明日、死ぬとしたら。
「あれ――エルク?」
仕掛けた悪ふざけに反応がまったくないと、それはそれで不気味なものだ。
そこで初めて振り返ったアークが目を向けると、エルクは口を噤んで、じっと睨むようにアークを見ていた。
「何だよ、そんなに怒ったのか?」
だとすれば、いったいどの部分が気に入らなかったのだろうかと頭の隅で考える。一瞬だけ。
だが。
「……なあ。アークはさ、世界を駄目にしちまった奴らを、憎く思ったことってねえの?」
一度ゆっくり瞬きをして刹那、アークは思わず吹き出した。
何度も躊躇いながらようやく口を開いたエルクのその言葉は、あまりにも意外なものだったので。
「やけに神妙な顔して、何を言うかと思ったら。本気にする奴があるか?」
「うっせえなー、あんたの笑えねえボケをいちいちマジになんかすっかよ。ただちょっと、聞いてみたくなっただけだ」
今この世界を壊そうとしているのは、身も心も魔物となり果てた、それでも人間だ。精霊を忘れて恵みを忘れて痛みを忘れて、この世界を欲望で蝕み傷つけ滅びを引き寄せているのは人間なのだ。
言い捨てて拗ねたようにそっぽを向いてしまったエルクに、書棚の前でアークは声を立てずに小さく笑う。
「普通の人には精霊の声なんて聞こえないからな」
「そう、だけどよ」
「でもエルクは聞こえるよな。炎の声」
「ああ」
「じゃあそうだな、シュウとか」
「……聞こえねえな」
「シャンテとか」
「ああ」
「だったら、今はそれでもいいじゃないか」
俺はそう思ってる。
おっとりと微笑みながらアークは、不思議そうな顔で目を瞬いているエルクの手から、すっと一冊の本を抜き取った。
もしも明日、死ぬとして。
本の表紙には、そんな言葉が書かれていた。
「──なぁんてな」
ぎょっと目をまん丸に見開いたまま固まったアレクたちを見て、エルクは口の端を歪めて笑う。
あの時のアークが狙っていた反応はきっと、こんな風にひどく下らないものだったのだろう。そう思って笑いながら、口をぱくぱくさせているアレクの手から、かつて彼がそうしたように、薄っぺらなその本を抜き取った。
「にしても懐かしいなー。おまえら何処でこんなもん手に入れたんだ?」
大崩壊前に出版された本だ。おそらく被害が少なかった地域にあったのだろうが、立派な学術書でも有名な書物でも何でもない、ただの箴言集がよくあの混乱を生き抜いて、しかもこうして無事に再びまみえるとは。
「ええと、あの……届け物の仕事で預かったんですけど、エルクさん、この本を知ってるんですか?」
なんとか硬直から立ち直ったらしいアレクが、しかし動揺をかなり引きずった声で問うてきた。
かつて行動を共にしていたのが差し迫った状況で、あまり打ち解けた会話を交わすこともなかったからか、少し刺激が強すぎたらしい。アークたちと仲間になったばかりの頃を思い出して、エルクはわずかに目を細めた。あの勇者様の言動は、ときどき自由すぎる。
「昔ちょっとな。シルバーノアん中にあったのを、たまたまアークの奴が見つけてさ」
少し傷んだ表紙を開けば、見覚えのある言葉がそこにあった。
あの時も、この最初のページに書かれていた一文からあんな話になったのだ。
こんな凄いこと絶対に思いつけそうにないと言った、彼は。
「さっきのだって、最初に言い出したのは俺じゃなくて、アークだったんだぜ」
「え、――えええええっ!?」
今度は大絶叫が、しっかりと人数分、重なる。
いちいち素直な反応を返してくれるアレクたちに、エルクは今度こそ声を立てて笑った。
なにが、最後まで何もしないまま、だ。あの大嘘つきの勇者様は。
リンゴの木を植えるどころか、世界を救ったくせに。
やさしい聲がうたう、いのちのうた。
それを聞いていた彼は、だから笑って、いった。
たぶんR.I.P.第4章その後なんだと思います、このエルク。
(質問1) 明日、あなたが死ぬとしたら。
(回答4) 大量虐殺とか妄想しつつ、チキン精神出して最後まで何もしないまま、善良な一般市民として生きる。
お題配布元: 207β