5. D o o r t o t h e L a s t |
本当は、とっくに始まっていたから。 ずっとずっと、すぐ近くに在ったから。 はっきりと気づいていなかっただけだった。 だからこそ今、こんなにも、まざまざと思い知る。 「おい、舞、大丈夫か?」 メアリーを受け取って次に舞のそばにレッドアイズを寄せた城之内は、先ほどの苦しげな表情を気にして、うかがうような声を掛けていた。 「平気よ。……ちょっとライフポイント、削られちゃったけど」 ハーピィ・レディを強化する暇がなかったのが痛手となったようだ。ステータスを見ると残るライフポイントは1500。残念ながら相手の姿は見なかったが、1800の攻撃力を持っていたらしい。 「ちょっとじゃねぇだろうが!」 2000が初期値なのだから、四分の一も失っているではないか。 「平気よ、そうそうやられたりはしないわ」 舞は微笑すら浮かべて、きっぱりと言い放った。強がりでも何でもない、純然たる自信に満ちあふれている。 その姿に驚いたように城之内ははっと目を見開き、すぐに決まりが悪そうに頬を掻きつつ、舞に向けて手を差し出した。 ――思わず口をついて出そうになった言葉は、必死に飲み込んで。 「とりあえずさ、こっち移っとけよ」 その状態では思うようにデッキからカードを抜くことも出来ないだろうと。 「…そうね、お言葉に甘えさせてもらおうかな」 舞は城之内の手を借りながらレッドアイズの上に降り立つと、寄り添うように集ったハーピィ・レディ二体を一瞥し、数枚のカードをデッキから選んだ。 「たっぷりとリベンジ、しないとね?」 若葉の色を優雅になびかせながら、繊手は流れるような仕草でハーピィ・レディに装備カードを煌めかせ。 「おっし! 行くぜ、レッドアイズ!!」 主の言葉に、黒竜は紅玉の眼をデスサタンへ向け猛々しい咆吼を上げた。 「ちっ、厄介なことをしてくれたもんだぜ……!」 スピーカーから届くレッドアイズの吼え声に紛れるほどの微かな声で、獏良は――バクラは、吐き捨てた。 ほんの少し前。獏良が見つけだしたあるデータに驚愕した、その隙をついて千年リングからこうしてステージに上がってきたのだ。 上の部屋は相変わらず騒がしく。 (さて、どうするかな……?) 今から自分が取るべき行動に考えを巡らせるが。 「……おい、獏良?」 それは怪訝というより疑念に近く、警戒を多分に含んだ本田の呼びかけと共に、バクラの肩が叩かれた。 「ククク、意外に目敏いヤツだな」 先ほど咄嗟にゲーム内へ送った発言を聞き流さなかったらしい。口の端を冷たい愉悦に歪め、バクラは振り返った。そして、警戒心もはっきりと露わに咄嗟にモクバを後ろにかばった本田へ、小さく肩をすくめてみせると。 「何もとって喰おうってんじゃないぜ。なにやらずいぶんとお困りのようだからな……このオレがまた手を貸してやろうかと、親切心で思ってよ?」 こうなった以上、ほぼ間違いなく、最終局面はここ――外部からの助力なくして遊戯たちに勝ち目などないだろう。獏良にも能力的に出来ないとは思わないが、あの驚きよう、冷静に対処できるだろうかという問題が一つめ。上が突破されるのも時間の問題が二つめ。万一にも好ましくない状況に陥るわけにはいかない。 (王サマよぉ、もちっとしっかりしてくれねぇとなぁ……) じっと黙り込んで見据えてくる本田と、何も知らないために当惑しているモクバをしり目に、バクラは必要な作業に取りかかった。 下手に態度を硬化されても面倒になるだけだから、どこかしら潔癖じみている彼には、ばれるまで宿主の――獏良のフリを続けようかと思いながら。 仕掛けた罠もさしたる成果を上げられなかったと見て取って、向けられる鋭い視線を意にも介さず、デスサタンは芝居がかった仕草で肩を落とした。 「やはり、そう簡単にはいかせてもらえないようですねぇ」 眼下のホール内には、ブラック・マジシャン、カース・オブ・ドラゴン、ハーピィ・レディ、レッドアイズ・ブラックドラゴン、そしてブルーアイズ・ホワイトドラゴンが喚び出されている。限りある空間の中でも巧みに上下左右の距離を取り合っているため、お互いがお互いの行動を著しく阻害することはほとんどないだろう。 「それでは、わたくしめはあのお方にこの聖杯をお届けせねばなりませんので、これで失礼させていただくことにしましょう」 「あの方…!?」 思わず反芻し叫んだ遊戯へ、デスサタンは大きく頷いてみせる。 「そう。五色<ごしき>の魔龍神ファイブ・ゴッドドラゴンの封印を解かれる、あのお方にね……!」 そう答えるが早いか、聖杯を手にデスサタンは身をひるがえすと、ホール唯一の出口に跳んだ。 「あ、待ちやがれ!」 「メアリー姫は残ってて!」 出口の通路はこのホールよりも格段に狭まっている。偶然にも出口に近い位置を占めていたレッドアイズをすぐさま寄せると、通路を通り抜けるのに無理がある黒竜はカードに戻し、城之内は舞と共にハーピィ・レディを伴うと、デスサタンを追って走り出した。 「城之内くん! 舞さん!」 慌てて向かう遊戯に続いて、海馬も出口に降り立ちブルーアイズをカードに戻す。そしてメアリーを見下ろすと。 「出口までは後どれほどある」 「あの先は一本道です」 その答えを聞いて、海馬が言葉を返したのはすぐのことだった。 「ならば、おまえはこのままここに残れ。聖杯とやらもなくなれば、ただの足手まといだ」 「海馬くん!?」 非難じみた声を遊戯が上げるも、当の本人はにっこりと微笑む。 「もとよりそのつもりです。…御武運を」 その笑みに海馬はわずかに眉根を寄せ、ゆらりと青を波打たせると先んじて背を向けた。 「海馬くん?」 「ヤツらはとうに出たようだな」 通路の遥か先に眩い光点が灯ったのは、出口に違いなく。足早に残りを駆けて、ついに白夜の道を抜けた、その先は。 「あれが、ゴーランド城…!」 森の中の高台の上に鎮座する、典型的な白壁の城を見上げ、遊戯が感嘆をもらした。 「なんだかシンデレラ城か何かみたいね…」 優美なシルエットを描く塔に、思わず杏子も少し見とれる。 「……先を急ぐぞ」 憮然とした色を交えながら海馬が城に向かって刻まれた道を進み始めるのを、遊戯と杏子も慌てて追いかけた。 一方、ちらちらと森の木々に見え隠れするデスサタンを追いかけ走っていた城之内と舞は、すでにゴーランド城門前に辿り着いていた。が。 「くそ、あの野郎どこ行きやがった…!?」 しかし途端に影も形も見えなくなってしまったデスサタンを探して、二人は辺りを見回す。 「おかしいわね。確かにこっちに来て――ちょ、城之内!」 ちょうど来た道の方を向いていた城之内の、後ろに流されていた布を強引に引っ張って舞が振り返らせた。 けたたましい、金属の擦れ合う音と滑車の回る音を伴いながら、ゴーランド城の巨大な跳ね橋がゆっくりと下ろされている。 「な、おい、んな引っ張るな――って、……そうか、そいうやこの城が目的地だったっけな」 そして橋を渡ったその先。門の真下に立ち、恭しげに帽子を取って二人に向け頭を下げるデスサタンの、手から聖杯はなくなっていた。 「ようこそ、我らがゴーランド城へ」 にたにたといやらしい笑みを張りつかせたデスサタンに、いい加減、癪に障っていたらしい城之内が応える代わりに炎の剣士を召喚する。 「てめぇはそろそろ消え時だぜ!」 イベント敵キャラクターだろうが、ラストが近づいているだろう今、倒せてもいいだろう。その意に添い、炎の剣士は手にした大型剣をデスサタンに向けて構える。 「おやおや。しかし、そう簡単に倒せてもつまらないでしょう? なにぶん私は攻撃力には劣っておりまして皆様のおもてなしには力不足。そこで、こんなものを御用意いたしました」 一本だけ立てた人差し指を小刻みに振ると、デスサタンは続けて己の背後を手で指し示した。そこにはほのかに光りながら浮かぶ、一枚のカード。 「リビング・デッドの呼び声……!?」 「それだけではありませんよぉ」 腐敗し崩れた身体をずるずると引きずりながら、ドラゴンゾンビが三体、門から出てくる。 「気色悪いわね!」 不快に柳眉をひそめると、舞はずっと付き従って雑魚を払ってくれていたハーピィ・レディに命じ、その鋭い鞭を一閃させる。 「舞!」 かつての一戦を思い出して、慌てて放った城之内の制止はしかし間に合わず、ドラゴンゾンビたちが鞭の洗礼を受けた。 「えっ?」 しかし倒れることなく、それどころか一時的に表示されたドラゴンゾンビの攻撃力が、上昇を示す。 「くそ!」 間近にまで迫られてしまい、やむをえず城之内も炎の剣士に牽制の一撃を命じた。ここは骨塚との時のようにフィールド・パワーソースは働いていないためにまだ余裕がある。 「どうなってんのよ!?」 「あのうざってぇカードのせいで、死なねー上に倒されるたびに攻撃力上がるんだとよ!」 その隙に城之内は舞の腕を掴んで城門から退くと、この場を切り抜けるためのカードを自分のデッキから捜し始めた。 「手は?」 「もち、ある!」 しかしどこへ行ってしまったのか、目的のカードが見つからない。 「…急ぎなよ!」 ゾンビの攻撃力の数値から注意をそらさず、ぎりぎりまで時間稼ぎをするために、舞は散発的に攻撃を命じる。が。三度の攻撃を経て、ついにハーピィ・レディも上回られてしまった。とうに攻撃できなくなっていた炎の剣士も守備状態で傍らに控えている。 もう後がなくなった、が。 「ぅし見っけ! 行くぜ、魔法カード――右手に盾を左手に剣を!!」 発動の光が辺りを染め上げた途端、ゾンビの攻撃力が0の数値を刻む。 「炎の剣士!!」 「ハーピィ・レディ!!」 こちら側も攻撃力と守備力の値が入れ替わったため、炎の剣士は1600の、ハーピィ・レディは1800の攻撃力に落ちたが、大した問題ではない。主命を受けた二体のモンスターが、瞬く間に三体のゾンビを屠った。 攻撃力と共に不死が失われたゾンビは今度こそ倒れる。 「やった!」 城之内と舞は互いに手を打ち合わせると、満面に喜色を浮かべた。 だが、その瞬間。 「しかしあなた達の守備力も、0になっていますよ……!?」 城門の下でデスサタンが嘲笑を上げる。新たに飛び出してきた一つの影が二人の前に一気に詰め寄った。 「死神!?」 攻守逆転を起こしている今、舞の残りライフポイントを根こそぎ奪うのには充分な攻撃力を持つ敵。 手前で高々と跳躍した死神は、その勢いで舞めがけ手にした大鎌を振り下ろす―― 「――舞っ!!」 すぐそばで城之内の叫び声がしたと、そして何故か紅の色に自分の視界が埋めつくされたと、舞が思ったときには。 (……え、何――?) すぐ目の前に、城之内がいた。 その意味はすぐには理解できなかった、けれど。 「ブラック・マジック!!」 突如後方から割って入った黒き魔力によって、鎌の鋭い切っ先が城之内の背へと至る前に、死神は霧散する。 「な、もう来て…!?」 こちらに走ってくる遊戯たちの、黒と白と青の影を目にしてたじろぐデスサタンに、咆吼と共にブルーアイズが青白い光芒を放った。 「玉座には、あの方が――あなた方には勝てやしない!!」 迸る光の奔流に飲み込まれる寸前デスサタンは叫び。 そして、呆気なく消滅した。 「あー、間一髪だったな……」 身体を起こしたもののそのまま地面に座り込んだ城之内が、安堵の息をつきながら言った。 「……城之内」 咄嗟のことに押し倒されていた舞は、ゆっくりと上体を起こすと、いつになく低い声で呼びかける。 「ん?」 城之内が振り向いたのが、うつむいたままの舞にも知れた。 「あんたって、ホンっト、莫迦ね……!!」 「何を――って、え? おい……舞?」 いきなり浴びせられた怒声に思わず怒鳴り返しそうになりながら、不意に城之内は怪訝そうにのぞき込む。 どうして。 「莫迦だから莫迦って言ったのさ!」 どうして、そんな。 怒ったような悲しそうな、泣きそうな目を、舞はしているのだろうか、と。 「おい?」 「これが現実ならね、あんた死んでたかもしれないんだよ…!?」 そんなことを金切り声でまくしたてながらも、舞も自分で何を言っているのか、よくわからなかった。 どうして。 「こんなの単なるゲームだし、遊戯が間に合ったからよかったけど…!」 どうして、こんな。 怒りにも似た悲しみにも似た、けれどどこか違う、こんな激情があふれているのか、と。 舞自身もわからないままに、突き動かされていたが。 「見殺しにして後悔するよか何倍もマシだぜ」 さも当たり前だと言わんばかりにあっさりと、そんな答えが返されて、冷水を浴びたように舞の気持ちが静まった。 「ゲームだろうが現実だろうが。変わんねぇよ」 ああ、そうか、と。思い出した。 そうだ。そうなのだ。 他に、何があるというのか。 「……あーあ、そうだった。バカよ、あんたも」 言って、舞は笑った。 「おう、バカで悪かったな!」 城之内も笑い返す。 「でも。あたしは嫌いじゃないけど、ね」 小声でささやいた、それが本物だ。 気がつけば簡単なことだった。 「……へ?」 よく聞き取れなかったのか、きょとんとする城之内に。 「はいはい、ごちそうさまでしたー」 いつの間にやら城門にまで追いついていた杏子がわきにしゃがみ込んで、半眼で言い放つ。 「あ、杏子ちゃん…」 すっかり失念していたが。 「痴話喧嘩なら後でしろ」 「何をぅ!?」 「喧嘩も後にしてね…」 苦笑しながらもきっちりと、遊戯は開かれたままの城門を指差して口を挟むのだった。 ゴーランド城の中は、ひどく静まり返っていた。 ただ五人の足音だけが乾いた反響を残すしかない。 「いよいよ、か…」 近づきつつあるラスト・バトルに、自然と空気も張り詰める。それぞれのデッキも、最強のしもべをすぐさま呼び出せるよう改めて整理されていた。 この先で待つ、姿も名前も知れぬが、魔龍神の復活を画策しているという闇の者を倒して、このゲームも終わりだ。 「遊戯。今のうちに一つ、聞いておく」 薄い光の先に大きな両開きの扉が見えた頃、海馬がにわかに呼び止めた。 「何、海馬くん?」 「このゲームが始まって、ずっと貴様のままだな…?」 海馬の問わんとすることがわかって、しかし遊戯は押し黙る。 もう一人の遊戯。 ゲームもそうだが、特に遊戯や仲間の誰かが危機に陥ったとあれば、とても黙って見過ごすことなど出来ない、けれども。 「もう一人のボクは……」 けれども。彼の声は。 「そうだけどさ、それが何の関係あんだよ?」 遊戯が言い淀む様に、かばうように城之内が割り込んだ。しかし海馬はそちらには一瞥くれただけで、遊戯の返事を促すように見据える。 「実は、ボクも気になってるんだ」 言っておかなければならない気がして、遊戯は千年パズルを軽く持ち上げながら、ずっと抱いていた不安を口にした。 「このゲームの世界に入るときは、ボクじゃなくてもう一人のボクだった。けど、中で気がついたらボクになってた。それに、こっちに来てからもう一人のボクの声が聞こえなくて――」 ただ。心の中に、存在は感じられた。 声が聞こえず、呼びかけに応えも返らず、またもう一人の自分をいつもより遠く感じたのが、ここがゲームの中であるせいなのかは、わからないが。 「……そうか」 それで話は済んだとばかりに海馬が目を伏せる。 しかし、遊戯はその時、気づいた。 ずっとずっと、遠かったはずの、もう一人の自分の存在が。 ――近づいてる? まっすぐ、広い広い廊下を進んで。 辿り着いた、城の最奥。 ――すぐそばにまで、近づいてる。 玉座への扉を、遊戯はゆっくりと開けた―――― |
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