しくじった。
 そのことにユーリが本気で焦りを感じたときにはもはや、どうしようもなく取り返しがつかなくなっていた。
 取り返しがつかない。
 逃げ切れない。
「このクソガキが!!」
 くぐもった怒声で罵られると同時に、頭上から影が落ちる。
 まだ腕を突っぱって上体を起こしただけで、立ち上がれていない。ましてやもう一度走り出すなど。ぞっとして背後を振り返ったときには既に、鞘に収められたままの剣が、大きすぎるほど大きく振りかぶられていた。
 振り下ろされる衝撃の予感に、思わず腕で頭を抱えて目を固く閉じた。
 だが。
──ワウッ!!」
 何故か鈍い痛みが叩きつけられることはなくて、何故かすぐ間近から犬の吠える声が聞こえて、おそるおそるユーリは目を開いた。
 目の前に、犬がいた。
「犬……?」
 いったい何処から現れたのか、ユーリよりも大きな犬がユーリを庇うように立ちはだかって、騎士に向けて威嚇の唸り声を上げている。その口には長い剣をくわえていた。
「な、何だこの犬!?」
 狼狽えて後ずさりする騎士の手に、一瞬前まであった剣はない。
 犬はまるで唾でも吐き捨てるように、くわえていた剣を横に放り捨てた。粗い石畳に剣が滑って、耳障りな音が響く。
「ガウッ!!」
 そうして、また犬が吠えた。今度は明らかな敵意を込めて。
「うわっ」
 その迫力に騎士が怯んだ隙に、しなやかな跳躍で飛びかかる。だがそのまま完全にのしかかるでなく、犬は勢いと相手の動揺を利用して、騎士だけを器用に蹴倒した。兜の中で頭を打ったのか昏倒した騎士を、見下すように鼻を鳴らして犬が、ゆるりとユーリに目を向ける。
「すっげえ……」
 地面に座り込んだまま立ち上がることも忘れて、ぽかんと見惚れながら顔でユーリは呟いた。唐突な闖入に混乱していたとはいえ騎士一人を、まったく余裕のていで危なげなくあしらったのだ。
 とてつもなく賢い犬だ。賢くて、そして。
 ひたひたと静かに歩み寄ってきた犬は、やはり大きかった。ユーリよりもずっと。
 そっとユーリは左手を伸ばす。
「助けて、くれて……ありがとう」
 大きくて賢くて、気高い。
 犬は触れてきたユーリの手を嫌がる素振りもなく、僅かに目を細めた。と、不意にぴんと耳が動いて、石畳についていたユーリの右腕を探るように鼻先を寄せてきた。
「ん? ああ、さっき転けたときに擦ったとこか」
 咄嗟に顔を庇ってざらついた石畳にこすりつけたせいで、右肘の内側に白く細かい傷が無数に出来ている。うっすらとだが血も滲んでいた。
「これくらい平気だって」
 犬の、水色の綺麗な瞳を見つめ返して、ユーリは小さく笑う。
 その時。
「この──ッ、ユーリから離れろ!!」
 鬼気迫る勢いで転がり込んできたフレンを、犬はひらりとかわした。一瞬マズいと思ったが、犬はフレンに何か仕掛けるつもりはないようで、ただ静かな眼差しでいきなり増えた子供を見ているだけだ。
「大丈夫、ユーリ!?」
 今度は棒きれを構えたフレンに後ろに庇われて、ユーリはしばし目を瞬き。
「いやフレン、違うから」
 親友の大いなる誤解に気づいた。
「野良とかじゃねえから。つかその犬、俺を助けてくれたんだって」
 ほれ、と倒れている騎士を指し示すと、ぱっと振り向いたフレンが不思議そうに目を瞬かせた。
「え……?」



 ──だからきっと、夢を見た。



「クゥーン……」
 ユーリが寝台に腰を下ろすなり、ラピードが前足を膝の上に乗り上げて、鼻先を脇腹に押し当てる。
 まるで甘えるような仕草で、けれど。
「もう何ともねえって。エステルのおかげでな」
 ユーリは笑い返しながら、首筋を少し荒っぽいくらいに撫でてやる。
 傷は跡形もなく消えた。
 それでもまだ、血のにおいが残っているのかもしれない。
「つか、重いぞ」
 そのまま縋りつくように腕を回しても、振り払われなかった。
 生温い舌が、一度だけユーリの頬を撫でた。







青星は遠すぎた














若かりし頃のラピード母。正義のヒーロー。
気高きセイリオス。

ユーリたちは13から14くらいのつもり。彼女の飼い主と知り合ったのはこの後なのかそれとももっと後のことなのか、その辺りのことはどうにでも繋がるような感じで。
二人の体格は、フレンは年ごとに順調にでかくなり、負けっぱなしユーリはずっとフレンより小さかったけど十代終盤で一気に追いついてたらいいと思った。追いつけても抜かしたことない前提で。

ザウデ後、心の整理がつくまでちょっとだけ落ち込んでたらいい。