言わずに後悔するより、言って後悔する方が、まだマシだと思ったことがあった。
「この向こうの区画に、父の研究所がある。急ごう」
言いながら男は道を塞ぐ瓦礫に足をかけ後ろの女を振り返って、一瞬、ここが出来たばかりの廃墟であることを忘れた。
山頂に近いこの街は、風が強く吹きつける。彼女の絹糸のように細い髪は束ねていても容易く吹き散らされて、そのたびにひどく色の薄い金色が、陽射しに淡い月光を弾いていた。
手を曖昧に差し伸べたまま呆けた男に、肩の弓を担ぎ直して女はくすりと笑った。
「あなたのお父様に、こんな形で御挨拶するなんて思ってもいなかった」
言って、引き寄せた男の手をしっかりと握る。
「──こんな時に、いきなり何を」
その感触で我に返った男が慌てて、女を瓦礫の上まで引き上げる。建物がことごとく打ち壊されたこの広場は足場が悪すぎて、こうして男の手を借りなければ通り抜けることも難しい。
「いいじゃない、それくらい」
「こんな時だからというわけじゃないけど、あまり会って楽しい人じゃないよ。変人だから」
「少しくらい価値観が違っていても当然じゃない。だってクリティア族なんでしょう」
「だからこんな山奥で研究に没頭してる」
「そうかもしれないね」
結んでいた手をほどいて、ふわりと女が瓦礫から飛び降りる。
「ねえ。これが終わったら騎士団やめない?」
「今度こそ、いきなりすぎる」
「私にしたらそうでもないんだけど。だってあなた、間違いなく早死にしそうだもの」
瓦礫だらけの大通りを抜けて、まだ壊れきっていない区画に出る。
「そうかな」
「そうよ。だからね、あなたはノールに帰った方が良いと思ったの」
「今更だ」
「でもトリムには救児院だってあるんでしょう。あの子たちと一緒に、あなたと私で、何とかならないかなって思ったの」
「あの子たちって……君に懐いているあの二人?」
この山に来て最初に救助した子どもたちのことだろう。まだ魔物の異常発生としか誰もが思っていなかった頃、既に無数の魔物に囲まれていたテムザの街から降りてきたキャラバンの、生き残りだ。
その日からまだ半月も経っていないが、テムザは押し寄せた無数の魔物によって陥落し、壊滅しようとしている。多くの住人が散り散りに取り残されたまま。
「本気で引き取るつもりか」
「あんなこと、冗談で言わないわよ。あんな形で御両親を亡くしてしまってすごく辛いはずなのに、頑張って難民キャンプを手伝ってくれてるあの子たちを見ていて、いろいろ考えた」
彼女がふと目を伏せた。
「あなたのことも、考えた」
「……こんなことになるんだったら、言うべきじゃなかったかな」
「私は、言ってくれて嬉しかった。少し安心もした」
もしかして私が勘違いしてただけなのかとも思ったから。そんな、ほんの微かな呟きが聞こえた気がした。
「私、夢があったの。一人だったから、ずっと妹とか弟がほしかったの。たくさんの家族がほしかったの」
彼女は目を伏せたまま、早口で言葉を続ける。
「そんなことを、思い出したの。だから……だから、それじゃ困るなって思ったの」
そう言って本当に困ったようなため息をついた彼女を振り返れば、顔を上げた彼女の、真剣な眼差しに息が詰まった。
「ねえ。その体でこんな生き方してたら、あなた間違いなく早死にするわ」
そんなことはないと、言えなかった。
そうだろうと、知っている。
「あなた頭が良いんだから、もっといろんなことが出来ると思うの」
そっと伸ばされた手が、鎧に覆われた左胸に触れる。
「ねえ」
彼女は、微笑んで。
「私はあなたと一緒に、」
生きたいと、彼女は言っていたような気がする。
けれど。
声ではない、だが声が、貫くように響いていた。
断罪の、声が。
──もはや貴様たちがこの世に生きていることすら罪と知れ。
記憶はそこで焼き切れている。
クラリベルはもう唄わない
母は生まれつき心臓が弱かった。
父は医者だったが、母の心臓を治すことは叶わなかった。それは通常の疾病とは異なり先天的な奇形による障害であったために、どんな治癒術も気休めにしかならなかったのだ。だから父は他の手段を求めて、ある一つの技術の確立のため研究に没頭するようになった。
しかしその研究が実を結ぶ日を待つことなく身ごもった母は、周囲の制止を振り切って子供を産むことを選び、そして誰もが予測していたとおり、その心臓の鼓動を止めた。
産声を上げる一人息子と、末期の微笑みを父に遺して。
結局、基礎理論を積み上げていた段階でしかないそれが、母の人生に間に合うはずなどなかったのだ。そのことをおそらく誰もが理解していた。だが母の死後も父は研究を続けた。クリティアの者は往々にして、大半のことには非常に鷹揚な性分だが、一度こだわりを持った事柄に対しての執着は半端なものではないという。多くの場合それは食などの嗜好に表れるらしいが、この男については、この研究こそが執着の、いや妄執の対象となったのかもしれない。
母を救うために造られた、母を救えなかった心臓ブラスティア。
それでもその技術が、母の忘れ形見である一人息子の命を救えたのなら、父の心は少しでも救われたのかもしれない。どんな形でも生きていてほしいと願う気持ちは、わからなくはない。だが。
「あの時、どうしてそのまま死なせてくれなかったのかと言ったこと、今でも謝ろうとは思いません」
愛した女も守れず死なせて、愛した女が慈しんだ子供たちすら今ではこんな日陰の世界に引き寄せてしまった、自分にいったい何があるというのか。
降りしきる小雨に濡れた、真新しい墓に花は供えない。
「ミーは親不孝者なのですよ」
だからイエガーは、隣の古びた墓にキルタンサスの花束を置いた。
灰になった夢。
ToVプレイ中ずっと、きっとイエガーはクリティアの混血だと思い込んでいました。
ドンとの関係も、親からの縁だと思っています。
註*
クラリベル:アーサー・C・クラーク著『天の向こう側(羽根のある友)』より、宇宙ステーションで飼われていたカナリアの名前。