手の中で、きらりと一瞬だけ、それは光を弾いた。
たった一つ。残ったのはそれだけだった。
残 火
〜 ライバルになれなかった二人の物語 〜
それは間違いなく、後悔などではなかった。
当たり前だ。
「けれど。だったら何なのか……それが、わからない」
そう言ってにじませた苦笑には、わずかに自嘲がのぞいていた。
西暦一四八五年、八月末のイングランド。後の世に薔薇戦争と名付けられる、泥沼の王位継承争いが終止符を打たれて、それは間もない頃のことであった。
「そうか?」
ほとんど独り言でしかないつぶやきを聞き逃さずに問い返したジョーノへ、ユギは苦笑のまま振り返る。
ほら、やっぱり。
自分にとっては無二の親友であるこの男が、時に幼い子供をあやすように笑うのをユギは知っている。それが普段は片鱗も見せない、聖職者としての、司祭としての顔なのかはよくわからないが。
「ジョーノは、わかると言うのか?」
「いいや、オレは全然わからないけど。あー、そうだな……それでは即位したての陛下、おそれながら私クリストファー・アースウィックが非公式に、神への告解を聴罪いたしましょう――なぁんてな?」
さらに、聖職者といっても名ばかりで、実際はマーガレット・ボーフォート女伯の私的なエージェントが本職なんだと常々言っている彼は、こんな時だけこんな風におどけて司祭の肩書きを持ち出してくる。
確かにフランスのブルターニュにいた頃、ユギはジョーノのことを屋敷にある礼拝堂付きの聴罪司祭に任じていたけれど。それは単に、二人が気兼ねなく話をしても不都合がないように見せるための外面にすぎない。
ユギは笑みこぼしながら一つ肯いて、綺麗に揃えられた四十枚のカードを撫でるように手を添えた。カードが内に秘める強い魔力に、触れた場所が甘い痺れにも似た衝撃を感じる。
「もしも」
とうに過ぎ去ってしまった時間に、仮定はありえないけれど。
「もしもオレが、何もかもかなぐり捨てて、このカードに懸けていたら」
遙か古の魔術儀式の流れを汲むカード。ウェールズひいてはケルトの血から大きな魔力を受け継いでいたユギも、このカードをランカスターの誰よりも意のままに扱えた。だが、リチャード三世に与したセト率いる薔薇十字はその力を最大限に引き出し、ランカスターとヨークの争いを圧倒的有利に傾けたのだ。
「一度だけ。セトとデュエルをして、オレが負けた」
「ああ、知ってる」
ある時、一人の女だけを供に、セトが極秘裏にブルターニュまで渡ってきたことがあった。ユギにとって叔父であり後見役であったダイスに遅効性の毒を服させ、その解毒薬と引き替えにセトは、ユギとのデュエルを要求してきたのだ。それを拒否する道はユギに残されておらず、デュエルは行われた。セトは解毒剤については勝敗を問わぬと言ったが、ユギももちろん戦うからには勝つつもりでいた。
結果は、二人は対等に勝負を進め一時はユギが優勢に立っていたものの、最後には見事にひっくり返されてしまった。
それも、たった一つの判断で、勝敗は決してしまった。
「あそこで攻撃をしてしまえばよかったのにな。オレは守りに気をとられて、勝機を逃した」
両者共に、一撃が通れば負ける可能性が高い、そんな瀬戸際で。
「仕方なかっただろってのは言い飽きたな」
「ああ、オレも聞き飽きた」
負けるわけにはいかないという念に捕らわれ冷静さを失したユギが勝てるほど、セトは容易い相手ではないのだから。
「薔薇の決闘者殿がこれをオレに届けてくれた時に教えてくれたんだが、セトと闘った時に、自分と対等に渡り合える者を待っていたと、そんなことを言っていたんだそうだ」
「へぇ?」
ユギの手に握られた、白薔薇の記章にジョーノは一瞥くれて。
「つまり、オレはヤツに、カードで対等の力を持っているとは思われていなかったんだな。……事実オレは、何度ヤツと闘っても、最後には負ける、そんな気がしている」
何かが。何かがユギは、セトには届かない。
「そのせいだ、きっと。このわだかまりは」
最後にセトと会った者から渡された、セトの記章をかつんと爪で弾いて。
入口にも出口にも辿り着けない迷路を彷徨っているような、気がした。
目を閉じたままで彷徨っても、同じところを廻ることしかできない。
始まりを忘却できないまま、終わりを希求し続けながら。
「なぁ、ジョーノ。ヤツは――セトは、こんなことを言ったんだ」
――貴様に、命を懸けても叶える望みがあるか、と。
「オレは、答えられなかった」
あるとも、それが何かとも、言えるはずなのに。
ユギは答えることに窮してしまったのだ。
「オレはランカスターに連なる最後の嫡男。オレはウェールズ王家の血を継ぐ予言の子。オレは……ランカスターとヨークを結ぶ片羽交」
閉ざされた硝子窓に目を向けるユギの横顔を、ジョーノは無言で見つめた。
ランカスター最後の王子――いや、すでに王と呼べる――ユギと、ヨークの姫君アンズと。その婚約においてはジョーノも交渉役として動いていたから、よく知っている。
「オレには多くの人の願いが託されている。皆に託された願いの成就こそ、オレの願い、望み、」
ふつりと息が途切れた。
「――望み、なのに……!!」
叫びながら振り返る、ユギはひどく激していて、どこか怯えにも近くて、
「そうだ、オレはわからなく、なったんだ…! オレの望みは皆の望みと同じなのかが!!」
今に泣き出しそうにも、ジョーノには見えて。
「オレは皆を、母を、君を!!」
ふわりと引き寄せた。
「裏切ってはいないかと、とても……怖く、なったんだ……」
だって忘れていた。その時だけでも。望みを。
そんな戸惑いも恐怖も、無理からぬかもしれない。ユギにとって、幼い頃から当たり前に存在して、ずっと存在し続けた、望みだったから。
だから。きっと、これはユギにとって初めてだったのだ。
「なぁ、ユギ」
泣くかなそれともやっぱり泣かないかな、何にしても今は法服でよかった――と、くっきりついたままの身長差を利用して、ジョーノは子供を慰める時のようにユギを抱き込んだ。
こうすれば、顔は見えないから。
こうすれば、音が、響くから。
「おまえがヤツに負けたのは、きっと、ワガママさだな」
ぽんぽんと後ろ頭を軽く叩くような撫でるような、曖昧な仕草を重ねながら。
「人間ってのはなかなか自分勝手な生き物でよ、おまえに味方した貴族のヤツらも、マギーも、…オレだって、手前勝手な望みを持ってる。そんなんが集まって形になった一つが、おまえをこの国の王様にしようってことだった」
「……ジョーノ?」
もぞりとユギが身じろぐのが腕に伝わるが、ジョーノは努めて目線を彼には落とさぬよう、ただずっと窓の外を見ていた。
「そんな他人の望みをな、いちいち全部背負おうなんて、思うな。んなもん人間にゃ無理だ。それこそカミサマくらいでなけりゃな」
つと、彼を抱きしめたのは、見られたくなかったからかもしれない。
「ヒトの夢なんて、重すぎんだよ」
今、王宮の塔から遠い蒼穹を見つめ、思う。
あの男はきっと、恐ろしく自由なのだろう。
自分のためだけに、生きているのだろう。
けれど、どんなに厭いたくなってもどうしても捨てられない、そんなものをたくさんたくさん、持ってしまっている人は。
自分のためと、大切な誰かのためと。
ほら、すっかり小さな手はふさがってしまって。
――本当のことなんて、もう、わからないけれど。
わかってるのは、一つだけ。
「オレとヤツが会うことは、もうない」
たった一つ、だけ。
「セトと、闘うためだけに闘いたいと、オレが思っても、もう叶わない」
もしもすべて捨てていれば望むとおりに闘えたのだろうかとか、どうして闘いだけを望んでくれなかったのだとか、今頃そんなことを考えても、もう決して叶わない。
捨てなかったことを後悔なんて、していない。
何度この世に生を受けたとしても、手放さないことを選ぶだろう。
ただ、それでも。叶わなかったことが、ただ惜しい。
それは間違いなく、後悔などではなかった。
当たり前だ。
これは、残火だ。
一度だけ、ぎゅっとしがみついてから。
うっすらと笑って離れて。
ユギは窓を大きく開け放つと、白薔薇の記章を投げ捨てた。
遙か眼下の石畳に落ちて、粉々に砕けた。
「君は、オレのそばにいてくれるよな……?」
振り返って。
「頼まれたって、離れる気はねぇよ。おまえ目離すと何でもかんでも抱え込んで思い詰めちまうから、心配でなんねぇわ」
いつものように、笑いあった。
もうじき夏が終わる、そんなことに気づいた日。
そのとき、ようやく終われた気がした。
真DMII薔薇戦争物小説第一弾。第二弾はあるか未定ですが。
ヘンリー・テューダー(この話の時点ではもう即位してるのでヘンリー7世)ことユギ様と、クリストファー・アースウィックことジョーノ司祭と。この配役設定は背景を調べるとショックも大きいですね(笑) 一応、ユギ様が二十歳ぐらい、ジョーノは二十六、七歳頃で書いてみた……つもりです。
この話のテーマは副題の通り、『ライバルになれなかった二人の物語』です。二人というのはユギ様とセト。
真DMIIプレイ中に思わず「え?」と驚かされたのが、赤薔薇篇の終盤でセトと闘う前に彼が言う台詞でした。いかにちょっと引用しますが。
「オレはオレと対等に戦える者が現れるのを渇望していたのだ…。貴様の召喚を阻止しなかったのも、団員を倒すのを放置して泳がせていたのも、貴様が強くなるのを待っていたのだ! もはや、この魂の渇きを分かちあえるのは貴様だけだ!! 貴様が勝ったらオレの薔薇カードをやる。さあ、薔薇の決闘者よ、デッキを取れ!! オレと戦え!!!」
この台詞。すなわちセトはユギ様とライバルではないことになるんですよね。ユギ様もデュエルはするのに。何でだろうと思って、白薔薇篇でユギ様と闘って、何となく思ったんです。この時代のこの二人は、存在している世界が、見ている世界が違っていると。同じものを見ていないんだと。ユギ様の方はノーブレス・オブリージュとも少し通じるような。
この話はそういうコンセプト。激動の時代の中、偶然すれ違って、ふと気になって目を向けて、でもそれっきり。歩んでいる道は全く違う。そしてそれ故の憧憬みたいな。つまりそういう意味では、セト側もいつか書かないといけないんでしょうが……はてさて、とりあえずは、この小説への反応次第ということで(笑)