Brightness Falls from the Zenith





 スタジアムを満たす熱狂的な歓声は、すっかり背後に遠ざかった。
 出場者用のこの通路に他人の気配がないことを確認してから、少年の姿でトンと軽やかな音を立てて床に足を付ける。そうして長い長い尻尾のような真紅の髪をふわりとひるがえし。
『大丈夫かい、アーク?』
 とぼとぼと軽快には程遠い重たげな歩みで控え室に戻ろうとしていた少年の顔を、その名の通りの異彩の眼で覗き込んだ。
 彼は衆目を逃れてから、ずっと左腕を押さえていたので。
 はっとわずかに目を瞠ったアークは、すぐにぎこちなく微笑んでみせた。
「平気だよ、オッドアイズ。少しかすっただけだから」
『けど』
 誤魔化そうとするアークに、オッドアイズは困ったように眉根を寄せる、表情をつくる。
 あまり強く言いたくはないが、こちらとしても引き下がるわけにもいかない。人の身体というものは自分たちに比べてひどく脆弱だ。加減を間違えると壊してしまいかねないほどに。
 と。
『嘘つけ、ずっと庇ってただろーが! 俺は見てたぞ!』
『昔は転けて膝を擦りむいただけでピーピー泣いてたくせに、僕たちにまでやせ我慢なんて君も偉くなったね』
 横合いから遠慮なしの声が二つ飛び込んできて、思わず目を瞬くアークの隣でオッドアイズも渋い顔になる。
『クリアウィング、スターヴ・ヴェノム……』
 中空に飛び出すなり青い三つ編みの尻尾をゆらゆら揺らしながらびしっとアークに指を突きつけた少年の姿と、ゆるく波打つ紫の髪をかきあげ皮肉げな笑みを浮かべる少年の姿。
 先にオッドアイズが実体を取っていたからどちらも人目に付かないよう実体ではないが、遠慮がいらない分騒がしさも一等だ。
『やめないか、おまえたち。だがアーク、おまえも怪我の手当をおろそかにするな』
 さらにもう一つたしなめるような声とともに黒ずくめの少年も追いかけてきて、ため息まじりの苦笑が滲んだ。
 三体ともこのまま押し問答が続けば、じれったくなって実力行使とばかりに実体を持ってくるに違いない。
 しかし有名人とそれによく似た顔立ちの四人がぞろぞろ集まっているなんて、見つかれば下手に騒がれて面倒くさくなるのはアークも身にしみているはずだ。特に賑やかな二人が目立たないはずがない。
『というわけで、大人しく治療されなさい』
 言って、オッドアイズは異彩の眼でウィンクしてみせる。
 ゆるゆると強張っていたアークの作り笑顔が溶けて、ほっとしたように肩の力が抜けていった。
「かなわないなぁ、おまえたちには」
『そうそう。俺たちには素直に甘えてればいいんだよ』
「うん」
 庇うように隠すように左腕を押さえていた、アークの右手に手を重ねる。
『何でやられたの?』
「小さい針? みたいなやつ。刺さったのかな」
『ああ……』
 あの虫けらが。
 冷え切った声が四つ、期せずして重なった。
『ということは俺が出ていたときか。すまないアーク、すべて払ったつもりだったが……』
 剣呑さは一瞬で覆い隠した、ダーク・リベリオンが神妙な顔で詫びる。
「あれは仕方ないよ、小さいし数が多くて、俺もくらうまで見えてなかった」
『──うん、残骸もないし、これくらいならすぐ治せる』
 デュエルが終われば実体は失われるが、受けた傷までなかったことにはならない。
 アークの腕のデュエルディスクに、オッドアイズは指先で触れる。異彩の眼を閉じる。その内側に入り込み、深く深く潜った先の細く細く繋がった先には、リアルソリッドヴィジョンのシステムがある。結びついた無数のシステムの中から、リアライズの力を欠片ほど拝借する。
 それはずっと昔、真夜中にひとりで泣いていた子供に寄り添うため編み出した技だった。
『我がしもべよ、その力を示せ』
 命令に応え半透明の姿で現れた小さな一角獣が、額の角を振りかざして小さな癒しの光を灯す。オッドアイズの手によって現実に引き寄せられたその光は、すうっとアークの左腕に吸い込まれていった。
「……うん、もう何ともない。ありがとう」
 大きく左腕を回してから、アークはにっこりと笑顔を貼りつけて頷いた。
『よかった』
「今日も疲れたし、何か美味しいもの買って食べようよ」
 何にしようか。他の三体とも話しながら、軽快に歩き出したアークの後ろについて歩き出そうとして、オッドアイズはつと足を止めた。
『待った、人が来る』
 にわかに近づいてくる複数の人間の気配に、慌ててフードをかぶって顔を隠す。
 人の形はアークの似姿で不自然はないが、存在の根幹に根ざしていて変えるのが難しいこの眼の異彩は、人間の世界でも珍しいので目立ってしまう。
 果たして通路の向こうからやってきたのは、救護スタッフに囲まれたストレッチャーだった。
 患者を運んでいるのだろう、がらがらと音を立てて走るそれを、邪魔にならないよう二人とも端に寄って通り過ぎていくのを見送る。と。
「あ、さっきの対戦相手だ」
『え?』
 ぽつんとアークがこぼした声に、オッドアイズもそっと台の上を窺う。
 毛布にくるまれ苦悶に身を縮めている少年は、確かに先ほどまで対戦していたデュエリストだった。
 動けないほど酷い怪我だったのだろう。そういえばあの少年は最後ダイレクトアタックで吹き飛ばした後、勝敗がコールされてもずっとフィールドに転がったまま痛い痛いとすすり泣いていた。
 そのさまを哀れだと思うことはあっても、もはや心が動かされることはなかったけれど。
『なんだアーク、助けてやりてぇのか?』
 クリアウィングから軽く言い放たれた質問に、どきりと胸の奥で何かが跳ねる。
『待ちなよ。また前のような騒ぎになったらどう責任取ってくれるの』
『う、やるなんて言ってねぇし!』
『ふぅん? 頭と行動が直結してるタイプには先回りしないと後が大変だからね』
『なっんだそれ、俺が考えなしのバカって言いてぇのか!?』
『そういうことには頭が回るんだねぇ』
 直情的な声と嘲笑めいた声が、またぞろ騒ぎ出した。
『ったく、またか! いい加減にしないと』
『──怒るよ?』
 オッドアイズが異彩の目をすっと細め、呆れたダーク・リベリオンの言いかけた言葉をかっさらうように低く声を落とすと、ぴたりと静まり返った。
「俺は別にいいけどなぁ。おまえたちが仲良いの楽しいよ」
『おまっ、気持ち悪いこと言うなよな!?』
『こんなヤツと一緒にしないでよ!』
『勘弁してくれ……』
 のんきなアークの言葉に二つの悲鳴が上がり、苦労性がひとり、げんなりした声で呻いた。
 その横で搬送される少年に再び目を向けていたアークを、フードの下から異彩の眼で見据える。
『気になるなら、見つからないように何とかしようか?』
 それを君が望むなら。それで君の痛みが少しでも和らぐなら。
 しかしアークは小さく首を横に振った。
「怪我で入院したら、その間デュエルしなくていいんだ。だったらその方がいいじゃないか」
 その視線の先に、ストレッチャーに駆け寄る女性の姿があった。お母さん。悲鳴のような声がかすかに聞こえた。
「デュエルに弱いヤツはいらない。弱かったら誰からも見向きされない。強くなきゃ誰も見てくれない」
 言いながら、アークはひどく奇妙な笑みを浮かべていた。
 だから思わず訊いてしまった。
『アーク。デュエルは、楽しい?』
「楽しいよ。だってみんなが俺たちのデュエルを楽しんでくれる、喜んでくれる。みんな、俺たちを見てるんだ」
 アークはくすくすと笑う。楽しげに。
 けれど。
「だから俺たちはここにいる。みんなをデュエルでもっともっと楽しませるために! ――そうだろう? オッドアイズ」
 ざらざらと熱っぽいアークの言葉を聞きながら、オッドアイズはフードの影で、ひっそりと赤と緑の眼を伏せた。
 ──ああ、痛くてたまらない。
『ねえ、アーク……もうやめたいと思ったことはある?』
「どうして? 俺の居場所は、デュエルにしかないのに」
 それは口の端を笑みの形に歪めただけの、ひび割れて空っぽの笑い方だった。




 連日の無理が祟ったのか、夜更けに熱を出したアークを寝かしつけ、ベッドの端に腰掛けたオッドアイズ・ドラゴンは深く息をついた。
 人の姿で人のように振る舞うのもすっかり慣れた。もう無意識でも身体が動くようになった。
 オッドアイズが最初に人をかたどったのは、ひとりぼっちの子供へ手を差し伸べるためだった。
 親も兄弟もいない天涯孤独の子供を守れるのは自分たちしかいなかったが、人間の幼子の世話をするには、ドラゴンの手足はいささか不自由だったので。
 あれから何年も経って、泣いてばかりだった子供は大きくなって人前では泣かなくなったが、今でもひとりぼっちのままだった。
 そして今、アークは熱に浮かされながら、夢の中でひっそりと泣いている。
「ごめん……ごめんなさい……」
 対戦相手のデュエリストをモンスターたちをいたぶり痛めつけ、暴力で蹂躙して勝利する。
 渦巻く歓声と流れる赤い血に酔いながら。
 観客から期待されるまま求められるままに。
 ――もう二度と、いらないと捨てられないように。
 自ら望んで熱狂の中心に立っているが、その毒はじわじわと心を蝕んでいる。
「痛くして……ごめん……」
 それでももう、やめられないのだ。
 他に居場所などない。
 オッドアイズは異彩の眼を悲痛に染めて、縋るようなアークの指をそっと握り返す。
『アーク……』
 ひとりぼっちで悪夢に震えるアークと体温を分かち合えるのは、人ならざる自分たちだけだった。
 だから今でもオッドアイズたちは、人の形をした手を差し伸べることをやめられない。
『あまり思い詰めるなよ、オッドアイズ』
 カーテンの隙間から差し込む月明かりの下に、黒の少年の形がするりと姿を現した。
 ダーク・リベリオン・エクシーズ・ドラゴンはオッドアイズ・ドラゴンの次に昔からアークの傍にいて、普段は冷静に抑え役を買って出てくれている。しかし。
『俺たちだって気持ちは同じだ。……こんなことが、いつまで続く』
 いつもは押し殺している、怒りが声に強く滲んでいた。
 だがその眼差しには怒りよりも悲しみが色濃い。
『つくづく人間は度し難い』
 その感情に触発されたように、二体も次々と姿を現した。
『なあ、俺たちでこう、なんとか出来ねぇのかよ?』
 クリアウィング・シンクロ・ドラゴンが嘆く。
『こんなこと、いつまでも続けられないよ……僕たちだって』
 スターヴ・ヴェノム・フュージョン・ドラゴンが憂う。
『そうだね』
 うつむいたオッドアイズ・ドラゴンは異彩の眼を伏せた。
 アークは昔のように笑えなくなった。
『俺だって痛い。悲しい。――憎い』
 いっそ逃げてしまえたらいいのかもしれない。
 これ以上、壊れてしまう前に。
 壊されてしまう前に。
 誰も"ズァーク"を知らないところへ、人間のいないところへ、アークを連れて逃げてしまえたら。
 そうしたらまた、アークは昔のように笑えるかもしれない。けれど。
『けど、この子も……アークも人間なんだ』
 人間の子供は、ドラゴンのようには生きられない。
 だからどうすればアークを救えるのか、わからない。
 それは絶望だった。




 ――――世界が壊れる日まで、あと、







Brightness Falls from the Zenith







ARC-V一年目の頃、トランス(しもべ呼びのとき)や逆鱗のときの遊矢の人格から、遊矢ズはドラゴンの化身で普段のは器の模擬人格で、本性はドラゴンたちの方?とか思ったこともありました。
今回ズァークの存在が明かされて、トランス入ったときの遊矢の振る舞いは、まだ正気だった頃のズァークの仮面がこんな感じだったのかな?とか思ったりしました。なんだかズァークも天性のエンターテイナー属性では無さそうだったので。
しかし種明かしは途中でオアズケくらっちゃうし、レイはズァークと同様にモンスターの声を聞く異能持ちかもしれないけど以前から深い交流があった雰囲気ではないしで、のたうち回っていたら妄想が混ざって大爆発どっかーんしました。

わかってる、私だけが楽しい。
GX以来お久しぶりの遊戯王ジャンルで初ARC-Vでこんなニッチに走らせてくれる萌えとは怖ろしいものですね!




この先ズァークの狂気が深くなるにつれ、当てられて血に酔ったスターヴ・ヴェノムが最初に狂って、次にオッドアイズが壊れて、ダベリオンも病んで、最後にクリアウィングが折れるみたいなイメージを置いてました。