ピーッ ――――――――






 耳に障る、電子音。
 途切れることなく、ずっと続いた。






遺されし者へ






「ひでぇモンだな……」
 前方を鋭く一別し、思わずつぶやいた。
 焦げた通路はあちこち剥がれ落ち、所々ではまだ残り火がくすぶっている。もう数歩進めば、そこに、瓦礫を踏みしめながらせわしなく動き回る、第四師団所属の人間が見えてきた。消火作業と怪我人の救助に追われているようだ。
 そこまで考えが進んで、ふとディムロスは胸ポケットに刺したピンを取ろうとして――やめた。意味がないような気がしたのだ。鮮やかな紅の髪は背中あたりまで伸ばされ、母譲りの男にしては――とはいえまだ十六なのでこれからどうなるかはわからないが――かなり整った顔立ちに翡翠の瞳。これだけ目立つ風貌をしておきながら、今さら階級と所属を示すピンを外したところで、意味がない。それ以前に、自分だとわかって困る理由も、一応はない。
 半ば傍観するような半眼で、辺りを見回しながら奥へ――爆心へ歩いていく。
 惨憺たる有様は仕方がないのかもしれない。ここは地下都市、つまり半ば密閉空間でもある。ここが医療区でもあったせいで、壁材は普通の居住区よりも強固なものである。被害の範囲がさほど広がらなかったのはそのためだが、同時にその狭い範囲は壊滅的となってしまった。ひしゃげた壁、何枚も何枚も……
 ――壊滅。瓦礫の光景。
 醒めていた意識が急に灼熱に染まり、ぞくりと震えたのと吐き気とを同時に覚える。もつれて崩れかけた足を、残っている通路の壁にもたれかかるようにして無理矢理支える。
 そこで焼け焦げて転がっているのは、コンピューターのディスプレイ。
 そう、いつかと同じように――
 ――っがんっ!
 もたれかかっていた壁に、強く拳を叩きつける。染み込んでくる鈍い痛みが、捕らえようと伸ばしてきた冷たい手をかき消した。
 いつかとよく似ている。そう、惨状の原因さえ。
「今さら……っ」
 陥りそうな意識を無理矢理に引きずり上げて、通路の奥へと足を進めた。
 何がなんでも見つけだす。
 半ば執念にも近い、強い思い。
 とはいえ、手がかりが少なすぎるのは問題だった。






「………へぇ」
 爆心を通り抜けた先、半壊に近い一室で、奇跡的に無事に見える端末が残っていたのだ。とにもかくにも電源を入れてみると、起動もしてくれた。
 だから、そこから医療部のネットワークに入り込む。普段いるところとここはネットワークのグループが違うために、特定に限界があって、正直困っていた。
「さて、と……」
 今も生きている端末のはずだ。ここもろとも死ぬ気があったわけでもないだろう。
 ネットワークの中に潜り込んでしまえば、あとは自分なら防禦<プロテクト>など簡単に突破できる。しょせん医療部に、軍部ほどの高度なセキュリティはなかった。人材の問題もあるだろうが。
 ラインの詳細をくまなく当たり、微かな痕跡を――
「――ヒット。ここか…」
 第三区の地図を頭の中で開き、様相が変わり果ててはいるものの、ブロックナンバーから現在地を割り出す。そして、今わかった地点から相手の動きを予想しつつ目的地を絞り込む。
 と。
「……撃たないでくれよ」
 ごく微かに肩をすくめて、両手を挙げた。後頭部に小さな硬い感触がある。
「俺は別に、犯人じゃないからさ」
 すっとすぐ後ろにまで気配が来た、と思ったら、銃口が離れた。
 振り返ると、少女が立ちつくしていた。
 彼と同じか一つ上か、それぐらいの年齢だろう。煤に汚れた黄褐色の髪は緩やかに波打っている。彼のそれよりもずっと長く、腰にまで届かんばかりだ。手に、短銃を引っかけているが、正直なところ似合わないと言い切れる。面差しはかなり綺麗だった。
 鉄のような一切の色がない面差しで、ガラスのように透き通った空色の瞳を、部屋のある一点に向けていたのだ。彼の方をではない。振り返ったディムロスからすれば、彼女は真横を向いていた。
「…こんなところで、何やってんだ?」
「立ってるの」
 少女は即答した。限りなく嫌みに近く、それでいて限りなく遠い。
「あぁ、そぅ……」
 なんと返していいかわからず、自分でもばからしい言葉が口をついた。なんとなく、そのまま黙って少女の見つめ続けている方を横目で見やる。そちらの方は天井が崩れ落ちてしまっていて、まるで原形を止めていなかった。その瓦礫の手前側に炭のかたまりが覗いている。それに眉をひそめて――ふと、それに気づいた。
 押し黙った間が空いて。
「なに?」
 時折、彼女の手を隣の少年がちらちらと盗み見るように気にしているのにはとっくに気づいていた。それに気づいてからかなり経って、やっと少女は口を開く気になった。
「いや……その、手。放っておいたら…」
 感情も映さず、少女はゆっくりと持ち上げた両の手のひらを見下ろした。
 火傷。ひどい。放っておくと、手がダメになるかもしれないほどの。けれど。
「……………………お父さんとお母さんは、…もっと、痛かっただろうな。……熱かっただろうな……」
 手を見下ろしたまま、ぽつぽつと、少し掠れた声でつぶやいた。
 そこに深く突き立てられた棒のように、彼女には動く気がないように思えた。とはいえ、放っておくことは出来ず、
「手、出せ」
 言うが早いか、火傷を負っていない、彼女の左手首の少し肘の方を掴むと、自分の方に引き寄せた。少女が驚いて何か言う前に、ディムロスは空いた左手を、少女の両手に添えるようにかざすと、刹那、淡い光があふれ出した。空気以外何も触れていないのに、手のひらがふわりと抱かれたように優しくあたたかい。
 光がすぅっと散って、彼がぱっと掴んでいた手首を解放する。
「……え?」
 少女が微かに、その空色の目を見張った。ただれた傷口は、綺麗に消えていた。
「本当はまずいんでさ。誰にも言うなよ、怒られっから」
 小さな子供のような仕草で、言い含めてくる。そして、
「親か?」
 ふいっと中を見やって、ディムロスが訊いた。
「そうよ」
 驚くほどあっさりと、少女は返した。
「何が起こったのかわからない。気がついたら、私はここに倒れてて……周りが燃えてたわ。でも、お父さんもお母さんも、私だってこの中にいたと思うの。私はどうして独りでここにいるのかな……」
 今目の前にある光景。焼かれた肉の、嫌な臭い。
 何もかもが、思考を麻痺させる。
「説明してほしいのか?」
「いらないわ。……きっと」
 たぶん、自分は理解しているのだ。
 ただ――
「天上のスパイだよ。たぶん、まだどっかにいるんじゃないかな。上も人物までは特定できてないらしいし」
 まるっきり他人事のようにディムロスが言った。
「あなたは、捜してるの?」
「捜してる」
「なら、どうしてここにいるの?」
「ん……なんとなく」
 見覚えがあるような気がして。
 少女はその答えに、首を傾げることだけをした。
「……。天上人、か」
 だからといって、憎しみを意識したわけではなかった。相手を憎めば、それはそのまま認めたことになってしまう。
「諦めろって」
 唐突に、彼が言った。
「なにを」
 思わず棘のある声で聞き返すが、彼はそんなこと気にも止めずに、
「無理なんだって」
 苦笑混じりに、答えずに返した。
「だから、なによっ」
 いまいち強く出れず、気弱な声で少女は問い返したが、ディムロスはそれに答えず、少女の手首をひっつかんで廊下に出る。と、
「あ。スタン! ちょうどいいトコに!」
 来た方の通路に見えた、見知った人影に呼びかける。黒髪の、ディムロスより二つ年上の彼は、その瑠璃の瞳を見開いて、
「ディムロス! おまえ――」
 なにやら言いかけたスタンの方に、少女をぐいっと押しつける。
「その子、任せた!」
 そのまま奥に駆け去ろうとしたところを、ぐいっと後ろ髪をスタンに引っ張られた。危うくそのまま後ろに転けそうになるのを、ディムロスは必死で踏みとどまる。
「ったく、最初に見つけたのが俺でよかったよ」
 スタンはそこで一度言葉を切って、一つため息をついてみせ、
「ディスプレイにあんなモノ出したまま出てって、しかもずっと戻ってこないってのは、ちょっと軽率だな」
 このノルズリ都市医療区爆破の直前にあった、あるハッキングのアクセス経路。それを逆探知したものだった。
「うるせ。急いでたし、部屋に入ってこれるヤツなんて限られてんだから」
 言い返しながら、くくっている辺りを掴んで、スタンの手から髪の毛を助け出そうともがいている。
「にしても、さすがだな。父さんたちは今、ハッカーの特定に奔走させてるぞ」
 くつくつ笑って、スタンが言った。彼自身優秀なハッカーとしての腕を持っているから、当然上司でもある父親にとっつかまっていてもいいような気がするが。これも当然だろうが、適当に理由をつけて逃げてきたに違いない。
「で、どうなんだ?」
「別に、何もねぇよ」
「何?」
 聞き返され、ディムロスは軽く肩をすくめた。
「目的のモノを見つけられなかったか…セキュリティが解けなかったか。とにかく、荒らされた痕跡はなし」
「………まぁ、いいさ。で?」
 何を飲み込んだのか気になるところだが、スタンからそれを聞き出すのはディムロスには無理だろう。勝てやしない。だから促されるままに、
「第三区東側、使われた端末は爆心近く。第六区に向かうゲート以外、トラップを仕掛けた。そのIDだと認証エラー起こすから」
 端的にそれだけ言うと、その第六区の東ゲートに走った。
「――さて、……五か七か。君ならどちらにする?」
 残されたスタンは少し思案した後、任されてしまった少女に訊ねた。






 荒らされた痕跡なんてなかった。
 ただ、漁られた痕跡はあった。
 地上軍の、それも上層に関係する者たちの履歴、パーソナルデータが。
 それの、よりにもよって"シアシーナ・カドウィード"のデータが。
 自分でも、これほどこだわっているなんて意外だったけれど。
 ――きっと、これは恐怖にも似た思い。






「見つけた」
 声と同時に、かちりと撃鉄の上がる音が静まり返った響く。
「――な、…」
 後頭部に突きつけられた硬いそれに、通路の先を伺っていた男は両手を挙げる。
「へぇ、近衛師団所属? さすがに、見覚えはないみたいだけどな…」
 ピンを見たディムロスが、おどけた声音で言った。同じ師団所属とはいえ、彼だって十数しか顔と名前を覚えていない。それは、所属しているとはいえ、籍を置いているだけに過ぎないのが現状なのも手伝って。
「……ベルセリオス師団長のトコの、小僧じゃないか…」
 さらりとこぼれた紅い髪に目をとめ、男が強張った笑みを浮かべた。逆に、ディムロスは目立つ容姿も相まって有名すぎる。
「これはどういうことだよ…?」
 震えを必死に押さえている声だが、少しばかり掠れるのは隠しきれなかった。
「第一、二、四、六、七、どれもで弾かれたよな、あんた?」
 思わず引きつった作り笑いを崩した男に、ディムロスは逆に笑みを強める。が。
「…さすがだな、師団長が可愛がっているだけのことはあるということか。…それとも、血筋ってヤツかな?」
 すっと笑みが消えたディムロスの反応に、男は手は挙げたまま彼の正面に向き直り、
「このまま"ここ"にいるのですか?」
 ――何処?
 ここ? ここは――そうだ、旧い世界。
「だって、そうなんでしょう…?」
 何が?

 ――あなたたちが――

 あれは、いつのことだ?

 ――捨ててから――

 あれは、誰が言った?

 ――死んでもらいますよ――

「あの方の――」
 何かが視界の端で揺れる。

 ――ぱんっ!






「銃声…!?」
 反響してきた通路の方を振り返り、そして有無を言わせず呼び出した弟とスタンは顔を見合わせた。
「リオン!」
 だが、二人がそこにたどり着いたとき、仰向けに倒れている男の死体が一つあるだけだった。






「義兄様…」
 連絡を受け、沈痛な面もちでリリーがつぶやいた。
「何かあったの?」
 その奥底が冷え切った声音に、リリーは曖昧な苦笑いを浮かべると、
「――えっと…アトワイトさん、だったっけ。
 兄様たちが、死体を見つけたわ。正面から撃たれたみたい。…その人がスパイだって」
 その言葉に、はっと少女が――アトワイトが目を見開いた。
「でもね…そこにいなかったんだって。ディム義兄様…」
 そのまま俯いてしまう。十五才の少女はとても不安なように見えた。
「なら、捜しに行きましょう。私も…そうね、お礼ぐらい、言いたいから」
 呆けていて、すっかり言い忘れていた。
「……何?」
 ふと凝視されている視線を感じ、リリーの方を怪訝に見返す。
「…ううん。なんだか――……やっぱ、いいです」
 何を言いかけたのか気にはなったが、ひどく哀しそうに微笑まれて、結局聞き出せなくなってしまった。






 水。と、緑。
 植物園。
 撒水の始まった、園内。
 地下都市に散在する植物園の一つである。区域を壁代わりに囲むガラス窓は、今は濡れて曇っていた。
「兄様!」
 二人の兄を見つけて、リリーが大きく手を振る。
「リリー、それに…」
 驚いたように、スタンがアトワイトの方を見た。
「兄様、ディム義兄様は?」
「あぁ…、――っ」
 もたれかかるようにして、つっと冷たいガラスに額をあてたとき。
「兄様?」
「兄さん?」
 リリーとリオンが同時に、目を見開いたまま止まったスタンを訝しげにのぞき込む。
「ディム……」
 つぶやいたかと思うと、スタンは園へのガラス戸にとりつき、自分の小型コンピューターをノブ横のコンソールと接続した。すると、スタンの指がキーをいくつか叩いただけで、ロックがかかっていることを示す赤いランプが緑に切り替わる。
「リオン。父さんに…連れていくのは遅くなるって、伝えとけ。あと――アトワイトさんも連れていって。これからのこと、あるから。リリーは、タオル何枚か取ってきてくれ」
 ガラス戸を半ば開けたとき、スタンが振り返って指示した。
「うん…」
「じゃあ」
 リリーが居住区の方へ、リオンがどこか後ろ髪を引かれているようなアトワイトと共に指令区へと向かっていった。
「さて、と…」
 やれやれとでも言いたそうにため息をもらして、スタンが雨の降りしきる園内に入っていく。
「このバカ。こんなところで何やってるんだ。風邪ひくぞ」
 園内で一番大きな樹の根本に座り込んでいた"弟"を見つけ、スタンは駆け寄った。と、その手前に短銃が転がっているのに気づく。
「……。――? おい?」
 それを拾い上げ、スタンが片膝を落とししゃがんでディムロスをのぞき込むと、
「……………」
 茫としたような面持ちで、掠れた声で何かをつぶやいた。
 その翡翠の翳りには、いやというほど見覚えがあった。
「ディムロス?」
 両肩を掴んで、一音一音確かめるように、はっきりと呼びかける。すると、すっと顔を上げて、驚いたように鮮やかな翡翠の瞳で見返してきた。
「? …スタン?」
 がくぅっと、疲れたようにスタンが肩を落とす。が、ふと苦笑を浮かべて、
「あまり心配かけさせるな。…頼むから、さ」
 両膝とも落とすと、ディムロスを引き寄せ、なだめるように軽く抱きしめた。スタンの方が上背でかなり勝っているから、すっぽりとおさまってしまう。昔の、小さな子供の頃のようにぽんぽんと背中を叩かれ、ディムロスはなんだかすべて見通されているような気になった。
 いつもそう。
 いつだって――






「よ、アイリス」
 白い扉を開けると、いつものように少女が笑顔で振り向いた。
「お兄ちゃん。もう熱は下がったの?」
 からかいを含んだアイリスの声に、ディムロスはばつが悪そうに頭をかきむしる。
「ぁんだよ、聞いてたのか…」
「リオンお兄ちゃんからね。植物園に閉じこめられて撒水の水かぶっちゃったんでしょ。もう、しょうがないんだから〜」
 二日前のことは、前後がうまく誤魔化されて話されているらしい。それにひとまず安心して、
「ところで――」
 言いかけたところへ、再びこの病室の扉が開かれた。
「アイリスさん、定期――、…あなた、あのときの…!」
 地上軍属揃いである紺の制服の上に、医療部所属のピンを刺した白衣を纏った、あのときの少女――アトワイトが、驚きにそのまま扉の前に立ちつくした。
「あ、おまえ、ノルズリんときの……」
 力ない指でこちらを指してくるディムロスは、あのときよりも幾分幼げにアトワイトには見えた。
「なんだ、アイリスさんのお兄さんって、あなただったんだ」
「なんだ、新任って、おまえのことだったのかよ」
 計ったように声が重なって、一番に笑い出したのはアイリスだった。






「そういえば、まだお礼言ってないなって、思ってね」
 屋上で、緩やかな空気の流れを受けながら、アトワイトが微笑んだ。
 地下階層都市の中の、空洞層と呼ばれる層は、内部に街を再現している。
 定期的に行われる撒水は雨として、敷き詰められた土に育てられた植物を潤す。特殊な空調のために風が起こり、繁った葉を揺らす。そこに、低層ビル街が形成されているのだ。用途は主に緑地公園、医療棟。地下都市の、癒しの空間だった。太陽代わりというにはあまりにも、力不足という言葉さえ生易しいほどに味気ない照明でも、硬く狭い空間よりは何百倍も落ち着けるものだった。
 今でこそ地上軍の本拠として使われている四大地下都市――ここヴェストリ、ノルズリ、アウストリ、スズリだが、もともとは、二十数年ほど前の"星の災厄"以前、高度学術研究都市として建造されたものだったらしい。そのために、かろうじて生き延びた地上人が生活を続けていけるだけの設備が整っていたわけなのだが。
「…礼?」
 手すりの上で両腕を組んだまま、ディムロスが彼女の方に振り向いた。
「そう。私の代わりに仕返ししてくれたから」
 繕おうとはしているらしいものの、そう言ったときのアトワイトは人形のようにひどく硬い笑顔になった。
「そんなんじゃないが……まあ、"仇討ち"、したことになんのかな」
 "仇討ち"というところを強めに発して答えを返すと、果たして、アトワイトの表情が目に見えて強張った。
「………やっぱ、そっか。無理だよ」
 淋しげな苦い笑みを浮かべて、ディムロスが続けた。
「嘘ついて…見ない振りして…。でも、無理なんだよな」
 彼はこちらを向いていない。俯いた横顔に、自嘲のようなものが見えた。
「……そんなの、できなかった」
 判っていた。解ってもいた。ただ、認めたくなかった。あの時。
 死んでしまったなどと。
 いなくなってしまったなどと。
 もう、二度と会えないなどと――
「そんなこと、できやしないんだよ」
 崩れていなかっただけで、立っていたわけではなかった。
 どうしようもないぐらいに、ただひたすら哀しかった。
 拒絶すれば消えるのなら、どれだけいいだろうか。
「――っ……、でも…」
 怯えるように俯いて、少女は胸の前で手を固く結ぶ。
 手すりの腕に組んでいた両腕に、少年は顎を埋める。
 ―― ごめんね ――
 今でも、奥底にはっきりと焼き付いていた。
 これはきっと。一生消えることも、まして薄れることも、ありはしない。
「独りだけ取り残されて辛い思いするぐらいなら、一緒に死んでしまえればよかったって、思わなかった?」
「亡くしたその時はともかく、後になったら変わった…かな」
「こんな辛い思い、そんな風にどうしてなれるのよ?」
「なってみたらわかるんじゃないか」
 ついっと、彼と同じように遠くに向き直って。
「私は……」
 ゆっくりと瞼を閉じて、そしてひどくゆっくりと瞼を開く。
「いつか、死んで…別れてしまうんだもの。それが少し早かっただけ……」
 凍り付いた眼差しで、消え入りそうな声で、けれどはっきりと、言った。
 その言葉に、ディムロスが少し目を細めた。
「また、そういう嘘をつく……」
 呆れたような声音に、アトワイトは糸でつられた人形のようにぎこちない動作で、ディムロスの方に再び振り向いた。
「……どうして?」
「哀しいなら哀しいって、思えばいいだろ」
 さも当然のように。
「でも……だって。ぐしゃぐしゃ…してるもの。頭の中が、だ…から、わからなくなっちゃうもの…」
「泣いて、何が悪いんだ? 哀しかったら泣きたくもなるだろ。
 ……心なんてどうやったって思い通りになりゃしない。誤魔化して、自分に嘘ついて、でもずっと奥底の方では消えてないんだ。ずっと残ってる。
 おまえさ、医者なんだろ。そんなの抱えたままじゃ、やってらんねぇぜ…?」
 死に、立ち向かえなくなる。
「泣いたら、案外スッキリするもんなんだ」
 やっと、気づいた。
 どうして、続けたのか。






 ―― 昔の自分と、とても似ていたからだ。






 ―― 今の自分を、わかってくれるからだ。












 スタン、リオン、リリーがカイザイク家の兄妹。母親を亡くして以後、ディムはこの三人と一緒に育ちました。アイリスはまぁディムと同じ孤児の身です。いわゆる不治の病を患ってる子。
 すでにこの話、なにがしたかったのか…もとは、アトワイトがルーティに言った言葉のオリジナル(というのは不正確か)をお話にしようということだったのですが。