First Days of Sequel |
「げ」 耳ざとく扉の開閉音を聞きつけ振り返りざまに、それはもう見事にあからさまに、彼は顔をしかめた。 「海馬くんが来るなんて、珍しいね」 思わず笑って遊戯が言う。城之内のこれはもはや反射なのではないだろうかとさえ思えるほど、素早い。わずかに目を動かす一瞥と鼻を鳴らす、それっきり鮮やかに無視を決め込む海馬もいつものことだが。 「モクバくんは一緒じゃないんだね」 「後で来る」 返答もやはり、いつものことで素っ気なかった。 |
非 日 常 的 、 日 常 。 |
そう、彼が来るのは珍しいのだ。 ここがたとえば学校の教室なら、驚愕をもって迎え入れても当然だろう。それまで半年もの間、病気療養――真実は例の罰ゲームのせいだが――で休学していたので出席数がやばいだろうに、会社の建て直しに忙殺されてただの一度も学校で姿は見なかった。モクバの話によると、彼自身は足を運ばなかったが紙の類は頻繁に行き来していたらしく、一応は凌いだらしい。確かに世界に名だたる海馬コーポレーションの若社長が、病気休学のためとはいえ留年などということになっては、決まりも悪いだろう。 しかしここはそんな学校だとかではないので、海馬が来ることもそれほどおかしいことではない。彼がいても当たり前の海馬コーポレーションの本社ビル、その中にある一室、それも開発室の一つだ。 扱っているゲームは、『Magic & Wizards' World』。 遊戯らも巻き込まれた一騒動を経て通称ビッグ5が解雇されてからは、このプロジェクトも社長の海馬が与っていた。しかしそれは彼の多忙さ故にほとんど名目上に過ぎず、彼の弟であり副社長であるモクバの手にあるのが実際だ。 だからこうして、思いつきと成り行きで社長直々にアドバイザーに呼ばれた遊戯たちが来ているときでも、モクバはいつもいるが海馬本人が来るのはあまりないことで。 「何かあった?」 遊戯がそう思うのも、無理はないのである。 「一昨日、プレスに公表したのでな」 言いながら海馬は手にしていたディスクを手近のスロットに差し込むと、椅子に座ることもなく慣れた手つきでコンピュータを操作し、一つのファイルを呼び出した。 「先ほど届いたものだ」 ずらりと文字が並んだ画面を、ついと顎でしゃくられ促されて、遊戯もひょいとのぞき込み。 「あ、雑誌記事!」 ほぼ誌面レイアウトもなされた、『Magic & Wizards' World』を紹介するそれに気づくやいなや、顔を輝かせる。 「どれどれ!? ……おぉ、なんか、すげぇ!」 これには城之内も喜色を浮かべ騒ぎだし、離れたところにいた杏子や舞、本田、獏良も集まってきた。 「プレスどもの感触は上々だな」 記事本文では、本体の写真や仮想ゲーム世界のモデルCGなど、本格的なヴァーチャルリアリティの世界で遊べるロールプレイングゲームとして大々的に、その用いられている技術の凄さが説かれている。 「なんだか……本当に僕らのやってるのがこれって、思えないや」 さらに名目上は復帰して間もない海馬が携わっていることにもなっているので、それについても触れていた。経営と開発の両方に長けた、頭脳明晰な若社長の復活を祝い、今後の展開に期待して。 「すごいよね、やっぱり海馬くんて社長なんだなぁ……」 こういうのを見ると、住んでいる次元が違うとつくづく思う。こういった雑誌記事で名前や時には写真が出たりするのはもちろん、直接に見知ったわけではないけれど、財界などでも有名人で。 はぁと呆けたようなため息が漏れた、そのとき。 つと、口の端だけを海馬が歪め、言った。 「ああ、貴様らの名も借りたぞ」 「名前を借りた?」 それはいったい、どういう意味でしょうか。 「あのペガサスに勝利し優勝をおさめた『デュエリスト・キング』武藤遊戯を始め、優勝決定戦に名を連ねた城之内克也や孔雀舞らをアドバイザーとして招いた、とな。時期が時期なだけに絶好の広告塔だろう」 抜かりないのはさすがというべきか。 「ホントだ、ある……」 記事の中に自分の名前を見つけ、遊戯が照れたような苦笑をにじませた。これが全国の本屋で並ぶ雑誌の一ページというのはこそばゆくも、信じがたい。 「オレは!?」 「あたしも!?」 遊戯の背後から城之内と舞が、揃ってぐいと身を乗り出す。 「……」 海馬が無言で開いた次のファイルでは、先よりも倍近いページ数の、ほぼ特集と言っていい記事が組まれていた。ただ、後半は未だ余白が多い。しかも、3ページ目の仮置きだろう見出しのこの文字は。 「ここが取材を申し込んできた。オレの他に、貴様らの話もぜひ使いたいということだそうだ」 「それって」 「特に、遊戯と孔雀舞をというのが先方の御希望らしい」 くつくつと海馬が笑って言うと、城之内が鼻白んだ。 「何でオレは……」 「実力の差、ってヤツかしらねぇ?」 からかうように言い放つと、舞は杏子と笑いあう。 「公式大会でここまでの好成績を収めた女性デュエリストというのは、日本では稀だからな。物珍しがられているのだろう」 この海馬の物言いに含まれているのは、おそらく揶揄なのだろうが。 「あはは、そういえばあたし、ずっと賞金あるのしか出てなかったわ!」 当の舞はまるっきり悪びれず笑い飛ばすものだから、いつものように城之内がぼそりと小声でつぶやくのだ。 「……がめつい……」 すぐさま、きっと舞はつり上がった目で隣に振り向いて。 「今何か言ったのはこの口かしらぁ!?」 「ひひゃ、ひょほひひょうひひー!!」 「誰が地獄耳ですって!?」 それはもう盛大に頬をつねられているのだから城之内はまともにしゃべれないが、こんなものはもはや痴話喧嘩以外の何にも見えない。 果たして、自覚がないのは当人ばかりかな。 「…………えぇと」 遊戯は一つ深呼吸、二人を速やかに意識の外に閉め出して、苛立ち始めている海馬に向き直る。 「モクバくん、来たみたい」 そしてさっと矛先を、開閉を知らせる電子音がした扉に向けさせた。 「兄サマ! 早かったんだね」 数枚の書類を小脇に抱えたモクバが、真っ先に兄に飛びつく。 「ああ、またやってるんだ」 「気にしちゃダメよ。話進めましょ」 こういうときだけ妙に杏子が冷めている理由を、モクバはわからないが。 「揃えてきたか」 「もっちろんだぜ!」 海馬の問いかけに満面の笑顔を添えて頷くと、持っていた書類を皆に一部ずつ回した。 「これ何?」 「取材用の資料。今週中に目を通しといてくれよな!」 「今週中って」 「スケジュールはすでに調整している。十七日だ」 平日だがどうせ春休み同然だ。さしたる問題ではない。 「舞さんは?」 この童実野町に住んでいるわけではない彼女は、バイトを抱えている城之内や杏子同様に週の半分ほどしか顔を出さない。こちらにいる間は海馬コーポレーション所有の社宅を一時的に借りているらしいが、詳細は濁していた。 「平気よ。それにもともと、全員揃う日じゃない」 「そんなのちゃんと予定を前もって聞いてんだから、当たり前だぜ」 舞の言葉にモクバも肯く。 「あと、振込先の口座のことだけど」 「口座?」 ここでどうしてそんな単語が出るのかと、眉をひそめ首を傾げたのは舞以外の全員だった。 「貴様らは最初に渡した書類をすべて読んでいないのか」 これにはさすがに、いささかげんなりした色が交じる声で海馬がつぶやく。続けて、モクバはやれやれと大仰に肩をすくめて見せた。 「振込先のに決まってるだろ。アルバイト代の」 そこへ、一瞬の間を挟んで。 「いくらになる?」 さらなる微妙さをはらんだ沈黙が室内に満ちる。 「あんたがあたしに言った言葉、そのままそっくり返すわ」 「うるせ。今月バイトのシフト減らしてもらったからカツカツだって、知ってるだろが」 「あれ、でも城之内くん、確かこないだの手紙で……?」 半月ほど前に、これからは母親からの援助がもらえると言っていたのではなかったか。 「なぁ遊戯。四月は新年度だぜ……?」 何かと物入りになる時期なのだ。 「そっか。あー授業も増えるんだっけ。やだなぁ」 英語やらが増殖するだとか、広く知られている二年生の科目数を思い出して遊戯もうんざりとため息をついた。 「それでバイト代のことなんだけどさ」 その切れ間を見計らい、モクバが手にした書類――細かに文字が並ぶ何かの一覧表らしい――をぱたぱた振って、強引に話を戻す。 「急の話だったし、端っから短期の予定だったから後回しにしちまったけど、その辺りのこともきっちりやるから、そのつもりでよろしく頼むぜ」 ちなみに入室に使うIDカードで扉の電子ロックを解除する際、入退室の時間もすべて記録されているらしい。まさに、さすがはと思わせる環境だ。だからこそ、口頭では何も言われないまま今日まで来てしまったのだが。 「よけいなことを言われてはたまらんからな」 「……」 よけいなことって何でしょうか。 遊戯の祖父の、青眼の白龍を盗んだことでしょうか。 あまつさえ破っちゃったりしたことでしょうか。 あまりに無茶苦茶だったDEATH-Tのことでしょうか。 決闘者の王国で負けたら飛び降りると脅したことでしょうか。 誰かを負け犬だの馬の骨だのと呼んで憚らないことでしょうか。 ぽつりとつぶやかれた一言に、咄嗟に浮かんだ"心当たり"は、それはもう数え切れなくて。 「……善処、するね……」 とりあえず、苦笑混じりに遊戯はそう言ってみた。 そして、当日。 ああ、やっぱりどうも釈然としない。 「なんだか説得されてしまった」 いつもの通り、舞以外の集合場所になっている遊戯の家に城之内が行ったら、珍しくもう一人の遊戯が待っていて、しかも考え込んでいたりした。 「ぁん? 何が?」 「取材があるんだろう、今日は?」 実は昨夜はこの件で大騒ぎになってしまったりした。もちろん心の中でだが。 「オレで、いいのか?」 「……いいんじゃねぇの。ま、おまえの方がそういうの、平気そうだしな」 「相棒もそんなことを言っていたな」 ああ、やっぱりどうも釈然としない。何か見落としている気がして。 取材中に替わるのは禁止ときつく言い含められているけれど。 「ところで、言っちゃいけないことって、何だろうな?」 首を傾げて遊戯がそう言った瞬間。 城之内は今日という日がただですまない予感がしたかは、定かでない。 それでも、取材は全員揃って、表面上は和やかに始まった。 ふてぶてしいのは相変わらずでも、それでもほんの少しは営業用らしい海馬の受け答えに、誰かが吹き出しそうになったり。 遊戯たちがアドバイザーとして参加することになった、さすがに公では言いにくい不祥事的きっかけを、必死で誤魔化してみたり。 誰かがさらりと的確に痛い突っ込みを入れて、誰かが言い返せず拗ねたり。 おおむね、平和に取材は進んでいたけれど。 「海馬さんと武藤さんは過去に一度、海馬コーポレーション主催の企画内でデュエルをなさっていましたけれど、そのときは惜しくも海馬さんが負けてしまわれましたよね。あれから、非公式でもデュエルをなさっていますか?」 遊戯の名がデュエリストたちの間で広まることになった、始まりの出来事。 インタビュアがその話を切り出した途端、遊戯と海馬の眉が片方ぴくりと跳ね上がった。 海馬は、話に出たその日のことを思い出したのだろうが。 「……ああ、こないだ、一度だけあったな」 ぼそりとそうつぶやいた遊戯が思い出していたのは、ペガサスの島でのあの海馬の所業に他ならない。 「そのときのお話も、ぜひお聞かせいただけ――」 「断る」 インタビュアが言い終わるまで待ってもいられなかったらしい。海馬の冷ややかな声が、話の流れを一刀両断に切り落とした。 「そうだな。あの時は、おまえのせいで、ちゃんとした決着はつかなかったようなものだし」 「……貴様」 「相棒は悪くないし」 「ゆ、遊戯、その話は…!」 さすがに止めた方がいいかもしれないと思った、杏子が制止の願いを込めて耳打ちするが。 「そう睨むなよ」 ――本性ばれるぜ。 ささめくように音を伴わなかったそれは、それでも唇がくっきりと笑みを刻んでいて。 「ふん。そこまで言うのならば、リターンマッチといこうではないか」 海馬はすっくと立ち上がってしまった。 「いいぜ、望むところだ」 さらには遊戯もその気になって。 「マジか…?」 さすがに城之内も頭を抱え、その隣で舞はつきあいきれないと肩をすくめる。杏子もお手上げらしく、以上の人物が匙を投げたのを知って、本田も獏良も傍観者を決め込んだ。 一方で周りを意にも介さず盛り上がっている遊戯と海馬、いつも肌身離さずのデッキを両者すっと取り出し、この場で今まさにデュエル開始が宣言されようとした、その刹那。 「でも兄サマ。あと十分で例の会議だぜ?」 ぴたりと時間が止まる。 高レベルで拮抗した実力を有している遊戯と海馬のデュエルが、十分やそこらで終わろうはずがない。会議を取るかデュエルを取るか。 モクバが発したその一声で、海馬はそれはもう苦々しく舌打ちをして。 「あれは抜けるわけにはいかんか――く、仕方がない。遊戯、この勝負は企画が落ち着くまで貴様に預けておく……」 「よかったな、海馬。全国に恥をさらさなくてすんで」 「ほざけ…!」 そして。何か忘れてはいませんか、とばかりに。 インタビュアがそれを呆然と見ていたのに気づいて、 「ありのままは、書かない方がいいと思いますよ」 獏良はにこやかに微笑んで、そう言った。 出来た記事は、やはり当たり障りのない話ばかりで構成されていた。 その中で最後に揃って撮った写真だけは、遊戯と海馬があからさまに険悪な視線を交わしていて、――――それが何故か、いたく好評だった、らしい。 |
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