そのことに気づくのには、その頃の私は幼すぎて。
 気づいたときにはもう、手遅れになっていました。






罪の選択






「姉さん……?」
 部屋に入るなり、シャルティエは立ちつくす。
 雑然としているのが当然で、そうでなくてはおかしいほどの、研究区画の、彼のたった一人の姉のラボ。それなのに、今は、端末がすべて落とされ、いつも山積みのプリントアウトも消えていた。
「シャルティ。さっさとドア閉めなさい」
 たった一束、前に残った書類の山に目を走らせたまま、シャルロットが言った。
「え、あ、うん」
 言われるままにシャルティエが室内へ数歩入り、それを感知したドアが閉まる。
「どうしたんだよ…いったい?」
 驚愕冷めやらぬといった面持ちでそう問いかけた弟に、
「私、堕ちることにしたの」
 ひどくあっさりと、姉は答えた。






 私はまだ五歳になったばかりだったから。
 なにもわかっていなかった。本当に、なにも。
 でも、それは私が悪かったから。
 自業自得というもの。本当に。
 けれど、あの子はまだ――二歳になったばかりだった。






「シャルロット御嬢様、シャルティエ様はどちらです?」
 奇妙な笑みを浮かべ、男が訊ねてきた。
「シャーティ? どうして?」
 藍の瞳をきょとんと開いて、シャルロットは男を見上げる。
「あなたのお父様が――お二人をお呼びなのですよ」
「お父様が? …シャーティもなのね」
 母に言われた通り大人しく座っていた少女は、その時、立った。






 私が残ってしまったのは私のせい。
 父様も叔母様も、残らざるをえなかったから、それは別によかった。
 独りじゃなかったから。
 けれど、シャルティは、私のせいでここに残ってしまった。






「……シャル…ロット…?」
 ひどくゆっくりと一歩踏みだし、その刹那、いるはずの、いたはずの場所へと彼女は駆け寄った。
「シャルロット?」
 周りに投げかけた呼びかけに、しかし応えは返らない。
「シャルティエ…?」
 奥にいるはずのもう一人も――姿はなかった。
「どうしよう――ジニア!」
 今にも泣き出しそうな表情で、彼女は振り返った。抱いている子供と同じ、紅い色をした長髪がふわりと弧を描く。
「シア…」
 幼すぎる子供二人は先に行った仲間に預けて、いなくなった少女と同じ年の長男だけを伴っているジニアが呻くようにつぶやく。彼の息子は、言われた場所にちゃんといてくれた。だから合流できた。しかし――
「なにをしているんだ、シアシーナ、ジニア! 早くしないと見つかってしまうぞ!」
 脱出路から舞い戻ってきたラヴィルの急かす声に、
「……私、残ります。あの子たちを置いては行けません」
「君が欠けては我々に先はない! 来てくれなければ困る!」
「ですが――っ」
「いつか会える! 勝てばいいのだ」
 シアシーナが細い眉を悲痛にひそめ、息をのんだ。
「…………」
 そして、捜しにいくことは出来ないまま、天より堕ち―――






 天上都市の実権を握っている"代行者"たちが、父様に嘘をついた。
 父様の中に、狂った何かを植えつけた。だから、






「"ミクトラン"様」
 ――私は、この人たちが嫌い。
 だから、にやにやと嫌な笑みを浮かべながら入ってきた、代行者とうそぶいているその男をシャルロットは無視して、読んでいた本に目を戻した。十歳ともなれば、父の携わる世界にどんどん触れていける。
「おや、御嬢様。あなたにも関わりのあることなのですが」
 慇懃無礼とはこういうのを言うのかと思いながら、彼女は仕方なく振り返る。細めた目で睨め付けるように彼らを見る癖は、もう直りそうにないし、直す気も毛頭なかった。
「どうした。なんの用だ」
 奥からシャルティエと一緒に、ミクトランと呼ばれている、シャルロットとシャルティエの父親――ミオソティスが出てきた。と、男の姿を認めた途端、彼は汚いものでも見たかのように眉をひそめ、彼のことを睥睨する。それは最後の砦、最後の――
「地上に行かせた工作員が……いえ、少し、お見せしたいものがありまして」
 光を受けた眼鏡の奥は何もわからない。
 ――だから、微かに歪んでいた口の端を、はっきりと覚えていた。
「シア……」
 愕然と目を見開き、最愛の人の名を呼ぶ。
 だが、応えは返ってはこなかった―――いつまでも、いつまでも。






 あの時から、父様の中の"狂気"がだんだん大きくなっていくのを感じていた。
 けれど、私にはどうすることもできなかった。
 私たちとだけいるときにだけ、父様は父様だった。






「父様……?」
 今にも泣き出しそうな顔で、シャルロットが父の部屋に駆け込んできた。
 天上都市の最下層には、ベルクラントという兵器が装備されている。天上都市防備という名目で造られた、実際は地上を攻撃するための兵器だ。だが、地下都市に潜った地上人に対してはあまり効果はなく、地表を薄く削る程度のものだった。それでも、牽制には十分に効力を発揮していたが。
「どうした、シャル?」
 穏やかな笑みを浮かべた父はなだめるように、大切な娘に優しい声音で問いかける。
「……あのベルクラント、…どうして?」






 問いかけながら、そのときすでにわかっていた。
 父様はもう正気ではないと。
 ベルクラントが深く大地を穿つ、凶悪な兵器へと変わり果てたのは、あいつらに吹き込まれた地上への復讐のためだと。






 今、私たちまでがいなくなれば、"父様"はきっといなくなる。
 けれど、渡すわけにはいかないモノができてしまった。
 このままここに在っては、決してならないモノ。
 これは、裏切りという名の罪深いことなのだろうけれど。
 これで"理由"は出来た。――会える。






 だから、






「私、堕ちることにしたの」
 ひどくあっさりと、だがはっきりとした声で、シャルロットは答えた。













 第二次堕天、シャル姉様です。昔に没にした物を発掘&焼き直ししました。イサゴさんへの500キリリク物です。が。これではリクに応えられてない〜(T_T 違うだろ樹、リクの内容は「シャルロットとシャルティエの姉弟メインの話」なんだってばおい。シャルティの出番が〜出番が〜…ほとんどない(ぉ)思いっきり姉様に偏ってるよ〜半一人称、どちらかというとさらに過去、第一次堕天のことが…あうあう。お許しくださいイサゴさん、この埋め合わせはいつか必ず…!(死)