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時はもう、夏に向かう頃だった。 けれども、大地は凍てついていた。 初夏の面影など、すべて冷たくなっていて。 濁ったかつて白だったものに埋め尽くされている大地。 離れた人と、途切れた道と。 二つの空っぽに押し潰されて、片隅の光など、見出せなかった。 |
勝利は決して、幸せな未来なんて約束してはくれなかった。 |
空が閉ざされ、否応なしにこの戦いは世界中に知られた。 足早に押し寄せる死への不安におののく人々をまとめるには、生き残れる道の希望を見せることが必要で。 それは仕方のないことで。 破壊を撒き散らす天上都市へ赴いた者たちをその象徴としたのは、正しい判断ではあっただろうが、ひどく苦い決断でもあった。 ――終わった後のことを考えれば。 「それは、けれど……」 糸のように細い声は、含んだ苦みも痛みも共に、謁見の間にひざまづく彼らには届きはしなかっただろう。 セインガルド王国は、王を頂点とした君主制を敷いている。だが、少なくとも二つ、捨て置けぬ勢力が国内には存在していた。一つは、第二身分から選ばれた有力貴族で構成される議会――貴族会。もう一つは、ストレイライズ教団運営に携わる、第一身分たる聖職に属す貴族で構成される議会――枢機卿会。 その二つの議会の合議から持ち込まれたこの話を、はねつけることができればどんなによかったことか。 それはきっと、控える皆の共通の思いだろうと、即位したばかりの若きセインガルド国王は――リラは、確信に近いものを感じる。 そのままを口にできれば、どれほどいいだろうか。 天上都市は消失し、直接の脅威は去った。確かに、そうだ。だが、粉塵は空を覆い続けている。ベルクラントの砲撃とそれに付随して起こった津波による大量の死傷者。強大な力を持つ神の眼の発動によって著しく乱された世界を廻る万象のために、凶暴化したモンスターによる被害。そして、そう遅くないうちに訪れるであろう、食糧危機。問題は山積みである。 そして、なにより。 この戦いが、どんな結末だったのかを思えば。 何も知らぬ貴族たちが、ストレイライズの枢機卿たちが言う、英雄たち。彼らがどんな思いでその半身を喪ったかを、思えば。 伝説に見立て、女神の騎士の再来などというのは―― 「よいだろう。ただし、数日の猶予を与えることは理解してもらいたい。彼らも――今は、疲れているのだから」 まさしくリラは言い捨てた。そのまま玉座を立ち上がり、ぞろりとした裾を翻すと歩みも早く、どよめく者たちの答えも待たずに奥へと引っ込んだ。 「……どうして、こうなってしまうのでしょうね」 立ち入る者が限られているこの通路で待たせていた人影に、自嘲気味に言ってみた。 「お互い、御しにくい議会を持ったものだな」 セインガルドもファンダリアも、貴族階級が寄り集まって形成した議会を抱えている。国王が全権を握っているようで、しかし議会の意向を無視してばかりもいられず、それが即位して間もなければなおのことだった。 「あら。その御様子では、祭儀にも出席していただけると思ってしまいましてよ。ケルヴィン陛下?」 肯定に似た苦笑と共に、肩をすくめて訊ね返す。 「一応はそのつもりだ。主役が全員欠席ではさすがにまずいだろう」 その可能性だってあるのだと、込めて。 「……そう、ですか。何があったかなど、その場にいなかった私たちは見てとれることしか察せません」 けれど。 「凱旋、などと。……いったい、今までのことは、後世にはどれほど歪められて伝えられるのかしら」 なんと虚しい、現実か。 「とは言いましても」 不意にリラが、それまでとは打って変わって明瞭になった声を、立ち並ぶ柱の一つに向けて投げた。ついで足音も高らかにつかつかと歩み寄ると、 「ジョニーも出てくださいましね、開催自体はとても不本意とはいえ、あれを公表するには打ってつけですわ!」 柱の影でうかがっていた長身の男を、軽く肘で小突く。 「な、――おいリラ!? 俺は親父にそこまで権限委任されてるワケじゃねぇんだぞっ」 とうに見つかっていたことに驚いてる暇もなく、ジョニーはリラの言葉に狼狽え、金の髪を困惑げにかき上げた。 「あら。議会などに前もって知らせでもしては、また面倒なことになるだけですわ。そんな悠長なコト、してられませんのよ」 それはわかる。今は王権が強大でなくては何をするにも具合が悪い。安穏の中で弱められた独裁は、有事には取り戻さなくてはならない。それにあの件は、これからを乗り越えてゆくには必要不可欠なことでもある。 「けどなぁ…」 せめて父に話を通してから、と続けようとしたジョニーの今度は足を、低いながらものヒールで踏みつけたリラは、上目に睨みつけた。 「っ、リラ」 「出・な・さ・い」 夜の紺にひたと見据えられ、ジョニーは返す言葉にまともに詰まる。 「私は、英断に賛成しておくよ」 疲れはのぞいているが、ウッドロウは小さく笑って軽く手をあげた。セインガルド城の迎賓館にいる仲間たちに、伝えに行くのだろう。 その後ろ姿をジョニーは恨めしげに見送ってから、 「どうしても、なんだな?」 「今を逃せば……また、立ち消えさせられてしまうかもしれませんのよ?」 すっと細められた声に、がくりと肩を落とした。 「逃さなくても、だろうが」 「それでも必要ですわ。多少は議会を抑えられますもの」 「迅速な決断、でもって即行動か。まぁ、あの無駄口好きな連中にゃ望むだけ無駄な話だな。けどよ」 その引き替えに、なるモノは。 「繰り返させませんわ」 決して、許さない。 「リラ」 この目で、あの日を見たわけではないけれど。 そのためにひどく苦しめられた人たちは、見てきた。 だから。 「必ず守ってみせますわよ。なんとしても」 迷いなき言葉は、誓いのように尊い。 けれど、それが思い詰めているようにも見えたのは、リラが愕然としたあの様を、彼の姿を、ジョニーも見ていたからだろうか。 |
凱旋の祭儀。 己の半身にも等しいソーディアンたちを犠牲に世界を救い、地上へ帰った英雄たちに告げられた、それは虚飾の祭儀だった。 |
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