「あまり長い時間は許可できない。手が届くくらい、鉄格子に近づくのも駄目。いい?」
 素っ気ない声で、けれど眼差しは雄弁に気遣う色に染めて、リアの肩に手を置いたシアが言い含める。
「わかってる。それにヂーちゃんもいるから大丈夫だよ。ね」
「ウむ」
 リアがヂークベックを振り返ると、肯くように重々しくボディを傾けた。
 ほうとシアがため息を落とす。
「えっと、わがまま言ってごめん」
「あなたが謝ることじゃない。サニアさんも言ってたけど、その気持ちは間違いじゃないと思う。でも、話をするだけ。喧嘩はしないで。彼女の立場も悪くなるかも」
「うん、気を付ける」
「じゃあ、私は外で待ってるから」
 言ってシアは大きな鉄扉の鍵を開けて、リアに譲った。
「ありがとう」
 小さく頭を下げてからリアは分厚くて重たい鉄の扉を力いっぱい押し開けて、薄暗い室内にそろそろと足を踏み入れる。
 だが真後ろについてくるがしゃがしゃと騒がしい足音に、なんだか緊張して息を詰めているのもバカらしく思えた。
「……ヂーちゃん」
「? ドうシタ」
「なんでもない。確か一番奥だったよね。フォンがいるの」
 ミルマーナのメガフロート内にある、監獄施設。
 今は捕虜収容所として使われているそこに、リアの見知った彼女もいた。
 帝国の少年兵、フォン。




 監獄の青ざめた薄明りのもとで不思議ときらめくフォンの目が、まっすぐにリアを捉えていた。
「笑いにでも来たんですか」
 鉄格子の向こうから投げつけられた刺々しい第一声に、思わずリアは苦笑をこぼす。
「普通、いきなり喧嘩売る?」
 独房の隅の簡易ベッドに上に座り込んで膝を抱えた彼女に睨まれて、まるで毛を逆立てた猫に警戒されているような気分だった。
「話をしたかった。それだけだよ」
 シアの言いつけ通り鉄格子には近づかず、リアは反対側の壁沿いに置いてあった椅子に座った。と、ヂークベックが黙ってすぐ隣に控える。
「どんなに尋問されたって、私に言えることはすべて言いました、これ以上は時間の無駄ですよ」
「だーかーらー、話をしたいだけって言ってるでしょ。尋問なんかしないもん」
 どうせこの区画に収容されているのは強化兵の彼女一人だけだ。周りに遠慮する必要なんてない。
 リアがわざとらしく拗ねたような言い方をすると、フォンが少し鼻白む。
「何ですか、それ」
「何よ」
「あなた、アークスの創設者の孫娘なんでしょう。私はあなたたちと戦争してる、帝国の兵士なんですよ」
「アークスは国じゃなくて、国を超えて助け合うための組織だよ。帝国が世界中に戦争なんて吹っ掛けるから、今は反帝国連合軍にも協力してるけどさ」
「国でもないくせに軍事力を持ってるテロリスト同然の組織のくせに。だいたい私はミルマーナに投降した捕虜ですよ、アークスの正式な幹部でもないお嬢様が何を偉そうに。さんざん特権を享受しながら言うことですか」
「むう」
 少し痛いところを突かれた。リアは思わず唸る。
 祖父や仲間たちの役に立ちたい一心ではあるのだが、それなりに貢献している自負もあるのだが、祖父とヂークベックの庇護に甘えて無理押ししたことなど一度もないと、胸を張れない程度の自覚はある。つい先日ニーデル市街への潜入調査に押しかけ同行した件も然り。
 何より彼女の指摘通り、ミルマーナの拘束下にある捕虜と私的な会話を許されているのが特権以外の何物でもないだろう。
 だが、それはそれとして、なのだ。
「もう。せっかくヴィレッジの様子を見てきてあげたのに」
「……行ってきたんですか。こんな時に」
 果たして呆れたような声が返ってきた。
「こんな時だからとも言うでしょ。ほら、ニーデルが直接戦場にならなくても、何か困ってるかもしれないし」
「それは、……そうかもしれないですけど」
「気になる?」
「当たり前です!」
「だよね」
 歯噛みする勢いで悔しがりながら正直に答えたフォンに、リアは気をよくしてうんうんと頷く。
「大丈夫、みんな元気だったよ。大きな怪我も病気もないってさ。フォンのことすごく心配してた。戦争が始まったことはラジオで聞いたんだって」
「そう、ですか……」
 すっと力の抜けたフォンが遠くを見るような眼差しを、小さな天窓に向けて彷徨わせた。
 四角く切り取られた小さな光。
 その明るさが、遠い空のあの村と繋がっている。
「ニーデルは平和だけど、食料品とか薬とかじわじわ値上がりし続けてるらしくて、いつまで続くのかなって不安そうだった。戦争ってそういう影響もあるんだね」
「ビレッジは帝国の配給の対象区域になっていたはずです」
「ああうん、それはちゃんと来てるって。街の空気の問題。まあ、あそこの帝国軍はほとんど無傷だし、戦争も今ちょっといろいろあって宙ぶらりんになってるし、大きな混乱は起きないと思うけどね」
「……宙ぶらりん?」
「リア。戦況の話はイカんゾい」
「はいはい。こーゆーわけで詳しくは言えないけど、とりあえずニーデルの辺りはだいたい平和です」
「私がミルマーナ駐留軍にいたことも、敗けて捕まったことも、あの子たちは知らされていないんですよね?」
「うん、帝国軍は任務のことは何も教えてくれないって言ってた」
「そうですか」
 フォンが安堵を滲ませた。
「みんな、フォンの無事を信じて帰りを待ってるよ」
 鉄格子の向こうで、フォンが自嘲気味に笑った。
「それを、そちら側のあなたが言うんですか」
「サニアは酷いことしないよ」
「まあ、そうかもしれませんね」
 言葉の割に、ツンと顔を背けて口調も素っ気ない。
「信じてないな? もう」
 思わずリアはため息をこぼすが、彼女の英雄嫌いを思い出し、また戦争中ならば尚のこと仕方ないと気を取り直す。
 勢いで喧嘩になってはいけない。
 まだ大切な用事があるのだ。
「あのね、フォン。村でサルアって子から預かってきた物があるの」
 言ってリアは、小さな指輪を差し出した。
 フォンの目が再びリアを向く。
 装飾の彫りが少しぎこちない。抱いているのも屑石だ。それでも丁寧に仕上げてある。
「お守りにって、村の子が彫ったんだって」
 深く深く、息を呑む音が聞こえる。
 それまでずっと奥で座り込んでいた彼女がよろよろとベッドを降りて、鉄格子に縋りつく。
「最近やっと弟子入りが認められて、正式に細工師見習いになったんだって。すごいよね。帰ったらちゃんとフォンが褒めてあげて」
「ええ、すごい……」
 鉄格子を握りしめ、噛みしめるようなフォンの声は震えていて、泣き出しそうにも聞こえた。
「サニアから差し入れの許可もらってきた」
 はっと顔を上げたフォンの瞳は、最初よりずっとやわらかに濡れてきらめいていた。
 思わず鉄格子に近づきかけたリアを、ヂークベックがそっと腕を上げて制する。
「リア」
「わかってるってば、私は鉄格子に近づいちゃダメなんでしょ。ごめん、フォンがめいっぱい手を伸ばしてくれる?」
 言われるままに、鉄格子に肩を押しつけるほど深くフォンが手を伸ばす。その手のひらの真ん中に、リアは指輪を置いた。
 すぐにフォンの手がそっとそっと宝物を握りこむ。
 引き戻した手ごと胸に抱きしめる。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか」
 つぶやくような吐き出すような問いかけだった。
「私がそうしたいからに決まってるでしょ。特権はフル活用するの」
 俯いたフォンが首を横に振る。
「私たちは敵同士でしょう」
「うん、今だって鉄格子挟んでるし」
「私、結構酷いことも言ったでしょう」
「あったあった、結構むかついた」
「友達でも何でもない」
「うん。それが何?」
 戦争が始まる前、偶然にも何度か行き会った程度だ。
 アークスの一員と帝国の少年兵だ。
 友達、などではなかった。
「だったら。私に構う価値なんてないでしょう。憐みでも物好きすぎます」
 それまで軽く笑い飛ばしていたリアが、思わず目を瞬く。
「ああそっか、そういうことか。……フォンたちはずっとそんな風に言われてきたんだね。だからかぁ」
 かつてビレッジが異常発生したモンスターの群れに襲われたとき、子供たちの避難が完了しただけでは駄目だと頑なだった理由も、ようやく腑に落ちた気がする。
 ──フォンは、この世界を信じていない。
「うーん、可哀想よりは憎たらしいって思ってるよ。でも、だからかな」
「な、なんですかそれは!」
「ほら前に、英雄が切り捨てたとか何とか言ってたじゃない。私はそれが気に入らないの」
 フォンの瞳が怪訝に眇められる。
「英雄って呼ばれてる人たちだって、人間なんだよ」
「……そんなこと、わかってます」
「ううん、わかってない。あの人たちも私たちと同じ、人間なんだよ。人よりちょっと強い力があっても、万能の神様なんかじゃない。英雄は、あの人たちは世界を救ったけど、世界中の人を救うなんてそんなの無理に決まってるでしょ。私は大崩壊より前にエルクたちに助けてもらったことがあるけど、大崩壊のときに私を助けてくれたのは英雄じゃない」
「え?」
 リアは一つ一つ言葉を探し出すように、ゆっくりと話を続ける。
「私ね、あのときヤゴス島ってとこで暮らしてたの。アルディアの南の方にある島。最初の大地震の後すぐ、村の人たちがすごく怖い顔でうちに飛んできた。すぐに津波が来る、急いで山へ逃げようって。まだちっちゃかった私を負ぶって走ってくれて、足が遅いじいちゃんの手を引っ張ったり背中押したりしてくれて、なんとか間に合ったんだ」
 覚えている。
 海から押し寄せた真っ暗な波が、森も家も畑も根こそぎ飲み込んでいったのを。
 波の引いた痕が、おびただしい瓦礫に埋め尽くされていたことを。
 逃げ遅れた人たちが、いなくなってしまったことを。
 かろうじて村は全滅を免れたが、島の外の援助を当てに出来る状況ではなかった。それでも命があればなんとかなると、物資をかき集め、生き残れたみんなで励まし合った。
 数ヶ月後ヴィルマーもリアもヤゴス島を離れたが、残った人たちは村を再建して今も元気に暮らしている。リアたちも数年に一度帰って、いろんな物を持ち込んだり、古い機械の修理をしたり、お墓参りをしたりしている。
「いい村、なんですね」
「うん。みんな優しくて、いい村。私はすごく恵まれてた。フォンたちみたいに親がみんな死んじゃって、周りは誰も助けてくれなくて、子供だけで生きていかなきゃならない苦労がわかるなんて言えない。けどさ、フォンが本当に恨んでるのは遠くの英雄なんかじゃなくて、フォンたちを助けてくれなかった目の前の大人たちなんじゃないの?」
「──わかったような口を利かないでくださいっ」
 甲高く怒鳴り返されて、リアはきゅっと手を握りしめた。
「だって、それを英雄ってだけであの人たちに押しつけたって、そんなの誰も救われないじゃん!」
 負けじと吼える。
 自分でも知らなかったような言葉が奥底から、堰を切ったようにあふれてくる。
 怒りではなく、ただ悔しかった。
「どうせ救ってくれるなんて思ってませんっ」
「だから私がやるの!」
「……は?」
 フォンが、毒気を抜かれたようにきょとんと目を瞠る。
「英雄じゃなくたって人助けはできるの。私は英雄じゃないけど、フォンを助ける。私の目の前で、世界中から見捨てられたんだって勝手に決めつけて、うじうじいじけてる憎たらしいあなたのことを拾う。もう切り捨てられたなんて言わせてやるもんか!」
「私はいじけてなどっ、──ああもうっ、違います、そうじゃなくて」
 フォンがのろのろとかぶりを振った。
「……誰も、私たちを助けてくれなかった。だから私が守るしかないじゃないですか」
「誰も、じゃないでしょ。あの隊長さんは本気でフォンと村のこと見捨てないで真剣に考えてくれてたじゃん。フォンだってあのおっきな隊長さんのことは信じてるんじゃないの?」
「グスタフ隊長は、その、……特別なんです」
「ふーん、じゃあ私もその特別に入れといて」
「はぁっ? はあ……もう、何なんですか。リアは図々しいんだか献身的なんだか、よくわかりません、本当に」
 言って、気が抜けたようにフォンが笑った。困ったように。照れたように。
 だからリアは胸を張って笑い返す。
「こんなの普通だって。だからきっとフォンもそのうち特別だらけになるよ。それが当たり前になるくらいにね」
「そうでしょうか」
「絶対。だから捕虜でも何でも、ちゃんと食べて生き延びて、戦争が終わったらちゃんと村に帰らなきゃ」
「まるで私が死にたがりみたいに言うんですね」
「えー? 最近ろくに食べてないって聞いたけどー?」
「……ちょっと、一日中ぼうっとしてるだけで動いてないせいでお腹が空かなくなってきただけです。ええそうですね。トレーニングくらいはしておかないと、本当に身体が鈍ってしまいますね」
 あ、誤魔化した。
 リアは一つ息をつく。
「あの子たちが大人になるまで、フォンはちゃんと生きて待っててあげなきゃダメだからね」
 それくらい、救われたっていいはずだ。




雲雀たか





「帝国軍に入ったのも村のため。強化兵になったのも村のため。そうやって死んじゃってもフォンは満足なのかもしれないけど、それで残された子供たちは、フォンが死んだ後の世界を生きていかなきゃいけないんだからね」
 世界を救って、救われて、遺されたあの人たちのように。
 ひどく静かにリアが言う。
 傲慢に。慎ましやかに。戒めるように。諦めたように。
「それを不幸だと思いますか……?」
 小さな天窓から射し込む細い光が、彼女を白く照らして、きらきらと輝く。
「どうかなあ。難しい。エルクもポコもトッシュもサニアもみんな、仲間が命と引き替えに救った世界だから、後を託されたから、自分を犠牲にして世界に尽くして、けどそれでいいって笑ってる。それを見てる方は、ときどき、つらい」
 涙の滲む瞳が、凛とした眼差しが、リアの笑顔が、きらきらと輝く。
 ああそうか。フォンはやっと得心がいった。
 ──彼女の世界は、それだけで救う価値があるのだ。



re: vernal breeze





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リアとフォン。救う者と救われる者。時期的には一応4章の帝都強襲作戦の大ピンチから脱出成功の少し後/ザ・ミッション裏くらいを想定してます。一応。
この二人の関係、ウィズザウィンドからロストレガシーで進展したので、もしかしてこのままメインクエストには回収されず外伝ネタになるのでは?と思いつつ、公式の答えが出される前に先走った妄想で発散するのもありかなと思って書いてたら、順次イベントアーカイブ化で嬉しい悲鳴! しかも書き上げるのに手こずってたうちに、もうじき5章も始まるよ!

1の仲間は偶然のようで実は魂の前世や約束で「精霊/運命に選ばれた」が根底にあったけど、2ではロマリア被害者とか個人的な因縁で「自分が選んだ」仲間が増えて、それがRになると世界を救った結果だけでどちらも「英雄」でくくられて「特別な人間」になってて。
クロイツは、精霊に選ばれるのとは違う形で「世界を救う特別な人間」をつくろうとしてて。
その帝国の人間も、クロイツの思想に賛同してる人も、何であれアルディアを救った帝国に忠誠を誓った人も、アルディアで生まれて帝国で当たり前に生きてる人も、生きるためや金のために帝国に従う人も、帝国を利用したい人も、帝国の強さがあればすべてを守れると思った人も、いろんな人も人外もいて。
その一方でポコとヴィルマーはアークスという、選ばれてない普通の人で、生活に余裕があれば資金なり物資なり、身一つなら労働力なり戦力なりを持ち寄って「みんなで世界中で人助けしようぜ」って組織をつくって世界規模にまで広めて。
この世界を救うのは「誰」なのか楽しみです。