「何か問題がと申されるのですか?」
「いえ、ですから、その…」
 もっぱら応対を受け持つクレオも、どう言えば後腐れなく納得を引き出せるのか、笑顔を繕ってはいるが困り果てていた。
 その隣に座り、洗練された作り笑いを張り付かせた表情にはおくびにも出さないままに、いかにこの場を切り抜けようかと思案しているシフォンも内心うんざりしてきていた。
 本当にどうしたらよいものかと彷徨わせていた視線が、ふと窓の外に行く。刹那、ごく微かに瞳を見張ったかと思うと、悪戯を思いついた子供のような輝きが一瞬だけ表れた。部屋の隅に控えていたグレミオがそれを見逃さず、表情だけで何事かと訊ねてくると、シフォンは、周囲には気づかれないようにこっそりと、窓の外を見るように示したのだった。




その手のひらに




 もう一度、ノッカーを鳴らしたが、反応はなかった。
「留守なのかな……?」
 今まで一度たりとそんなことはなかったというのに。
 がっくりとセファルは肩を落とし、ナナミはつまらないといったように唇をとがらせる。
「誰もいないなんて事はないと思うんだがな……」
 訝しげに眉をひそめ、セファルの隣にまで出たフリックがまたノッカーに手を伸ばそうとする。と。
「みなさん、ちょうどいいところへ……!」
 やっと開いたかと思うと、地獄で仏にでも会ったかのような喜色満面のグレミオがそう言った。
「な、何かあったのですか……!?」
 セファルとフリックを押しのけカスミが思わず前に出る。その様にフリックとビクトールは声を立てずに微かに笑うが、
「いえ、いやまあ、あるといえばあるんですけど……とにかく中に入ってください。坊っちゃんもお待ちです。ああ、来客中なので、静かにはしてくださいね」
 明らかに困り顔といった苦笑で、グレミオが足早に屋敷の奥へ皆を招き入れる。マクドール邸に今まで入ったことのないニナは、初めて見るこの立派な邸宅に落ち着かなさそうに視線をきょときょと辺りを見ていたが、他はなにが起きたのかと興味ありげだ。
「いったいなにがあったんだ……?」
 重大なことではなさそうだが、どうにも厄介そうなのは見て取れる。問いかけたフリックに、
「詳しいことは後で説明しますから、今はあれをなんとかしないとならないんですよ……とにかく、お願いですから下手なこと言わないでくださいね。本当にお願いですから」
 懇願にも似た口調でグレミオがそう言ったところで、応接間から聞き覚えのない声が聞こえた。
「はっきりとおっしゃってくださいませんか?」
 焦れた、壮年を過ぎた辺りの女性の声だ。
 疲れたため息を一つついたグレミオがそっと、扉を細く細く開けた。すかさずひょこっとその下から室内をセファルとナナミがのぞき込み、背の高い大人二人は上からのぞく。
「なんだ、あの親子……?」
 並んで座るシフォンとクレオの向かいに、ここからでは後ろ姿でいまいちよくわからないが、一組の母娘が座っている。しゃべっているのはずっとその母親の方だが、和やかといったようにはとても見えない。剣呑でもないのだが、シフォンもクレオもこの場に閉口しているのは確かだ。
「いえ、それが……」
 ぱっと、シフォンがこちらに気づく。そんな素振りを他人に悟らせないことなど彼にとっては朝飯前だが、このときは違った。しっかりと気づいたことを表に出す。
「シフォン様……?」
 どうしようかと対応に悩んでいたクレオも、それにつられるように扉の方を見た。
「ああ、皆さん……」
 ほっと安堵したかのように、いやまさにその通りに、クレオが微笑みかける。その背後に控えて、そろそろ無表情すら取り繕うのも困難そうだったパーンも笑顔を見せる。
 シフォンがごく小さく頷いたのを合図に、グレミオが大きく扉を開け放った。
「申し訳ございませんが……何度も申し上げてますように、この話はお受けできません」
 きっぱりと穏やかな口調で、シフォンが言い放つ。シフォンはそのまま立ち上がると、グレミオの横で、状況を読めずにきょとんとしているセファルたちの方へ歩み寄る。そして、その中からカスミの手を取り、応接間の中へ誘うと、
「私は、彼女に心を決めておりますので」
 綺麗な微笑みを浮かべたシフォンが告げた言葉に、誰よりもカスミが驚いた。




「ったく、さんざんな目にあった……」
 あのまま済し崩しで母娘を追い返した後、やっと一息つけるとばかりにシフォンがどさっとソファに崩れ落ちた。
「本当に……こんなこと、これっきりであってほしいものですよ」
「肩が凝ってしょうがない」
 グレミオとクレオとパーンが顔を見合わせ、ため息まじりに苦笑する。
「あ、あの……?」
 やはり事情がわからず首を傾げるセファル、ナナミ、ついでにニナの横で、フリックとビクトールは突然吹き出した。
「そりゃ災難だったな、シフォン」
「まあ、ここにルックがいなかったことを不幸中の幸いと思っておけよ」
 フリックの言葉に、シフォンは乾いた笑いを立てる。
「まあね……」
「え〜え〜、いったいなにがあったんですか?」
 カスミさんはまだあんなままだし、という後半は口の中でつぶやくナナミ。そのカスミは未だ先ほどのショックから抜け出せず、顔を真っ赤にしてソファに座っている。
「ええ、それが、ねぇ……」
「簡単に言えばだけどね、求婚されたの。シフォン様」
 包み隠しのないクレオのセリフに、セファルがちょうど口に含んだ紅茶を吹きそうになる。ナナミはぽかんとなり、フリックは出来るだけ声を殺しつつも腹を抱えて笑い、ビクトールはそれこそ容赦なく笑いまくった。
「あそこの家はね、解放戦争の後期にこちら側に寝返った、元帝国の中流貴族の一つなんだよ」
 ほとほと呆れたようにシフォンが言う。かくいう彼はそういう見方をするなら、赤月帝国でも大将軍の任に就いていた名門マクドール家の継嗣、そしてトラン共和国では建国の英雄ですらある。こういった展開もむしろ然りといった立場ではあった。本人にその気が欠片もなかろうと。
「もう、これがしつこくてさ。どうやって断ろうか困ってたところだったんだ」
 下手なことを言っても理由を明確に求められる。今までのようにお茶を濁すのもままならない押しの強さだったのだ。
「へぇ〜」
 いまいちシフォンとのつながりの薄いニナは生ぬるい相槌を入れる。と、ビクトールがなにやらにやりと含みある笑みを浮かべ、
「しかしシフォン。なんだってお相手にカスミを選んだんだ?」
 しかも心持ちカスミより前の方に二人はいた。これは身長差の都合もあってのことだが。
「……何が言いたいのかな、ビクトール?」
 深々ともたれていたソファから上体を起こし、シフォンがにっこりと笑んで問い返す。
「他にナナミもニナもいたってのによ、ってことだ」
 ビクトールの言を明らかにからかい目的だと判断したフリックは、下手に突っついて巻き添えを喰らうわけにはいかないとばかりに、ひたりと貝のように口を閉ざして距離を置く。
「ナナミに……ニナさん?」
 シフォンはちらりとそちらを見やる。すると。
「え〜、私〜?」
「私はフリックさん一筋よ!」
 二人の声はまったく同時に発せられた。
 ビクトールはまた笑いだし、今度はグレミオやクレオ、パーンも堪えきれなかった。フリックは引きつった笑いであさっての方を向く。
 さすがに居心地の悪さを感じたシフォンは、一つ咳払いを挟んで口を開いた。
「それはともかく。まだ終わりじゃないんだ。実は」
 赤い両頬を手で包んで必死に落ち着こうとしていた隣のカスミに、シフォンはぱちんと手のひらを合わせると、
「悪いんだけど、もう少しつきあってくれないかな。カスミ」
「……え?」
 話によると、直接屋敷にまでやってきたのは今のところあの家だけだが、申し込み自体は至る所から来ているらしいのである。そろそろ他へも適当に誤魔化してばかりいられないだろう。誰がこの英雄の妻の座を勝ち取るかは、どうあってもつきまとう権力争いにあっては大きな意味を持っている。
「いつまた乗り込んでこられるかわかったもんじゃないからね……」
 今回のことはさすがのシフォンも参っているらしい。半眼で呻く姿には、いつもの余裕綽々とした様はまるで見れなかった。
 こういった事態を懸念していたからレパンド辺りには滞在について口止めを入れていたのだが、帰国した姿を誰にも見られていないわけではない。いったん漏れてしまえば、それこそどこまで広がるかは考えたくもないことだ。
「え、あの……」
「カスミさんほど適役は他にいらっしゃられないんですよ。私たちからもお願いできませんか?」
「適役?」
 セファルがオウム返しに口に出すと、
「だって、そうでしょう? こんなこと、あまり親しくない人とではぼろだって出てしまいますよ。その点カスミさんなら、表向きにも十分説得力がありますしね」
 クレオが言って意味ありげに微笑んだ。
「で、ですが……」
「なら、いいじゃない。引き受ければ? 時間ならあるんだしさ♪」
 ビクトールに影で小突かれたセファルが、にこやかに言い放つ。
「一回あなただと言ってしまいましたしね。これで替えてしまったら、不自然ですよ」
 ついでグレミオから一応の正論も出る。それでも首を縦に振るのを躊躇っていたカスミだったが、しかし。
「……迷惑かな、やっぱり?」
 すまなそうに微笑んでそう言ったシフォンの姿に、
「いえ! 私などでよろしければ……!」
 元から真っ赤だった頬をさらに赤く染めて、妙に勢い込んだ口調でカスミが承諾した。




 そして数日を経て。
「悪かったね。気晴らしにトランに来てたのに、こんな事に巻き込んじゃって」
 おもしろ半分についてきて結果心底疲れ果てた面々に、シフォンは呆れながらも、自身もだいぶ疲れた面持ちでそう声をかける。
「シフォンさん、苦労してるんですね……」
 セファルがぽつりとつぶやいた。その目は心なし虚ろであるような気がする。
「まあ、ね……」
 いったい何件回ったことやら数えることは途中で放棄した。中には、本気でトランの英雄に恋していた娘もいたらしく、泣き出したりもあってなかなか悲惨な騒ぎになることもあった。すでにナナミとニナはリタイア、グレッグミンスター観光に日々を過ごしている。
 そんな中、シフォンはもちろんカスミも笑みを絶やさず対応し続けたことは賞賛に値するだろう。初めこそ顔を真っ赤にしていたシフォンの"心に決めた女性"発言にも、内輪だけになったとき以外は見事に普通の表情で通したことも、さすが忍びといったところか。
「カスミも。ありがとう、助かった」
「いいえ。お気になさらないでください」
 カスミが微笑み返したところへ、
「あんだけ派手に触れ回ったんだから、このままマジでもらえば?」
「なっ……!?」
 ぽんと肩を叩いて横から茶化しを入れたビクトールのセリフに、シフォンがまともに絶句する。と。
「、ってぇっ〜!」
 右足の向こうずねをさすりながら、ビクトールがぴょんぴょん跳ね出した。シフォンが思いっきり蹴りを入れたところをまともに見てしまったフリックは思わず目をそらす。
「おまえな、今本気だったろ……!?」
 涙目になりながらビクトールは訴えるが、
「さてね」
 シフォンは至って冷淡な声音で返すだけ。ごくごく微かに顔を赤らめているようにも見えるが、それをわざわざ突っ込む命知らずはいない。
 そのとき、ばんっと実に景気よく扉を跳ね開ける音が響く。
「シフォン殿ぉぉっっ!! 婚姻とは真ですかぁっっっ!!!??」
「げっ」
 やばい、と、その場の誰もが顔を引きつらせる。扉から現れたのはレパンドだった。
 しかし何故だろう、しっかりと見事に"婚姻"にまで飛躍しているのは?
「……カスミ」
「シフォン様……」
 顔を見合わせ、意見は一致。それはもちろん――
「ここはひとまず――逃げよう」
 周りが立ち直るよりも一瞬早く、シフォンがカスミの手を取ってその場から抜け出す。
「え、え、坊っちゃん〜!?」
 慌ててグレミオが振り返るが、時すでに遅し、二人の姿は消える寸前。
「グレミオ! クレオ! パーン! 後は任せたっ!!」
 シフォンはいったん立ち止まったが、大きく腕を振りながら明るい声音でグレミオたちにそう投げかけると、そのままカスミと共に逃げ去ってしまった。
「夕飯までには帰ってきてくださいよぉ〜!」
「……グレミオ……?」
 返す言葉のとんちんかんさにまた何人かが脱力したが、彼は気にせず微笑んだ。
「こんなのもいいじゃないですか。お二人とも楽しそうですよ」
 幸せ一つ、その手にあった。






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 ハズしたギャグか、ハズいほのぼのか、いまいちはっきりしない婚約騒動。
 話に混ぜ込むでなく、まるまる一本こういう調子なのは初めてです。