道のり長し 恋せよ乙女





「、どうぞ」
 控えめなノック音に、スタンは応えを口にしつつ眺めていた綴じ書類から目を離す。彼が体重を預けている平机に頬杖をついているルーティだけがこの室内では座っていて、最後の一人であるディムロスが扉にも近いためノブを回した。
「えっと…?」
 開かれた扉をくぐってきたのは、中の面々とさほど変わらぬ年の少女。
「あ、確か…」
 スタンが彼女の顔を見てつぶやく。すかさずそばのルーティに服の裾を引かれると、
「リーネの、村長ンとこの」
 ささやくほどの小声で答えた。
 スタンが少年期を過ごし、今も母方の祖父が住むリーネ村の、村長の娘だ。ある意味では幼なじみにも近いだろう。
「ふぅん…」
 なにやら面白くなさそうに、気のない声をルーティは漏らす。
「…あの、父に言付かりまして、自治区内村落の調査結果、お持ちしました」
「ああ、わざわざありがとう」
 勢いをつければ脳震盪ぐらいは起こせるかもしれない厚みの封筒を、書類を持っていない片手だけで受け取ろうとして、スタンは思わず取り落としかけた。
「ぅわ、…結構あんだな。御苦労様」
 改めて、ねぎらうようにスタンが笑顔を浮かべると、
「い、いえ、大したことじゃないですからっ。…スタン君もアステル様の代理、頑張って、くださいね」
 どこかはにかんだように顔をほころばせて一気に言い切ると、彼女は一礼を残してあっという間にこの執務室を辞してしまった。
「え、あれ…?」
 逃げたようにも見えるそれをまるっきり解せずぽかんとするスタンと、その彼は気づいていないが半眼で不機嫌そうなルーティと。
「大概だな」
 一瞬の間を置いて、ディムロスが笑い飛ばした。むすっとルーティは機嫌の底を深めると、
「ほぉらっ。さっさと仕事仕事!」
「わぁってるよ〜…」
 椅子を占拠しておいて、よく言うものだと。
 せっつかれスタンはしぶしぶ書類の目通しに戻るが、ふとルーティが再び口を開いた。
「そういえばさ、ディムロスは下、行かないわけ?」
 現代の科学者には手に余る古代の食料生産プラントも、彼らが戻ってきてからは至極順調に整備がされていき、すでに実用は始まっている。軌道に乗れば必要な人員は減るだろうが、しかし物が古い分トラブルもちょくちょく起きているとも聞く。
「あ〜、今はそいつのお守り優先。どーせ向こうには姉貴らもいるしな」
 何気なく返したディムロスに、スタンとルーティが揃って目を瞬いた。
「へぇ…」
「そうなんだぁ〜」
 にやりと湛えられた二人分の笑みに、ディムロスがまともに渋い顔をした。
「手が止まってるぞ」
 しかし構わず、
「ディムロスって…」
「"姉貴"って言うンだぁ…」
「――ぅ、突っ込むな。俺の方だっていまいち…」
 意識しているのだろうか、もしかして。
「ま、気持ちはわかるけどね〜」
 ルーティ自身も、突然の"変化"にはまだ馴染み切れていない。
 それでも。そのうち、慣れていくものなのだろうけれど。
「………明日には向こう行くんだろうが。渡す分は今日中に片づけとけよ」
「明日って……あ」
 公への発表はまだだが、近々執り行われる、セインガルド王国、ファンダリア王国、アクアヴェイル連邦といういわゆる三大国の和平条約締結の儀。その調整のために、ここロスマリヌス自治区の領主代行としての責務を負って、アステルはダリルシェイドに滞在しっぱなしである。なので。
「リリスはもう行ったんだろ?」
「ああ。妙に張り切ってたからなぁ…」
「内輪でだけって言ったって、結婚式には違いないものね」
 昔から二人を知っているディムロスなどにすれば、なんとかなったか、といったものだが、それ以外からすれば、ようやくか、になるだろう。ルートことロベルトとアステルの仲というものは。両者共にいろいろとあったものだが。
「やっぱルーティでも憧れたりするんだ?」
 結婚に、そして花嫁に。
「…あんた人をなんだと思ってンのよ…?」
 そう普通に聞いてこられると、返す言葉にも困るというものだ。しばし視線をスタンから外し、板張りの天井に彷徨わせてから、
「…そーねぇ、あるんじゃない? お母さんの花嫁姿、すごく綺麗だったし」
 とはいえ子供であるルーティとエミリオの家名が、今もまだカトレット姓のままであることが示すとおり、ヒューゴとクリスは正式には婚姻を結んだわけではないらしい。衣装も肖像画のためだけのもので、しかしそれがなぜなのかは、ヒューゴも曖昧にぼかすだけで語ろうとしなかった。
「あ〜、あの絵の。確かに綺麗だったよな。ルーティって結構母親似みたいだし、あんな風になんのかな?」
 本当に普通に言われて、頬杖のほどけたルーティの腕がぱたんと机を叩く。
「……あんたって………」
 もちろん、再びディムロスが笑い飛ばしたのは言うまでもない。


 陽は隔てられていても、時計は変わらず時を刻む。
 目に見えなくとも星は巡り続け、陽が昇らなくとも朝は訪れ、月が昇らなくとも夜は訪れ、一日は巡り続ける。
 今日と違う昨日から、今日と違う明日へ。
 朝、という時間の中で、何よりも昨日との違いを表しているものは。
「ちょっと! このバカっ! さっさと起きなさいよ!!」
 思わず耳を覆いたくなるような盛大な音を立てて、ルーティが扉を開け放つ。もちろんそんなことで彼が目を覚ますことなどないと熟知している彼女は、手っ取り早くまずは枕を乱暴に引っこ抜くと、
「ほ〜ら〜! 起きなさいっての〜っ!!」
 わめき立てながらばふばふ殴る。別にひどくはない。いつも彼の妹がやっていることだ。稀に彼女はもっとすさまじいこともやる。と。
「……………リリス?」
 最後にどすっと重みのある一撃を、寝ぼけた顔面に直撃させた。
「目ぇ覚めた!?」
「……あ、ルーティか。おはよう」
「全然お早くないっての。ったく、自分から起きるってこと、あんたにはないワケ?」
 たまには、せめて今日のように用事があるときぐらいは、なんとかならないものか。
「ん〜、こればっかりはもうムリだって」
 ぱたぱた手を振って、あくびをかみ殺すスタンに言うだけ無駄だと思いつつ、
「いつまでもリリスちゃんに起こしてもらえるなんて思ってンじゃないわよ。ねぼすけ。いつかは、あの子だってここからいなくなる日が来るかもしれないんだからねぇ?」
 もしかすると相手は身近なヤツになるかもしれないケドという一抹の予感は、胸の奥でつぶやいただけだが。奔放なリリスとは、まぁお似合いになるだろう。
 なにはともあれ、今ルーティの目の前にいる彼があの微妙さに感づいてることは万に一つもありえないだろうことは確信を持っている。別に、それに意味もないが。
「……あ、まぁ……そうだけど。それは今だってそうだし、そンときはおまえが起こしてくれるじゃんか」
「……………………………………………………は、――ぇ?」
 数秒の沈黙、認識が追いついたのか、ルーティの顔がぼっと赤くなる。
(ってぇ!! 何深読みしてンのよこのバカがンな深い意味持ってるワケないでしょっ!!)
 思わず声を伴って叫びそうになるがそれは飲み込み、しかし。
「あらまぁ、顔が真っ赤ねぇ…?」
「おまえらってどーしょーもねぇのなぁ」
「って、あんたたちいつの間にっ!?」
 にやにやと湛えられた二人分の笑みに、ルーティがまともに動揺する。
「いつの間にか、かしら」
 扉の脇に立つアトワイトはしれっと言い放つと、ディムロスと二人揃って笑い出した。
「ぁに笑ってンだ…?」
 昨日に引き続いて不思議そうにぽかんとするスタンに、
「とりあえず。遅れっとリリスにむくれられんぞ」
 ディムロスは誤魔化すように話を切り落とし、促す。
「あ、やべ」
 慌ててスタンが部屋を出て、ディムロスと二人揃って階下へ降りていってしまった。
「前途多難ね、ホント」
 それを見送ってから、くすりと笑みを交えてアトワイトがささやく。
「あ〜ら、アトワイトこそ人のこと言えたモンかしら?」
「よけいなお世話よ」
「こっちこそ、巨大なお世話様!」
 声音も低く言い合い、細めた視線をしばらく結ぶと、――二人は揃って苦笑を含んだため息をついた。
 認めてしまえば後は坂を転がり落ちるだけしかなくて。
 結局の所はお互い様で、前途多難のようだ。
「ま、気長にいきましょ」
 どちらともなく、笑って言った。







....アトガキ

 大変遅くなってしまいました、リクはスタルー、どこかやねン!!
 ネタが出ないんですよね…どーやら私の中ではこの二人はカップルにはならないようです。なんか特に変わらずでいきなり結婚まで飛躍してそうだとか言ってたのは友人との会話中でしたが、冗談じゃすみません、そんな認識あります。
 ちなみにネタ協力、音良慧斗殿。後半部分です。オチてなさげなのは私のせいですが。授業中に頭を抱えていた私に救いの手を差し伸べてくれました。でもゴメン、エミリリ入ってた部分はカットしちゃった(^^; 逆に…ディムとアトが入ったです(笑)。どちらも結局女性優勢になるのは、まだ表に出してない諸々の設定の影響もあるのですが。あ。今作業やってます続編の伏線がちょっとまざってます。
 とりあえず、このような物ですがお許しください葵さん…(><(苦笑)