よく似ている。
そう、思った。
堕天使たちの十字架
共に降り立った先で。
不敵な、だがどこか嬉しそうにこちらを眺めた青年は、まだ二十代半ばだろう。
「信用していないようで悪いが、しばらくあんたたちの身柄を拘束させてもらう。なに、その方が安全だろうし、話も早いだろう。心配することはないさ」
彼は"話も早い"の部分で妙な含みを持たせ、この十人程度の中でも目立つ、薄めの金髪を結いまとめた女性――といっても少女を終えてさほど間がなさそうな――に了承を求める。青年の物言いがどうにも気軽で、その女性以外は青年の周りの者すら困惑を浮かべたが、
「ええ。そう簡単に、誰もが我々を認めてくれるだろうなどと甘いことは考えていません。この――地上軍の人間からすれば、私たちはつい先ほどまで"裏切り者"…だったのでしょうから」
余裕の笑みすら艶やかに浮かべて、女性が答える。その背後に並ぶ、明らかに彼女よりも年かさの男女も、いささか緊張の抜けない面持ちでだが女性の決定に従う旨を首肯で示した。
端から見ていれば少し異常かも知れない。この場にいる中で、見てわかるほど年若い部類に入る二人が、それぞれの一団の責任者となっているのだから。
「よし。――丁重に、彼らをアウストリ最下層まで護送する。聞いているだろうが、セキュリティレベルは特上だぞ」
青年は、同じ紺の軍服に身を包んだ者たちにそう命令を下す。彼の笑みは消えない。暗いものは一切なく、それはいっそ愉しげで。先ほど引き渡された大きく頑丈なケース三箱を部下に先に運ばせると、自信は金髪の女性から直接手渡されたアタッシュケースを手に提げたまま、やはり金髪の、明らかに最年少である少年の頭をぽんと軽く叩いた。
「俺はカーレル・ベルセリオス。今は第一師団に所属してる。――解放されたら会いにいくから、忘れんじゃねぇぞ。シャルティエ――」
「マグナス」
女性がつぶやいた家名に、カーレルと名乗った青年は一瞬微かに目を見張る。が、
「ああ、わかった。マグナス、だな? シャルロット」
後は、エレベーターが最下層に辿り着くまで、一切の無言が支配する。
「あらあら」
おどけたようにつぶやかれたシャルロットの声が、十数の足音にあっさりと飲み込まれた。
「元保管特区。笑えるぐらいに馬鹿馬鹿しい気がすんな」
シャルロットのおどけに答えるように、意味を悟ったカーレルがひどく潜めた声で囁く。
地上軍の拠点となっている、現在の呼び名では四大地下空洞都市の一つ、通称"アウストリ"の最下層である。
「特区の名が泣くわね…」
冗談のような本気のようなつぶやきをもらすと、分厚いガラスに閉ざされた一室の中へ歩みを進めた。各保管室は愛想のない二重扉、この区画自体の入り口でも頑強な三重の扉。確かに監視セキュリティにおいては都市内でもトップクラスを誇るだろう。本来の用途では、そうでなくてはいけない区画だったのだから。
「それではよろしくお願いするわね」
仲間がそれぞれに全員入ったことを確認すると、シャルロットは扉の前に来てカーレルににこやかに言った。どこか含みを感じさせる声音で。
「ああ。あの方との"約束"だからな」
当人同士にだけ、理解できたやりとり。
よく似ている。
そう、感じた。
見慣れきった、特別病棟のエントランスホールで。
呼び止められた、と感じたから。歩みを止めた。振り返った。しかし途端に、ぐっと首に腕が回され捕まえられる。呼吸に致命的な障害になってはいないが、細腕ながらもしっかり力の入っているこの状態は多少なりとも息苦しいものがある。慣れてはいるが。
さらりと、自分の肩に流れてきた自分の真紅とは違う色を認めて、ディムロスは深々と嘆息する。どうであれ、慣れてはいるのだが。
「とりあえず…話聞くからさ。首、絞めないでくれよ……」
すでに諦念に染まりきった声で懇願にも似た言葉を口にし、捻るようになんとか肩越しに振り返ると、案の定、プラチナブロンドの主は艶やかに含みありげに微笑んでいた。
十八になったディムロスより五つ年上だから今は二十三だったろうか、女性にしては長身な方だし、多少切られはするが数年伸ばしっぱなしの彼の深紅にも勝る、ロングストレートの髪。ディムロスのように映える色彩でもなければ、彼女が伴っているアトワイトのようにやわらかなそれでもない、しかし穏やかながら強い存在感を示す、緑とも青ともつかぬ不可思議な色を抱く瞳。
「物わかりがよくて嬉しいわ」
眉一つ動かさずいけしゃあしゃあと言い放つ彼女――キルシェに、ディムロスは脱力したようにがくりと肩を落とすが、
「出張仕事なのよ、底まで」
「…"そこ"?」
問い返したディムロスに、しかしキルシェは病棟の床を指差すと、
「"底"。最下層。というワケだから、はい♪」
わりと大きな箱形のケースを、後ろにいたアトワイトからさっとかすめるとそのまま流れるような動作でディムロスに押しつける。
「……荷物持ちかよ」
はぁとため息をついても気にするそぶり一つ見せないでさっさと歩き出すキルシェにも、ディムロスはいい加減慣れていた。もちろん、空色の瞳を和ませ苦笑するアトワイトにもだ。
「上から直接のコトなんだそうだけど、聞くところによると堕天使なんだって」
周囲を気にしてか潜めた声でささやかれたその言葉は、はなはだ不慣れなものではあったが。
堕天使。天上都市の針路に反発を抱き出奔、そして地上軍に力を貸すようになった者をそう呼ぶ。この星に巨大な滅びを引き起こした一筋の光、そしてそれがもたらした極寒に閉ざされた地上。
今ではほとんど忘れられたかつての時代に伝わっていた、神話か何かの一節だっただろうか。天を裏切り、地に輝きをもたらさんと、堕ちた天使の物語。
それは、天に最も近しく、金色を纏う存在<もの>。
よく似ていた。
本当に、よく。
――ピ、――ピ、――ピ、…
「ん?」
周期的に短い音が、グリーンのランプの点滅にあわせて鳴っている。公私共存のインターホンだが、それの私用回線が呼び出しされているらしい。ここは階層居住部にある二人部屋とはいえ、これは個人で一本持っているものだ。根気よく待ち続けているのは、今は確か上に呼ばれて出ている兄であり親友である彼の方ではないようで。つまり、
「俺、か」
とりあえず長い髪の毛はまだ乾かしてもいないので、タオルは肩に引っかけたまま、ディムロスは瞬き存在を誇示している受信を押した。
《やっとつながった――と思ったら、風呂上がりですか、ディム?》
同時に光が点ったディスプレイに、眼鏡をかけた青年が映し出される。背景から察するに、私室ではなく仕事場――研究室にいるらしい。
「ぁんだ、ハロルかよ」
認めるなり手近のソファにどかっと座り込み、ディムロスは深紅の髪をがしがしと乱暴にタオルで掻き回しだした。この暗灰色の髪をした青年は、いちいちきちんと向き合って話をしなくてはいけないような相手ではない、ということだ。
《なんだとは御挨拶ですね…》
その様に、ハロル――ハロルドが漆黒の目を細めて苦笑する。キルシェに下層まで同行したところで追い返されて不満が残る先ほどに、ちょっとと頼んできたことへの返事を持ってきたというのに。しかも、多少見つかるとやばいことだというのにだ。
「用事は?」
双子の兄から親バカとからかわれるほどに、甘やかしている自覚もハロルドにはあるのだが。
《ああ、そうですね。…このままでも話は出来そうですけど、風邪でも引いたら大変ですから先に着替えてしまったらどうです? もったいない気もしますが》
打って変わって、本気とも冗談ともつかぬ声音でそんなことを言いながら、彼は底知れぬ微笑を湛えた。
「…」
髪を拭くディムロスの手が止まり、冷たい視線がディスプレイの中の青年に突き刺さる。今はいつものように、紺の軍服を着込んでいない。つまりそういうことなのだろうが。
「………切る」
ディムロスが母親に瓜二つ、つまり女顔であることをからかっているのはわかる。だが、彼の双子の兄であるカーレルよりも得体の知れない人物で通っている彼では。しかし、
《さっき頼まれたことなんですが…》
回線を落とす一瞬前、言い聞かせるように滑り込んできた言葉に、手が再び動きを止めた。
「ったく……。ハロルさ…なんでンなコト言うんだ…?」
不機嫌が目に見えてわかる。ずっと前、まだ母が生きていたほど幼い頃から面倒を見てもらっているにしても、どうにも悪趣味な冗談だ。
《愉しいからですが。あと、似てるから、というのもあるんでしょうかね》
「信っじらンねぇ…」
うんざりとつぶやきがもれた。
《なにがですか?》
「あんたのモノの考え方」
背もたれに引っかけてあった紺を拾い上げ、袖を通しながら言い捨てる。
《誉め言葉として取っておきましょう。どうせ私は頭<ここ>を売り物にする仕事ですから》
しかし軽く笑い飛ばす彼は、世間の評判に違わぬ性格をしているだろう。と、
《さっきから、なにバカやってるんですか…》
ハロルドの背後から、肩の辺りで切り揃えた黒髪の少女が呆れた声を投げた。指向性の強いマイクが使われているため、若干聞き取りにくいものもあるが。
《リリー…。バカとは心外なんですけれど》
ハロルドは首からだけ振り返り、カイザイク家の末子に抗議するが、
「ンじゃ変人」
すかさずディムロスが言ったその一言はさすがに効いたのか、小さく肩をこかす。ハロルドに遮蔽される面積が少なくなった画面の隅で、笑いを忍ばせながら、ファイルを抱えたリリーが兄同然の人へ軽く手を振った。打ち出された資料を改めながらのイクティノスと一緒であるところを見ると、二人が所属している情報部から仕事で来ていたのだろう。
《とりあえず……周囲の押さえはやってあげますよ。アリバイ工作もでしたね》
持ち直したハロルドが、再び画面内を占める。
《ですが、スタンも一緒だそうですし何をする気かは訊きませんが、あまり――心配を掛けるようなことは、やめてくださいね》
そうでない限りは、私たちは最大限にあなたたちの味方ですから。
回線が切れる直前のセリフには、ディムロスは手を振っただけで応えた。
近づいてくる、複数人の足音。
――いったい誰のものだろうか。
近づいてくる、戸惑いのささやき。
――きっと一緒に堕ちてきた人たち。
先にも後にもこの一度きりだろう。
シャルティエが、あんなにも驚愕に目を見張っている姉を見たのは。
「空<うえ>から来たのって、あんたらだろう?」
突然現れた紅髪の少年は、中へそんな問いを投げかけた。
「そうだけど……?」
戸惑いつつもシャルティエは、機械越しの質問に頷きを返しつつ、ひどく硬い面持ちで沈黙している姉を気にして振り返る。
なにがどうなっているのか。
答えなど思いつかず、シャルティエは視線を前に戻した。
並んでいる中で、自分たちのいる監房の前。ひどく分厚いが透明なガラス越しに見えるそこでは、先の少年が脇に抱えていた薄い携帯用コンピューターを起こし、監房の脇にあるコンソールと細いコードでつないでいた。そして立ち上げると、慣れた様子でキーボードに指を滑らせる。その横に膝をついた黒髪の青年もなにやら指示を出しているが、もう一人、やはり黒髪の少年はどこか冷めた視線を周囲の監房に巡らせている。最初と最後の二人は、おそらくシャルティエと変わらない歳、残る一人はシャルロットと同じ頃だろう。この特殊な場に、彼らだけで居合わせる理由があるとするには、少々若すぎる感がある。
彼らの行動を見ていたシャルティエの脳裏にふと連想されたのは、ハッキングだった。システム内部に侵入して見て回る程度ならその名が当てはまるが、この地上軍の制服に身を包んだ彼らがこの先ハッキングとは別の名で呼ばれる行為にまで及ぶのかどうか。
面倒が起きると、ただでさえ脆い自分たちの立場も危うい。そんな不安がよぎり、探るように目を向けて――
「…あ」
ふと顔を上げた少年と目があった。自分のそれと色合いのとてもよく似た、鮮やかな翡翠の瞳と。姉と同じ薄めの金髪の自分によりも、彼のような深い紅に浮かぶ翡翠の方が似合っている気がする。一方の姉は緑ではなく、父譲りの藍色の目をしているのだが。
「外れた」
不意に、ディスプレイをのぞき込んでいたスタンが静かに告げる。立ち上がってコンソールに並ぶボタンを一つなぞると、それだけであっさりと強固に護られている扉の、状態を示すランプがレッドからグリーンに切り替わった。つまり、ロックが解かれたのだ。
「ちょ、ちょっと――!?」
これはまずいではないか。
慌てたシャルティエを無視して、開いた扉から三人が中に入り込んでしまう。
「わりぃ。外と中でじゃ話にくいしさ、かといってあんたたち外に出すとそれこそまずいし…」
笑いながら軽く言うと、紅髪の少年はディムロス・ティンバーと名乗り。
「私はシャルロット。そっちは弟のシャルティエよ。他のお二人も名前聞かせてもらえるかしら?」
いつの間にか動揺を露と消していたシャルロットが、困惑するシャルティエを余所に悠然と微笑んで対応を始めた。
「俺はスタン・カイザイク。そっちの無愛想は弟のリオンだ」
少し長めの黒髪を癖のように軽くかき上げスタンが淡々と答えると、自分に添えられたコメントに不服なのかリオンは兄を睨みつけ、
「無愛想なら兄貴も負けてないだろ」
「あいにくと俺は、無愛想ではなく沈着冷静で通ってる。おまえと一緒にするな」
しかしすかさずよどみなくの切り返しに、リオンも軽く肩をすくめるしかなかった。
「こんなコトまでやらかすんだから、それ相応の用事があるんでしょう?」
くすくすと忍び笑いをもらしながら、シャルロットは愉しそうに問いかける。シャルティエにとってはすべてが理解不可能だが、彼女にとっては少々事情が違った。
「非常に個人的な用件でね、それ相応…とは言い難いかもしれないが。"カレンジュラ"…だったか、その――」
「お元気そうでいらっしゃるわ。あの方のおかげだしね、私たちが無事に降りれたのも」
それ以上を言う危険を冒す必要はないと。シャルロットはさえぎって答えを返した。
「……そう、か」
それだけ。それだけで、少なくとも二人の間では事足りた。"弟たち"までがそうでないと、お互いにわかっているからこそ。それ以上はあえて言わない。暗黙の了解。
「…なぁ、ディム。兄貴、惚れたのかな」
蚊帳の外を感じて、リオンがぼそりと隣へささやく。と。
「馬鹿な邪推してんじゃない」
言うなりリオンは、スタンに頭をはたかれた。
「大丈夫よ、お兄さんとったりしないから♪」
シャルロットが藍色の瞳をにこにこと和ませて言った。その物言いに、何か言いたげに渋い顔をするスタンもお構いなしである。
「それより、あまり長居してると、見つかってお咎め喰らう羽目になるんじゃないかしら」
話題を切り捨てるために彼女が言葉を続けて、絶望的なつぶやきが三人から漏れるまでは、たいした時間はかからなかったという。
無意味に触れさせるのは、危険であり害悪。
護るべきは、忘れることなかれ。
「本当に…いいの? こんなことをして」
キルシェは不安げな面持ちで、仕事を続けているハロルドに問いかけた。
「いいんですよ。訊ねる権利ぐらいあるでしょう。他ならぬ家族のことなんですよ?」
「ええ、そう、そうなんだけど…」
ボーダーラインとは、何処に定められるのか。
越えてはいけない境界線は、誰が定めるのか。
ため息は、秘やかに。
「何が怖いのかしらね…」
「あの子たちに嫌われること、じゃないですか? 偽善と罵られて」
あっさりとそれを口に出来るハロルドを、不快げにキルシェは眉をひそめた。だがハロルドは露ほども意に介さず、硬質な光を映す眼鏡の奥に隠れた眼差しを向け、皮肉げにささやく。
「選択の責任は確かに重い。けれども、選ぶ権利さえ与えないままで閉じこめるのは、それは違うと私は思っているんですよ」
自分も同類に他ならず、絶望すら切り捨て罪に身を染めているのだ。
それで"護る"など、実におこがましいだろう?
「おや」
一転して、ハロルドがピンボケた声を漏らした。
「なに、どうしたのよ」
「これではばれますね。仕方ない、セキュリティが根っこから破損してますよ」
恐ろしいことを何気ないように簡単に言い捨てると、何かしらのプログラムを走らせ、複雑な計算を始めさせる。このコンピューターの能力を持っても当分かかるだろう作業だ。
「フォローに行ってきます。キルシェは余計な口出しはしないでくださいね。話がこじれると面倒ですから」
ハロルドはそう釘を差すと、モニターを顎でしゃくって指し示した。映っているのは、コンソールにつないだ携帯用のコンピューターを前に、何事か騒ぎあっている――"子供"たち。
「そう…。なら、私は彼の所へ行ってこようかしらね」
「彼?」
「ヒーリアス・マグノリア。仲裁役に、彼ほど適した人はいないでしょう?」
くすりと艶っぽく微笑んでみせる。カイザイク元帥は子供たちの所業に呆れるだろう。リトラー総司令とクレメンテ元帥は、どう反応するだろうか。意外と笑い飛ばすかもしれないが。
「どうぞ、御自由に」
白衣を翻し、研究室を出ていくハロルドの後ろ姿が閉じた扉にさえぎられて。
自分たちとは比べ物にならないほどの、とても純粋な想いでもって罪をその手にしただろう"少女"をモニターの中で見つめ、キルシェは情けないほどの自嘲を心に吐き捨てた。
まず最初に。ああちょっとした出来心です不快に思われた方もしいたらごめんなさいでもハロルさんって時たま暴走するし〜☆ 悪趣味な冗談は笑って流してください、別にこの人はまったく、そーゆーのではないんで。
にしても、短編の分際でえらい人数です。なんか、気がついたら…(^^; ディムロス、シャルティエ、シャルロットの三人が、三人だけで関わる話というのは…果たしてありえるのか、接点がとってもない隠れ姉弟です。『彼方』のその後でも考えたのですが、『涯て』の構想中ということもあって立ち位置が不確定、どうしようもなく…こうなりました。出足だけの没が何本もあります、没稿の切り張りの末これも出来上がりましたし。
初出のキャラもいますね。ベルセリオス兄弟はこれで二度目ですが、キルシェとヒーリアスが今回初お目見えっていいますかでもヒーリアス名前だけだし。けど、これで…出揃ったかな? ソーディアン&初代マスターは。