君の笑い方を知っている。
怒り方や泣き方を知っている。
闘い方も諦め方も、我慢の仕方も知っている。
許し方だって知っている。
――君の愛し方だって、知っている。
空から吹く風
乾いた音を立てて襖が道を開く。
その向こうに人影が見えて、帰ってきたと思った。
思えた。
強く、深く。心から。
「ナナ」
冷え切った冬の境内の、真ん中に彼女は立っていた。
背中を向けて立っていた。
ここに彼女がいたことに少し驚いた。少しだけ。
「全部、見えてたから」
静かな声で呟くように、しかしはっきりと、くるりと振り返った彼女が言った。
「そうか」
ひどく久しぶりに会ったような気がするのは、前に帰ってきた時は急すぎて都合が合わなくて、会えなかったからだろうか。
黙って近づいてくるナナを、ヤクモも黙って待つ。
――五、四、目を閉じて、三、二、奥歯に力を込めて、一。
零まで数えたら、ぱんっと乾いた音がした。
「ごめん」
平手で引っぱたかれた音。ナナが引っぱたいた音。
「謝らないで」
打たれた頬を押さえることもせずヤクモがナナに真っ直ぐ向き直ると、振り切った右手を胸に引き寄せたナナが顔を上げる。
「悪いなんてちっとも思ってないくせに、謝らないでよ」
「でも、心配かけたみたいだからな」
じんわりと熱を持ってくる頬が、結構な力で引っぱたかれたことを主張する。けれどそれ以上に、一瞬だけ触れた彼女の手の冷たさが、ひどく痛かった。
「そんなの、私の勝手でしょ」
ほろ苦く微笑んで。
「ヤクモは悪くないのよ」
それがひどく寂しそうな笑い方に見えたのは、気のせいだろうか。
「ナナ?」
不思議そうに軽く目を見張るヤクモの視線から、逃れるように僅かに外す。
叩いた自分の手は、まだ痺れている。
「ヤクモは正しすぎるくらい正しいのよ。けど」
また窒息してしまうよ?
言いかけて、咄嗟に唇を噛んで続きは飲み込んだ。
そうだ。正しい。
彼をずっと見てきたから、そんなことは嫌と言うほど知っている。
だが、正しいことが優しいとは限らない。痛いことだって、たくさんある。
「待ちくたびれただけよ。ちゃんと帰ってくることはわかってたもの。ただ、なっかなか帰ってこないから腹立つの」
「……だったら、やっぱりごめんじゃないのか?」
「違うわよ。謝ってほしいわけじゃないもの」
大きすぎる力、小さすぎる手。
寄せられた信頼、過去から託された想い、幸せになれという願い、未来の約束、選んだ答えとそこから始まった道。
「そうなのか」
「そうよ。だって誕生日もとっくに過ぎちゃったじゃない」
二人とも十七じゃなくなった。十八になった。
「おめでとうって言うには、もう遅すぎるかしら」
もう、秋はとうに終わって真冬だ。
それくらい長かった。
「言ってくれるのか?」
「私にも言ってくれたらね」
「わかった」
重すぎる世界に息を詰まらながら、それでも絶望ではなく希望を選び続けることを選んだ生き方は、救いなのだろうか詛いなのだろうか。
どちらにも決められない自分はだから、正しいことも悪いことも、どうだっていい。
普通でいられない彼を、何よりも心配して、勝手に心配して腹を立てて、遠くまで見えすぎる彼の眼が見落とす彼自身を思い出させるのだ。
彼が守った世界に彼がいなければ、悲しむ者がいると。
「そうだ。忘れてた」
ふと、少し赤く腫れてきた頬を手のひらで押さえながら、ヤクモは子供っぽい笑顔を浮かべた。
「ただいま」
だから、めいっぱい笑おう。晴れやかに。
「おかえりなさい、ヤクモ」