それはまるで、降りしきる雪のように。
はらはらはら。
はらはらはらと、惜しげもなく色が舞い散る。
はらはらはらと、風の中に淡い紅が舞い踊る。
それはとても儚げで。
とても綺麗だと、そう思った。
雪代
畏れさえ覚えさせて、けれど息苦しくはなかった。
やわらかくて、でも大きな存在感に圧倒された。
「桜、ですね。――運が良かったですね、ぼっちゃん。桜が満開なのはとても短い間でしかないんですよ」
グレミオが横で穏やかに微笑むのを感じながらも、シフォンは一心に桜を見つめていた。その視線は花雲から外されることないまま、
「すぐに、散ってしまうんだ…?」
ため息のような、曖昧なつぶやきをもらす。
――美しさと儚さを併せ持ち、魅了するどこかに輝きがあって。
「はい。数日で散ってしまうんですよ。これも、そろそろ満開の頃は終わって散り始める頃ですね…」
ざぁっと木々がざわめいて、花嵐が渦を巻く。
グレミオはシフォンの前髪にかかった花びらを取って、
「咲く姿はもちろんですが、その散りゆく潔さ、そういったものもあって愛されているのだそうですよ」
――儚い色。そこに人は何を見る? 何を想う?
その薄紅を放すと、風に流されふわりとシフォンの前を横切り――落ちた。
「哀しい色、してるね……」
そうささやいたシフォンの目こそ、辛そうに細められていた。
あれから季節はとうに一巡りをしていて、苦しみばかりが積み重なっていく。あたかも凍える冬に降りしきる雪のように。
「桜の下には、少女が眠っているという伝説があるんですよ」
不意にそんなことを言い出したグレミオに、シフォンが怪訝そうに振り向いて小首を傾げた。
「ちょっとした、物語ですよ」
村に住む美しい少女と、神の子の恋物語。
神の子の命は人からすれば永遠にも等しく、神には許されない想い。
しかし、天に戻らず少女と生きていく――つまり駆け落ちを決意した夜、少女を好いていた男によって神の子は殺され、池の中へと消える。
我が子の死を知った神は怒り狂い、村は豪雨と濁流に見舞われるが、少女が我が身を持って、天の怒りを鎮めたのだと。
「その少女が身を投げた池の側に芽を出したのが、桜の木なんだそうですよ。桜は、ですからその少女が身を変えたものといわれてるんです」
桜は少女の、――人の命の短さを表すかのごとく、散り急ぐ。
物語りが終わると、シフォンは数歩前に出て、手袋のしっかりはめられた右手でそっと太い幹に触れる。そして、ふとつぶやく。
「そっか……だから、"綺麗"なんだ」
とても、遠くなった輝きだと。
そのつぶやきがなにを指しているのか気づくと、シフォンが幼かった頃にしていたように、グレミオは軽く後ろから抱きすくめた。
「ぼっちゃん。あまり"永遠"という言葉に囚われて、よく見えない遠いところばかりを見ようとしていないで、もっとすぐそばも見てみませんか? 今日が終われば明日がまた来る。ただそれだけです。春が終われば夏が来て、秋が来て、冬が来て、そしてまた次の春が来る。それだけですよ。永い時を生きなくてはならなくても、それだからといって一日一日を軽んじる理由にはならないでしょう」
「軽んじてる……僕が?」
驚いたように、シフォンが振り仰ぐ。
「違いますか? ずっと後のことばかり考えて、怯えていませんか?」
シフォンは返す言葉に詰まる。指摘されれば、まさしくその通りと言わざるをえないような心当たりが、それはもういくらでも見つかった。
「……ごめん」
「ぼっちゃんが謝ることなんて何もありませんよ。
確かに、重なった時間は終わってしまうかもしれません。その後の方が永いかもしれません。それでも、共に在った時間は、それが終わっても、決して消えることはありません。
…この桜、綺麗でしょう。じきに散ってしまいますが、散った後の姿を早々考えますか?それに、散った後でも、咲く姿を見た人の記憶の中に、この光景は残り続けますよ」
グレミオはするりと身体を入れ替えて、桜に伸ばされていたシフォンの右手を取ると、己の両手で包み込む。
「思い出は確かに重く感じることがあるかもしれない。ですが、それは生きた証です。それに、いつか死ぬとしても、この今、私はここにいるのです」
冬はいつか終わり、雪代に花びらが浮かぶ。
桜にまつわる恋物語は千年恋歌。桜といえば真っ先に浮かぶのがこれでした。