下緒



 イーガがようやく客間を訪れたとき、ぞっとするほど不気味に静まりかえったトッシュの眼差しが、窓の外の何かを見つめていた。
 だからこれ見よがしのため息を深々とついてみせた。
「馬鹿か、おまえは」
 血の気の失せた横顔がわずかにこちら側へ傾く。
「こんな大怪我をしおって、もう少し立場を弁えるようになったかと思っていたのだがな」
 寝間着代わりの着流しからのぞく腕も肩も包帯まみれだった。寺の治癒能力者が総出で治療に当たった甲斐あって内臓損傷や折れた肋骨は処置できたが、刀傷や火傷にまで行き届いているとは言えない。
 今のトッシュはスメリアの要人で、ここは他国だ。
 この男がただ一振りの刀でいられた、あの頃とは違う。
 足を引きずりながら子供たちの肩を借りながら、へらへら笑いながら下山してきたときには、まさかここまで重傷だったとはイーガも思いも寄らなかった。
「悪ぃな。深追いしすぎちまってよ」
 トッシュがまたほろ苦く笑む。
 それは珍しく神妙な態度だったが、悪びれた様子でもない。そも安静を命じられながら至急でイーガを呼びつけたのはこの男の方だ。
「例の黒騎士か」
「ガキどもから聞いたか」
「聞いた。おまえを正面から打ち負かす相手なぞ、そうそういてたまるか。それで、──どうだった」
「ああ。最悪だった」
「そうか」
 既に予見されていた脅威だった。十年も前に。
 それでも最悪だ。
「どうする」
「あれは俺が斬る。他の奴らにもそう言っとけ」
 ぞっとするほど不気味に静まりかえった声は、おそらく覚悟だった。
「……そうか。わかった」
 他ならぬこの男が言うならば、それは揺るがしようがない。
 かつて、ただアークのための一振りの刀として在ることがこの男の生き甲斐だった。
 ならば斬ることさえ、譲るはずがなかった。



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2章のトッシュvs黒騎士、甲板に飛び乗ったとき凄い顔したし、責任ある立場をなげうって相打ち覚悟だったし、あれ面と向かって問いただすまでもなかっただけで絶対トッシュ気づいた!黒騎士の器がアークなの直感で確信した!って思って燃え滾っていたので、4章で早々にイーガが言及してくれて正直助かりました。大手を振って書けます。
トッシュの命はアークとククル。