その人と一緒なら、この影の谷を歩むことも怖くなかった。







fake jewel


〜なみだの粒〜







 台代わりの倒木の上に、アリエッタは持ってきた荷物を置いた。
 色濃く生い茂る緑に囲まれた、浅い洞穴。前にここへ帰ってきたときは、無惨な姿になった母の亡骸と、砕かれたいくつもの卵を土に埋めた。
 今度は。
「ママ。見てて」
 きっと仇を取るから。
 答えるように葉擦れの音が、小さく優しく響く。
 しばしその音に心を預けてから、アリエッタは唇を引き結び、六神将となってから着るようになった黒い制服を脱ぎ捨てた。そして鞄の中から取り出した、白い制服に着替える。
 それはまだイオンの導師守護役であった頃に纏っていた制服だった。あれから身長もさほど変わっていないこともあってか、久しぶりにも関わらず、しっくりと身体に馴染んだ。倒木の上に鏡を立てて覗き込みながら、ケープの胸元を整え、髪を梳いてから帽子もきちんとセットする。昔はこれが下手で、よくアッシュに直されたものだった。彼に口うるさく言われていたのは、イオンも同じだったけれど。
 だがそんな日々は、イオンが病に倒れて、すっかり変わってしまった。長い療養生活を経た快復から間もなくアリエッタとアッシュは導師守護役から外され、イオンに会うこともままならなくなってしまった。
「イオン様……」
 ぬいぐるみを力任せに抱きしめる。また泣いてしまわないように。
 大好きだった。
 幸せだった。
 取り戻したかったのは、あの五年間だった。
 それももう、叶わなくなってしまったけれど。
 甦ったフェレス島の廃墟を前に、かつては美しい街だったとヴァンが言ったから、綺麗だった頃に戻ったら二人を連れてきて見せてあげたかった。
 死んでしまう前に、母に兄弟たちに、アリエッタはちゃんと人としても幸せになれたよと伝えたかった。
 それももう、叶わなくなってしまったけれど。
 イオンは死んでしまったから。
 だから最期に、せめて。
「アリエッタ。支度は済んだか」
 洞穴の外から低い声が聞こえて、慌ててアリエッタは振り返った。
「今行く、です」
 それから急いで片づけた荷物を手に、外に出る。
 巣穴だった場所の前で待っていたラルゴが、外に出てきたアリエッタを見て僅かに目を細めた。
「ほう。懐かしい格好だな」
「ママやみんなの仇もあるけど。──アニスはイオン様を守らなかった。だからアリエッタはアニスを斃す、です」
 言いながら、アリエッタは決然と顔を上げた。
 その傍らにはライガとフレスベルグが付き従う。
「そうか」
「……アリエッタにつきあってくれて、ありがとう、でした」
「奴らはヴァン総長の敵でもある。気にするな」
 ヴァンの敵。
 それはこれから決闘に臨む相手もそうだが、もう一人。
 アリエッタはきゅっと唇を噛んで、その言葉を飲み込まないことに決めた。
「もう一つ、お願い、……いい、ですか?」
「何だ」
「もしアッシュに会えたら、伝えてほしいことある、です」
「ここで死ぬ気か」
「違うです」
 唸るような声で問い返すラルゴに、アリエッタは間髪入れず首を横に振った。
「アリエッタは絶対アニスに勝つ、です。でもアリエッタ、もうすぐ死ぬ……だって、それがイオン様の預言だったから」
 とっくに死の預言は与えられていた。出会ったのも、それから五年を一緒に生きたのも、三人が同じ死の影を引きずっていたからだ。
 だがアリエッタは、怖いと思ったことはなかった。イオンがいてくれれば、何も怖くなかった。
 幸せだった。
「……絶対の約束はできんぞ」
 困ったような渋面になったラルゴが一瞬返事に窮したことに気づいて、アリエッタは小さく微笑み頷いた。
 いつ終わってもおかしくない命だから。
 また会えるかも、わからないから。
 今はもう、アッシュは敵になってしまったから。
「えっと。──アリエッタ、病気うつっても、一緒にいたかった」
 もしかしたら本当は、そうすることがイオンの望みに近かったのかもしれないけれど。
 イオンの病は、アッシュが得てしまった病は、アリエッタは得られなかったから。
「それだけか」
「それだけ、です」
 きっと、意味は伝わるから。







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お題no.6「君の嘘は優しすぎるから」。

いつかの後ろ影には、永遠に手が届かない。

障気中和後、ラルゴは彼女の遺言と遺灰をアッシュに届けます。
「影の谷」は旧約聖書詩篇23章。