ふと顔を上げれば、湯気を立てる湯飲みを受け取る側は初めて目にする甘い笑顔で、また差し出した側も普段の強気な性格をおくびにも出さないはにかんだ笑顔だったものだから、少し考えて拾い上げた単語を、マサオミは口にした。
「あんたってさあ、ロリコン?」






ただならぬ思い


〜そんな二人と一人〜






「何か言ったかシスコン」
 返されたのは、一秒の隙もない鮮やかすぎる切り返しだった。
「ロッ……!?」
 それから一拍以上は遅れて、お盆を胸に抱いたまま目を白黒させながら見事に絶句するナズナの横で、ウスベニが小首を傾げる。
「しす、こん?」
「ああいや何でもないんです姉上、何でも」
 そっちに振りやがったかと忌々しい舌打ちは綺麗に押し隠して、慌てて笑顔を取り繕うマサオミをよそに、ヤクモはずずっと僅かに茶を口に含んでから、悠々とウスベニに振り返った。
「シスコンというのは、お姉さんのことが好きで好きでどうしようもないくらいべったりな奴のことですよ」
「あらまあ」
「てめっ、ヤクモ!!」
「何だシスコン」
 こんな下らないことが逆鱗にでも触れてしまったのか、ヤクモの仕返しが妙にしつこい。マサオミは頭痛がしてきそうな額に手を当てて、呻く。悪ふざけで言い出してしまった自覚があるからには、折れるべきなのは自分なのかもしれない、が。
「ちょっとした冗談じゃないか、そこまでするか普通?」
「冗談でももう少し言葉を選べシスコン」
 だが、変わらず取りつく島もない冷淡な声に、折れる気が失せた。
「ああそうかそうだよなロリコンはありえないよな、どさくさに紛れて姉上にも抱きついてやがったしな!」
 正確には、妖怪が演じていた偽者だったけれど。
「な!? あ、あれはだな、抱きつくとか、そういうんじゃなくて――!」
「俺は見たぞこの目でしっかと!」
 一転して狼狽した声を上げながら腰を浮かすヤクモに、マサオミもにじり寄る。
 話の当事者のようでいながらそんな記憶はさっぱり持ち合わせていないウスベニは、穏やかに沈黙したまま言い争う二人を見守っている。
「だいたい、事情はおまえだってわかっているだろうが!」
「それとこれとは話が別だ!」
「そんな小さいことをいつまでもネチネチ根に持っているところがシスコンなんだ!」
「抱きついて半分押し倒したようなもんの何処が小さいんだ! 間違いだったらどうしてくれるところだ!?」
「だからそれ、は――、その……」
 と。さらに言い返そうとしたヤクモが、唐突に目を見開き、凍りついた。その視線は、マサオミを通り越してその背後を向いたまま微動だにしない。
 その時になってようやく、マサオミも自分の背後に誰か立っていることに気がついた。
「ふうん。そのお話、ちょっと詳しく聞かせてくれない?」
 マサオミにとっては初めて聞く女の声が、背後から囁かれる。可愛らしい声だった。だが、とてつもなく冷え切っている声だった。
 これとよく似た声を知っている。そんな気がした。
 盗み見るようにマサオミがちらりとだけ背後を振り返ると、おそらくはマサオミやヤクモと同じ年頃の、声のとおりに可愛い少女が、それはもう完璧な笑顔を張りつかせて立っていた。
「……あ、ああ、ナナ、来てたのか、いつの間に……」
 辛うじて、それだけをヤクモが口にする。
 こんなにも動揺しているヤクモを見るのは本当にマサオミも初めてだったが、こんな光景にひどく既視感を覚える気がするのは、気のせいではないのだろう。ウスベニが昔、買い出しで街に下りた際に、タイザンが店の若い女性と愛想良く言葉を交わしていた時とか。隠れ里の近くにあってよく収穫物の交換などに応じてくれた村の娘の一人が、タイザンに言い寄っていた時とか。思い起こせばタイザンが怒らせるウスベニは、マサオミが――ガシンやキバチヨや他の子供たちが怒らせる姉とは、一味も二味も違う。全然違う。
「いたわよ。ヤクモが、シスコンは何かって説明してた辺りから」
 さあっと血の気の引いていく音が、聞こえた気がした。
 見れば、ヤクモは一目でわかるほど青ざめている。
 ナズナは呆然と成り行きを傍観しているし、ウスベニは相変わらず黙って微笑んでいる。
 ナナと呼ばれた少女の笑顔は、少しも笑っていない。
「いや、詳しい話っていうか、これには深い事情が……」
 弾かれたように立ち上がったヤクモが、姿勢を整える間も惜しんだのか蹌踉めきながらナナに駆け寄った。
「申し開きがあるんなら聞いてあげるから」
「誤解だって!」
「何が誤解なのよ」
「だから――ここで説明するわけにはいかなくて」
 気まずそうにヤクモの声がしぼむ。
 ここに至ってもウスベニに偽者の話を聞かせないよう気を回すことを忘れないヤクモに感動を覚え、こんな彼女がいるのなら冗談でもロリコンとか言って悪かった、というか意趣返しに緊急時の話を持ち出して悪かったと、胸の中でだけ、マサオミは謝罪の言葉を並べた。決して口には出さないが。
「じゃあ台所ならいいわけ? お土産買ってきたからお皿、出したいんだけど」
 小声で囁き返すナナは白い紙製の化粧箱をヤクモの眼前に突きつけた。
「あ、ありがとう……そうしてくれると助かる……」
 化粧箱を丁重に受け取り、先に廊下へ消えたヤクモがふらついているように見えたのも、おそらく気のせいではないのだろう。生ける伝説も彼女の前ではただの少年だったらしい。
「あ、そうだ」
 つと立ち止まったナナが振り返ってきて、マサオミは咄嗟に居住まいを正す。
「……はい?」
「ヤクモはロリコンじゃないわよ。ナズナちゃんは妹みたいなものだし、それに」
 いったん言葉を切ったナナは、深々とした嘆息を挟んで、断言した。
「あいつ、鉄骨入りのファザコンだもの」
「……へえ、そうなんですか」
 彼女の言に何とか愛想笑いを返しながら。
 あの彼が連れている五体の式神たちならきっと無実の証人になってくれるだろうと、あのヤクモに気づかせてやるべきなのかどうか、マサオミは少しだけ迷った。






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放送当時、このネタが使える最終回の落とし所だったら更新すると宣言していたにも拘わらず、下書きメモを失くした上に存在自体忘れていた17歳(といっても、もう18歳かもしれん)たちのアホな小ネタです。先日ひょっこり発掘されたので更新。
書き上がってから見直したら、なんだか眩暈がしてきました。台詞の羅列だけだったネタメモ時点では、まさかこんな出来になるとは思わなかった。最初は三人がロリコン/シスコン/いやファザコンと言いあうだけのネタだったんですが。ああほらマサオミが女性を考える基準に何でも姉上を持ってくるから、ついタイウスに釣られて筆が滑ってしまったじゃないか。
それにしても私のウスベニさん観は某所の影響であらぬ方向へ歪んでる、気がする。

そして、これでもヤクナナは恋人関係なんかじゃ全然なくて、最大限にしても友達以上恋人以下、双方が通じ合ってない片想いなんですと言ってもいいですか? いやマジで。