タダシイヒトノシカタ




「三名すべて、行方は杳として知れません。あの地方からはもはや去っていると思われます。ある日突然消息を絶った模様で、街の者の噂によりますと夜逃げであろうと……」
「……そうか。下がっていい」
 跪いたまま頭を垂れている男に、努めて冷静にそれだけを告げる。命令通りに男がこの執務室を辞しその気配も完全に遠のいたところで、立派な平机に組んでいた両の頬杖に顎を預けたまま、ジョウイは沈んだ息をもらした。
「その御様子ですと、結果は芳しいものではなかったようですね……」
 不意に隣の私室の扉が開く音が、続いて淑やかな少女の声が響く。ジョウイは頬杖を解くと、自嘲を浮かべた。
「仕方ない……んだ、きっと」
 反逆者として引き渡した者が、どうしてその国の皇王にまでのし上がれると予測できようか。夢にも思わなかったに違いない。報復を恐れて姿をくらましたのもうなずけることだった。
「それにね、見つからなくてよかったと安心してる僕だって、いるんだよ」
 自嘲の笑みをますます強めてジョウイがつぶやく。
 そうだ。今更会ってどうしようと言うのだろう。自分は。
「もし会えたとしても、きっと僕はなにもできない……」
 今更。今更、自分のことを他人と言い切った父に弟に、あの日顔を見せることすらしなかった母に。会って、何を言おうと? ――許してあげる、とでも言うつもりだったのか。
「あなたを見捨てたこと、恨んでいらっしゃるの?」
「……どうかな。でも、恨んだところでどうしようもない。父に僕をかばう理由はなかった。父は僕を好いてはいなかったんだ。自分の血を引いていない"長子"をね」
 まぶたを伏せて、椅子に深く深く身体を沈める。奥底に澱む消えない疲労のような重みに、何とはなしに天井を仰ぐように首の力も抜いて。
 と、扉を閉める音が聞こえた。一瞬の間を置いて、
「それは矛盾、していませんか? あなたの大切な方たちは――」
「してないよ」
 途中で言葉をさえぎって、ジョウイが口を開く。
「あの二人のところには、本当に家族の絆がある。血の囲いなんて全然なくても、それを補ってあまりあるほどの。けれどね、僕のところにあったのは単なる"ふり"だけ。世間体を気にして演じていただけの、見せかけの"家族"なんだよ」
 だから。邪魔になったらあっさりと切り捨てられた。
「僕はきっと」
 愛されてはいなかった。
「だから、あなたも愛してはいないとおっしゃるのですね……」
 開いた視界に映ったのは、ぼやけたベージュの天井。何か模様があるようだったが、よく見えなかった。首を前に折って横手を見やると、彼女は微かに目を細めてこちらを見ていた。
「……そうかもしれない」
 幼い頃は、理解できずにただ寂しがっていた。
 理解できてからは、もう。
「私は、お父様のこともお兄様のこともお慕いしております」
 真実を知ったとき、苦悩がなかったと言えば嘘になる。だが。
「……何が言いたいんだ?」
 諌めるという色は全くなく、ただ怪訝だけがジョウイの声にはあった。皮肉を言いたいようには聞こえなかったからだ。
「私のことを、大切な娘だと、妹だと、はっきりおっしゃってくださいました」
 深い絆があれば、言葉はきっといらないものになる。
 けれども。
 時にはその言葉が、ただの音の連なりが、どうしようもなく欲しいときもある。
「先ほどあなたが止められた言葉の先を、あなたはきっと勘違いなさってます。私はただ、問おうと思っただけ。あなたは、あなたの大切な方たちのことを愛しているではないですか。そして」
 誰にも愛されていない。
 誰も、愛してはいない。
 そう言い切る前に、とても大切なことを忘れているのではないのですか?
「――下がって、くれないか……」
 苦しげに眉を寄せると、顔を背け深くうつむいたジョウイは掠れた声で再びさえぎった。
「……わかりました」
 すっと伏せるように目を細めて言葉を返すと、扉を開け奥に姿を隠す。
 彼に声は届かない。
 それでも、ジルはその声に乗せてつぶやいた。
「あなたが愛しているのと同じように、あなたも愛されているはずなのに」
 あの少年に。あの少女に。
 あの人が、誰よりも何よりも、そう、自分よりも大切に想っている人たちに。
 それでもあなたは、死に急ぐのですか?




 一筋流れた涙は、誰のために。






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 正しい人の、愛し方。
 正しい、人の愛し方。