何度見ても、圧倒されるもの。
四大都市の物資流通の要となるここスズリがいくつも抱えている、まるで人体くまなくに血液を送り続ける心臓のように、作業の喧噪が絶えない大倉庫、だとか。
からかうかのように地下都市群直上は避けながら、時折気紛れに近隣のシェルターを消し飛ばす、天上都市の地殻破砕平気の威力、だとか。
それに、都市防衛を担う師団が凱旋してきたときの歓声、だとか。
気の遠くなるような整然さで並ぶ、変わり映えのない墓標、だとか。
そう、そして。
「相変わらずですね、中将…」
苦笑とも憮然ともつきがたい吐息をこぼす彼の、深緑の瞳が眼前の光景に細められる。隣の少女はにこにこと笑みをたたえてそれを見ており。
「ははは、ほめ言葉と取っておくよ」
いたって気楽な笑い声が、その言葉を受けて傍らから上がった。
四大地下都市すべてに緑地帯は十数ずつ存在するが、スズリのそれは他と様相をまるで異にしていることで有名である。
曰く、植物園。
これでもそれぞれの植物が適量の光を浴び、適量の栄養を得られるように間引きもしているのだと、緑地帯を私物化した人物は言うのだが。それでも他の、特に一般居住者も多いノルズリの緑地帯などと比べればずいぶん木も花も密集している。
「確かに、悪くはないと思うけれど……」
本来の大地が氷と暗闇に閉ざされ地下に潜った人間たちには必要な、かつてを思い起こさせる自然のかけら。
「本務に差し支えのない程度にしてくださいね」
身長差のために見上げてくる形の少女が濁した言葉を、素っ気ない口調で引き継いだ。彼も長身に分類されるだろうが、中将と呼ばれた金髪の男はさらに高い。それでも威圧的な雰囲気を少しも感じさせないのは、その人当たりのよさ故か。
「心外だなぁ、僕は一度たりと支障をきたした覚えはないよ。君たちもよく知っていることだろうに、情報部第二局長殿とその副官殿?」
「それはそうですけどね。第二師団長殿」
茶化した物言いにすかさず切り返す。
「あはははは」
しかし堪えた様子もなく、ただ煙に巻かれるだけの笑い声。
第二師団長ヒーリアス・マグノリア。
情報部第二局長イクティノス・マイナード。
同じく第二局副長リリー・カイザイク。
現在のスズリ中枢を担っていると言っても過言でないこの三人の取り合わせに、周囲で植物たちの手入れをしていた数人が忍び笑いをにじませる。胸のピンから知れる彼らの所属はもちろん第二師団である。
「司令!」
不意に。師団所属を表す白の長衣を脱ぎ、濃紺の軍服も肘上までまくった若い男が木の影からひょっこり顔をのぞかせた。短く刈った黒髪と精悍な顔つきが、彼の実直な性分をうかがわせる。
「ああ、イクティノスさんにリリー御嬢様も御一緒でしたか。お久しぶりです」
司令と呼んだ男の傍らにいる二人を認めるなり、彼の黒目がやわらかさを帯びた。
「いつもいつもヒールの趣味につきあわされてお疲れさまです」
肩口で切り揃った黒髪を後ろへ送り、微笑んでリリーが声を掛ける。
「ひどいなぁ、それだと僕が迷惑を振りまいてるように聞こえるじゃないか。ねぇ、イクティ?」
「微妙なところですね。今更ですから」
横からすかさず、きっぱりと言って捨てる副官の言葉にはさすがにヒーリアスも苦い沈黙を喫した。
「それで、今日は何の御用ですか?」
これがつきあいの長さというものなのか、それをさらりと素通りしてヤスミンはイクティノスに訊ねる。くすくすと笑いをひそめるリリーを一瞥して、イクティノスは問い返した。
「今年も白は咲きましたか?」
隠しきれないのは、どこか切ない色。
「そういえば、もうそんな時期でしたか」
その問いかけで察し、ヤスミンは近くの一人を呼びつける。何事か言いつけられたその男が木々の向こうに消えて、しばらくして戻ってきたときには、花束をそっと抱えていた。
白い、カーネーションの花束。
「いつもいつもありがとうございます」
数本を束ねただけのほっそりとしたものだが、大切に育てられただけあって、どれも見事な花を咲かせている。
「その、赤いのは…?」
ふとリリーが、ヤスミンが預かった赤のカーネーションを見て首を傾げた。いつもはイクティノスの白のみで、思えば赤を見るのさえ初めての気がする。
「渡してやってほしいんだ。たぶん、今年は今日いると思うから」
ヒーリアスは誰にとは言わず、赤もイクティノスに渡した。
「行けばきっとわかるよ」
毎年のことだから。
情報部に戻るリリーとは別れて、イクティノスはヴェストリへ渡った。地上軍中枢が構えるブロックとは逆方向にしばらく進み、ほとんど人の立ち入らないそこに、墓所はあった。
広く薄暗い墓所には、年ごとに、死者の生没年月日を刻んだネームプレートを納めるケースが並んでいる。もはや一人ずつの墓標を立てることすら追いつかぬ時代だ。
母の名のある場所は、はっきりと覚えている。
これがもし五日後の父の命日ならば同じ日に多くの人が亡くなったのだからもう少し他に誰かいるかもしれないが、この日はいつもイクティノス一人だけだった。今までは。
「意外ですね」
薄闇にもはっきりとわかる深紅の長髪を数年前の墓碑に見つけて、思わずイクティノスは声を投げていた。
「何が」
ちらりとだけ目を向けてきた、ディムロスは十三年の碑の前にいた。
「私は毎年来てますから」
「俺は、いつもは五日後でな」
知っている。彼の母は、イクティノスの父と同じ日に殺された。
「なら五日後には外回りですか」
ディムロスの属すアウストリのスケジュールはイクティノスにとっては管轄外で詳細を知っているわけではないが、どの師団でも近隣のシェルターへの物資運搬には護衛として付き従うことになっている。大きな作戦行動でもない長時間の任務といえば、それが最有力の候補だ。
「それ、何の花だ?」
否定しないのはつまり肯定。
「カーネーションですよ。母親に、愛情や感謝の念を込めて贈る花の代表格。旧時代の慣習です」
どうしてか自嘲めいてしまうのは、イクティノスの持つ母の記憶にはろくなものがないからだろうか。
愛してくれていたのだとは、思うけれども。
「ああ、もしかして。マグノリア中将が言っていたのはあなたのことですか?」
言葉だけはディムロスに訊ねる形ながらも、他に誰の姿も見えず、それは毎年のことであり、ヒーリアスが今年はと言ったのも覚えている。そう考えれば彼としか思えない。
問いの意味をはかりかねたディムロスが思わず振り返った時を狙い澄まし、赤の花束を放り投げた。
「……何で」
「私に訊かないでください。頼まれただけなんですから」
ディムロスの姿を視界から外してそう言い切ってから。毎回必ずというわけではないが、彼と顔を合わせると何故か穏やかにはすまない常を思い起こし、イクティノスは胸中で嘆息する。リリーにとっては家族のようなディムロスのことをひどく嫌悪しているとは思っていないが、なにはともあれどうもそういうものらしいと、今では割り切っていた。
しかし何も言葉が返ってこないことに怪訝に思い、再び目を向けると。
「おまえってさ、母親のこと、どう思ってる?」
ひどく硬い面持ちで、腕の中の赤いカーネーションを見据えたままディムロスがそう問うてきた。
「母を…? ――私は」
反芻してから、続けて言いかけた何かはつかみ取れなかった。だが。
「私の母は狂いでしたから。ろくな思い出もありませんよ」
何しろ一人息子を喪った夫と思い込むことで、辛うじて安定したフリを保っていた女だ。そして最期は狂気を捨てるために身を投げた。
「それでも。きっと心から母を恨むことも、まして憎むことなど、ないのでしょうね」
自分でも不思議だけれど。
白いカーネーションを母の碑に供え、紡いだ言葉は自分でも驚くほど素直なものだった。
「感謝なんてしない」
こぼれたつぶやきに、振り向くことはせずイクティノスは一瞥だけ送る。
「きっと、ずっと許せない」
誰かをかばって助けたとしても。
「それで自分が死ぬなんて、莫迦げてる」
なんとなく泣き出しそうにも見えるが、決して涙をこぼしたりなどはしないだろう。ディムロスが、赤いカーネーションを置いたのが見えた。
同じだ。きっと。
「ずるいですよね、結構」
もう涙を流したりなんて、しない。
苦笑いぐらいは浮かんでいたのかも知れないが。
どうしたって、嫌いになんてならない。
「母の日」合わせだったはずが某漫画に熱あげてたこともあり前日でさえ半分書き上がってなかったのを、とにかくつなぎのシーンをやっつけ同然で書いてつなげてしまったという、ある意味とんでもないSS(苦笑) やめよーよそういう書き方は…と思いつつ、短編ほどに長くする必要もないし、そうでもしないと間に合わないし、気が済まないしで。終わり頃にある、数個のセリフさえ書ければ私は本懐かもしれないのが無茶してますねホント。
で。母親といえばはやっぱりこの二人なんですよね私としては。特にイクティ。シアさんは実は『母』としてよりも『女』としての方が私の中で重いかもなので、ちょっとずれまして。主役にしたくなるのはイクティなのでする。
2001/5/13