はじめは、それは憧れでした。
 恋と呼べるほどのものですらない、幼いものでした。
 それがいつからだったでしょう。
 この想いが、憧れと呼ぶには強すぎるようになったのは。




星に願いを




 それはまだ、太陽が高みに達していない時刻だった。
「何なんだ……?」
 一歩足を踏み入れた瞬間、普段とはまるで違うその雰囲気その他諸々に、フリックはその場で思わず足を止めた。
 ごった返すにもほどがある。この酒場の許容量というものはとうに越えていて、しかもそれを占める大半が男連中というのは、何かあるとしか思えない。事実、一列に並べられたテーブルの上には、平たい一抱えほどの木箱がずらりと置かれていたし、それの前を、普段はここにいないような面々までも行き交い、箱から何かを手にとっている。
「あれ。どうしたんですか、フリックさん?」
 何かを大切そうに手に包んだヒックスがこちらに気づき、床に座り込み作業に没頭している者たちをそろそろ避けながらやってきた。
「いや……これは何の騒ぎだ?」
 喧噪を目で指し、フリックが訊ねると、
「ああ、星祭りですよ」
 ヒックスが少し口調をよどませ、人混みに目を彷徨わせる。
「祭りの夜、髪飾りを贈るってあるじゃないですか。一昨日からこんな感じですよ。僕たちはこっちで、女の人たちは図書館でやってます」
 星祭りの日、男性は女性に髪飾りを、女性は男性に染色した糸を編んだ腕輪を贈る。星祭りで祀る、二つの星の伝説になぞらえた慣習なのだが。
「そうか、もうそんな時季か……そういえば、そうだったな」
 昨日まで外に出ていたから、こんな騒ぎになっているとは知らなかった。
 そういえば、ビクトールに振り回され続けたトランを出てからの三年は、そんな洒落た祭りとはまったく無縁で、さらに言えばそもそも――
「ならこの騒ぎは、それを自分で作ってるのか?」
 フリックは考えるのを打ち切って、また酒場の中を見渡す。
「ええと、飾りとか色とか選んで、仕上げは職人の方がしてくれるんですけれど」
 ヒックスが、軽く手を開く。オレンジや黄色の暖色系のガラスなどは、確かにあの快活な少女のカラーリングに似合うだろう。
 それじゃあと仕上げの場所の方へ向かうヒックスを少しだけ何とはなしに目で追ったフリックは、視界に入った片隅に、今のここには不似合いに思える人影を捉えた。
「シフォンじゃないか、……意外だな」
 近づいて、他にちょうどいい言葉が見つからなかったのでとりあえずそう声をかける。
「つきあいだよ」
 髪飾りとは違う琥珀色の何かと格闘しているセファルの向かいで、鮮やかな深紅の石をあしらったペンダントを手元に置いたシフォンがフリックを見つけて苦笑する。その彼の影に、やはり髪飾りにするのではなさそうな、小さな紅の環をこれは四つ通した琥珀色の環を二人でいじっているフッチとサスケもいた。が、そちらはフリックの存在に気づいていないようだ。都合三人が向き合っている、指輪ほどの紅い環を通した琥珀の環に、フリックは知っているような気もしたのだが思い出せなかった。と。
「でもさ、フリックの方こそ」
 意外なんじゃないの?
「すっかり忘れてただけだ」
 苦笑いを浮かべて、腕を組んだフリックは答えた。




「ですから、そこは……ええ、そちらへ、あ、その裏に……」
 のぞきこんで、指差しながら糸の編む順を指示していく。教える側はカスミ、教えられる側はテンガアールとニナだ。編み方を知っている者一人と知らない者数人で組んで、図書館中のテーブルは編み物教室状態である。
 難しい顔つきで、恐る恐る、ぎこちない手つきで浅葱色を編んでいたテンガアールがふと顔を上げる。編み始めを留めていたピンが弛んでいたのを直して、一息ついたところへ、カスミが片手間に編み上げていく、茜色と常磐色を基調に見事な幾何学紋様を描いているそれに目をとめた。
「カスミさん、それ……あ」
 気づいてしまったテンガアールはそれ以上何も言わず、カスミも苦笑を浮かべるだけだ。が。
「え? カスミさんって、好きな人いるんですか!?」
 藍色の糸を両手でぴんと張ったまま、ニナがずいと身を乗り出す。
「あ、でもカスミさんって美人だから――って、あれ?」
 曖昧な苦笑のカスミと、何と言ったらいいのか困っているらしいテンガアールに、ニナが怪訝に言葉を途切れさせる。
「もしかして、片思い――なんですか?」
「そういうことになりますね」
 その響きに含まれる感情を、さすがにニナは鋭く察し、
「諦めちゃうんですか? どうして?」
 詰め寄るようにさらに身を乗り出す。
「わかんないじゃないですか、ダメかどうかなんて! 今がダメでも、いつか振り向いてくれるかもしれないし、でも、見てるだけでいいって諦めちゃったら、それで終わりなんですよ!?」
 どんなに逃げ回られても負けじとフリックを追いかけ続けているニナが言えば、口先だけとは言い捨てられない言葉だ。事実、彼女は諦めない。
 カスミが返す言葉に迷っているところへ、不意に、
「言うほど易いことではないわ。のう、確かカスミと申したか、小娘よ」
 蒼と薄紫で編み上げたリングの、端の始末をしていたシエラはくるりとこちらへ振り向くと、緩やかに微笑んでそう口を挟んできた。
「……ええ」
 カスミは苦笑を曇らせる。
 遠くから見つめていることなら、許されているでしょうか?
「ふむ、立場はある意味逆だが、妾にもその気持ちはわからぬでもないな」
 ニナは話からはじき出されて、ぱちくりと目を瞬かせる。特につきあいがあるわけでもないのだから普段の様子から察せと言うのは土台無理な話ではある。
「知らぬでよいわ。お主には無関係なことじゃからの。――じゃがな、それでよいのか?」
 ニナにぴしゃりと言い捨てて、シエラは再びカスミに向き直る。
「え……」
 足を組み、底の見えない妖艶な笑みを湛えるその姿は、少女とも言える若い女性の外見とは似つかわしくなく、しかしそれがまたひどく様になる。
「あれは確かに厄介じゃろう。あの者も出来る限り接触は減らしたいと思うておるように見える。お主があの者の苦しみを増やしとうないと忍ぶのも、まあ無理はなかろうて。妾もその辺りは察しておるつもりじゃが」
 そう、この身の宿命を忘れてなど、一瞬たりとない。
「シエラ様は――それでも?」
「無論な」
 少し淋しさを含んで、シエラは微笑する。
 シエラの想い人は、言わずもがなクラウスである。が、シエラは吸血鬼であり、そして真の紋章の継承者であるのだ。永久の生。しかしクラウスは普通の人間。百年生きることすら叶わない、ただの人間だ。だから、似ていると、そう。
「想いを告げぬまま? 秘めたまま? 妾はそれで収まらぬよ。己に嘘をつくのは不得手でな。じゃから、ここにおる。少しでも長く、おそばにな……」
「あれ? じゃ、どうして猫被ってるの?」
 耳ざとく、大人しく話を聞いていたテンガアールが口を挟む。クラウスの前での様と、この本性と。その差は、両方を見ている者からすれば、本人を前にしていなければいい笑い話とも言える。案の定、カスミも小さく失笑した。
「うるさいのう……、小娘ごときが」
 シエラは不快さも露わに眉をひそめ、彼女を睨みつける。睨まれた側は、冗談めかしてちろりと舌を出して笑うので、いささか不満げに、だがとりあえずは話に戻ることにしたらしく、わざとらしい咳払いを入れてから、
「妾はいつか、あの方に必ず置いて逝かれよう。それが自然の理というもの。しかしな……それまでは、共に在れる。共に在ろうと思い、そのために動けば、だがな」
 永き生の中で、いつか、このひとときなど瞬きする間のようなものになるのだろうか。
「あれはまだ三年であろう。だからまだわかってはおらぬな、出会うことと別れることは、同じ数だけあるもの。ならば、取る道は一つしかあるまいてに。望むままに、想うままに」
 と、ニナががたんと椅子を蹴らんばかりの勢いで立ち上がる。
「なんだかよくわからないけど、応援するわよ! そーよ、好きになっちゃったんだから仕方ないじゃない! 遠くから見つめてるだけなんて、寂しすぎるもの、哀しすぎるもの、向こうにも私のこと見てもらいたい!!」
 その大声に、恋する女性の集う、今のこの図書館中から拍手がわき起こる。すでにそういう悩みとは縁のないテンガアールが、その様に思わず苦笑をこぼした。
「ふむ、小娘もたまには、良いことを申すものじゃな。……のぅ、カスミ。誰かを想う心はいわば魔物じゃ。己で思うがままに出来るものではない。正直になってみてもよかろう、確かに相手のことも気遣わねばならぬが、一に来るのは己の心でしかないのじゃぞ」
 そして口の端を笑みの形に持ち上げ、シエラは楽しげにささやく。
「妾も、必ずやあの方のお心射止めてみせようぞ」
 儚くても、幻よりも夢よりも確かな現実が、ここに在るから。
「シエラさんは強いのですね……」
「伊達に主らより長く生きておらぬわ」
 喪うことに怯えて独りいることが、幸せなどとは決してない。
「それに――幸福な記憶は、決して苛んでくるだけではないしの……」
 一瞬だけ見せた、その遠い眼差しは――




「セファル、そっち出来た〜?」
 ナナミの声がかかったとき、ちょうど一度広げたために歪んでいる琥珀色の環が、セファルの手の中でもう一度ぴったりと合わさった。
「出来た」
 セファルが見せるために持ち上げると、連なった紅い環がしゃらりとぶつかる。と、ハンドタオルほどの白い清潔な布を、ナナミも広げて見せた。
「私ももらってきたよ、真っ白な布」
 細かな彫刻をするためのピンを横にどけて、白い布に、名前を彫り込んだ紅い環を三つと白い羽を一枚、丁寧にくるむ。
「あとは、これを誰にも見つからないトコに隠すだけだよね」
 広くなった部屋を一通り見回して――なんとなく手放せずに取っておいてあった火打ち石と同じところに、二人はそれを慎重に隠した。




「ねぇ、僕たちって、恵まれてるよね」
 突然そんなことを言ったテンガアールに、ヒックスは驚き目を瞬かせた。
 陽が落ちてきて、二人もいる城の前の通りは、リーヤンの者も近隣の者も集まって、祭りにわいている。戦争中とはいえ、いや戦争中だからこそか、にぎやかなものだ。
「どうしたの、いきなり?」
 身体の後ろで両手を結んで、つんと顎を上向かせたまま逡巡すれば、周りの灯りを映し込んであたたかな色硝子が煌めいた。
「うん、……ま、いいか。あのさぁ」
 昼間のことを思い出すきっかけになった人影を視界の端にとどめたまま、テンガアールはぽつぽつと話し始める。並々ならぬ険しさの、片恋の話だ。
「そんなことがあったんだ」
 同じく斜め上を見上げたままヒックスが、つぶやいた。
「あったんだよ」
 そんな彼に頷いて、笑みをこぼす。
 自分はこんなに普通に隣にいてもらえて、素直に未来を夢見れる。
 それは、なんと幸せなことか。
 何度も作り直してやっと少しは様になった輪にかけた、願いは心の中に。




「はぁ……」
「ふぅ……」
 重なったため息に、カードを並べていたリィナは思わず苦笑をこぼす。
 リィナの向かいに座って両の頬杖に深く顎を沈ませている妹アイリと、少し離れた机上の輪を前にしているカスミと。他にはもう、この図書館に人はいない。外に出て、意中の人の元に行ったはずである。ここに残っているのは、可愛い意味でも、そして深刻な意味でも素直になれない人、ということか。
 そのどちらにも含まれない自分はどうしようかと、薄暗い窓の外にリィナが目を彷徨わせたとき。
「……おや、まだ誰かいらしたのですか」
 四角い箱のような見目の本を二冊手にしたクラウスが中をうかがうなり、そうつぶやいた。その声に、思い悩んでいる二人ものろのろと顔を上げる。
「こんな祭りの夜に、どうかされまして?」
「いえ、少し……昼間は使えませんでしたしね」
 リィナに答えて、クラウスがわずかに苦笑する。
「シエラさんは御一緒ではないのですか?」
 昼間のことを思い出して問いかけたカスミに、とりあえず手近な書机についたクラウスは、
「いえ、お会いしていませんが……あの方が、何か?」
 おっとりとした顔立ちに微かに怪訝を浮かべた。
「いえ、ちょっと――」
 カスミはそのまま言葉を濁しかけるが、ふとリィナが、
「少しおつきあいいただいてもよろしいかしら?」
「はい?」
「シエラさんのこと、どう思われますか?」
「……は?」
 この場にシュウでもいたら、軍師にあるまじきと叱責を受けるかもしれないような間の抜けた声を、クラウスが上げる。
「いえ、ものの喩えと思ってください。あの方が真の紋章をお持ちであることはクラウス様も御存知でしょう。つまり、私たち普通の人間とは比較にならないほどの長い時間を生き続けることになる、のですよね。もし、そんな方のことを好きになられたら、どうしますか?」
 すぐには意図を読めなかったのかわずかに眉をひそめたクラウスだったが、やおら落ち着いた笑みに戻ると、
「出来ることなら、秘めて諦めたいですけれどね。泣くのは、死ぬ者ではなく遺される者ですから……」
 少しばかり、遠く目を向けて、だがやおら強かな笑みに切り替えると、
「とはいえ、実際にそういうことになれば、諦められるものではないでしょう、本当にその人を好きになったのでしたら。人というのは自分本位ですから」
 あれ、とカスミは首を傾げる。クラウスのこの言葉には聞き覚えがある。
「それに、甘えたことを言わせていただけるなら、永遠に等しい時間からすれば短いひとときかもしれませんが、記憶というのも、忘れない限り個人の永遠ですしね」
 どことなく実感のこもった物言いに、アイリは目を瞬かせる。リィナはゆったりと笑みを湛えたまま聞いていた。
「言葉遊びに過ぎないのかもしれませんが、こうでも思わないとやっていられませんよ。……先立たれて、遺された者の想いは」
 大切な人を亡くす思いは。
 もういない人を想う心は。
「……そう、ですね」




 兵舎と本館前の通りに灯りが並んでいるが、本館の中はすっかり静まっている。湖に面したこちら側などは、邪魔な人口の光もなく、広々としたデュナンの湖面に空が映る。たまの波に揺らめく星屑が、ちらちらと目にも映って。
「……」
 テラスの手すりに身体を預けて、ぼんやりと眼下の空を眺めていたフリックは、ふと手にした何かを握りなおし、その腕を軽く振り上げた。刹那、
「フリックさん見ーっけ♪」
 響いた声にすかさずフリックは手を止め、すっとその場から数歩横にずれた。
「っと」
 翻る冴えた青に目を眩まされて、ニナが一瞬前までフリックがいた空間で蹈鞴を踏む。と、実に目敏く、嘆息したフリックの手に握られているものに目をとめた。
「フリックさん、それ……! ――あ、もしかして」
 答える気にならず、フリックはそれを再び湖の方へ向けて――
「おい……離してくれないか?」
 右腕の肘の辺りを掴まれて、フリックはうんざりと声を投げかける。手には何かを握ったままだ。
「だって、もったいないじゃないですか!」
 即答したニナに、今度は苦笑する。
「なんだ、星祭りがどうのって騒いでるわりに、慣習を全部知っちゃいないのか」
「え〜? 告白する日……じゃないの?」
「もともと、一年に一度引き裂かれた恋人同士が会えるって伝説からなんだぞ、おい……」
 しょせん祭りなんてそんなものだろうが。由来などよりも、こうしたことばかりが誇張されて受け継がれていくのだろう。とはいえフリックも当然、もとからこんなに詳しいわけではない。彼女が言ったのでなければ、聞いたとしても覚えてはいなかっただろう。
「相手が遠く離れていて」
 遠いあの人へ、白鷺よどうかこの想いを伝えてください。
「渡せないときはな、水に映った"橋の鳥"に向かって――投げ込むもんなんだよ」
 ひゅっと夜気を切って、星の硝子が銀河に沈む。




 かつん…
 空気に響いた、最後の足音。
 わざと響かせた、立ち止まる音。
 そして沈黙。
 遠くに聞こえる、祭りの声。 
 発せられない、彼女の声。 
 晴れた夜空には、いっぱいの星。
 夜も深まり、いっそう清かに煌めく星の海。
「シフォン様……」
 どれほど経った頃か、震える声が微かに響く。
「どうかした?」
 両手を手すりに残したまま、シフォンが状態を振り向かせて微笑み返した。いつものように感情をうかがわせない、優しいけれど曖昧な笑み。やわらかいけれど薄い声音。
 カスミは小さくうつむいて、空気しか漏れない唇から、しかしなんとか声を紡ぎ出す。
「お隣、よろしいでしょうか?」
「……別に、わざわざ許可を求めなくていいよ」
 隣に並んで、背が並んだことを改めて実感したけれど。
「何を、してらっしゃったんですか?」
「なんとなく、ね。あの騒ぎには入れないし」
 手すりに頬杖を一つついて、シフォンは通りを見下ろす。恋人たちの祭り。もう、自分とは縁のないことだと。
「シフォン様、御存知ですか?」
 カスミの言葉に、シフォンが頬杖をついたままで振り向く。一瞬躊躇って、だが意を決し右手にしていた、茜と萌葱の輪を外すと自分の手のひらに乗せる。
「……それって」
 驚きを浮かべて頬杖を解いたシフォンに、差し出すように。
「これには、願い事をかけるんです。星祭りの夜に」
 女性が想い人に贈る、願いの輪。
「へえ、それは知らなかったな。いろいろあるんだ、あの伝説にも」
 シフォンも元は帝国大将軍の子息である。こういった慣習になぞらえた貴族内の祭事に招かれたことも一応は何度もある。が、しょせん貴族同士のことなので当然伴う、見え隠れする下心に巻き込まれやすいシフォンははっきり言ってそれらを好いてはいなかった。テッドが来てからはずっと街の方の祭りに飛び込んでいたので、祭事自体を嫌悪するには至っていないが。
「願い事、か……」
 少し淋しそうにシフォンはつぶやく。諦念すら感じるのは気のせいだろうか?
「あの……」
 顔が火照ってきているのが妙にはっきりと感じる。照れに押し流されてしまいそうながら、必死で言葉を拾い出す。
 一番伝えたいことは、何?
「あの、――もらっていただけませんか? もう願いはかけてしまっていますけど……」
 シフォンがきょとりと見返す。
 そう、自分がしたいようにやってみる。
「勝手に願わせていただきました。――いつか、幸せになってくださいますように、と」
 共に在ること以上に、今。ただ一つ望むのは、そのことだけ。




 しばらく茫然とカスミを見ていたシフォンだったが、
「僕って……もしかして、幸せなのかな」
 すべてを、――呪われた宿命すべてを知って、それでもなお笑いかけてくれる多くの人たち。
 わざわざ不幸だとは思っていないけれども、幸せだとも思っていない。結局それは幸せではないことになるのだろうけれど。
 幸せになろうとも、考えていなかった。考えられなかった。けれど。
「……ああ、そうだ」
 どこか幼い年相応ともいえる表情で、手の中の願いの輪を見下ろしていたシフォンが、はたと何事か思い出して顔を上げる。取り出したのは、紅い石のペンダントだ。
「南極寿星を象ってるんだって。知ってる? 長寿の星」
「え? ……あ、はい」
 低い空で紅く輝く、見た者は長生きすると言われている星の名だ。見ることが難しい星なので誰でも知っているわけではないが、知る人ぞ知る、といった類のものである。
「大したものじゃないし……その、星祭りの慣わしからは外れてるけどね」
 その意味するところに、今度は逆にカスミが呆けて立ちつくす。
「それって――」
「人と関わりたくないって思いながら、捨てられないんだ。だから、みんなには長生きしててほしい。今はまだ駄目だけど、いつか駄目じゃなくなるかもしれない。そう信じてみたい」
 まだ、出来ない。テッドのように、笑えない。
 多くを喪ったことによる深い傷は、未だ生々しく口を開けていて。
 喪う恐怖をさらに煽りたてる右手の影は、どこまでも色濃くて。
 でも、ずっとこのままだとは、思いたくなかった。
 いつも笑顔をくれる人が、人たちが、いっぱいいるから。
「私、長生きしてみせます。めいっぱい、長生きします……!」
 言って、なぜだか泣き出しそうになったのを堪えて、カスミは必死で笑った。
 泡沫の夢。
 永遠においては瞬きほどの、ひととき。
 想いを寄せるには儚すぎる、ひととき。
 あまりにもあっけなく過ぎ去るであろう時を、見つめれば見つめるほど、切なくて。
 けれども。
 その一瞬一瞬に、すべての一瞬に、守られている。
「ありがとう」
 左手首に、茜と常磐で編まれた願いを通しながら、シフォンはカスミに微笑みかけた。




 まだ、今は不安の方が大きいけれど。
 いつか、心から笑えるようになりますように……






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 入れられるだけ入れてみたんですが、あちこち割を食ってしましました。しっちゃかめっちゃか。

 まずは笹の葉・短冊の習慣の抹消&自作の習慣について。うろ覚えの七夕伝説を必死で思い起こしてつくりました。髪飾りについては「かんざしに似た」と形容詞が原案にはありました。消えてますが。あれです、天の川をつくってしまった織り姫のかんざしを返す、という意味で。願いの輪については、これはもう、織女になぞらえた物はないかと悩みまくって部屋の中片づけていたときに、懐かしい「プロミスリング」なる物を発見しまして。これだ!と思って使ってみました。これはこれで、綱と引っかけてもあります。
 で、それとは違う子供たちの物についてですが……これは恋人云々とは別です。実は元ネタは「輪紅」です。三つの割り当ても、四つの割り当ても……
 次、シフォンの持っていた石が象っていた「南極寿星」。これはカノープス、竜骨座に属する、全天でシリウスに継いで二番目に明るい星です。南極老人とかとも言いますが、長寿の星です。日本では関東辺りが北限だったかな? とにかく日本の空だとかなり低いです。日本で見るのはちょっと難しい星です。南中してもかなり低いので、夕焼けの原理と同じく紅く見えるんです。ちなみに、冬の星です(笑)