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短かった、長かった、駆け抜けた日々。 傷ついたことも傷つけたことも。 悲しかったことも苦しかったことも。 何もかも、本当のことは何もかも、忘れられていって。 後に残されたのは。 子供の頃に読み聞かされたおとぎ話のような結末。 |
わるいひとはゆうしゃにたおされ、 せかいはまたへいわになりました。 めでたしめでたし。 |
なんて空虚な、結末。 |
凱旋の祭儀の最中に放たれた、そのたった一言で、たった一つの名で、ホールはにわかに騒然となった。 「え、ちょっと、何かあったの?」 ぱっと手を伸ばしエミリオを制止すると、驚愕している父にルーティは問いかける。壇上には仲間たちが上がっているが、祭儀自体は中断したも同然のようだ。 「よくもまぁ、こんな時にアステルも許したものだな」 ぽつりとつぶやいたヒューゴが、表情を硬くし、ルーティとエミリオに向き直った。 「スタン君が、ディールライトを名乗った」 その生存を隠されていた、ローズマリーの継嗣として。 「あいつ、本名にしたんだ」 「……なるほどな」 軽く言ったルーティの隣で、エミリオは何か思案する仕草を見せる。 「ルーティ。エミリオ。二人に約束してもらいたいことがある」 大事なことだから、と。 「王宮内には、私たちが親子だということと、カトレットの者であることを、決して知られないようにしてくれないか」 つまり、貴族たちに。 「つまり僕は今まで通りリオン・マグナスを名乗って、…こいつは家名を言わないでいろって、ことなのか?」 怪訝に眉をひそめながら聞き返すエミリオに、ヒューゴはそうだと頷いた。 「どういうことよ、それ…?」 「いらん騒動を呼び込まないため、ということにしておくかな。特にエミリオは、この手の場から縁遠くなるわけにはいかなくなったようだしな」 ヒューゴの言葉にルーティはちらりと弟を見やる。と、エミリオはついと顔を背けた。 「……なんだかよくわかんないけど。ま、いいわ。その方が安全だって言うんなら」 「すまないな。おまえたちまで巻き込むことに――」 「お父さん」 ぴっと長い指を立てて、ルーティはヒューゴの言葉をさえぎる。 「そんな名前なんか違ったって、家族なのは変わりようないじゃない」 「……そう、だな」 |
真実だけは、消えない。 |
誰よりも早く、そばに辿り着かなくてはならないと思っていた。 「アッシュ!」 「わかっている…!」 彼らが壇上を辞した途端に、渦の中心へ向かって流れ込むざわめきをあまりにも見事に素早くすり抜けて、ルートとアッシュはスタンたちのもとに駆け寄っていた。 「あ、ルートさん…アッシュさん」 さすがにここまでの騒ぎになるとは思いも寄らなかったらしく、当惑していたスタンが、二人が両脇についたことでほっとした表情をのぞかせる。 「っんの、やってくれたな…!」 場が場なので耳打ち程度だが、ルートの声音は鋭い。 「それは後だ」 今にも頭を抱えて小言でも連ねそうな勢いのルートを静かに制すと、アッシュはスタンの肩を抱くようにして、とにかくホールの外へ導く。 さすがに七将軍が二人飛び込んできたこと、そしてファンダリア国王にセインガルド司教がいる場では、ひどく色めき立っているわりには最後の一歩を躊躇わせるらしい。だがそれも、何か皮切りがあれば決壊する危うい一線でしかないから、急ぎ抜け出さなくてはならないことに変わりなかった。 「すみません…」 「構いませんよ。出来れば事前に知らせてほしかったですけれど」 回廊に出て一息つけたところで、責任を感じ萎縮するスタンにアッシュは苦笑すると、ホールの中に視線を彷徨わせかけるが。 「アッシュ」 「で?」 いち早くリラを見つけていたルートが軽く首を振った。 「このまま出る」 向けられる注意が、それこそ外に出た今も扉越しに伝わってきそうである。しばし時間を置いた程度でどうにかなるとは思えない。 「その方がいいだろうな」 今日はよくまあ主役が二転三転する日だと、呆れ笑いにも似た何かをにじませウッドロウが言った。 「祭儀自体はちょうど終わりましたし。後は言ってしまえば貴族の方々の交流会ですから問題はないと思います」 補足するようにフィリアはそう言うと、少しいたずらっ子めいた笑いを含んで、 「私も司教位を戴いたばかりで今夜は覚悟していたんですが、おかげで体よく抜け出せました。ありがとうございます、スタンさん」 どさくさに紛れてと言えば聞こえは悪いが、多少なりとつきあいが生じるのは間違いなく、慣れぬそれにフィリアも気が重かったのだ。 「そうだな……うん、あれは凄かった」 言ってしまえばサボる口実のお礼だが、何故だかフィリアがそんなことを言うのがおかしく思えて、スタンも笑い返すが。 「程々にしておくことだな」 幼い頃から皇太子として振る舞い続けていたウッドロウの言葉に、ルートが盛大な嘆息と共にスタンの肩をぽんと叩いた。 「ほんっとに、やってくれたな。あれでもう、スタンも貴族どもにめいっぱい目を付けられること間違いなし」 きっぱりと言い切るルートに、スタンが目を瞬かせる。 「そうなんですか?」 「そうなんだよ。ったくよう、……済んだことだし、こうなったらいろいろ教えとかないとならねぇな」 顔にかかる長い前髪を鬱陶しげにかき上げると、ルートは隣のアッシュに目を向けた。 「そう、ですね」 「そうそう。あんたたちのお役目もあるんだから」 突然ひょっこりと割り込んできたアステルが、言って後ろからルートとアッシュの二人を小突く。 「叔母さん…」 スタンの両肩に手を置いて、まっすぐのぞき込むようにしながら、アステルはやわらかに微笑んでみせると。 「あなたには話さないといけないことがあるの。とても大事なこと。ディールライト家の――いえ、ローズマリー家のこと」 少し哀しげに、そう告げた。 |
真実だけは、忘れない。 |
「まともに出来るとはとても思えん」 理由を問われたことを、エミリオはそんな一言で切って捨てた。 「あ、言い返す根拠がないのは悔しいかもしれない……」 口ではそんなことを言いながら、スタンは苦笑を浮かべる。 あの祭儀での一言で、貴族などという彼にはとうてい似合わないような社会の仲間入りをすることになった。エミリオもかつて客員剣士だった頃は嫌々ながら多少の交流を上辺だけ持っていたが。 「いいけどさ。どうせ暇なんだろー?」 机上に身を乗り出したスタンが、椅子の背にかけられた薄紫の上衣を目で指してエミリオに笑いかけた。仕立てたばかりのそれは、ローズマリーの花の色も美しいままで。 「ああ、暇つぶしだ」 書類にすらすらとペンを走らせながら、エミリオはつられるようにこぼれていた笑みを、さらに強めた。 腹黒くない者の方が少ない社会に関わっても、それでもまったく昔と変わらず子供のように無邪気に笑えてしまうスタンは、いったいどういう神経をしているのだろうか。 そんなことを思いながら、スタンの名前が書かれている下に己の、二つめの名前を書き加え。 「でなければ、おまえの副官など誰がやるか」 |
いくつもを引き替えにしてきた。 そうやって生きてきた。 そうやって生きていく。 それはきっと、人も、世界さえも。 |
でも、意味が欲しくないわけではなかった。 だが、英雄になりたかったわけではなかった。 |
ただ、夢を見ていただけだった。 |
――ただ、夢が終わることを願っていただけだった。 |
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