よりもれる



 男が地獄を見たのはこれで二度目だった。
 一度目は大崩壊の日。祖国アルディアの首都プロディアスにも大津波が押し寄せて、都市と市民の残骸が泥水でぐちゃぐちゃにかきまぜられて、後には何も残らなかった。命からがら逃げ延びた街の高台から見下ろしたそのさまは、まさしく世界の終わりだった。膝をつき天を仰いだあの日の絶望を、男は生涯忘れることはないだろう。
 二度目は今。一度は災禍を免れたはずの街は、アルディア復興の中心となるはずだったデリンドンは跡形もなくなって、地面に大穴が空いて、辺り一面が真っ黒に燃え落ちていた。
 ぎらぎらと赤黒い夕焼けの下、議員会館があったはずの場所に膝をついた男は、もはや瓦礫なのか死体なのかもわからない黒焦げた残骸を手に取る。完全に炭化したそれは、くしゃりと崩れてこぼれ落ちた。いったいどれだけの炎と熱で灼かれればここまで酷いことになるのか、男には想像もつかなかった。
 だが、この焦土を為したのは人だと言う。
 残骸で黒く汚れた指先が戦慄く。人の手で、この地獄がつくりだせるという。目撃した者が死の間際うわ言のように言い遺していった。
「こんなことが本当に……人の仕業なのかい。そんな化け物みたいな力を持った人間が、この世には存在するのかい」
 アルディア国軍に従軍して数年、少なからず戦場を見てきたが、目の前の現実が男にはとても信じられなかった。悪夢のような現実だった。だから声の震えを押し殺しながらそう口にしたのは、傍らに立つ少年も同じ気持ちだと信じていたからだった。が。
「あんたにはこれが自然現象に見えんのかよ?」
「っ、いや、それはそうだが……そうか、君も炎使いだったか」
「俺だってここまでの炎は無理だ。ここを襲った敵はそれくらい、とんでもない奴なんだよ」
 薄暗く鋭い声で吐き捨てるような少年の言葉は、ひどく現実的だった。
 あまりにも現実的に、化け物じみた敵の脅威を推し量っていた。
 恐るべきことに。
「ったく。しっかりしてくれよ、国を守るのがあんたら軍人の仕事だろ。犯人の正体もデリンドンが消し飛ばされた目的だって何もわかってないんだ、これで終わりと決まったわけじゃないんだぜ!」
 男の背を叩いて鼓舞するこの少年は、大災害後の短いつきあいだけでも、口は悪いが根は善良で優しいことも知っていた。男より一回り以上若くてもひとかどのハンターであり、英雄と呼ばれるだけの凄惨な修羅場をくぐっていることも聞き知っていた。
 ──こんなにも力強いことは、初めて知った。
「ああ……ああ、その通りだ。それで、君はこれから」
 こんな焼け野原を作り出せてしまう化け物に、自分たちのような平凡な軍人が太刀打ちできるはずがなかった。この少年の人並み外れた力に、英雄の力に縋りつきたかった。
 そう思って振り返った瞬間。
「俺は黒い騎士だか何だかを追ってみるさ。どうやら他の国でも似たような事件があったらしいし、このまま放っておけねぇ」
「そうか。……そうだな、英雄なら」
「そんなんじゃねえよ。ただ……まあ、俺はハンターだしさ。それに」
 少年が一瞬言葉を切った。
 赤黒い日が沈む。深まっていく黄昏に、影になった少年の表情は見えない。
「あいつらが命懸けで救った世界を、守っていかねぇとな」
「世界を」
 少年が、男の背負い袋に吊したランタンを取った。冷たいそれに指をぱちんと鳴らすと、何もないところから種火が熾って明かりが灯る。
「ほら。爆発の余波であちこち崩れてっから、おっさんも気をつけて戻れよ。じゃあな」
「……ありがとう」
 火の付いたランタンを男に突っ返し、少年は軽やかに身を翻す。ギルドに戻るのだろう。その小柄な背を見送って、立ち上がった男は黒く陰った天を仰いだ。
 見渡す限り真っ暗闇の焼け野原で、少年がランタンに灯してくれたオレンジの光は言いしれぬ不安を和らげてくれる。
 けれども。
 思わず戦慄く唇を噛みしめながら男は、グレーゴルは、否応なしに理解してしまった。
 ──恐怖、してしまった。
 彼ら英雄も、化け物なのだと。
 そしてこの国で生まれ育ったあの少年でさえ、この国の絶対的な味方であるとは限らないのだと。


 グレーゴルはアルディアの軍人だ。
 アルディアの国旗の前で、祖国と市民に忠誠を誓ったことに後悔はない。
 高名な将軍の妾の子に生まれて肩身の狭い思いをした時期もあったが、異母弟に請われて軍に入ることを承諾したのも、結局のところ祖国の役に立てることは喜びだったからだ。
 あらゆる敵から祖国と市民を守るために、この身は在ると誓った。
 大災害でこの国が一度滅びたときも、泥まみれの瓦礫から再び立ち上がった市民は誇りだった。
 だがこの国は再び滅ぼされた。
 しかも今度は天変地異などではなく、化け物じみた人の手によって焼き払われた。
 もし今日グレーゴルが孤立集落の救援に行っていなかったとしても、デリンドンの警護に残っていたとしても、この惨劇を変えられたとは思えない。黒い亡骸が一つ増えただけで終わっていただろう。
 英雄のような超人ではない、軍人だが徒人でしかないグレーゴルは無力だ。
 若くして将軍になった優秀な異母弟であっても、この運命を覆すことは叶わないだろう。
 もし英雄の力があれば、この世界を完全な滅亡からぎりぎり救い上げたという英雄の力があれば、この国を守ることも出来たのかもしれない。
 けれども彼らが守るものは、アルディアではない。
 英雄は個人で化け物じみた力を持っている。世界各地で国家元首やそれに近しい地位にある英雄が、その他の国にとっての敵とならない保証がどこにあるのだろう。


 英雄とは選ばれた超人であり、人のかたちをした化け物だ。
 ──果たしてそんなモノに依存して、祖国を、市民を、本当に守り抜けるのか。


 デリンドンの虐殺から数ヶ月後、果たして英雄の少年はアルディアから姿を消した。
 グレーゴルは新たに帝国の国章を刻んだ鎧を身にまとい、演説台を登るアルディア帝国皇帝を仰ぐ。
 祖国アルディアを守るのは、決して英雄などではない。
 英雄はこの国を守ってはくれない。
 この国を、軍を、もっと強く育てなければ。
 何者にも化け物にも決して脅かされないほどに、強く固く生きてゆける国に。
 アルディア帝国の自由と正義のために。  二度と祖国を地獄にせぬために。



re: fire





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グレーゴルさんの経歴やアルディアの状況は推測込みの捏造設定です。グレーゴルさん(とその実家)は旧アルディア時代からの軍人で、デリンドン事件から数年後に建国されたアルディア帝国にも恭順して引き続きアルディア帝国軍人になりました、な感じで書いてます。

グレーゴルさんは3章でリーザへの当たりが強かったけど、実際ホルンの魔女云々はほぼ口実なので、リーザ個人がどうこうではなく「英雄」への当たりが強いのではないか。グレーゴルさんの英雄は処分するか管理下にって発想が本心なら、英雄を同じ人間と見なしてない、異質で強力な化け物のように見てしまう、だからこそ英雄を支配しようとしてる。そんな感じ。
アレクのキャラクエに登場したグレーゴルさんが普通に善い人だったんで、本質的に普通の人だからこそ英雄のような特別な人/異能持ちが恐ろしいのかなという印象が強くなった。魔王を倒した勇者が恐れられて一般人に戻れないパターン。Rでは一般にも英雄として有名になってしまった弊害だね。