| |
いつの間にか抱いていた、想いが在った。 |
ずっと、多くのヒトの手に拒まれ。 わずかな人の、手のぬくもりしか知らずにいた。 心を開いても傷つけられるだけ。 ならいっそ、開かなければ、よかったのだ。 |
いつからだろう、変わったのは。 いくつかの出会いの先に、彼もいた。 どんな反応をされるか見てみたくなって口にした己。 ただ聞いてくれただけ、それが居心地よかったのが私。 |
けれど、ふと思うのは。 春も終わる頃に垣間見たいくつもの姿。 描かれた、己の記憶にはない微笑む母の姿。 千年にも渡る、悲哀と狂気の牢獄に囚われていた人の姿。 強く強く、ただ一人の誰かを想うこと。 愛するというのは―― |
「…あたしは、自信ないな……」 |
これは意気地のなさと呼ぶのだろうか。 軽く嘲った。 |
立ち直るとは、忘れるとは違うのだと。 時を経るごとに鎮まっていくのは、刺すような痛み。 逆に強まってくるのは、空気のような淋しさ。 それでもお互い、笑うことはだいぶ思い出してきたと思う。 「あんたはいつ頃帰るの?」 ファンダリアへと帰る一団、その中のウッドロウとチェルシーを見送って、ふとルーティは訊ねてみた。 「ん?」 問われた側は振り向いて、考えるように視線を上に彷徨わせる。 「そうだなぁ。ややこしくなりそうだし、そろそろかなぁ」 続けて、同じ内容を問い返してきた。 「あたしね。明日、クレスタにいったん帰ろうって思ってるんだ」 自分が育った場所、自分を育てた人のもとへ。 「……その後、ってさ、なんかある?」 「は?」 意図を読めない質問に、ルーティは怪訝に眉をひそめる。 「実はさ」 軽い吹雪に乱される、水気を吸って重く輝く金を鬱陶しそうに背中の方へはねのけながら、 「もしよかったらでいいんだけど、ちょっと話があってさ、ルーティもロスの方に来ないか?」 旅の間にもルーティが飽くほど見ていた笑顔を、スタンは浮かべた。 「――ロスマリヌスにぃ?」 動揺をひた隠しにして、憮然とした声音でルーティは反芻する。 「そうねぇ……」 さんざん焦らしてから承諾の返事を、行ってあげると恩着せがましく言えば、やはり彼は笑ったのだった。 本当に。自分はこんなにも単純だったのかと笑いたくなる。 借金返済のために孤児院を飛び出してからすぐに、その外見に似合わぬ狡いやり口と技量から悪名がたった。信用も得ずに途中までの利害の合致のみで組むような相手とは、当然なれ合うこともなく、隙を見せれば出し抜きあいの連続だった。 好意とは正反対の視線を向けられることなど、子供の頃から慣れきっていたから意にも介していなかった。 集まっていく金に、育ての親への恩返しのみを見て、ひた走ってきた。 それが一変したのは、マリーと出会ったときだろう。記憶がないんだと、大したことではないように言われたときから始まった縁には、精神面でも戦闘面でもかなり助けられた。思い返せば、それ以前の自分などは出会ったばかりの弟にも引けを取ってなかっただろう。 自分に素直な彼女に引きずられるまま感情の起伏を取り戻して、そして、もう一つの出会いを迎えた。本当に裏表がないから裏切りはしないだろう、腕も立つから利用価値はあるだろう、そんな打算があって引き入れたはずのスタン。 続けざまに騒動に巻き込まれ仲間が増えて、騒がしくなった旅の先で、唐突に思い出させられたのは、いともあっさりと訪れる別れ。 ――気づかされたのは、不確かな現実。 無償で与えてもらえる無邪気な笑顔は、大きな安堵をもたらしてくれる。けれども、その一方で不安もわき起こっていた。 いつまでも続く。そんな保証は、何処にも何もないと。 あたしは孤児だった。 あたしが育ったのは、クレスタの孤児院だった。 あたしの記憶の始めから私のものだったのは、ルーティという音の連なり、私を指す名前だけ。 ちっちゃい頃は、自分たちには親がいない、それが不思議でならなかった。 捨て子と嗤<わら>われたのは、いつが最初だったか。 みんながみんな優しくないわけでもなかったけど、みんながみんな、優しいわけじゃない。当たり前よね。特に、ガキの頃なんてさ、面白ければそれでいいって、とんでもないことも平気で出来る。 親に捨てられた、いらない子。それがあたしたちだった。 あたしを育ててくれたのは、ユーフだった。 周りのヤツらと同じように、あたしの名前もユーフが付けたものだと、ずっと思ってた。誕生日はあたしが拾われた日と、ずっと思ってた。 自分の誕生日とカトレットの名は、旅立つ朝に教えられた。何かわかるかもしれないからって。ユーフには友達だったあたしのお母さんたちのこと、ずっと連絡もなくて心配だったとはあとで知った話。 だから、知らせたい。ユーフに、お父さんと生意気な弟を見つけたって。お母さんはもう死んでたけど、アトワイトも逝ってしまったけど、あたしはこうして生きてるって。 ただ、もう一つは、言えそうになかった。 あたしのそばにずっといてくれたのは、ユーフと、アトワイトだった。ひねくれてたあたしにとって、最後の一線、砦、そんな感じだったのかもしれない。二人がいてくれなかったら、いったいどんな人間になってたのかなんてのは、あまり考えたくないことだわ。 よく言われるわよね、愛されなかった子供は愛し方を知らないってさ。 あたしはユーフにもアトワイトにも愛してもらってた。そうでなきゃ、誰かと一緒にいること、なんてのさえできなかっただろう。 ――でもこれは、違うから。 |
どうしても、思ってしまう。 あたしは、あんな風にまで人を愛せない、と。 |
ルーティは内心、安堵していた。 スタンの言葉は実質ロスマリヌスへの誘いで、結局、また一緒にいる理由をもらえて、離れずにすんだ。 染みついた不安があった。グレバムから神の眼を取り戻したあとのように、また皆ばらばらになってしまうのではないかと。ほんの少し前のことだが、その時に気づいたのは皆がいることに慣れきっていた自分だった。 なんだか待ってばかりいる。 自分から行動することに、ひどく躊躇いを覚える。 「あたしってこんなやつだったかな」 独り言のように声に出せば自嘲がまじり、何とも言いにくい複雑な思いは重みを増すばかりで。 「ガラじゃないっての……」 母は自分をユーフに預け、ヒューゴのもとへ帰った。実際どんな事情があったのかは知らないし、訊くのもはばかられる気がした。だが、確かに愛があったと、母の肖像画を見つめる父を見て、感じた。 自分たちの人生を大きく狂わせた彼の人は、その生を奪われた女性ともう一度逢う、ただそのために、たった一瞬の再会のために、千年もの永きを費やせるほど、一人を愛した。 怖いと、思っているのかもしれない。 自分ならどうするの。 自分はいったいどうなるの。 不安、恐怖、もしかしたら、羨望。 疑う必要も、恐れる必要もない愛もある。知っている。 けれど、それとは違うものだ。まだ、知らないものだ。 彼に無償で与えてもらえる笑顔は、大きな安堵をもたらしてくれる。けれども、その一方で不満もわき起こっていた。 終わらないことを、信じていいのか。 「――ルーティ! 来てくれよ!」 階下から聞こえた呼び声に、億劫を覚えながらもルーティは渋々部屋を出る。なにやら騒がしい気がして、その中にスタンの声もまじっていて、――ほら、現に今思っている。 自分は彼にどう思われているのだろうか。 仲間たち、そして彼の家族同様、好かれているとは思っている。だがそれはまた意味が違う。単純なくせに、うかがい知れない。いや、単純なら目に見えるはずだろうから、結局、なんとも思われていないのだろうか。 確かなことなんて何一つなくて。 自分自身さえ、わからない―― 「何か用?」 どうして自分ばかり、こんなに悩んでいるのか。 「何って、こっち来る前にも言ってたろ、話があるって」 笑いかけられて、むっとした声でそうだったわね、を言い返す。 広い玄関ホールには、スタン以外にも数人いた。壮年を過ぎようとした女性が一人の他は、まだ十にも満たない子供のようである。まるっきりばらばらにしか見えないそれは、昔を思い出させた。 「で?」 「なぁ、孤児院の手伝いさ、する気ないか?」 すぐには、理解できなかった。 「…は?」 「前に言ったことなかったっけ、ロスにある孤児院。俺の家がというか叔母さんがかな、経営助けてるんだけどさ、……ちょっと」 スタンはいったんそこで言葉を切って、子供たちから離れたところまでルーティを引っ張ると、 「ベルクラントでこっちの方も…被害あってさ。その、増えたんだ」 親を失った子供が。 「………なるほどね」 クレスタに帰ったときにも、見慣れない子供が何人かいた。ぼんやりと気の抜けたような、まだ突然の喪失に立ち直れてない子供が。 「そっか。そういうことか」 ついてきた子供たちは、見定めてやろうというつもりなのだろう。新しく人が来るかもしれないのだ。 「いいわ」 このロスマリヌスの地で時間を持て余していたのは事実だ。今までに愛されてきた分を返していくのも、いいかもしれない。 それに、ちょうどよかったかもしれない。そういう考え方は少しずるいような気もするが、思ってしまうものは仕方ないだろう。 あっさりと頷いて、颯爽とした振る舞いで子供たちの前に立つ。 「ってことで、決まり」 子供たちの挑むように見上げる目に、ルーティは愉しそうに笑うと、膝を抱えるようにしゃがんで目線を彼らに合わせた。 「今日からよろしくね」 振り返れば、やっぱりスタンは笑顔だった。 彼のすぐ近くは、自分の迷いすら近すぎて。 ほんの少しだけ距離を持つのも、いいかもしれない。 焦ったところでどうしようもない。 自信なんて持てない。 けれど。もう戻れないから。 |
進むしかないと、思った。 |
|