ヴェスペリア。たぶん光と影の話。
前の日記から今の日記にログ変換してたときに再発見したネタ。
今はもう流れてますがローカルテスト中は右のタワーの一番下に出てきていて、「何このタイトル?」と自分で書いておきながらすっかり忘れていて不思議に思ったという(笑)
(2011/5/29)さよならお姫様
まあ中身はヴェスペリアでフレエスの話なんですが。もともと私の中のフレエス観はユーリなしには成り立たないので自然と三人の話になるのですよね。
んで、そこにこんなん書いてたんですよね。
Vのハッピーエンドとバッドエンドの分岐点は、あのクオイの森でユーリを捕まえられるかどうかよねっていう妄想。
マンタイクでエステルに殺しがバレたときの二人の会話は、優しいかもしれないけど、じわじわと真綿で首を締めるように静かにユーリを追い詰めていっていたと思ってるよ。自縄自縛。その重たすぎる鎖をぶっ壊してくれたのが、あのユーリをボコる会なんだと思ってるよ。
だから私的メインキャラ観では、別の可能性を行く魂の双子なフレンだけでなく、エステルも他PTキャラと並べるところがちょっと違ってるんだろうな。
とことん突き詰めて考えると面白そうな気がするんですが、今はまだここら辺。
そういう辺り、思いつくまま吐き出し書き出してみようかと。
ユーリの暗殺に三者三様。
ラピードは最初に、慰めも咎めもせず「知っている」という態度だけで、ただ受容した。
フレンはマンタイクで、そのやり方は間違っていると否定した。
エステルはその後、暗殺の是非はわからないと言ったけど、同時に「もしユーリが私に刃を向けるなら、きっと私が悪いんです」とユーリを肯定した。
あとここのフレンとエステルの発言は対称的。
下にあるものと上にあるもの。大きなものと小さなもの。理想と現実。
ユーリはたぶん自分が権力を握ることを想像できないタイプっぽいけど、フレンは今は権力が無いけどいずれ出世して権力を握ろうとしている側で、エステルはやっぱり皇族で生まれついての権力者の側なんですよね。
そしてこのエステルの言葉が、結構おそろしくて重たいと思う。
エステルはただユーリへの信頼という意味で口にしただけなんだろうけど、たとえ暴力に訴える手段は別としても、そうさせた方が悪い、ユーリの考えは正しいと言っているようだから。
ラゴウの暗殺はさんざんヨーデルもエステルも巻き込んでおきながら裁きを免れ続けるほどの権力でもう誰の手にも負えないレベルだったけど、キュモールはこのタイミングで最終手段に訴えるほどだったのか煮え切らない感じは、プレイ当時からあったんですよね。
あとあっさりと殺しを選んでしまうユーリの躊躇のなさも。
一度目より二度目、二度目より三度目、どんどん殺しに慣れていって麻痺していくのが最も怖ろしいこと。
だからこれは、ユーリにとってこのまま死刑という手段が先走って暴走しかねない、危険な境界線だったのではないかしらと。
エステルの言葉は、手段は別としてユーリは正しいと肯定したけど、そのことでユーリに「正しくなければいけない」という棘も打ち込んだのかなあと。
それはユーリの腐敗した権力者への私刑行為についてはこれ以上の暴走を引き止めたかもしれないし、それとはまた別の暴走を引き起こしてしまったかもしれない。
アレクセイに利用されてるエステルを殺すために一人で行こうとするときのユーリの「正しさ」は、ヨーデルが見送るときにほのめかしてユーリに一蹴されたような性質の「正しさ」で、最初にラゴウ暗殺を選んだときの「正しさ」とは少し異質なものなんじゃないかと思う。
ジュディスはバウルと二人きりの時は壊さなければならないと思って父親のブラスティアを壊して回っていたけど、仲間ができて他の方法もあることを見つけたように、ユーリも「正しさ」のためにエステルを殺さなければならないと一度は決心してしまったけど、クオイでボコられて完全否定されて、エステルもみんなで力を合わせて助けられたハッピーエンドになって、ユーリの中で棘のように刺さっていた薄暗い「正しさ」はこの時いったん敗北したのかもしれない。
ああ時間がなくなったから、とりあえず読み直してないけど書きかけで送っちゃえ。
ぶっちゃけ書いてる自分でもたぶんワケわからない。
- 2011/09/26