1. O p e n i n g










 夕刻にペガサスの島を発ったヘリが童実野町上空にまで辿り着いたのは、すでに深夜と呼べる時間だった。
「ぅわ、もう真っ暗ね…」
 端にいた舞が窓越しに眺めた夜景は、灯りもずいぶん乏しくなってしまっている。住宅街の辺りなどは特にだ。
「海馬くん、ちょっといい?」
 遊戯は後部座席から身を乗り出すと、助手席でとうに眠りに落ちていたモクバを気遣ってか潜めた声を掛ける。
「なんだ」
「ヘリ、どこに降りるの?」
 海馬が目だけで後ろを振り向いたのは、一瞬のことで。
「オレの家しかあるまい」
 そう言って視線で促した先では、広大な海馬邸の敷地内でいくつもの光が、夜の帳を裂いて円を描いていた。あれが目印なのかなと遊戯がぼんやり思っていると、案の定その円の中央にヘリは着陸する。
「お帰りなさいませ」
 モクバをそっと抱きかかえた海馬が先んじてヘリを降りると、ヘリポートに立ち並んでいた使用人やSPたちが一斉に頭<こうべ>を垂れた。
「すごいね」
「さっすが海馬コーポレーションの若社長さんだわ」
「別世界って感じだなぁ」
 素直に感心を口に出す遊戯、舞、獏良の横で、
「で、オレらどうなんの?」
 城之内が渋い顔で時計を見やる。公共の交通手段などとうに終わった時間だ。
「あ」
 ほとんど陸の孤島と呼んでも差し支えない海馬邸から歩いて帰るには多少距離がありすぎる。疲れてもいる。
 そのとき。
「……兄サマ?」
「起こしてしまったか」
 重くて開ききらないまぶたを手の甲で擦りながら、モクバがゆっくりと辺りを見回した。そして、ヘリの中に目をとめると。
「ねぇ、兄サマ。あいつら泊めてやろうよ…?」
 突然の弟の願いに、海馬はちらりとヘリから降り始めた遊戯たちに目を向ける。今のモクバの言葉は聞こえなかったらしく、遊戯たちはこの後の相談をぽつぽつと交わしていた。目を戻せば再びモクバはうとうとと眠りかけていたが、
「客間を六つ用意しろ」
 手近にいたメイドに海馬がそう命じたのを耳にして、まさかとばかりに遊戯たちから驚きの声が上がる。
「明日のことはモクバが指示する。……いつまでそこで呆けているつもりだ、貴様らは」
 海馬の声音に怪訝も何もなかったが。
「あ、うん。ありがとう」
「礼なら明日モクバに言え。貴様らはモクバの客だ」
 言い捨てるが早いか、ジュラルミンケースを持たせた使用人と共に海馬は屋敷へと歩き出してしまった。
 その意味をいまいちわかりかねた遊戯たちはお互いに顔を見合わせるが、答えを知るのは翌日のことである。
 
 
 
 遊戯たちが朝遅くに起き出したとき、海馬はすでに出社していた。
「兄サマは、あいつらの――ビッグ5の解雇に行ったんだ」
 つまらなそうに朝食の皿を突っつきながら、モクバが言った。
「朝早いんだね、海馬くんて」
「今日なんて遅い方だぜ。これからもしばらくは、兄サマはゆっくり休む暇もなく仕事しなきゃいけない…」
 そのつぶやきを染める色に、遊戯ははたと広い食堂を見渡す。今回通された食堂は前回の比ではなく、この屋敷が初めてではない遊戯と城之内も入ってすぐは呆然としたものだ。
「無駄に広いからな、ここは」
 面白くなさそうに城之内が言うと、テーブルの下で杏子がその足を軽く蹴飛ばした。むっと睨んでくる城之内に杏子はまるで取り合わず、その様に隣で舞が笑みを忍ばせる。
「モクバくん淋しいんだ?」
 そんなやりとりを知ってか知らずか、獏良がおっとりと声を掛けた。
「違う、…くないけど、ちょっとだけだぜ!」
 少し頬を赤らめ照れるところがまた微笑ましく、つられるように皆もやわらかな表情になる。
「でもせっかく海馬くんが元気になったんだし、一緒にいたいよね」
「いいんだ。兄サマだって会社のことで大変なんだ。それにオレ、半年だって待てたんだぜぃ!」
 いつ目覚めるかもしれぬ兄を見つめ続けていた日々より、一緒にいられる時間は少なくとも元気でいてくれている今の方が、何倍もいい。
「いじらしいセリフじゃねーか。なぁ、城之内?」
「……ま、まぁな――って、おい、オレに振るなよ」
 本田の言葉に肯きかけた城之内が決まり悪そうに文句を返した。そこに舞も口を挟んでくる。
「あんたってこういう健気なお話に弱そうじゃなぁい? 図星?」
「うるせー!」
「ほらやっぱりそうなんじゃない」
 またもや軽くあしらわれ、城之内は朝から散々としか言いようがない。
「くそ、なんでオレばっかこんな目に……」
 そんな愚痴をこぼしていたかと思うと、唐突に城之内は立ち上がった。
「城之内くん?」
「あのよ、電話借りれねぇ? 金つくれたって……静香に早いトコ知らせないとなんねぇんだった」
 苦笑いまじりでモクバに頼む。事情を知らないモクバはその断片的でしかない言葉に不思議そうな顔をしたが。
「構わないぜ、電話ぐらい」
 部屋の隅に控えていたメイドに目配せし、了解の一礼を見て取るとモクバも椅子から降りた。朝食は済んでいたので他の皆もこれ以上ここにいる必要はなく、次々と席を立つ。
 勝手に歩き回るのも失礼だが興味はある海馬邸の中を多少でも見れる機会だからと電話一つに連れ立って動くことになってしまったのは、城之内は居心地悪そうだったが、モクバはおしゃべりが出来るのが楽しいようだった。
「――ああ、静香? オレだオレ。克也。……いや、今人ん家だから長話は出来ねって。それでな――」
 いざ妹の声を聞くと周りのギャラリーも意識外らしく、城之内は嬉しそうな笑みで話している。
「静香、って?」
「城之内くんの妹さんだよ」
「ふぅん……」
 ごく端的な遊戯の答えには気のない反応だったが、城之内に妹がいるというのはモクバにしてもそれなりに驚きだったらしい。電話越しでも仲がよいことを充分にうかがわせるその姿を、何とはなく見ていた。
「あれ? 獏良くんと本田がいない…」
「ホントだ」
 食堂を出たときには一緒だったはずなのに、いつの間にか姿が見えなくなっていたらしい。辺りを見回してみてもそれらしい人影は見当たらず。
「余所見でもしてて、はぐれちゃったのかしらね?」
「オレ、ちょっと見てくるぜ。ここにいろよ」
 長話は出来ないと言っておきながら短く終わりそうもない城之内の電話が終わる頃には戻れるだろうと、モクバは遊戯たちを残し、来た道を小走りに戻っていった。これで、合流するまでは勝手なことは出来なくなったようだ。
「あ、窓の外。花壇になってるわよ」
 そうして暇を持てあましはじめた頃、視界の端をかすめた華やぎに目をとめた舞が窓の外を指差したのに誘われ、杏子も窓に近づく。
「どれどれ?」
「ぅわ、海馬ん家らしくねー。見舞い用か?」
 いつの間に電話を切ったのか城之内が、可愛らしい花の並ぶそこを見て間髪入れずに言い放った。
「城之内くん、それはさすがに…」
 言い過ぎじゃないかと遊戯が苦笑をにじませるが、
「でもあの海馬って人、半年もここで療養してたんでしょ?」
 当たらずとも遠からずな舞の言葉に、その辺りのことを話すとなると罰ゲームのことから説明しなければならないのかなと、二の句が継げなくなる。が。
「ん?」
 廊下を慌ただしく走ってこちらへ近づいてくる複数の足音に気づいて、遊戯と城之内が怪訝に振り返り。
「穏やかじゃあ、ねぇな」
 窓の外にも現れた黒服の大柄な男たちに完全に囲まれるまで、たった数秒のことだった。
「武藤遊戯、城之内克也、孔雀舞、真崎杏子。黙って我々に御同行を願う」
 DEATH-Tや王国の島でもはや見慣れてしまった、海馬コーポレーション専属のSP。しかし彼らが仕えるべき海馬モクバの客扱いである遊戯たちに友好的でない、この場合は。
「ふん。ビッグ5とやらも大慌てってコトか」
 すぐさま思い当たり、入れ替わった遊戯は鼻で軽く笑い飛ばす。
「オレがペガサスに勝ったことで、さぞかし計画も狂ったことだろうな」
 朝の会話からすれば海馬がビッグ5へ解雇を告げに行っているはずだが、どうやらそう易々と首を切らせるつもりはないらしい。
「我々に御同行、願う」
 SPは無機質な声で繰り返し告げた。
「へ。嫌だ、っつったら?」
 挑発じみた城之内のこの言葉に、周囲のSPたちが返答代わりにざっと身構えてみせる。さらには。
「君たちの友人の無事は、保証しかねる」
 さすがにプロを十数人相手にしてこの囲みを抜け出せるわけがないと、城之内は遊戯と顔を見合わせ肩をすくめた。遊戯は後ろの杏子と舞にも一瞥送って後。
「いいぜ。賓客<ひんきゃく>待遇で案内してもらおうか」
 まったく物怖じすることなく、涼やかに言い放った。
 
 
 
 すでに今日の営業を始めている海馬ランドの喧噪を余所に、業務用の裏口から遊戯たち四人は人気のないフロアに連れて行かれていた。
「何だぁ、これ?」
 少し異様な光景に思えて、城之内が眉をひそめて声を上げる。人一人ならすっぽり収まるカプセルのような機械が、ずらりと十個ほど並んでいるのだ。
「君たちにはこれからそのカプセルに入って、仮想空間でのゲームに参加してもらう」
「って、おい、説明はそれだけか?」
 コンソールにいる男の操作でカプセルが四つ口を開けたのを見て、城之内が食ってかかるが。
「詳しいことは、中で海馬瀬人にお聞きください」
 嫌みったらしい笑みと共に言われ、舌打ちをこぼすしかない。
「ゲームの基本ルールもわからないまま放り出すつもり?」
 強引な展開に辟易しているらしい舞が投げ遣りな口調で一応問いかけた。
「それも、中でわかりますから…。左から、武藤遊戯、真崎杏子、城之内克也、孔雀舞の順で入ってもらいましょう」
 これ以上の問答を仕掛けたところで何の情報も得られそうになく、軽く肩をすくめて言われたとおりのカプセルの前に遊戯は立ったが。
(赤…? 杏子は緑で、城之内くんと舞は青…)
 カプセルの上部に灯るランプの色に、何かが引っかかる。他の使われないカプセルを見ると、すべて青になっていた。カプセルの見た目には、ランプの色以外には何の違いも見られない。
「ああ、デュエリストのお三方は、御自分のデッキを、その手の所にあるトレイに入れてください。ゲームで使用しますから」
 となると。遊戯は青が通常のプレイヤーではないかと見当をつけた。杏子はデッキを持っていない。故に、ゲーム中のデッキを利用した部分には参加不可能だ。
(ならばオレの赤はいったい――?)
 カプセルのクッションに深く身を沈め。
 鈍い駆動音と共にカバーが下ろされ。
「身体を楽にして、目を閉じてください」
 目を閉じて。刹那、まぶたの裏に眩い光がはじけた。
 そして、何故か。
 遊戯は抗いようのない力で、引きずり込まれたような気が、した。
 
 
 
「ほぅ……モクバを盾に、このオレにゲームを挑むというか」
 解雇を宣告され慌てふためきながら、何を言い出すかと思えば。
 下らないとばかりに海馬は小さく鼻で笑った。
「そうです。我々とてこの半年、社長のいらっしゃらないこの社を守ることに心血を注いできたのですから」
「社長がそれを見事クリアなされましたら、今日の会議、我々も解雇処分を受け入れましょう。しかし万が一、ゲームオーバーになられた場合には……」
「今回のことも不問にしろ、か」
 焦燥の色が隠しきれない面々の声に、海馬は微かに嘲笑う。そこに不穏な匂いを感じ取ってビッグ5はざわりと色めき立つが。
「――いいだろう。その賭け、受けて立ってやる。このオレにゲームで挑んだことを後悔するのだな」
 颯爽と立ち上がった海馬の返事に、一人が暗い愉悦を笑みに刻んだ。
「最強のラスト・ボスが社長をお待ちしておりますよ……」









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