a Bright Day
かんっという乾いた音。
次いで、石に何か固い物がぶつかる音がした。
「……参りました」
すかさず喉元に突きつけられた棍の先から目を離せないまま、変声期を迎えてすらいない少年特有の声が絞り出された。それに答えるように棍がすっと下げられると、声の主は長く息をつき、その場にがくりとへたりこむ。そして、息一つ乱さず涼やかに立つもう一人を見上げる。
「フッチ、そんなに緊張しなくていいのに」
おかしそうに小さく笑って、今し方弾き飛ばした槍を彼は拾い上げた。フッチと呼ばれた先の少年よりも四つ年かさだが、こちらの声も未だ変声期を終えきっていない。言えることは二人ともがまだ子供といえる年齢であるということか。とはいえ、シフォンは帝国将軍家の子息だったのだから、そんな年でも成人の儀はすませているが。
「だって、凄いよ……」
少し拗ねたように上目遣いでつぶやきながら、差し出された槍をフッチは受け取る。
「まだまだ、どうにだってなるって。僕がフッチぐらいの頃は、もっと下手だったよ」
使い込まれ鍛え上げられた愛用の棍を傍らに、シフォンが穏やかに一笑したのが、薄暗くてもはっきりと見て取れた。
北方モラビアを無血開城し、ここフェイロンに戻ってから、一夜明けて。
本拠地の地階よりもさらに一段低いところにある、城の死角とも言えるこの場所には、滅多に人の目が向けられることもない。今日のように風もなく晴れていれば、トラン湖の波もほとんど打ち寄せてこない。だだっ広くて殺風景なそこは、単なる礎石浸食防止用の空き地だった。
「お、こんなところに珍しいじゃねぇか」
フェイロンの本館と別館をつなぐ連絡通路で、手すりに頬杖をついて湖を望んでいるルックを見つけると、ビクトールは陽気に声をかけた。
「……何か用?」
露骨に面倒くさそうな面持ちで、ルックが頬杖をついたまま振り向く。この少年の場合、これ以外の表情など滅多なことでは拝めるものではない――その滅多なことの大半に関わっている某人物はさすが、の一言だが――ので、今更である。
「いや。シフォン見なかったか?」
言伝があるんだがと言う彼に、ルックは一瞬だけ視線を彷徨わせると、
「少し前、向こうの方で見かけたけど」
ビクトールの背後を、顎で小さくしゃくって指し示す。
「あっちだと? おっかしいな、何処行ったんだ、あいつ……?」
――どうして気づかないんだか。
もう一度捜しに城の中へ戻っていくビクトールを心底馬鹿にしたように見送って、ルックは再び視線を落とす。陽の光を弾く湖面よりも、もっとずっと手前の方へ。今彼がいるこの通路の、裏側とも言える場所へ。
それはちょうど、真下で、フッチの槍がシフォンの棍によって弾き飛ばされたところだった。
「一、二……」
ぽちゃん。
「あんまりうまくいかないもんだな…」
波紋の残る湖面を軽く睨んで、シフォンは投げた態勢のまま独り言ちた。
「せぇのっ」
フッチが隣で投げた石は、一度弾んだだけで湖に沈む。
「……難しいなぁ」
顔をしかめて、フッチが空き地の端っこに腰掛ける。湖面に続く、石を敷き詰めた縁まではそこそこの高さがあるので、足がぷらぷらと遊んだ。
シフォンも拾い上げた小石を手のひらでもてあそびながら、その隣に腰を下ろす。そしてそのまま、後ろに腕を広げて寝転がった。
石が冷たい。
背の高い城壁に囲まれて、でんと横たわる通路に上をふさがれて、この空き地の大半は日陰になっているのだ。それはそのまま、通路からはほとんど見えないと言うことだが。
「あれ、ルック」
少々危なっかしく空き地へ下りてくるルックを見つけて、シフォンが目を瞬かせる。
「もう、ちょっと、普通の所にいる気ないの?」
「だって、僕らが下りる分には問題ないし」
おっかなびっくり下りてきたというような気もしないでもないルックに、シフォンは起きあがることもせず飄々と言い返した。
いつものこと。この場所を知っているのは、今ここにいる三人だけだから。
「だいたい、ルックの方こそいい加減に慣れないの?」
「悪かったね、こっちは君たちと違って体力バカじゃないんだよ」
ルックは片手でローブを荒っぽくはたきながら、持ち手が太い編み紐で出来ている小型のバスケットをシフォンに投げてよこした。下りてくる間は腕に通していたらしい。
「何、これ?」
胸の上で受け止めてから、シフォンは怪訝そうに問い返す。フッチも上体を傾けて、こちらを不思議そうにのぞき込んでくる。
「君に届けてくれって言われたから、こんなところまでわざわざ来てあげたんだから」
ここを他人に明かすぐらいなら。
人がかなり増えた本拠地の中で、忘れ去られたこの一角というのはとても貴重だった。
「ったく。間が悪い」
どうせ何もなくても来るつもりだったんだろうに。それは心の中でだけつぶやいた。口の端だけに苦笑を滲ませて上体を起こし、シフォンがバスケットのふたを開けると、香ばしいクッキーの匂いに包まれる。
「マリーおばさんか」
一目見るなり、シフォンが言いきった。該当する人物は他に思い当たらないからだが。
「わあ」
横から中身を見たフッチが、当然目を輝かせる。
「ところで、こんなところで何やってたのさ?」
ルックは呆れたように、フッチには聞こえないように小さく鼻で笑ってから、シフォンに訊ねた。
「何って、上で見てたんだろ? 手合わせして、……で、遊んでた」
言いながらクッキーを一つ摘んで、すぐ隣に来ているフッチとの間にバスケットを置く。
「手合わせ? あれが。じゃれてただけじゃない」
シフォンの前を横切って、ルックがバスケットに手を伸ばした。
「滅多に食べないくせに」
「滅多にってことは、たまには食べるってことなんだから、構わないんだよ」
とはいえ、久々ではあるけれど。
結局バスケットの位置はシフォンの膝の上に定まった。
しばらく、煌めく波の音だけが耳に届く。活気ある喧噪は遠い彼方のようで。
だからこそ。
「ルックは水切り出来る?」
「は?」
唐突なシフォンの質問に、ルックが素っ頓狂な声を返した。
「だから、水切り」
座ったまま、シフォンは先ほど手にしていた小石を再び拾い上げて、ひゅっと滑らせるようにその石を湖面に投げる。
「一、二、……」
ぽちゃん。
フッチが二まで数えたところで、やはり石は水中に没した。
それを冷淡に眺めていたルックだが、ふと手近の石を手にとって立ち上がる。物は試しとばかりにルックが投げた石は、
「っ…」
ぽちゃん。
「……………………」
無言でもう一つ石を拾い上げたルックを見向きもせず、シフォンはバスケットからクッキーをまた摘む。続いてフッチも。
「一、……」
ぽちゃん。
なんとも言い難い複雑なため息をルックがついたのを見計らって、シフォンは声を掛けた
「……意外と難しいんだよね」
始めたきっかけなどはほんの些細なことで。
問題なのは、これが結構難しいということだった。
彼女が気づいたのは、むろん偶然であった。
「情けないって思わないのかな……?! ったくぅ……」
テンガアールは口を尖らせて、責めると言うには口調が強くなく、かといって優しい言葉では更々ない、ため息まじりの文句を声に出した。相手は当然、
「いや、でもテンガアール……」
ヒックスに他ならない。
「言い訳なんて見苦しいぞ、ヒックス!」
何かを言い返しかけたヒックスをあっさりとさえぎって、テンガアールは立てた指をびしっと突きつける。
「無理だよ……、年も経験も全然違うんだから」
突きつけられた側がさえぎられた先を続けるが、
「ボクが言いたいのは、最初っからそんなこと言ってるのに問題があるってことだよ!」
彼女はつんとヒックスから身体ごと顔を背けて、寄りかかっていた手すりの上に両腕をつき、軽く身を乗り出してみる。湖面を滑る風が吹き上げ、結っているテンガアールの髪を舞い上げた。
「そりゃ、ヒックスの言うこともわかるし、フリックさん相手じゃ緊張だってするとは思うよ」
突っ張っていた腕から力を抜くと、手すりの上に上体を俯せに乗せるような態勢になる。自然、視線は真下に向いて。
「でもさ……、ん? ――ねぇ、ヒックス。あれ」
テンガアールは身体を起こして振り返ると、手すりの外側の真下を指さす。
「え、どうかしたの?」
何事かと寄ってきたヒックスが、テンガアールの細い指が向く先を見やる。と。
「そういえば、昼間に見かけることってあまりなかったよね」
「さっき、あの熊の人が捜してたような気もするよなぁ」
「下りてみる?」
口ではなんてことないようにああ言っているが、目線は下にしっかり注がれているのだ、テンガアールは。しかも、かなり好奇心を持っているようで。
「ホント?」
目を興味大有りと輝かせて勢いよく振り向いた彼女に、ヒックスは小さく苦笑する。
「ええと……あ、あそこからかな」
普通は人の行くような所ではないが、下りられそうな場所を見つけると、ヒックスは通路の手すりをひょいと乗り越える。規則的につけられた、見つけにくい階段状のとっかかりを使って滑りそうになる身体を押し留めると、
「テンガアール」
ちらちらと下を気にしている彼女に呼びかける。さすがにこの高さから落ちでもしたら、下は敷き詰められた石なのだから、奇跡でも起きない限り、ただの怪我では済まないだろう。
「……う、うん」
自分が行きたがっているのを察して言い出してくれたのはテンガアールも気づいているので、彼女が半ば言い出しっぺであることは自覚している。
とっかかりに足を乗せて、テンガアールが差し出してくれたヒックスの手をしっかりと握り返すと、二人はそのまま慎重に下りていった。
だんだんムキになって来つつあるのは、突っ込まない方がお互いのためであろう。
「……………………」
空き地の縁から下りた所に敷かれている石を、さすがに三人は選ぶようになり始めた。
「やっぱり、小さい方がいいよね」
とはいえ小さすぎるのもなんだか握りにくいと、適当そうな小石を拾い上げてシフォンが投げる。
「一、二、三……」
ぽちゃ。
「ところでさ」
「何?」
二回弾んで、沈む。
「死を悲しんだり、喪った理由を恨む前に、愛してくれた幸せな時間を忘れたくない……って、あれ、言ったときにはどこまで本心だった?」
光る碧の上を、水の匂いがする風が駆け抜けた。
「――……」
さらりと言われたルックの問いに、石に伸ばしかけていたシフォンの手がぴたりと止まる。
フッチは振り向いて目を見張り、ルックは相変わらずの面持ちで湖面を見つめていた。
「別に、答えは強要しないよ。言ってみただけだから」
「……もう、覚えてないや」
気を取り直してシフォンが思いっきり投げた石は、大きく弧を描いて遠くの水面を叩いた。
「今だったら、たぶん、本心になるんだろうけど」
少し淋しさの混じった、けれど晴れやかな笑顔でシフォンはそう言った。
と、靴の裏で落ちる速度を殺しながら、二人が滑り降りてきた。
「あ〜あ、やっと降りれた。ありがとね、ヒックス」
裾をぱんぱんと払って、揃って振り返っている三人にテンガアールは大きく手を振った。
「ねぇ! こんなトコでなにしてるの〜!?」
元気な少女の隣に立つ少年は、苦笑みたいな笑みを浮かべている。
「…………」
ルックは無視して、湖面に石を投げる。水切りではなく、本当にただ投げ込んだだけだ。ぼちゃんと音を立てて石が沈んでいく横で、フッチが何度目かの挑戦。
「一、二、三……」
ぽちゃん、と、二回弾んで沈む。
「水切り? へえ♪」
近寄ってきたテンガアールが石を手にとって、見よう見まねで投げる。が。
「……あれ?」
あっけなく、石は即行で沈んでいった。
不満げに眉を寄せるテンガアールの横で、石を選んだヒックスも低く投げる。
「一、二、三、…四!」
数え始めたテンガアールの声が、数が上がるたびにはしゃいだものになっていった。
先客だった三人が少し目を見張って、四度水上を跳ねた小さな点が沈んだのを見送る。
最高記録。
「すごいすごい〜! ねぇ、どうやってやるんだよ!?」
はしゃぐテンガアールに腕を振り回されるがままにヒックスは、
「いや、昔ちょっとやったことがあるけど、まぐれだって。……あ」
ふと視界の端をかすめた、湖とは反対の方を見て声を途切れさせた。
「シフォン! おまえ、こんなところにいたのか!」
呆れたような疲れたような声を上げて、ビクトールが軽々と下りてきていたのだ。
「あれ、どうしてここがばれたんだろ」
少し堅めに焼かれているクッキーを口に放り込むのはひとまず止めて、素っ気なくシフォンが聞き返す。座ったまま、首だけ振り返って。
「そこの二人が下りていくのを見たヤツがいてな。下に何があるのかと思ったんだよ。ったく、捜す方の身にもなってくれ……」
ヒックスとテンガアールは顔を見合わせ、ルックはその二人を睨めつける。
「別に、急ぎの用事ってワケでもないんだろ。それだったら、それこそ大声で呼び回ってるだろうしね」
「ぅうむ……」
少し心配性すぎるんじゃないのと平然と続けて、シフォンは持ったままだった平らなクッキーをかじる。それに言い返せず口をつぐんだ所へ、ビクトールはシフォンの隣のルックに気づいた。
「あ、てめ、ルック! 知ってたんだな、さっき聞いたときに」
しかしこの少年は振り向きもせず、
「別に、今、何処にいるかとは聞かなかったじゃない」
そして、騒がしくなったなと、辟易したようなつぶやきをもらす。
「あ、そうだ。ビクトール、水切り出来る?」
「……ぁん?」
シフォンの後ろにしゃがみ込み、ついでにバスケットの中に手を伸ばす。すでにヒックス――は遠慮がちに――とテンガアール――こっちは遠慮ない――も摘んでいるので、特に何か言うこともなかったが。
「だから、水切りだよ。水の上で石を跳ねさせる、あれ」
ルックは組んだ膝の上で頬杖をつき、半眼で呆れたように会話を聞いているが、フッチは無言でビクトールを見上げてくる。
「まあ、出来んことはないが」
答えると、まっすぐ向けられてきた眼差しにビクトールは渋々石を選び上げる。
「見てろよ」
薄い石の感触を確かめて、それを水面に滑らせるように素早く放つ。
「一、二、三、四、五、六、七、……」
数え上げる声が、次々と重なっていく。
「十五、十六!」
――ぽちゃん。
石が水に飲まれた音が、遠かった。
「あ、すごい」
シフォンがあまり力の入っていない拍手をぱちぱち叩く。
波紋が消えていく辺りに、少年少女の視線はしっかりと注がれたままで。ルックですら、頬杖を解いていた。
「調子よけりゃもっと行くんだがな。久々じゃこんなもんか」
「巧いんだね」
素直な反応に気をよくしているらしいビクトールに、シフォンが小さく笑んだ。
「なんだ……、おまえ、だいぶ落ち着いたか」
「何が」
不思議そうにシフォンは小首を傾げるが、ビクトールはこっちの話と笑うだけで答えはしない。そしてそのまま、特にテンガアールから向けられている、露骨なおねだりの視線に、
「しゃあね、いっちょ教えてやっか」
「やった♪」
「じゃ、おまえと……」
ビクトールはテンガアールの頭をぽんと叩いて、
「シフォンは?」
「僕もお願い。フッチも……だよね?」
シフォンが声をかければ、言い出しにくそうにしていた彼も慌てて頷いた。
「ヒックスもだよ!」
「ええ?」
本人の意向を聞くことなく、テンガアールがヒックスも仲間入りさせる。
「よぉっし、まとめて面倒見てやろうじゃねぇか! ……で、おまえはどうするんだ?」
最後ににやりと笑って、ビクトールはルックを見やる。と。
「…………勝手にしてれば?」
振り向くことなく、つっけどんに彼は言い返してきたが。
「十、十一、十二、十三……!」
自然と数える声は揃って。
水面を割る音など聞き取れないほどの遠くで、石は湖に消えた。
「十三回か」
「凄い!!」
途端、喜色満面にシフォンの手を取ってぶんぶん振るフッチにつられるように、シフォンも笑う。子供らしい仕草は不快じゃない。喪失に必死で耐えている彼が笑ってくれるのは、むしろ癒しかもしれない。
「はいはい、降参だよ」
珍しくも険のない苦笑で、ルックが肩をすくめた。その後に放った石は、十一弾んでから沈んだ。
「おまえら筋がいいからなぁ、この俺も教えがいがあるってもんだぜ」
「ありがとう」
「……」
ビクトールが特に出来のいい教え子二人の頭に大きな手を置くと、一人は鮮やかに笑顔を返したが、もう一人は煩そうに半眼で睨め返してきた。
「ねえ、ビクトールさんは最高何回なんだよ?」
フッチやヒックスと同じく、だいたい十回ぐらいにまでなったテンガアールが訊ねる。
「おう、旅に出る前だったら、最高は二十ぐらいだったな」
「うっそだぁ! そんなに行くわけないよ!」
「な、おまえ、教えてもらったってんのにその言い草はなんだぁ!?」
彼女の頭を押さえようとした手が届く前にテンガアールはひらりと身を翻すとヒックスを引きずって逃げ去り、
「じゃ、ボクたちはお先に失礼するね〜!」
来たときと同じようにめいっぱい腕を振って、通路に上がっていった。
「この、逃げるか!」
ビクトールも、肩を怒らせ彼女を追いかけるために登り場へ走る。テンガアールはやはりもたついているので、これは追いつかれるのは時間の問題だなと、そんなことを思いながら。
やわらかな陽射しの中で、三人の子供は声を立てて笑った。
それはシャサラザード攻略に向かう、一つだけ前の日。
透明な空色は綺麗な青だけの、晴れた日の午後のことだった。
書きたかったのは、ルックとフッチ。ちょうど幻水2でフッチ見つけて大騒ぎした頃に書き始めたらしい。
そこにヒックス&テンガアールまで出たのは、発作的衝動です。