三月



 まっすぐ急所に打ち込んだ刹那、被検体だったキメラがびくりと痙攣して鼓動を止めた。どうとその場に倒れ伏した。
 それまで取っ組み合いを演じていたグスタフが、キメラの生命活動が完全に停止したことを確認して、フォンはほうと息をつく。
 仕留めた。異形と化した子供だったモノを。哀れな同類を。
 ──殺した。
 自分から言い出したことだ。このどろどろとした後味さえ、自分で選んだことだ。
「……隊長」
「脱出する。急げ」
 警戒を解かないグスタフに叱責され、フォンもぐっと言葉を飲み込む。
 爆薬が足りなかったのか爆破位置の計算が甘かったのか自爆したはずの棟は一気に崩壊はしなかったが、崩壊がやんだわけではない。
 弔う間もなく急いで外に出る。
 すると、中で出くわした三つ編みの少女がフォンに気づいてぱっと駆け寄ってきた。
 天井から落ちてきた瓦礫に遮られた彼女には、被検体との戦闘に入る前に脱出してもらっていたが、無事だったようだ。
「おーい! 遅いから心配したじゃん!」
「良かった、あなたも無事でしたか」
「当然! お互い無事で良かったね。子供たちも助けられたし」
 フォンより頭一つ低いところから笑顔で見上げられる。
 薄暗く黴臭い穴蔵の中ではよくわからなかったが、こうして陽射しの下に出た今ならよくわかる、目は強い意志で輝き、そばかすがあるものの血色の良い肌はすべらかそうで、少しくたびれた作業着でも損なわれることのない、フォンの周囲では見たこともないような活力にあふれた少女だった。
 そのうえ、ほっそりした身体に背負った火器は、通常の携行武器を遥かに上回る火力を有している。それだけのモノを用意できるのだ、ただの少女であるはずがない。
 と、少女が真剣な目で視線を巡らせる。
「さっきのキメラは? やっつけたの?」
「……あなたはキメラを、」
 知っているんですか。そう言いかけたフォンを、前に出たグスタフが手で制する。
「あ、おじさんもさっきはありがと」
 瓦礫から庇ってくれたでしょ。
 ぱっと笑顔になった少女が、ひらひら手を振った。
「……君は一人でここまで?」
「ううん。ツレがいるよ」
 それを聞いて振り返ったグスタフに、フォンは小さく首肯した。
「ええ、通信していたので近くにいるはずです。──あっ」
 言ってからグスタフの緊張に今さら気づいて、さっと血の気が引くような感覚に襲われた。
 彼女に目撃されたのは、まずかったのだ。
 けれども。
「そうか」
 つとグスタフの肩から力が抜けた。
「ああ、その。お嬢さん、すまないが我々は訳あって名乗れない。どうか我々と遭遇したことも、誰にも、連れの人にも言わないでもらいたい」
「へ? ──ああうん、いいよ」
 一瞬きょとんとした少女は、すぐに挑むような笑みを浮かべた。
「私も名乗らないし、あなたたちのことも聞かない。ここであったことは誰にも言わない。ここには他にも誰かが子供たちを助けに来てたみたいだけど、私は見なかった。騒ぎだけ利用させてもらった。それでいい?」
 まだ子供なのに、フォンと同じか年下くらいだろうに、グスタフを見上げる少女の眼差しは冷静で、聡明な光をたたえている。厳めしい風体で睨め下ろすグスタフに気圧された様子もない。
「若いのに賢明だな。こんなところに殴り込みに来るだけのことはある」
「まあね」
 ふふんと胸を張る所作は、いっそあどけないほどなのに。
 少女もソロのハンターなどではないだろうが、おそらくこちらがハンターなどではないことも察しているのだろう。それでいて沈黙を約束した。してくれた。
 これでいい。
 彼女が何者なのかもそのバックにある組織も、まして彼女の連れの人数すら不明なのだ。この状況で彼女に手出しするのはかえって危険だという判断が成り立つ。
 これで彼女を処分しなくて済む。
 グスタフの影で、フォンもひっそりと胸をなで下ろす。と。
「けどさ、もし仕事じゃない時に出逢えたら、その時は初めましてから友達になるのはアリだよね?」
「えっ、……は、はい。その時は、きっと」
 笑顔で差し出された少女の手を、少しだけ躊躇って、フォンも軽く握り返した。
 少女の言葉は、約束と呼ぶにはあまりにも軽い。
 お互い厚手の手袋越しで、体温が伝わるはずもない。
 それでも。
「じゃあバイバイ!」
「ええ、お元気で」
 大きく手を振りながら少女は軽やかな足取りで走り去る。連れと合流するのだろうその小さな背を見送って、振り返していた右手を、フォンは胸に押し当てるように抱きしめる。
 不思議な気分だった。
 今もまだ右手に、その内側に、ほのかに温かい何かがある気がしてならなかった。
 泥水をすすって生きてきた自分には出来ない、輝くような笑顔が眩しかった。
 毅くて綺麗な子だった。
「隊長。ありがとうございます」
 彼女を殺さずにいてくれて。見逃してくれて。
 化け物に変じてしまった仲間を処分するのも苦しいことだが、帝国とも賊とも無関係なあの少女を殺すのはひどく痛いことのように思えた。
「構わん。我々は何も見なかった。誰にも会わなかった。──だが、そうだな、そういう気持ちは大切にしまっておくといい」
「はい」
「さあ、もう一仕事残っている。"無傷"の子供たちを安全なところまで送り出してやらねばならん」
「……はい!」


 ──賢明な判断だ。
 こちらに戻ってくるリアをトレースしながら、やれやれとヂークベックは安堵する。
 今回の救出作戦、どこぞの国の特殊部隊とかち合ってしまったのは迂闊だったが、手当たり次第に口封じシテクるような過激な輩でなかったのは幸いだった。
 ついでにリアが世話になった礼といっては何だが、連中の小細工を少し手伝ってやってもいいかもしれない。人間ならばため息の一つもこぼすところだが、錆色の機体からはぷかりと蒸気がこぼれた。と。
「ヂーちゃん! ただいま!」
 制圧時の痕跡も綺麗に片付け終わった事務所の扉を勢いよく開けて、怪我一つないリアが飛び込んでくる。
「ねえねえ、依頼されてた子の他に捕まってた子たちも一緒に連れてっていいよね?」
「コンナ荒野のマんナカに置イテいくワケにもイかんジャロ。しかシ急ガねばナ。日ガ暮レル前に人里マデモドらんト大変ジャ」
「そーだね」
 リアはすこぶる上機嫌だ。
 帰ったら間違いなくヴィルマーから雷が落とされるが、人助けはアークスの理念にも沿うことだし、ちょっと帝国軍とニアミスしたとか、連れ帰った中にちょっと普通と違う子供がまじっているかもしれないとか、喫緊の問題が積み上がっていれば説教もさほど長引かないだろう。
 そんなことを考えて、ヂークベックはもう一度ぷかりと蒸気の輪をこぼした。



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「ウィズ・ザ・ウィンド」まさかのフォンちゃとリアちの邂逅に萌えました。よくわからない衝動で手が滑ってまるで恋の始まりのようになりましたが女の子の友情。4章ミルマーナ奪還時にリアちは整備のためスメリア居残り確定してるので上手く出来てますね初めての再会が楽しみすぎる。
被検体一人は殺したけど、帝国の施設からさらわれたのは「子供たち」で複数だったなあ、と。