3. P r i n c e s s o f t h e C u p










 ゲーム・クリアの成否とかいうような、はっきりしたものではない。
 もっと不確かで、形がなくて、けれど深いところからにじみでる。
 だが不安と呼ぶほど漠然としたものでもない。
 もちろん恐怖なんかでもない。
 だって。
 これはきっと、自分へのものではない。
 
 これはきっと、心配という感情だった。
 
 
 
 辿り着いた町は、さながら戦場の真っ直中といった趣だった。道沿いに連なる古い西洋風の建物はほとんどが傷んでおり、崩れかかっているものさえある。災害に見舞われたというよりは、局所的に力による破壊が加わっているようだ。
「ひっでぇな…」
「何があったんだろ」
 トーンの落ちた声で、肩に妖精をとまらせた杏子が傍らの遊戯に言う。
「わからないけど――」
 遊戯は周囲を見回しながら、あることに気づいて思わず海馬をうかがった。案の定彼もすでに気づいているらしく、デッキに手が伸びている。
「怪しまれてる、のかな」
 比較的軽傷の者が、傷んだ剣や槍を構えて慌ただしく飛び出してきたのだ。
 こんな場合はいったいどうすれば先へ進むフラグが立つのかなぁと遊戯は首を捻って考え始めたが。
「その必要はないようだ」
 ブルーアイズのカードを一枚だけ取り出した海馬が、上空を仰いだ。
「モンスターに襲われる町、ってところかしらね」
「遊戯! 杏子は任せたぜ!」
 先ほどとは違って今回は町がそばにあるものの、敵モンスターは飛行型、つまり空中戦が繰り広げられることになる。城之内も再びレッドアイズを喚び出すつもりのようだ。
「今度のは、なんか敵っぽい敵だね」
「さっきは蜂だったものね」
 実際の生き物をそのままモデルにしたようなモンスターではなく、いかにも魔物然としたラインナップということだ。
「召喚!」
 白と黒の龍が上空に現れ、早々と町に辿り着きつつあった敵モンスターがあっさりと蹴散らされる。
「よっし!」
 しかし先ほどの一戦との違いは、相手の方が上から来ているということだった。ばっと散らばった敵モンスターのいくらかは二匹の龍の攻撃をかいくぐり、町の人間に襲いかかる。
「甘いわよ!」
 しかしそれも、サイバー・ボンテージと薔薇の鞭を装備し、さらに万華鏡で三体分身したハーピィ・レディたちに次々と打ち落とされていった。
「一回に使えるカードは最高五枚……」
 何かあったときのために、最後の一枠は残しておくべきだろう。単体で強力なモンスターを持っているわけではない舞は、限られた枠を有効に使わねばならない。
「でも、あなた達にはこれで充分よね?」
 舞が艶めいた微笑を浮かべる。今のところ2100を数えた攻撃力に太刀打ちできるようなモンスターは見当たらない。もとよりそんな大物、いたとしても上が見逃しはしないだろうが。
 と、そのとき。
「きゃあああ!!」
 町の中心の方から、少女の悲鳴が響き渡る。
「なんだなんだ!? レッドアイズ、ちょっと頼むぜ!」
 そのひどくアバウトな命令も健気に了解するレッドアイズは吼えて、一目散に走り出した主の背を見送った。
 そのあまりに素早い行動に、急いで悲鳴のもとへ行こうとした遊戯と杏子も思わず呆気にとられる。さらに。
「ったく! なんなのよ、ここにナイスバディのイイ女がいるでしょーが!」
 波打つ金髪を軽くひらめかせ、紅を引いた唇を尖らせた舞がいたく不満そうに城之内の駆け去った方向を見やった。
 そして戦場の中心も悲鳴の方へと移りつつあったのを幸いに、我に返った遊戯と杏子が城之内を追いかけるのに一緒に走る。
「あそこだ!」
 少女が一人地面に座り込んでいて、その前で少女をかばうように、炎の剣士を召喚した城之内が青黒い影と対峙していた。
「みんな!」
「おやおや、助けが増えてしまわれましたか」
 丁寧な喋り口だが粘着質な声と相まって耳に障るセリフを吐いたのは、魔人デスサタン――敵モンスターだった。
 
 
 
「モンスターがしゃべれるの!?」
 驚愕に舞が目を見張る。いくらほぼ人型とはいえ、まさか会話の出来るモンスターがいるとは思わなかったのだ。
「おっと、私をそこらのモンスターと一緒にしないでいただけますか、お嬢さん。言うなれば私は特別なのですから……」
 にたにたと笑うデスサタンの、表情が不意に強張る。慌てて飛びずさったデスサタンが一瞬前までいた場所を、一条の光線が撃ち抜いた。
「外したか」
 新たに召喚したガーゴイル・パワードを従え現れた海馬が舌打ちする。
「これはこれは、私ごときではとても敵いませんねぇ。それでは姫様、またお会いしましょう――聖杯は、必ずやいただきますよ」
 そう言い残してデスサタンは姿を消し、町に襲いかかっていた敵モンスターも撤退を始めた。
「大丈夫?」
 杏子は少女に駆け寄り傍らに片膝を落とす。少女は目深にフードをかぶって、長いマントで身を包んでいるが、転んだ拍子に大きく開かれた合わせから見える中の服は、ドレスのように華やかだ。そういえばデスサタンは去り際、彼女を"姫様"と呼んだ――
「助けていただき、ありがとうございました…」
 杏子の手を借り立ち上がって裾を正した少女は、顔を隠したフードを落としてから、五人に礼を述べる。が。
「……モクバ?」
 思わず海馬の口から弟の名がこぼれた。
「え、何でモクバくんがここに?」
 フードの下から現れた少女の顔は、モクバそっくりだった。
「しかもンな格好で……?」
 城之内もわけがわからないといったように隣の舞を見る。だが舞も首を傾げるしかない。そこへ、
《オレはちゃんとここにいるぜぃ!!》
 杏子の肩から妖精が飛び立ち、少女と遊戯たちの間でとどまるとつんと胸を張る。声は確かにモクバのものだ。少女はモクバではない。
「ビッグ5も結構、悪趣味かもな…」
 つまりはそういうことだ。
 理解して、城之内がうめくようにつぶやく。
 それほど少女はモクバによく似ていた。モデルにしたとしか思えないが、しかしいくらまだ子供とはいえ、モクバは男の子なのだ。
「海馬くんそっくりのキャラも出てきたりして」
「……」
 ふと思いついた遊戯がそんなことを海馬に言った。さすがの海馬もこれには速やかな返答に窮したか、微妙な沈黙を挟んで、
「笑えん冗談だ」
 ビッグ5が直々にメアリー姫のモデルをモクバに決めたかは定かでないが、なんにせよただで済ましてなるものかとの固い念を抱く。
「あの、…私はメアリーともうします」
 布で幾重にも包まれた何かを胸に抱きしめて、少女――メアリーは遊戯たちを躊躇いがちに見回したかと思うと、突然はっと息をのんだ。
「お、レッドアイズ! さんきゅな!」
 小さな家一件分はあるだろう身体は上空に置いたまま、首だけを主のもとへ下ろしたレッドアイズの、硬質な皮膚で覆われた鼻っ面を城之内は愛おしそうに撫でる。ブルーアイズも長い首を地面すれすれまで伸ばすと、主人の無事を確かめるように海馬へ鼻を寄せてきた。
「怖がらせてどうすんのよ…」
 ハーピィ・レディたちをカードに戻した舞が呆れ顔で言い放つ。
 デスサタンが退いたときに炎の剣士もガーゴイル・パワードも、それぞれカードに戻されていたのだが。あれはまだ、サイズも大したことなかったのだが。
「ごめんね、びっくりさせちゃったみたいで」
 苦笑しながら遊戯がメアリーに言う。と、メアリーは突然勢い込んで遊戯に詰め寄った。
「勇者様なのですね!? ついに、いらしてくださったのですね!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――かつて、封印の魔女は告げた。
 
 
 
 
 遥かな未来、闇に生きる者が魔龍神の復活を企むであろう。
 だが世界よ、嘆くことはない。
 時空を越え、勇者は世界に再び現れる。
 
 
 その一人、黒き地の炎まとう龍を従えし、紅の戦士。
 その一人、白き月の光まとう龍を従えし、青の神官。
 その一人、風切り踊る乙女たちを従えし、緑の魔術士。
 その一人、我が封印の力と解放の血を継ぎし、白き魔女。
 その一人、光と闇をその手に抱く、黒き勇者。
 
 
 
 
 世界よ、その時まで護り続けよ。
 聖剣は、解放の血をそそぐ刃。
 聖杯は、解放の血を受けし器。
 
 
 闇に奪われることなきよう、護り続けよ。
 聖剣は、かつての勇者の血を引く民に。
 聖杯は、かつての勇者の故郷たる国に。
 
 
 
 
 
 
 
 
「おぉ! なんかいかにもって感じの伝説だな!」
 町で最も立派な屋敷に場所を移し、大テーブルを囲んでメアリーが謳った魔龍神の伝説に、俄然その気になったらしく城之内は目を輝かせた。
「なぁるほど。確かにその五人、あたしたちそのままになってるわね」
 舞の言葉に遊戯も肯く。メアリーがレッドアイズとブルーアイズを見て驚いたのは、この伝説が現実となって目の前に訪れたためだろう。
「ということは、聖杯がある国というのが、メアリーの…」
「はい。ゴーランド国の王家は代々、聖杯を守護してきました」
 メアリーが常に手放そうとしない丸い包みが、どうやらそれらしい。
「ねぇ、あなたお姫様ってのなら、どうしてこんな町にいるの?」
 一国の姫ともなれば普通は城にいるのではないかと。杏子の何気ない質問に、メアリーの瞳に悲しみがよぎった。
「ゴーランド国は闇の者の襲撃を受け、奪われてしまいました。私は聖杯をお守りするために供の者と城を出て、以来この町に身を寄せて勇者様をお待ちしていたのです」
 メアリーの背後に居並ぶ家臣たちが、一斉に深く頭<こうべ>を垂れる。
「勇者様、お願いします。どうか私たちを、ゴーランド国をお救いください!!」
「よっしゃ! やろうぜ、遊戯! 舞! 杏子!」
 椅子を蹴飛ばしそうな勢いで立ち上がった城之内が叫んだ。海馬の名を外したのは今更考えるまでもなくわざとだろう。
「ったく、あんたは気楽ねぇ」
 呆れた舞の声にも、城之内は熱を冷まされはしなかった。
「だがよ! どのみちゴーランド国に乗り込まないと、復活を阻止するにしてもラスボスをはっ倒すにしても、始まんねーだろ!?」
 それはつまり、ゲームクリアもできないということではないか。
「ふん、道理だな」
「てめーに言われても嬉しかないぜ」
 取り合わずに冷笑を微かに浮かべて、海馬は再び沈黙する。
 遊戯は城之内、舞、杏子と順に頷きあうと。
「行こう、ゴーランド国へ!」
 その言葉に、メアリーたちの表情が感激に染まった。
「ありがとうございます、勇者様!」
 次いでメアリーの側仕えが恭しく頭を下げてくる。
「それでは皆様方に、勇者のお召し物を……」
「それって」
「着替えろってこと?」
 気づいて、遊戯たちはお互いの格好を見回した。このファンタジー風の世界からは明らかに浮いた、私服そのもの。
「必要ない」
 不愉快そうに海馬が眉をひそめて言い捨てるが。
「聖なる武具を身にまとうと、皆様のデッキの中で最も攻撃力の高いモンスターの、攻撃力の値が皆様それぞれの守備力として設定されるのです」
 ただし、プレイヤーは数値で負けてもライフポイントの残存がある限りゲーム・オーバーにはならないので、代わりに守備力の数値を超えた分をライフポイントから減じる処理が行われるらしい。
「あ、私は?」
 デッキを持たない杏子は、遊戯と同じステータス値になると答えが返った。
「なら仕方ないよね。これからはボクらにも守備力が必要な話になるってことなんだろうし」
 メアリーの説明セリフを受けて、遊戯が言いながらちらりと海馬を見る。ひどく苦々しそうではあるが、反論は返されなかった。
 
 
 
「へぇ、なかなかいい感じじゃない?」
 最後に両肩を出すように回した一枚布の中から、鏡の前に立った舞は豊かな金髪をふぁさっと外にあふれさせる。
 彼女の着るノースリーブのほっそりとしたドレスは上下一体で、わずかに紫がかった薄紅の裾は足首にも届くほどだが、足の動きを妨げぬように片方には深くスリットが入っていた。その上に落ち着いた若葉色をショールのようにまとい、胸の前で透き通った緋色の石を両端に飾った細帯で結んでいる。
「なんだか劇か何かみたい…」
 少し照れくさそうに笑いながら、杏子もカーテンから出てくる。その背後にちらりと見えた、多少のヴァリエーションをあれこれと物色したような形跡は舞と変わらない。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと可愛いわよ」
「でもこういうのって、慣れてなくて…」
 肘辺りまでの真っ白なケープの縁の刺繍も、ケープの留め具も、鈍い光を弾く金で飾られていた。同じ白のフレアスカートのように広がる布は斜め前に重ね目が来て、時折のぞくすらりとした足を包むタイツはココア色。杏子が普段好む活動的な服とは正反対に近いだろう。
「さぁて、男どもはどうなってるかしらねー」
 うきうきと弾んだ声で言いながら、舞が女性用更衣室に使われた部屋を出た。男性陣は隣の部屋で、同様にカーテンを張って着替えているはずだが。
「もしもーし、入っておっけー?」
 軽快なノック音を響かせると、ほとんど間を置かず遊戯が扉を開けた。
「あ、終わったんだ」
「遊戯は鎧なのね」
 肩からふわりと包んでくる、銀糸で縁を飾った黒のマントに腕を絡めながら遊戯が頷く。
「うん…でも、なんか変な感じで」
 つやのない銀に縁取られた鋭角的な肩鎧は漆黒で、マントの下の長衣も黒い。杏子のケープと対であるかのように黒のマントに施された、銀の刺繍もシックな印象を与えた。全体的に衣装がモノクロームの系統でまとめられており鎧もそんなにはごてごてしくないせいか、胸で輝く純金の千年パズルも鮮やかに、スマートに映る。もともと遊戯自身が黒を好んで着ていたので色調的に大きな意外性もなかった。
 だが"勇者"と言うには、いくばくかラインが厳めしいようにも思える。
(もう一人のボクなら格好良いし、ボクなんかより似合うかもなぁ…)
 身長も体格も違いがあるわけではないが、なんとなく。
 そんなことをふと遊戯は思ったが、それは口に出さないでおいた。
 声に出して、今ここに彼がいないことを自分の耳で聞いて認識してしまうと、ずっとくすぶっている何かが増しそうな気がして。
「そう? 結構、今のままでも格好良いと思うけどな」
 しっくり来ないようにしきりに端を掴んだマントを揺らしていた遊戯は、杏子のウィンクを添えた一言に頬を染めた。
「ありがとう…。杏子も、よく似合ってるよ」
「こらー。あたしには何も言ってくれないのかー?」
 苦笑しながら二人の間に舞は割り込むが。
「で、城之内は?」
「まだ……あと、海馬くんも」
 言って、遊戯は乾いた笑いをもらす。着替えを渡されたとき、海馬の眉が片方跳ね上がったのを思い出したのだ。かなり不本意に違いない。
「ふん、ヤツはまだか」
 その時。カーテンを払いのけ、海馬が先に出てきた。その表情は相変わらず冷め切っているが、どこか苛立たしげに見えるのは遊戯だけだろうか。
「やっぱり背が高いと、こういうのでも様になるねー」
 つぶやき程度の何気ない遊戯の言葉を、海馬は聞き逃さなかったらしく一瞬眉根が寄った。
「仏頂面でも、元がいいし。なかなかじゃない」
 腕を組んだ舞が、一応は褒めているらしいが遠慮ない感想を述べる。本人は着替えること自体からして不満らしいが、似合っていないわけでもない。
 両肩を覆いさらにまっすぐ張り出した、金属製ではなさそうな大きめの肩当てからは、冴えた青の布が地をかすめるほどの長さですとんと下ろされている。アクセントのように鋭角的な黄色の光沢ある石もあしらわれていた。マントにほとんどが隠されているが、中に着ている丈の長い法衣は水の色に近い白、彼がもともと着ていたコートのくすんだ色合いとは正反対な、よく映える青と白のコントラストが新鮮にも思える。
《兄サマ、カッコイイぜ!》
 しかし妖精から発せられたモクバの声が、幾ばくか海馬の不機嫌を和らげてくれたようだ。相変わらず黙しているが、まとっていたむやみに刺々しい冷気が少しだけ薄れる。
 しばらくは海馬に近づかない方がいいと判断した三人は、ふと、未だに出てこない城之内が気になった。
「城之内くん?」
「あ、悪ィ。これで最後。上手く留めらんねー」
 カーテンに呼びかけた遊戯に、ちょうどよかったとばかりに城之内が助けを求める。遊戯が手伝いに中に入ってすぐ、ようやく城之内も着替えを終えカーテンから出てきた。
「こまごまとあって、面倒だったぜ…」
 言いながら城之内は具合を確かめるように腕を動かしたりしていた。
「へぇ、格好良いじゃない」
「そうか?」
 素直に褒め言葉を寄越した舞に、城之内が顔をほころばせる。
 かなり色素の薄い彼の髪と相まって際立ち、最も目を引くだろう落ち着いた深い紅は、ゆったりと肩に掛けた布だ。大きな緑の宝石を抱いた留め具の先には、腿辺りにまで届く長い余り布を流している。中に着込んだ暗い臙脂色の貫頭衣は膝上までで、腰は衣と共布<ともぎれ>の幅広の帯で締められていた。また、城之内も軽装の肩鎧を着けていたが、遊戯のそれよりもラインが少しばかり丸みを帯び、武骨な感じもある。
「で、なんとか着替えも終わったし、出発か遊戯?」
「そうだね」
 しかしそのままとんとん拍子に話が進んでしまいそうだったので、思わず舞はむくれながら城之内の腕をつねった。
「って。何だよ?」
「何だよ、じゃないでしょうが! 女が着替えてるってのに、感想の一言も返せないわけあんたって!!」
 そのまま殴られでもしそうな剣幕だったので城之内は思わず遊戯の後ろに逃げてから、慌てて弁解するように両手を振った。
「あ、あーあー! 似合ってます似合ってます!! 舞さん美人!!」
 ――ちょっとでも期待したあたしがバカだったわ。
 そのおざなりなセリフに、舞は深々とため息をつく。杏子のなぐさめるような視線が、無性に切なかった。









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