それは、ごくありふれた茶封筒だった。
 同じ形がずらりと並ぶ郵便受けの一つに、ぽつんと入っていたのにたまたま気づいたので、彼は手に取っていた。今から出かけようというところではあったが、どうせ父のいる家の中でゆっくり読めるわけでもない。軽く確かめるぐらいなら問題ないだろうと、思ったのだ。
 
 ――城之内克也様――
 
 そう書かれた表の宛先はあまりに見慣れた彼自身の名だったが、それを表す字のクセには見覚えがなかった。
 自分のもとへ届く手紙といえば真っ先に思い当たるのは遠方にいる妹だが、視力に不自由し始めて以降の二度ほどの手紙に見られた、代筆を担ってくれているらしい看護婦の字とはまったく別物である。もちろん妹の字とも違った。
 誰からだ?
 よぎった疑問符に封筒を裏返して、確かめた差出人の名はすぐには思い出せなかった、けれど。
「お袋……」
 呆けたつぶやきがこぼれた。

















OUR DAYS, OUR PLACE.

















「遅いわね…」
 約束の時間を二十分ほど通り過ぎた長針めがけ、杏子は時計盤のプラスチックを小突いた。こつんという音はあっさりと周囲の雑踏にかき消される。
「電話には出ねーし、家にはいないようだな」
 しばらくコールを続けていた携帯を切り、本田も肩をすくめた。
「城之内くん、どうしたんだろう……」
 残る一人が来るはずの方角を見やりながらつぶやいた、遊戯の声にも心配の色がまじり始める。
 長いようで短かったあの大会の会場たるペガサス島から帰って早四日。城之内と杏子の、バイトのスケジュールの都合で日は空いたものの、勝利の祝いにかこつけて皆で騒ごうと約束した日が今日だった。
「誰かここに残って、とりあえず様子、見に行こうか」
 さらにもう十分を数えたところで、さすがに獏良が提案した。何かがあったのかもしれない。他の三人の首肯を得ると、
「携帯持ってる人」
 さっと、遊戯以外の手が挙がり。
「城之内くんのいそうな場所がわかる人」
 今度の問いには遊戯と本田の手が挙がった。そこですかさず獏良と杏子がじゃんけんをする。
「じゃ、行ってくるね」
 勝った杏子が連絡の中心としてここに残ることになり、繁華街の方を見回ってみると言った本田とも別れ、組んだ獏良と共に遊戯は、一目散に城之内の家の方へ向かった。
「まずはどこに?」
「公園」
 団地の敷地内に入り、同じような棟が整然と並ぶ中で、側面に書かれた番号を見上げながら遊戯が目的の場所を答える。
「城之内くんが住んでるの、この団地だからさ」
「ああ、小さいのあちこちにあるよね。マンションも似たようなものだよ」
 団地に住んでいるのだろう子供たちが遊ぶ公園いくつかを、中をのぞくことなく素通りしていたが、低木の茂みに囲まれた公園まで来てようやく遊戯は足を止めた。
「いた…」
 二人のいる道路に面した入り口からは木に半ば隠れていて見えにくかったが、隅のベンチに確かに探し人の姿はあった。が。
「なんか様子が変だね」
「ん……」
 獏良の言葉には曖昧に頷きながら、遊戯はその場からうかがってみる。手に持った何かに視線を定めまま、しかしどうやらぼんやりとしているのか、城之内は外に意識を向けていないようだった。
 約束を守ること、時間に遅れないこと、この二つをあの城之内が違えているようなものなのだから、これでなんでもないとは考えにくい。忘れてしまうほどの何かがあったと考えるのが妥当だ。
 しばし逡巡した獏良は、取り出しかけた携帯を遊戯に気づかれないようにこっそりと鞄に戻した。
「遊戯くん、行ってあげて。ボクは他のみんなを呼んでくるから」
 言い聞かせながら遊戯の背を押して。
「え? ――あ、うん、そうする」
 促され、小走りに城之内のもとへ向かった遊戯を見送ると、獏良は足早に来た道を戻って公園を離れた。そして再び携帯に手を伸ばしたのは、遊戯も城之内も見えない場所まで来てからだった。





「城之内くん」
 すぐそばまで歩み寄っても気づいた様子を見せない城之内に、遊戯はそっと呼びかけた。
「――あ? 遊戯? ……あぁ!」
 その声にようやくのろのろと顔を上げ、次いで目に留まった時計に城之内は慌てて遊戯に目を向ける。
「悪ィ、もうこんな時間なってたのか!」
 時計の知らせる時刻はすでに、もう少しすれば長針が一周してしまいそうな時間だ。待ちくたびれて探しに来てくれたのだと、城之内も瞬時に察する。しかも、自分はなんの連絡もせずにただこんなところに座っているのだから。
「マジすまねぇ!!」
 謝り倒しついでにぱんと合わされた城之内の手のひらに、挟まれた封筒も小さく乾いた音を立てた。
「いいよ、そんなことより、何かあったの? さっきもぼーっとしてたみたいだけど」
 おそらくはその封筒が関わりあるのだろうと目星をつけながら、それにはあえて触れずに、遊戯がそう問いかけた。と。
「……」
 大振りだった動きがはたとやみ、城之内が緩慢に腕を下ろした。
「城之内くん?」
「……これが、家を出たとき届いてたんだ」
 苦笑まじりに差し出された封筒を思わず受け取ってしまってから、遊戯は隣に座ると怪訝に城之内をのぞき込む。
「これ…?」
 ちらりと目を走らせた裏の差出人は、遊戯にとってはまったく知らない名前だったけれど。
「オレのお袋から、なんだ」
「城之内くんのお母さん…!」
 そういえば、と遊戯は手にした封筒を見下ろす。彼の口から母のことを聞くのはこれが初めてのような気がした。
 両親が離婚していて、しかし城之内は父親のもとにいるのだから、母親とは姓が違っていて当然だ。となると今まで知らなかったが、彼の妹である静香もこの姓ということになるのだろう。
「中の。見てみてくれよ」
 城之内に促されるまま、封筒から取りだした手紙を遊戯は読んだ。
 静香の手術費を工面したことへの礼と親としての詫びから始まる、丁寧に綴られた文面を追う目が、見る間に大きく開かれていって。
「よかったね……」
 どこかぎこちなく、遊戯は城之内に笑いかけた。
 手紙には二つのことが書かれていた。
 一つは、静香の目の手術が来週に行われること。すでに手術を行うことになっている大病院に転院しており、後はその日を待つばかりとなっているらしい。
 そしてもう一つ。
 城之内に、こちらで暮らさないかという誘いだった。静香の入院にも先が見えたことで、全額は無理だが学費の援助も可能になるからとも添えられている。
 そういうことかと遊戯は得心がいった。
 城之内が妹の静香のことを本当に大事に思っているのは、とてもよく知っているから。
「ありがとな。静香の手術が出来るのもおまえのおかげだ」
 春風が吹いて、穏やかに笑い返されて。
「城之内くんこそ。とても、頑張ったじゃないか」
 少しだけ、抑えきれなかっただけ、遊戯の声が震えた。
「遊戯?」
 その様子に気づいた城之内が言葉を続けるよりも早く、がらりと遊戯の雰囲気が一変する。
「胸を張って妹さんに会えばいい。城之内くんはそれだけのことをやり遂げたんだ。オレが保証するぜ?」
 そう言って、うっすらと微笑んだのは。
「ありゃ、もう一人の?」
「相棒は……ちょっと、オレも話をしようと思って」
「そう、か」
 入れ替わった遊戯は珍しく歯切れの悪い答えを返す。唐突な交替の理由を言わないことは気にならないでもなかったが、城之内はそれはさらりと流し。
「あー、そうだ。おまえも……その、ありがとうな。オレだけじゃ、ぜってー無理だったしよ」
 普段は、二人の遊戯をあえて別々に分けて考えるなんてことはしていなかったけれど。ふと言いたくなった、言っておきたくなった。とはいえ立て続けの二度目でさすがに照れが入ったのか、城之内はベンチに身体を投げ出したようにもたれかかって、青空を仰ぎながら。
「どういたしまして、と言えばいいのかな」
 こういう時にはどこか澄ましたように微笑むのも、泰然と振る舞うことが多いこちらの遊戯ならではだろう。長く外に出てくる時が時なだけに、不敵な笑みや厳しい面持ちを見せることが多いにしても、彼の表情がそれだけのはずであるわけがない。
「よかったじゃないか。近くへ移れば、会いやすくなる」
 間を置いて発せられた遊戯のこの言葉に、城之内が弾かれたように上体を起こす。刹那、大きく目を見開いた。
 珍しいなと、思ってしまって。
「……寂しくなる、な……」
 遊戯に浮かんでいた、やわらかで、その言葉どおりに寂しさを含んだ笑みを。





「遊、戯?」
「――あ……、……はは」
 城之内が我に返った時にはもう、すっかり苦笑に塗り替えられていた。けれども寂然は残っている。その様にふと浮かんだ推測は、おそらく外れてはいないだろうと踏んで。
「また替わったんだな」
「う、うん……」
 物言いたげな遊戯の見上げる視線をあえて無視し、城之内は思案を巡らせる。それから一つ、訊ねかけた。
「あのよ、今でもオレの声って、もう一人のおまえにも聞こえてんだよな?」
「それなら大丈夫だよ。今は……そばにいるし」
 遊戯は肯いた。もう一人の自分の気配は、ごく近くに感じている。先ほど自分が咄嗟に替わってもらったのと同じようなものであれば、それなら注意もこちらに向けているはずだ。
「じゃ、言うけどよ」
 思わず身構えた遊戯は硬い面持ちになるが。
「行かねー。オレは、行かない」
 そう言ってにやりと笑った城之内には、さすがに呆気にとられた。
「……え?」
「だからよ。オレは静香やお袋のところには、行かない」
 城之内に爪弾かれた手紙が、ぱんっと小気味よい音を響かせる。
「――えぇ!? だって、えぇえ!!」
 その音で硬直を解かれ一転、身を乗り出し詰め寄る遊戯に、今度こそ城之内は声を立てて笑った。
「悪ィ、誤解させたみたいだな。でも勝手に決めてくれんなよ、行くなんてオレ、一度も言ってないぜ?」
 なだめるように肩を叩かれた遊戯はがくりと力が抜けてしまい、ベンチにぐったりと崩れこむ。
「なぁんだぁ……これって、安心、して……いいのかな」
「ま、それもアリじゃねぇ?」
 にかっと笑う城之内に、遊戯がふと姿勢を正した。またか?と城之内が思った途端、果たして軽く睨みつける視線はもう一人の彼のものだった。
「城之内くん、紛らわしいコトしないでくれないか……?」
 そして折り畳まれていた手紙を城之内に突きつける。とはいえ遊戯の視線はきついフリをしながらも、早とちりしたこととそれに起因する一連への照れが隠し切れていないようだ。
「悪ィ悪ィ。そんなつもりなかったんだけどな」
 対する城之内は笑って誤魔化せとでも言わんばかりで、返すついでに手をぴしりとはたいてきた、件の手紙を改めて開いた。
「だいたい、行く気がないのなら何をあんなに悩んでいたんだ?」
 遊戯はきっちり説明しろと言いたげに腕を組んでふんぞり返る。さらに。
「そうよ遊戯の言うとおりよ城之内!」
「人をさんざん待たせやがって、これで何にもありませんでしたってのは通用しねーぜ!」
「きりきり白状しようね」
 がさっと盛大に葉がこすれる音を立てて、二人の背後の、茂みの影から杏子と本田、そして獏良が飛び出しざまに畳みかけた。
「い、いつから……!?」
 さすがに城之内はぎょっとするが、遊戯は余裕の体で振り返る。
「行かないって言ったところからよ」
 やけに居丈高な声音で言い放ち見下ろしてくる杏子に、城之内は思わず縋るような目を隣に向けるが、肩をすくめられるだけに終わった。
「言って、まずいコトじゃないだろう?」
「そりゃま、そうだけどよ……」
 決まり悪げにがしがし頭を掻いてから、観念したのか城之内は手紙を横目で見ながら口を開いた。
「今日お袋からの手紙が届いてさ。で、その、…向こうで暮らさないかって誘われたんだよ」
「それで?」
 すでに行かないという結論を聞いているので、それでもさすがに驚く杏子と本田はさておき獏良は冷静に先を促す。
「静香が……その話したらすげぇ喜んでたって、書いてあって。こりゃへたな断り方できねーなぁと思ってたらさ、つい――ってぇっだろが!」
 すかさず拳で小突いた本田に、オーバーに城之内が反応するが。
「あんたほどのが深刻に悩んでるっぽいから何かと思ったら。ねぇ?」
「そうだな。悩むことでもないだろうに」
 杏子と遊戯が顔を見合わせ、呆れた苦笑まじりに肩をすくめてみせた。城之内と同じく、離れて暮らす妹を持つ身である獏良は苦笑するにとどまっていたけれども。
「悩むもんじゃねーってったってなぁ」
 むくれて詰め寄る城之内の目の前で、遊戯が突然ぴっと人差し指を立てた。虚をつかれ思わず続ける言葉を失う城之内に。
「本当の気持ちを正直に言えばいい。きっと、わかってくれる」
 当たり前のことだと、薄い笑みをたたえて言い放った。
「…………そう、か」
「そうさ。それだけのことだろう?」
 すっとまぶたを伏せて。次に開いたときには、また遊戯は入れ替わっていた。
「悩みは解決した?」
 周りを囲む、皆を代表して遊戯が城之内に訊ねる。
「まーな」
 躊躇いなどかけらもなく。城之内が皆に答えた。
 それが合図になって。
「それじゃ、これから仕切り直しといきますか!!」
 昼下がりの公園に、明るい声が響いた。

















「ところでさ。行かない理由って、訊いてもいい?」
 皆と賑やかに連れだって町の中心へ向かう道すがら、少し遅れた位置で遊戯は城之内に小声で問いかけた。
 莫大な手術費を手に入れるために、城之内がどんなにか必死に決闘者大会を闘い抜いたことか。それでも妹のそばには行かないときっぱり決められるだけの理由が、気にならないとはさすがに言えなかった。
「理由、なぁ。――実を言うとな、オレも全然迷わなかったってわけじゃ、ないんだぜ?」
 城之内が何故かにやりと笑う。遊戯はそれよりも言葉の意味に少し驚いたらしく、その目を瞬いた。
「そうだったの?」
「そうだったんだよ」
 あの一言を聞くまで、実は躊躇いを引きずり続けてきっぱり振り切れていませんでしたなんてことまでは、口には出さないけれど。
「時間ってのはさ、同じじゃねーんだよな。つるんでなきゃ保てねぇんじゃないかとかさ、そういうことでもないけどよ」
 そこで言葉を途切れさせると少しの逡巡を挟み、それから照れくさそうに城之内は言葉を続けた。
「オレがこっちにいたいから。それだけなんだ、突き詰めっとさ」
 ただ、本当に。
 いろいろな理由をこね回したところで、やっぱりどれもイマイチで。
 たどりついたのは、ただ、それだけだった。
「こらー! そこ二人、早く来なさいよ!!」
 ふと。話し込んでいたせいでずいぶん離されている後ろに気づいた杏子が、振り返りざまに大声を飛ばしてきた。
「置いてくぞー!!」
「早く早く!」
 他の二人も思い思いの叫びで急き立てる。
「わーってるよっ!」
 片腕を上げて応じた城之内がそのまま遊戯に振り返り。
「行くぜ!」
 走り寄る、この輪の中こそが。
「うん!」
 大好きな時間を刻む、居場所だから。

















* b a c k *




 あとがき。お、思いつきで書き始めたら前半スカスカだわ締めくくりでかなり詰まるわ、ノリと勢いにすっかり転けてしまったような気がしないでもありません初小説。なにやっとんねん私ー。でも社長はともかくみんな出せてよかったです。私としては秘かに獏良が。
 にしても。
 夢見すぎには気をつけましょうー! 描写しっかと偏ってますー!(笑)