覚えているのは、あの、お日様のような匂い。
きらきら
〜MysteriousEyes〜
「おいで」
優しい声に呼ばれて、駆け寄って手を伸ばすと、身体がふわりと浮いた。
そうして膝の上に招かれると、とてもあたたかくて、とても良い匂いがした。
真っ白なカップの中には透き通った紅茶が空の太陽を映していて、真っ白な布の上には色とりどりの砂糖菓子がたくさん輝いていた。
きらきらと、輝いていた。
「綺麗だろう?」
「うん」
肯くと、頭を撫でてくれた。届かない手を伸ばそうとするより早く、自分を抱きかかえる大きな手が拾い上げて、小さな自分の手に零してくれた。
口に入れるとカリッと砕けて、不思議な甘い味がした。
まるで宝石のような、その綺麗な小さな一粒を何と呼ぶのか、もう思い出せなかった。
真っ白いカップにそそいだ、ゆらゆらと揺れる紅い水面を見つめて、ふと思い出したのは古すぎる記憶だった。
あれは、いくつの時だっただろう。
何も壊れず、何も失わず、世界が永遠に、あたたかくて優しくて幸せだった頃。
甘やかすぎる過去に縋るように、よすがを求めた。
記憶に染みついた、透き通ったお日様の匂い。
他の研究者の大半が珈琲党だった中で、頑固に紅茶党を貫いた理由は、結局は子供の頃の思い出だ。
あんなひどい時代でも、天上都市では嗜好品の生産が早くから行われていたし、彼女が堕天した頃には地上でも――地下都市に限るが、普通に出回っていた。地下都市の生産能力は、もともと人間のみに限れば収容可能な人数を遥かに上回る数を養える設計になっている。凍結されていた全機能を復活させて数年後には、生活必需品以外でも多少ながら生産する余裕が出来ていたという。
つまり天地戦争と呼ばれる二十年間、地上の人々は頭上をたゆたう死神に怯えながら、それでもその死神たちが嘲笑っていた想像よりずっと強かに逞しく、太陽が見えない日々を生きていたということだ。
そして、その恩恵は千年が経った今でも変わることなく目の前にある。
「姉さん?」
「お父様を思い出したの」
水面に映る照明を見つめたまま、そう言った声は発したシャルロット自身でも驚くほど普通だったが、やはり上の弟はぎこちなく息を飲んで絶句した。下の弟は、何を思ったのだろう、わずかに目を眇めるだけだった。
「あなた達が、まだ物心つく前の」
水面はもう揺れていない。湯気でときどき霞みながら、透き通って紅い。
「お母様もいて、お父様がああなる前」
シャルティエは、少しずつ神の眼に蝕まれ狂って失われていく父を、ずっと見ていた。でも、優しい記憶はほとんど残っていない。
ディムロスは知らない。シャルロットもシャルティエも知らない母の記憶は持っていても、そんな父の記憶はない。
では自分は、と思う。
少しずつ神の眼に蝕まれ、少しずつ狂って、少しずつ失われていく父を、優しかった記憶を忘れないで、ずっと見ていた自分は。
「ねえ」
忘れられなかったのだ。
甘やかな思い出を、捨てられなかった。
「石ころみたいに小さくて、硬くて、甘いお菓子って知らない?」
あの名前も知らない、不思議な甘さの思い出も。
「さあ……」
シャルティエは首を傾げるが、ディムロスは少し笑った。
「わかった。それ知ってる」
姉弟という括りが二人から三人になって、まだ一年も経っていない。だからお互いに、いくつもの知らないことを知っているし、いくつもの知っていることを知らない。
「知ってる。ガキの頃、ときどきハルとカールがくれた」
次いで、それ砂糖菓子だろうと問い返されても、たぶんと曖昧にしか肯けなかった。
「へえ。好きだったのかしら」
少し意外と呟くと、シャルティエも肯いて、ディムロスは天井を見上げるように視線を彷徨わせた。
「どうだろうな。ハルは単なる糖分補給とか言ってたが、でもカールが」
少しだけ、懐かしむように。
「ある人が好きだったから、いつの間にかそれが移ったと言っていた」
透明な硝子の瓶には、色とりどりの小さな粒が詰め込まれていた。
この砂糖菓子は千年後の今でも残っていて、少しだけ手に入ったという。
「コンペイトウっていうんだ」
それを、同じだと、思ってしまった。
――下の弟は容姿こそ母に似たが、声だけは父親によく似ていて。
「綺麗」
手渡された瓶を目の前で揺らしたら、さらさらと音がして、自然に笑えた。
と、弟たちも顔を見合わせて少し笑った。
「それ、姉貴にやるよ」
「僕らの分も、もらったから」
「そう? ありがとう」
「礼ならスタンとエミリオに言ってやってくれ」
並んで部屋を出ていく二人の背中に、ごめんねとは言わないことにした。
瓶の中の、たくさんの砂糖の粒は、素朴な色をしていた。
一粒だけつまんで口に入れると、カリッと砕ける音がした。
「……甘い」
同じ、あの不思議な甘さに、父の二度目の死から初めて、涙が溢れてきた。
ちゃんと覚えている。忘れていない。
あの日の小さな一粒は、今でも輝いている。
宝石のように、きらきらと。
お題no.18「砂糖菓子」。甘い一粒、甘い想い出。
「Mysterious Eyes」はGARNET CROW。
pebbleは丸い小石。何でもない石が特別に見えた、子供の頃。
シャルロット姉様はお父様が大好きな人です。だから自分が母親と一緒に行けなかったのは気にしないけど、シャルティエが残ってしまったことには罪悪感を持ってしまう人。……正直ここまでファザコンっぽくするつもりはなかったんですけど。最近レツゴーMAXでマリナちゃんを見たせいかしら。
それにしても「姉弟」というより「父と娘」になってしまいましたが、姉弟っぽく家族っぽく書こうとすると、どんどん嘘くさくなってしまう不思議。きっと三人ともがズレきってるんですよね、昔の「家族ごっこ」と今の「家族」の溝が埋められない。
もう一つ。「ホートルン三姉弟」「ティータイム」「姉弟話」のリクでもありまして。
なので、この話の三人は、ゆうかさんの物です。遅すぎてゴメンナサイ年単位……
嗜好品の存在。もちろん本格派には程遠い工場製品。ついでに物によっては遺伝子組み換えとかも溢れかえってるに違いありません。紛い物も同然。本来そういう施設だから余計。でも、ディムが小さい頃に金平糖を作って双子に横流ししていたのは誰だろう。そんなお茶目な大人は一人しかいそうにないけど。
ちなみに瓶は、しーぽんのみたくでっかくはないですよ。
あの双子は意外に金平糖が好き。誰の影響だろう。