6. D u e l i n t h e T h r o n e










 ――ただの一人で在れば、こんなことにならなかったのだろうか。
 
 
 
 ずっと、待っていた。
 喉が嗄れるまで、助けを求め叫び続けることもなかった。
 孤独にうち震え、泣きわめき呼び続けることもなかった。
 ずっと、待っていた。
 深々と抉るような空虚に、間断なくさいなまれながら。
 ずっと、見ていた。
 何一つとして欠けてなどいないような光景を。
 ゆめうつつのような、ひどくあやふやな意識の中で。
 切望にも似た声がこぼれた。
「もう一人のオレ……」
 
 
 
 そして。最後の扉は開かれた。
 
 
 
 そこは。とても広くて、どこか薄暗くて。
 透き通った静寂に満たされていた。
 そこに。彼はたった一人、いた。
 豪奢な玉座に悠然と腰掛けて、いた。
「待っていた」
 微かだけれどくっきりとした、彼の声が告げる。
 染め上げる色は、喜びでもなく、怒りでもなく、ただ。
「もう一人の、ボク……?」
 ただ、切なかった。
「ずっと、待っていた」
 玉座に在るのは、紛れもなく遊戯だった。
 あえて付け加えるならば、もう一人の遊戯、そのものの姿だった。
 服装さえも遊戯が着替えた黒衣とまったく同じで。ただ一つの違いといえば、その胸に千年パズルがないことのみだった。
「いったい……!?」
 自分たちの側にいる遊戯と、玉座の遊戯とを見比べながら、その双方に城之内も舞も困惑を訴える。
 どうして、遊戯の姿をしたものと、こんな所で向かい合っていなくてはならないのか。
「ねぇ、遊戯、あれは――」
 驚愕に震えた声で杏子がこぼす問いも、続けられなかった。前にも一度、二人の遊戯が心の中以外で向き合ったことはあった。それは杏子も見ていた。けれど、その時と何かが違う、そんな不安に喉が凍りつく。
「君は、誰?」
 仲間たちよりも数歩前に出て、遊戯は玉座の彼をまっすぐ見上げ、ひどく落ち着いた声で問いかけた。
 驚きがなかったわけではなかった。
 けれども、どこかでそれを予感していたのかもしれない。
「君は、もう一人のボク?」
 もう遠くなかった。近かった。
「……そうとも言えるが、そうでないとも――言えるだろう」
 けれど、まだ。
 ほんの少しだけ、離れていた。
「影、だ」
 冷然とした声で、玉座にある遊戯は言葉を綴る。
 まるで双子のようによく似た、けれど双子のようにまったく違う、二人の遊戯の視線が交わった。
「はぐれてしまっていた。ずっと」
 ゆっくりと玉座から立ち上がった遊戯が、腰にはいた細い剣を抜き放つ。銀の刃が、うっすらと射し込む陽の光を弾いて煌めきをこぼした。
「これが、聖剣だ。オレが、聖剣の継承者。オレが」
 つと途切れたのは、どこか嘆きにも似て。
「オレが……本物だ」
 
 
 
 ――切なかった。
 
 
 
「おまえが影だった。はぐれてしまっていた。ずっと待っていた」
 彩りが失せた無色のまま、壊れた機械人形のように、ささやくように、喉から音を紡ぐ。
「何を…何を言ってるの!?」
 呆然と立ちつくす遊戯の傍らに駆け寄って、杏子が叫ぶ。
「影とかって、本物も何もないじゃない、遊戯は遊戯よ! それは私たちがちゃんと知ってるわ!!」
 叫び声に引き寄せられたように杏子へ目を向けたもう一人の遊戯が、音を伴わないままに唇をささめかせた。
「……オレは――……」
 意味などなかったのかもしれない。ただ、海馬だけが眉をひそめる。
 何も伝わらない。
 もう一人の遊戯は冷然なまま新たな言葉を口にした。
「封印の魔女。封印を、解いてはもらえないか」
「知らないわよ…!」
 何でこんなゲームで。たかがゲームで。
「オレは封印を解かねばならない。そのために、ずっと、ここで待っていたんだ」
 切なかった。
「おまえは……遊戯なのかよ? それとも、おまえを倒せっつーのか?」
 城之内も、頭を抱えて答えが振ってくるものなら喜んでそうしたかった。なぜ対峙しているのか。このゲームは何をさせるつもりなのか。
 そんなの無茶苦茶だ。
 本当に遊戯でも、遊戯じゃなくても。
「どうしろってんだよ……!?」
 何が違う。
 いつも誇り高く、自信に満ちていて。笑い方も、喜び方も怒り方も知っている。こんなにも冷え切って硬質な声なんて知らない。
 だから、違う。
 けれど、違わないではないか。
「オレはどうしても封印を解かねばならない。――オレを倒せばいい。この聖剣を奪えばいい。もう一つの、聖杯もここにあるが、これはもう、始まっているから無理だ」
 玉座の手掛けに置かれる、こつりと乾いた音がやけに耳に障った。途端、聖杯が宙に誘われ、虚空からにじみ出た五色の宝石と共に燐光を発しながら中空で制止する。
「だが、オレを倒せるか?」
 そこに見下す色も尊大な色さえ微塵もうかがえなく、それは純粋な問いかけでしかなかった。
 切なかった。
「しょせんは猿真似の紛い物だ! ひどく悪趣味な、な!!」
 それに触発されたか、瞬時にデッキから抜かれた四枚のカードを手に、海馬は怒号を上げる。三枚はブルーアイズ。そしてもう一枚は。
「出でよ――ブルーアイズ・アルティメットドラゴン!!」
 ひときわ眩い召喚の光が晴れると、すでに融合をも果たした白き龍の三頭が、主の怒りに呼応するかのごとく一斉に咆吼を轟かせた。
「貴様を消し飛ばしてゲーム・クリアだ!!」
 間近に迫るアルティメットを、しかしもう一人の遊戯はさしたる感慨もなく涼やかに見上げる。右手から左手へ聖剣を持ち替えて。
「ブルーアイズの三体融合か。確かに強大だ」
 そして。
「オレのしもべたちよ……」
 つぶやきほどの、微かな声がこぼれ出た。
 その呼びかけに応えたのは、遊戯の持つデッキ。
「カードが!?」
 風に飛ばされたようになどと生易しいものではなく、カード自身が意志を持ったかのように、空を切って何枚も何枚も、遊戯の手からもう一人の遊戯の手へとカードは飛び移る。
 捕まえようとしてもすり抜け、とどめることなど出来ず。
「そ、んな……」
 結局。愕然とその場に膝を折る遊戯の手元には、十枚にも満たないカードが残ったのみだった。
 切なかった。
 もう一人の遊戯は奪ったデッキから悠々と五枚のカードを選び出す。
「たとえば。こういう手があったな」
 ぱっと真上に散らされたカードたちは次々に光を発し、その秘められた能力を主の意のままに解放した。
 それは、無数に増殖し立ちはだかる壁となったクリボーたちであり。
「……なぜ、知っている」
 それは、アルティメットドラゴンに魔法効果の矢でもって融合されたマンモスの墓場であり。
「答えろ」
 見る間に攻撃力を削られていくアルティメットドラゴンを一瞥し、海馬は憤りも露わに睨め付けた。
「貴様がなぜ、それを使う!?」
 あのデュエルを見ていたとは思えない。必要ないからだ。
 なのに。なぜ、ここで再現される。
「それがなぜか」
 突き刺すような海馬の怒気にも平然として、もう一人の遊戯が言った。
「おまえなら、わからないなんてこと、ないだろう?」
 そこで唐突に声だけが途切れ、唇だけがまたしても無音のままささめく。たった三つの音で構成された、動きにあわせ記憶の中で彼が何度となく言ったそれが耳によみがえってしまうほど単純な、それは一つの名前。
 返す言葉を失ってしまったのか、海馬は息をのみ。そして、やるかたなく舌打ちを投げ捨てる。
 こんなにも腹立たしい理由は簡単だ。
 誰も、誰一人として、こんなことは望んでいない。
「遊戯……」
 その呼びかけは誰に向けたものか、もはやわからなかった。苦しげに二人の遊戯を交互に見やってから、城之内はデッキから一枚を手に取る。
 それに気づいて、もう一人の遊戯はゆっくりと視線を城之内に移した。
「次は、君か」
 一番簡単なはずの答えは、あまりに信じられなかった。
 
 
 
 ――切なかったのだ。
 
 
 
「オレにはもうよくわかんねーけどよ、その剣、渡してもらうぜ!」
 一回の使用限界は五枚。たとえ効果を消したところで、そんなことでは使用回数そのものまではリセットされない。
「レッドアイズ召喚! ――黒炎弾!!」
 だから、行ってやる。
 だって、聖剣さえなければ、勝ったも同然だろう?
「城之内?」
 喚び出したレッドアイズにクリボーの壁への攻撃を命じた城之内へ、舞は訝るように目を眇めた。黒炎弾が壁に届けば、瞬く間にクリボーの機雷能力のために、辺りも巻き込んで盛大な爆発を起こす。
 閃光と爆風とが玉座を埋め尽くした、その隙に。
「ちょっと荒っぽいけどな……!」
 もうもうたる煙の中を城之内が持ち前のバネで一気に駆け出した。
 視界が煙にすっかり乱されている間にもう一人の遊戯に近づいて、そのまま力尽くででも聖剣を奪い取ってしまおうという心積もりだったが。
「城之内!!」
 煙が晴れかかったときに再び舞が叫んだそれは、制止だった。
 城之内とそして一緒に突っ込んできたレッドアイズの姿にすぐさま気づいて、しかしまるで動揺などにおわせず、もう一人の遊戯はクリボーの壁を消し。さらに、もう一枚のカードを取り出していた。
「召喚――ブラック・マジシャン」
 それは六枚目のカード。
「な……!?」
 突如己の主に突きつけられた危険を察し、レッドアイズが城之内をかばうように立ちはだかるが――負ける。
「攻――」
 宣告が下されてしまう、それよりも一瞬早く。
「デーモンの召喚、レッドアイズと融合! メテオフレア!!」
 少し掠れながらも力強く発せられた一声を受け、七色の光に包まれながら変貌を遂げた黒き竜が逆にブラック・マジシャンを葬った。
「遊戯…!」
 それを見て城之内は声の主に、ブラック・デーモンズ・ドラゴンへの融合を発動させた遊戯に、喜びを浮かべて振り返る。
 気遣うようにのぞき込む杏子に、次いで城之内に笑顔で頷くと、遊戯はわずかなデッキを手に立ち上がった。
「もう一人のボクが心からこんなことを望まない。こんなの、辛いだけだよ」
 だって、ずっと一緒だったじゃないか。
 ずっとみんな、一緒だったじゃないか。
「こんなの、ボクは嫌だ! だから、だから――」
 大半をもう一人の遊戯に奪われながらも、それでも遊戯の手元に残されていたカードは、彼が何をしても十分に対処できるよう、まるで選ばれたように重要なものばかりが揃えられていた。
 いや、きっと。もう一人の遊戯は選んでいたのだ。
 遊戯が彼のことを止められるように。
「君がボクたちと闘うというのなら、ボクは君を倒すよ」
 もう一人の遊戯をひたと見据えて。
「君を、助けるために……!」
 
 
 
 ――ただ、切なかったのだ。
 
 
 
「なぜだ」
 表情の浮かばないかんばせのまま、もう一人の遊戯が、強い意志を瞳に抱いている遊戯を見つめ返す。
「なぜ助ける」
 言葉を足して問いを重ねた、もう一人の遊戯に。
「なぜも何もないよ。だって」
 すぐそばまで歩み出た遊戯は、めいっぱい、笑って見せた。
「だって、君も大切な仲間だから」
 それはもしかしたら。
 この世界で、もう一人の遊戯が初めて見せた表情かもしれなかった。
「だから、一緒に、帰ろうよ?」
「……」
 茫然自失といった面持ちのまま、もう一人の遊戯が目を見開いて、続いて傍らに立つ城之内にも、問いかけるように目を向ける。
「オレもそうだよ。どっちの遊戯だって変わんねぇ、どっちもダチだ」
 だから。
「もう、こんなゲーム終わっちまおうぜ……?」
 しかし。力なくうつむいたもう一人の遊戯は、あるかないかの一歩、二人から後ずさってしまう。
「オレは……じゃない……」
 切なかったのだ。
「茶番もいい加減にしろ」
 ずっと、時折弱々しく声を上げるブルーアイズのそばにいた海馬が、不意に歩み出るなりもう一人の遊戯を睨みつけた。
「何……?」
 切なかったのだ。
「貴様は先ほど言っていたな、"いなくても同じだ"と」
 つぶやきは、声にはならなかった。
「そういうことか。――ふざけたことを!!」
 それでも、唇を読めるほどにくっきりとしていた。
「遊戯! 貴様とオレの闘いは、まだ終わってはいない!!」
 何があったかなどわからないし、わかろうとも思わない。
 馴れ合った仲間などというものではないのだから。
 だがしかし、すべてを無意味へと貶<おとし>めようとするようなことだけは、海馬には許せなかった。
「いなくても同じって……!」
 その意味に杏子と舞も愕然と息をのむ。
「そんなこと……そんなこと、ないよ!!」
 いても立ってもいられず二人は走り出して。
「あんた、それ本気で!?」
 怒りも通り越して悲しくなって、舞がもう一人の遊戯に掴みかかった。
「あんたがそんなこと言ってどうするのよ! 何でそんなこと、言っちゃうのよ!?」
「舞…」
 詰め寄る舞を押しとどめながらも、城之内も気持ちに違いはない。
 ましてや。
「もう一人のボク……そんなの、嘘だよね……?」
 遊戯は泣きだしては駄目だと自分に言い聞かせていたが、じわじわと目尻ににじんでくるのは止められなかった。
 このゲームが、彼にこんな悲しいことを言わせているのか。
 泣き出しそうでひび割れた杏子の声も、悲痛まじりの憤りで染まる。
「こんなの……もう、終わってよ! ねぇ、あなたも遊戯なんでしょ!?」
 ふと、もう一人の遊戯の手にある聖剣に目が止まった。
「あれがなければ……」
 復活なんてさせなければ。
 ゲームが終わってしまえば。
 こんなわけのわからないことも、終わる。
 もう一人の遊戯に詰め寄ると、杏子は勢いに任せその左手から聖剣を引きちぎるように奪い取った。そして遠くへ投げ捨てようとした、刹那。
「その剣に触るな、杏子!」
 放たれた鋭く力強い制止に、杏子は寸前で動きを止める。
 聞き間違えなどしない。遊戯の声。
 振り返ると、皆も喫驚と見ていた。もう一人の遊戯を。
「え?」
 聖剣を持ったまま杏子が思わず呆けたその時、ひとりでに聖剣が跳ね上がり杏子の指を振り解くと、そのまま切っ先で杏子の、右手の甲に赤い筋を引く。
 聖剣はその、封印の魔女からかすめ取った赤い滴を、ずっと宙にあった聖杯にすべらせた。
「杏子ちゃん、怪我は!?」
「大丈夫…だけど……」
 駆け寄ってきた舞に返しながら、紙で切ったときのようなぴりっとした痛みを押さえ、杏子は再び玉座に目を向ける。
 それは、この場にいる、本人以外の誰もが同じだった。
 ゆっくりと。
 もう一人の遊戯がやわらかに、微笑む。
「相棒……」
 切なかったのだ。
「もう一人のボク……!!」
 ようやく見つけだせて。
 遊戯の顔が、泣きだしそうなほど喜びに輝いた。
 もう一人の遊戯はゆっくり頷き返すと。
「ずっと、待っていたんだ。みんなが来てくれるのを。でないとオレの心は、出られないままだったから」
 すぐそばにいるままだった城之内には、危ないから離れていてくれと言いながら、軽く突き飛ばす。
「遊戯…?」
「オレなら大丈夫だから」
 ようやく勝てたから。
 どんっと轟音を立てて、五つの宝石に囲まれた聖剣と聖杯が、天井はおろか城の上部を根こそぎ吹き飛ばすほどの膨大な光を生み出す。
 そうして見えた青い青い空を、もう一人の遊戯は眩しげに悲しげに仰ぎながら。
「もう一人のオレ。おまえは影じゃない。オレこそ、影だ」
 その光芒に玉座ごと飲み込まれて。
「もう一人のボク……!?」
 溶けるように――消えた。
 
 
 
 切なかったのだ。
 どうしようもなく、切なかったのだ。
 
 
 
 会えなくて、会いたかったのだ。









r e s e t / c o n t i n u e