀むように言葉を途切れさせたが、眉間に皺を寄せると、嘆息と共に続きを吐き出した。
「それとは別に、簡単に割り切れないものもある。やろうとしていることを許すことは出来ないが、師のお気持ちは……わからないわけじゃない」
 静かに綴られた言葉に、僅かに息を飲む。
「だから、もう闘神士になってほしいとは思えなくなってしまった」
 愛おしむように、痛むように、目を細めて言った。
「そん子もいつか式神を引き替えにせにゃならん時が来るかもしれんと?」
 そしてそのことが、同じ苦しみを呼び寄せてしまうかもしれないと。
「あくまでも可能性だがな。そうなった時、闘神士であれば逃れることは許されない」
 闘神士に課せられた使命は。
「どんな疑問を感じたとしても」
 しかし、その本質は。そして式神は。
「それにやはり、……見せたくないと思ってしまうんだよ、この世界の闇を」
 そう言いながら苦笑いした顔を、とてつもなく父親だと思った。
 父親の腕の中で不思議そうに首を捻って振り返った、小さな子供と目が合った。





 ――とても綺麗だった。本当に。











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 絶望しえぬ、忘れえぬ、この愛おしき。

 「印の二十」「二十一」の大人たちに触発されて、思いついたら執筆一直線。
 何故か本文中に人名が全然出とりませんが、五〜六年くらい前のナギとモンジュさんとヤクモさん。[赤根]でもちらっと書いた奥さんの告別式の、前日。あとウンリュウの回想にあったモンジュさんとマホロバたちとの完全な決別は、アカツキを喪った二〜三年後くらいで考えてます。だからナギはお忍び弔問。元は同じ土行なんだし、憧憬だけじゃなく交流あったらいいなーという願望。十代くらいの頃とかの縁で。今は三十路前を希望。モンジュさんは三十半ばを希望。

 マホロバは絶望し、モンジュさんは絶望しきれず、ナギはその狭間にいる。そんな感じです。ナギはマホロバの本来の目的に一度は賛同して残ったのか、端から裏切るために居残っていたのかが、まだわからないですけど。
 モンジュさんがアカツキを喪って以後、他に契約していた式神とも別れ、ヤクモさんに「同じ思いをさせたくない」と願う、その「思い」とはどんなものだろうと、壱巻を読んだ頃からずっと気になってます。ただ単に式神を喪った悲しみ、それだけではない何かがあるような気がして。その答えの先にあるのが、モンジュさんとマホロバの決別であり、モンジュさんがアカツキを「同志」と言ったことなんじゃないかと思っています。

 それにしても陰陽はとかく喋りが大変ですね。今回は土佐弁きに。土佐弁は基本が関西弁に近い感じかも。方言独特の語彙は控えめにしましたが、もし関西弁が変な混ざり方してても御容赦を。ほら、ナギも関西暮らしが長そうですし、ね(笑)