最初は、ディスプレイの小さな文字が読めなくなった。
 またかとため息まじりに目頭の辺りを押さえて、もう一度、目を開いたら。
 
 ――目の前から脳の奥まで、真っ暗だった。
 
 それはもう何も見えなくなっていて、世界が回っていくだけで。
 せめて一日、いや今日だけでも。
 意地汚く足掻いている、己がいささか滑稽だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 暗転。  
 
 
 
 
 
 
 
 
Say it with flowers.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何とも無様な醜態を晒してしまったものだ、と。
 他に音らしい音が何もなくて、だからこそ聞こえる、点滴の、滴下の音。
 意識が途切れる寸前の記憶と、ここ一ヶ月ほどの己の行いと、今この場の状況を見れば、何があったのかは一目瞭然だった。
 しかし、見ただけでは合点の行かぬ現実も、室内には存在した。
 その最たるものは、今海馬が寝ているベッドの傍らで、ミニペットボトルの清涼飲料水をちびりちびりと飲んでいる、遊戯の存在だろう。
 ――何故、貴様がここにいる。
 海馬が目覚めたことに気づいて、ぱぁっと顔を輝かせて。
「何でここにボクがって? 実はモクバくんがね、さすがの君も過労死しちゃうんじゃないかってとても心配して、どうしたらいいか相談されてて、それで会う約束してたのが今日だったんだけどね」
 にこにこにこ。
「君が倒れたの、やっぱり過労だって。一応明日には退院してもいいそうだけど、しばらくは休まないと、いくら海馬くんでもまた倒れるかもしれないんだってさ」
 にこにこにこ。
「モクバくんは大事ないってわかったらいったん会社に戻ってったよ。急場しのぎを片づけたら、また来るって」
 よくもまぁ。
 矢継ぎ早に畳みかけるように、ここで見るだけでは知れない現状を一つ一つ訊かずとも、遊戯は笑顔で逐一教えてくれる。いい秘書にでもなれるかもしれない。
「あと、それとね……」
 いそいそと、海馬からは死角になるところから、ひどく上機嫌な遊戯が抱えるほどの包みを取り上げた。
 薄紅のリボンが巻かれ、淡い緑と水色を重ねた紙で包まれたそれは、一見してささやかな贈り物か何かの類と知れるが。
「ボクたちからのお見舞い」
 さっきの今で何故お見舞いがあるのかとは、何故か海馬ともあろう人間が訊けなかった。思うだけで、口に出して訊けなかったのだ。
 そのままずいっと包みを差し出されるので仕方なしに海馬は受け取ると、続けて訴えかける無言の笑顔にも逆らいきれず、包みを結ぶリボンをほどく。不思議なことに本能がそれを避けたがっているのを、無理矢理に封じ込めて。
 しかして、中から現れたその中身は。
「……遊戯」
 えもいわれぬ、何とも絶妙なまでの複雑さが去来した。
「オレはそんな下らんことをいちいち気にせんが、貴様、普通は鉢植えは見舞いの品には敬遠されるはずだが」
 気にはしてない。してないが。
 たとえあんなでも海馬、大会社の社長で、いくら彼でも国内でも上っ面のおつきあいというものは多少なりとでも必要で、だから、だが。
 少し、不安になった。何がって遊戯の成績は芳しくないことならいちいちの愚痴を、それこそ逐一御丁寧にも、その高性能な脳が覚えてしまっているので海馬も知っているが、社交辞令とでも言おうか、常識と言っていいのか、そんな海馬に疑われたらオシマイだと言うかもしれない人がいそうなことを。
 だがしかし、そんな不安は次の瞬間にちゃんと一蹴してくれる。
「うん、それならボクも知ってるよ」
 異様なまでのにこやかさで、遊戯が頷いた。
「鉢植えは根があるから寝つくに通じるってのでしょ」
「……」
 確かに、鉢植えのそれをわかっていても、長期入院を余儀なくされる人には、すぐしおれてしまう切り花よりもよいと言われることもある。
「だからね」
 海馬は二、三日の休養を医師に言い渡されてしまったが、明日の午後には戻る腹づもりであった。自室に持ち帰っても、まぁいいのだろうが。
 と。
 
 
 
「海馬くん、いっそ寝ついちゃってて」
高遠様より戴きました表ちゃんと社長☆
 出来れば一週間ぐらい。たっぷりと。
 そんな医者以上に凄まじいことを、微笑みながらさらりと告げる彼の言葉は、神の審判よりもひどく重い。
 だって。
「…………何もそこまで怒ることではなかろう」
 だって、遊戯がめちゃくちゃ怒っている。
 海馬の反論にも、だから、ぷちっと何かが切れたような音がしたかもしれない。
 相も変わらず、満面の笑顔だけれど。
「そうだね、約束の時間通りに着くなり動転してるモクバくんに泣きつかれてしかも君が倒れたって聞いて思わずついに脳の血管でも切れちゃったかと真っ青になったボクの気持ちなんて、確かに知ったことじゃないかもしれないね。海馬くんだし」
 これだけの台詞を遊戯は一息で言ってのけるのだから。
 かなり怒っているとしか、思えない。
 顔は笑っているが、これは本気で怒っている!
「だからね、君の事情はボクも知ったことじゃないことにして、モクバくんと手を組むことにしたんだ」
 つまり、この鉢植えは遊戯とモクバからの見舞いということなのだ。
「だから大人しく諦めてね?」
 遊戯がこんなにも晴れやかに笑って言うのだから。
 どうして、海馬に逃れられようか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それから宣言通り一週間。病院から自宅に戻れはしたが、モクバによって、寝室から出ることはともかく屋敷から出ること叶わず仕事につながる一切合切に触れることも叶わず。
 何もすることがない時間を、飽きもせずに毎日毎日訪れた遊戯とモクバのとりとめなくたわいもない話を聞いて、海馬は過ごしたのだった。
 
 
 
 
end.
 
 
 
 
 
 高遠様の所にお嫁にいった小説です。なんだかとっても私の方が得してませんか、こんなステキな挿絵を描いていただいてしまってさ……!! ちくしょう、めちゃくちゃ幸せ者すぎです私。
 最後に熟語「Say it with flowers.」の意味。英和辞典で見つけた花屋さんの標語「想う心を花で伝えてください」でございます。