人を見る目はあるつもりだった。
 自信があった。
 そうでなければ、きっと、生き残れはしなかった。










− 合縁奇縁 −
[ 前編 ]








 医務室の中は、居心地が悪くなりそうなほど静かだった。
「俺様の勘って当たるのよ?」
 前後逆の椅子を跨ぐように座り、背もたれの上で重ねた腕に顎を埋めたまま、そう声に出して言ってみた。この室内には他に誰もいないから、いるのは眠っている一人だけだから、もちろん誰からも返事はないのだが。
 ついと視線を逸らした先には、滑らかな白を基調にした不思議な剣が立てかけられている。まるで特別にあつらえたかのようにその剣は現在の持ち主にぴったりだと思えた。かなり長く細身の直刃も、一見では刃に見えない刀身も、血で曇らない純白も。
 そこまで考えて、うっすらと苦笑いが滲んだ。
「あんたも、大変だよねぇ」
 再び、アクセルは目覚めない彼に視線を戻す。
 少し長い彼の前髪が、いくつもの薄い影を落としていた。



 表社会で頼れそうな人。
 それが彼の第一印象、すなわち下心。



 初めてアクセルが見た彼は、闘技場のステージ上に颯爽と立つ姿だった。
 細身の長剣を片手で軽々と操り、白のロングコートを翻しながら、殺生を問われぬ血なまぐさい闘技場の上であっても涼やかに相手を無力化する。それはまだ年若い青年が有している圧倒的な力量と、血に酔わない清冽な気質を感じさせた。
 審判によって高らかに宣言された彼の名を、アクセルは正確に頭に叩き込む。
「カイ=キスク、ね」
 まさか大会の優勝をそのまま自分が元の時代に帰れることに直接結びつけられるほど、自分は楽天的な人間でもなかった。当然だ、望みを叶えてくれるのもまた人間ならば、たとえ不思議な力――魔法を使える人間だとて万能ではありえない。
 それでもこの時代の異人でしかない自分が、何かしらコネを作る貴重な機会でもあったのは違いなかった。一寸先は闇のような状況で保険もかけないほど愚かではなく、人脈は広いに越したことはない。とはいえ、断片的に得ていた聖騎士団という組織のイメージとはかけ離れ、会場内ですれ違うのはどう見ても裏街道の住人や小悪党と思しき連中ばかりであることに辟易とし、正直諦め始めていたのも事実で。
 そんな中で見つけたのが、彼だった。
 聖戦の英雄の一人に数えられる人物だったなどとその時は知らなかったが、直感で決めた。この予選ブロックを、おそらく勝ち上がるであろう最有力候補。
 そしてその予測は、外れなかったわけだが。



 その次に見かけたのは、別のブロックの予選中だった。
「お知り合い? なーんか熱心に見てるようだけどさ」
 半ば睨みつけてでもいるかのような厳しい眼差しで試合を見つめていたカイは、まさか自分が話しかけられるとは思っていなかったのだろう、少しだけ目を見張ると、すぐさま射竦められそうな冷ややかな眼光で見据えてきた。
「――貴方は?」
 喧噪の中でもよく通るのに耳にも障らない、悪くない声だ。
「んな怖い顔しないでよ。俺、あんたの次のお相手」
 害意も敵意もないことを示すため、両手を肩の辺りでひらひら振りながら、にかっと人懐っこいと言われた笑顔を浮かべてみせる。彼の視線が背中と両肘で支えている鎖鎌の仕込み棒に向いたのは気づいたが、ここで少しでも狼狽えれば不信感を植えつけるだけだ。この会場内で武器を手にしていることは、おかしいことでも何でもない。彼とて奇妙な白い剣を携えているのだから。
 すると、カイはゆっくりと一つ、瞬きをした。次に目が合わせられた時には、表情は微笑に彩られていて。そのかなり整った顔立ちとも相まり、先ほどまでとは別人のような柔らかさだ。
 まずは上々といったところか。
「俺はアクセルっての。えぇっと、カイ=キスク、さん? よろしくね?」
 良く出来過ぎの愛想笑い。
 彼の微笑をそんな風に思ったのは、本当に直感でしかなかったけれど。
「私もカイで結構ですよ。こちらこそよろしくお願いします、アクセルさん」
 こうして改めて間近で見た彼は、背はある方の割に肩幅が標準のようで、以前にステージ上の彼を見た時よりも随分と細い印象を受ける。単に骨格のせいなのかもしれないが、先に身長だけが伸びきって体格は未成熟の、成長期の少年のようにも見えた。
「あー、でも良かったよ! ここって見るからに危なそうな人ばっかりでさ、カイちゃんみたいな人に会えてホッとした!」
 この物言いに、カイは案の定面食らった。
 ぴったりと張りついていた微笑もはがれたそれは、実に素直な反応で。
「な、何を……!?」
 いったい何歳なのだろうという好奇心が頭をもたげる。最初は同じくらいかと思っていたが、もしかすると少しアクセルより年下になるのかもしれない。
「んー? 俺何か変なこと言った?」
「白々しくとぼけないでください。今――」
 と。不意に観客席からわき起こった歓声に、弾かれたようにカイがステージ上へ目を戻した。
「勝者、ソル=バッドガイ!」
 彼が真剣すぎるほどに注視していた男が勝ち上がったらしい。長い金髪を波打たせた女性にさっさと背を向けて煙草に火をつけている、特異な形状の剣と赤いジャケットが目立つ男の姿が見えた。
「ソル……」
 ひどく低く呟いた彼の声に、アクセルは目だけで隣を見やる。
 憎しみでは、きっとないのだろう。
 ただ、他の何よりも深すぎるだけで。



 彼の雷光と男の猛火が踊り狂う中、迎えた決着は強引に、呆気ないほど簡単に。
 その瞬間には、ステージを囲む防御結界ぎりぎりにまでアクセルも思わず身を乗り出した。男が生み出した炎のかたまりに彼が守りに入った瞬間、死角から無理矢理に懐へ潜り込んだ男の拳が、彼の鳩尾を突き刺していたのだ。
 意識を失ったカイは力無くくずおれて、男をなぞるように石畳へと沈み。
 男の足下に仰向けで倒れたまま動かない彼が試合続行不能であることを確かめた審判が、優勝者を高らかに宣言した。
 男は圧倒的だと思った。
 冷静な彼が、あれほど抑え切れぬ激情に駆られていた。
 自分と相対した時とは別人のように。
 乗り越えられぬ壁、それが執心の理由なのか。
「でもそれって、なんか違うんだよね?」
 そう思ったのも本当に、直感でしかなかったけれど。
「おい。そこの鎌野郎」
「へ?」
 気がつけば、いつの間にか自分の頭上に影が差していた。降ってきた声に頭上を仰ぐと、赤い男がステージの端に、自分のすぐ前に、立っている。息一つ乱しておらず、しかも軽々とカイを肩に抱え上げているではないか。
「坊やが出歩かねぇように、きっちり見張っとけ」
 そのまま無造作に投げ落とされてきた彼の身体を、まずは慌てて受け止めて。腕に掛かった重みは、意識のない成人男性にしては軽すぎた。それこそ本当に、子供か何かのように。
「坊やって、カイちゃん?」
 咄嗟に問い返すも、男は何も聞こえなかったように背を向ける。横切ったステージの上で何かを拾ったようだったが、それが何なのかまではアクセルには見えなかった。
 アクセルにしてみれば、そんなことに注意を払っている場合ではなかったのである。
 集まってきた医務員に負傷している彼を引き取られたのはまだしも、カイの部下と言う青いマントを着込んだ男達にまで取り囲まれ、厄介払いされそうになっては。このまま外野に弾き出されてしまうのは最初の目的からしても、そして今の感情からしても、面白くない。
 それに、何となく、だが。あの男の――ソルの言うことには、むやみに逆らわない方がいいと思ったのだ。



 勘だの直感だのという類には自信があったのだ。
 たとえば人を見る目とかも、その内で。



「でも、坊やって、……坊やねぇ」
 彼の寝顔が、何処か憂いに陰っているようにも見えるのは気のせいだろうか。
 たとえ出会って一週間程度の人のでも、沈鬱な表情は見ていて気分のいいものではない。早く目覚めてほしい気もするが、目覚めた後のカイがどんな行動を取るのかに危惧もあった。
 ――何があっても、一度引き受けたからには最後まで全うする気でいるが。
 誰かは知らないが自分を知っていたらしい、元気な老翁が放った鶴の一声で青いマントの取り巻きはあっさり引き下がり、こうして付き添いも認められてしまったのだ。どうやらカイの聖戦時代の恩師らしく、有り難くも自分は彼の友人として認識されていたらしい。頑固だから大変だろうがカイをよろしく頼むと言われた。それに報いるくらいはしても、罰は当たるまい。老人は大切にすべきとも言うか。
 そんな詮無いことを考えつつ自分の膝に頬杖をついて、ぼんやりと彼を眺めていた時だった。それが来たのは。
 まるで目に見えない波濤のような、重々しい圧迫感。
「オイッ! 今」
 思わず背筋が伸びた刹那、扉が壊れそうな勢いで開けられた。アクセルは椅子に座ったまま首を捻って振り返れば案の定、極端に色素の薄い青年がふんぞり返っている。この病室に来る途中で通りすがり、念のために捕まえておいた、チップが。
「騒がしいったらありゃしない、病院じゃ静かにしなさいって教わらなかったの?」
 何を言わんとしているかはアクセルも察しがつくが、これ見よがしにため息一つ添えてそう言うと、その態度はどうやら相手の神経を逆撫でしたらしい。もともとチップが度を超して短気な性格をしてはいるようだが。
「ヘラヘラふざけてる場合かよ、テメェ!」
「はいはい、カイちゃん起こしちゃ悪いから部屋の外に出る!」
 追い出されながら、チップは未だ目覚めない彼を一瞥すると忌々しそうに舌打ちする。
 自分の前にカイに当たって彼に完膚無きにまで打ちのめされたチップは、その時に傷めてしまった腕の治療と予後を見るために、この会場内の医療施設に残っていた。いや、残されていた、というのが正しいか。
 もちろんこの負けん気のかたまりたるチップが大人しく承諾するはずもなく、試合が終わってからも非常に揉めたのだ。チップと、怪我をさせた張本人たるカイが。それが余計にチップに意地を張らせる結果をもたらすなど、彼は思いつかなかったのだろう。終いに聞き分けのない子供を叱りつけるかのような剣幕でカイが怒鳴ったのは、彼に対する苦手意識をチップに刷り込むには充分の追い打ちだったようだが、傍観者のアクセルにとっては笑わずにいられないほどの見物だった。
「んで?」
 病室の扉を後ろ手に閉めると、外が思っていた以上にざわついていることに気づいた。
「どうもこうもねェだろ。マジでヤベェ感じだぞ」
「みたいね」
 騒ぎの中心は大会本部棟か。遠目にも目立つ青いマントの警察官が何人か、険しい表情で会場内を駆け回っている姿が、すぐ前に並ぶ窓から見下ろせる。
「でもさー、だからって」
 彼の室内から物音がしたのは、その時だった。
「こーんな時に」
 何か言いかけたチップを手のひらだけで制し、扉を細く開けてアクセルは身体を滑り込ませる。
 真っ先に聞こえたのは。
「――行かなければ」
 うめくような独り言。
 罅の入っていた左足も普通に地面に着けていたが、顔色はお世辞にも良いとは言えない。
 見越されていたのは、こうなることか。
「何処へ?」
 扉を閉める音は、わざと立てた。



「何処に行こうってのさ?」
 努めて静かに、アクセルは問いを重ねる。唯一の扉は自分の背後にある。ここは二階なので窓から出れなくもないが、今のカイにそれは苦しいだろう。
「――あの先に、です」
 その思い詰めたような視線はアクセルも扉も通り越して、その向こうにある何かを見つめているかのようで。
「そこを……通してください、アクセルさん」
「ダメ。どいたら、カイちゃんは行っちゃうんだろ?」
 笑顔で即答しながらも、ゆっくりと言い返す。
 だって危険だ。あの先にある何かも、今の彼の状態も。
「私は、行かなければ……!」
「なんで?」
「なんでって……ジャスティスが、復活しつつあるのですよ?」
 この騒ぎの元凶がそれと聞かされ、さすがにアクセルも驚きはしたが、それで動揺している場合ではない。異邦人たる自分が聞き知っている限りでも、ジャスティスはギアという化け物の王で、それに対抗する聖騎士団の、カイは最後の団長で。
 その深い因縁も使命感も、わからなくもないが。
「今のカイちゃんが、そんな大物とやりあえるわけないっしょ?」
「それでも、私は行かなければならないのです」
 頑として彼は譲らない。
「どうして?」
 いったい何に、そこまで拘るのか。
「私は……」
 俯いてしまった彼の視線が、何かを探すように彷徨う。
 そんな蒼白な顔で行くのは愚かだ。二人の関係など知らないが、あのソルという男の遣り口も、ひとえにカイを足止めするためだったに違いない。すなわち足止めする必要があるということだ。
 ここでみすみす見逃して、最悪の結果を迎えるのは嫌だった。
「ねぇ」
 誰かが死ぬのを、それも見知った人が死ぬのを、見たくなどない。
「私は、行きたいのです! ――見たいのです!」
 つと思案を振り切った眼差しで、まっすぐ見据えられた。
 一途に。
「終わりを、見たいのです! これが最後になるのなら!!」
 必死に。切実に、訴えてくるから。
「……そっか」
 世の中には納得できないことが数え切れないほど存在していることなど、それこそ何度となく思い知らされている。
 いるが、これは本当にその一つなのか。
 真っ白な記憶の中で、彼女が振り返って――そして、笑った。
「そりゃ何が何でも行っとかないと、一生後悔しそうだよな。うん」
 思わず、一緒に笑った。
「その代わり、俺もついてっちゃうから」
 おかしかった。
 戸惑っているのか、カイがきょとんと見返してきていた。
「え、ちょっと待ってください、アクセルさん!?」
「だって俺様、カイちゃんのことヨロシクって頼まれちゃってるし」
 ぽんと白いケープに覆われた彼の肩を小突く。
 足止めしようなど、もう考えられなかった。
 だって世の中、納得いかないことなんて山ほどありすぎる。
 祈るだけで願いが叶うなら、誰も死なない。
 悲しいなんて苦しいなんて言葉、存在しない。
「だ、誰にですか?」
 誰だって同じだ。彼だって同じだ。
「えーっと、クリフって名前の爺さん? バカでっかい剣持ってたぜ」
 確か、そう名乗っていたはずだ。もう一つの名前は、ややこしくなりそうなので噤む。あの男の真意はアクセルには計り知れない。
「クリフ様が!?」
 だって、笑わずにはいられないほど、おかしかったのだ。なんて――なんて、単純な。
 どうしても諦められなくて、だからみっともなく足掻き続けて、何が悪い。
 そう思っただけなのだ。今も昔も。
「そんじゃま、パーティに遅れないように早いとこ行くとしようぜ!」
 それだけの意地も理由も、持ち合わせているのだから。
「What!?」
 廊下で大人しくしてることも出来ないらしい。廊下を苛々と歩き回っていたチップにも、アクセルは陽気に声を投げかけた。







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