一切合切、燃やしてきた。
 そう言ったところで、なんの問題もなかったが。




 結局、自分からは何も言わなかった。
「――メルディ、ここはなんて書いてるんだ?」
「ん、今度はどれか?」
 分類された書架から同系統を数冊まとめて出しては床に山積みにして、図表に目を通しながら気になったところで訳をしてもらう。
 そんなことを続けて、もうどれほど経ったろうか。
「くそ、やっぱりメルニクス語が読めないと不便だな…!」
 何度となくつぶやいた言葉を繰り返し悔しそうに言いながらも、キールの目はびっしりと文字や図表で埋まるページから離れない。もらってきた白紙に、とりあえずの頻出単語の訳を書き付け、少しでも自力で理解できる部分を増やそうと努力はしているが、メルニクス語の文法については基礎すら甘く、結局はメルディを呼ぶことになるのだ。
「なぁ、メルニクス語が勉強もしてみるか?」
「そうだな……それもいいな。インフェリアとはずいぶん方向性の違う文明が築かれているのだから、出来るだけ多くの知識を得たい。せめて簡易な文だけでも自力で読めるようには…」
 散りばめられた単語と、メルディによる訳と、見るもの聞くもの新しいすべてに、キールの目は小さな子供のように輝いている。思考をまとめる際のクセなのだろう独り言も、深く憧れに染まった声音だ。
「なぁ、キール。今、楽しいか?」
「ん? ああ、新しい知識に触れることは、ぼくの間口を広げてくれる。それは真理の追究に携わる者として、最高の喜びの一つさ」
 思考の硬直したヤツらには、もう縁のない感動だろうがな。
 ページを繰る微かな音にさえ消え入りそうなそのつぶやきは、それでもメルディの耳には届いていた。
「……なぁ、キール。一つ、聞いていいか?」
 探るようなうかがうような、少し緊張した面持ちで、メルディが躊躇いがちにそう切り出した。
「今度は何だ?」
 本から目を離そうとしないキールに、メルディは構わず、
「なんで、燃やしたこと……ずっと、言わなかったか?」
 その刹那。はたと、忙しく文字を追っていた目と、ページをめくる手の、動きが凍りついた。
 王立天文台で、光の橋に関する資料をすべて燃やしたこと。
 王国に対して、明確な反逆行為を行ったこと。
「ずっと、何も言わなかったな。何故か?」
 ゆっくりと硬直から脱したキールは、あぐらをかいた上で支えていた本を開いたまま手放す。それから、目線を問いの主へ向けた。
「………言う必要、ないことだろう?」
 少しの沈黙でも痛くなってしまうのは。
「反逆者、メルディの巻き込んだせいだから…」
 青紫色の大きな目が濡れたように沈む、が。
「馬鹿を言うな」
 否定は早かった。
「単に向こうがわからず屋なだけの話だ。それに、別に――…いや。天文台に集められていた記録を燃やしたところで、軍がセレスティアに渡ることを阻止するなんて、出来ないんだ。いつかは来るだろうさ、ぼくらが目の前で道を開きもしたんだから。ただ」
 ただ、自分たちより先にだけは行かせない。絶対に。
「それだけ、なんだよ」
 それを聞いて、メルディはしばらく黙って考えていたが、
「それじゃないなー」
 むぅと困ったように眉根を寄せた。
「いったい何なんだ?」
「ん? キールのことな」
 にこりと微笑まれてあっさりと言われた一言に、一瞬キールが目をむく。
「――っ、ん………いや、だから」
「メルディ口固い。話、ここだけの秘密」
 話さなければ許してくれそうにない、そんな気がした。
 それはもしかしたら、自身の願望だったのかもしれないけれど。
「一緒じゃなかったときのこと、か?」
「キール話したい思うことだけで、いい」
「何もかも、面白くもなんともない」
「それでいいな」
 どうしてこんなに即答するんだろうか。
「……ったく」
 小さく笑った。




「王都でのことは、覚えてるだろう?」
 後ろの書架に背を預けて、少しだけ仰ぐように視線をどこかへ投げて。
「もちろんな。……人はいろいろで、それぞれ。仕方ないこと難しいこと、たくさんあるな」
 どんなに叫んでも理解を得られない、というのは。
「ああ、そうだな。それでも。ぼくの――夢、だった。王立天文台は」
 知識を習得することに、充実を見いだしたときに。
 真実を探求することに、価値を見いだしたときに。
「夢、だから、行ったんだよな?」
 バロールへ発とうというあのときに、いったん別れたのは。
「あれは…まだ正直言って、迷っていた。でも、どちらにせよ天文台には行かなければならないと思ったんだ。光の橋のことだったから」
「どちらって何か?」
 聞き逃さないんだなと、思わず口の端に笑みがにじむ。
「おまえ、言ってたろ。セレスティアに行かないとならないって」
「信じてないじゃなかったのか?」
 意外そうにメルディが聞き返した。セレスティアに来るまで、そう思われて当然の言動ばかりだったのはキールも自覚している。
「それは……まぁ、半信半疑、だったんだよ。でも、現実に記録は存在するんだし、もし本当に行くとしたら、バリルの研究資料はなにがなんでも必要だ。一から自分たちでやるには、時間が無駄になる」
「バリルが研究…」
「姿をくらますまではあの天文台に所属していた。だから、わかっている限りではあの天文台に一番揃っていたんだ」
 光の橋について調べられるのは、あの場所だけ。
「天文台に行けば、光の橋のことが調べられる。そう、思った」
 それはまさか。
「キール、最初から燃やすつもりだったか!?」
 大きな目をぱちくりと瞬かせ、メルディが弾かれたように叫んだ。
「いいや。迷ってたって言っただろ」
 自嘲まじりの苦笑がにじむ。あの頃は何かが別れ道だと思っていた、あの頃。
「調べて、それからどうするのか、自分でもわからなかったんだ」
 最高学府は、ずっと、尊敬と憧憬で輝かしく彩られていた。
「けど……やっぱり、ダメなんだよ。王立天文台は確かにぼくの夢だったさ、子供の頃からの」
 ずっと、輝かしく彩られていた、のに
「でも、それは、あくまでも手段なんだ。目的じゃない。ぼくは最高の環境で研究をしたかったんだ。だから天文台を目指した。でも、違うんだ、あそこは全然そんな所じゃなかったんだ!」
 決定的な失望を突きつけられる時は、あっさりと訪れた。
「政治がきれい事だけで済まされないのは、ぼくだってわかってるつもりだ。仕方ないことだって世の中には山ほどあるだろうさ。でも、学問までがそれに追従して、そのことを甘んじて受け入れてしまって、いいのかよ…!」
 納得できなかった。どうしても。
「それで……燃やしたか?」
 自分はこのままでいいのかと、必死で考えて。
「ああ、そうだよ……」
 あの日の深夜、誰もいなくなった天文台で、必死に内容を覚え込んだ研究資料すべてに、火をつけた。
 勢いよく燃えてゆく、見る間に変わり果ててゆくそれを見つめて、もう後戻りは出来ないのだと覚悟した。
 すべて灰にして。そして、戻ったのだ。
「……なぁ、キール、」
 逃げるように王都から出て。
 ふと仰いだ暁色の空に、少しだけ、何故だか泣きたくなった。
「言っておくが、ぼくも後悔なんてしてないからな」
 何かをメルディが言う前に。キールははっきりと言い切った。
「なら、言わなかったの何故か?」
 メルディにしゅんと沈んだ声で言われて、どうしてだか、にじむようなため息がもれる。
 自分でも目を背けていてあやふやすぎた何もかも、一気に氷解する。
 簡単なことだ。
 言えばよかっただけだった。
「…………怖かったんだ。少しだけ」
 言葉にすることが。
「あんな所に、夢は初めからなかった……」
 ずっと抱いていた夢は、幻に過ぎなかった。
「でも、はっきりと言ってしまったら、何もなくなってしまいそうで」
 ――怖かったんだ。
 自嘲気味に肩をすくめて、繰り返した。
「今もう、怖くないか?」
 ぐっと身を乗り出し聞いてくるメルディに、ぎょっと身を引くが。
「でなかったら、おまえに話せるもんか」
「なんでか?」
 何故だろう?
「……セレスティアを、この目で見たから、かな」
 きっと、そうだ。
「どういう意味か?」
「――――んん、も、もういいだろ!」
 さらににじり寄ってくるメルディから、軽く咳払いしながら焦ってキールは顔を背ける。
「終わりだ終わり!」
 微かに朱のさしたことを気づかれないように。




「ところで、だな…」
 ページを繰る音ばかりが再び館内を支配しだした頃、今度はキールが話を切りだした。
「ん?」
 うつらうつらしそうになっていたのを慌てて振り切って、メルディが小首を傾げる。
「なんで、あんなことを聞いてきたんだ?」
 今更。わざわざ。
「キールずっと何にも言わなかった。ずっとむすっとしてたな。だから、リッドもファラも、心配した」
 ぽつりぽつりと静かな声でメルディが答えた。
「しん、ぱい…?」
 まさか。合流直後は仕方ないがぎくしゃくして、それで。
「メルディもな、心配だったな」
 とても静かに静かに。
「えとな、天文台、何かとっても嫌なことあったんじゃないかなーってな」
 なんで今になってかは言わないけれど。言えないけれど。
「それでどうして――」
「キール頑固。怒ったら弾み言うかもって」
 頑固と言われたのには引っかかりを感じたが、それよりも。
「リッドのヤツか」
 いくらなんでもファラがそういう発想をするとは考えにくいから。
「当たり、さすがだな。でもキールだんまり、そっとしとこうってファラ言ったな」
「そんな…ことが……」
 気づかなかった。
「でも、……今更じゃないか、――それに今ならそうだ、ファラの方こそ」
「ファラにはリッド一緒。きっと大丈夫」
 にこにことさえぎられて、キールも二の句をつげない。
「……………そう、か」
「リッド、優しい」
「口も態度も悪いがな」
「でも、本当は優しいな」
 笑顔で言うメルディから、キールはぷいとそっぽを向いた。
「知ってるさ」
 ため息がもれる。
「ファラの言い方をすれば、ぼくが『弟』なら……あいつは『兄』にでもなるんだろうさ」
 からかいもしてくるし、冷たいことも往々にしてあるが。
「それでも、何かあったら文句うるさいくせに、放っておかないんだ」
 十年以上も前の、幼い日々のことだから。
 出来事そのものをはっきり覚えているなんてあまりに少ないけれど。
 一度、自分のせいでリッドが大怪我をしたことは覚えていることの一つ。
 レグルスの像のもとでキールとファラ二人で大泣きしていたところに、血相を変えた大人たちが駆け寄ってきたこととか。おまえたちは無事かという言葉のこととか。帰り道に少しだけ見えた赤い色のこととか。
 ――それからしばらくリッドと会えなかったこと、とか。
「そんなコト、初めて聞いたな」
「当たり前だろ。こんなの笑い話にならない」
 思わず苦笑がにじむ。二の腕に今も痕が残るような、そんな。
「リッドいっぱい話す昔も、全部じゃないんだな…」
「いっぱい…ねぇ」
 我知らず、キールの声が苦くなる。
「キールは昔の話、嫌か?」
「嫌…じゃない、んだろうな。でも、自分が笑い話の種にされるんだ、面白くないことが多いさ……本当のことでもな」
 メルディだって覚えあるだろうと、少しむくれた。
「そだな。でも、……今は昔違う。だから笑える、それきっといいコト。リッドもファラもキールも、助けて助けられてる」
 青紫にまっすぐ見つめられての言葉に、キールはしばし目を見張って、突然大きく笑い出す。
「おまえって、たまにすごいこと言うよな」
 よく似た色だと思った。暁色の空と。
「たまにはかぁ?」
 メルディは不服そうな声を返すが、さほど険があるわけでもなく。
「自分の名前を忘れなくなれば、ぼくも前言撤回してやるさ」
 キールは努めて、澄ました声で言い返した。
「…………そか」
 三人だけじゃなくて。
「そうだよ」
 四人でやっていくんだから。
「…………ありがとな」
「"な"はよけいだって、何度言わせるんだ」
 それに。




 きっと、それを言いたいのは自分の方。

















p o s t s c r i p t . . .

 とえ2作目。これはプレイメモ(感想篇)の片隅に書き付けてあった思いつき詩もどきをのほほんと膨らませてみたら………「話」としてのまとまりはカケラもなくなって、ただひたすら樹の思ったことだけの物が出来上がりました(笑)
 で、しかもそっちに力入ってる代わりに、それ以外についてがなんだかおざなりで粗いですねぇ…

 1節目はもう、出だしとしか言いようないですが。
 2節目。キールがいったん抜けて帰ってきて、という辺りのみんなの心情というのは。樹の中ではこんな感じかなぁという物で。うん、雑記帳でも少し書いたと思うですが、中身を失った夢をきっぱり捨て去る勇気に拍手。でも、ホントすぐさまそのつもりっていうのでもなくて、いろいろ悩んだんだろうなぁと。
 3節目はアレです、幼なじみ三人のバランスについて、こう思ってます的。ドラマCDではだいぶ違うので、かえって反動で強まってまする。リッド兄的っての。あ、幼い頃のは過去捏造(笑) でも気になったんですよ、キールとファラが泣いてるのはどうでもいいからリッドは、リッドは無事なのか!?って、これはリッドファンの性ですか? いやしかし、そこでこういう悪い事態を採用するところは物書きの性というか、愛情の裏返しというか。

 明けない夜はない。夜明けの色。深く射し込む、光は暁の紫色。

2001.1.4.