(ひとつの終わりの終わりに)

 レイの目の前にある境界線は、壁であり床であり天井であり、そして鏡だった。
 冷たくもない、あたたかくもない、ただ固く固くレイを拒む境界線。
『この先にあるのは痛みと苦しみの道よ。それでも行くの?』
 境界に映るレイの鏡像が、レイと同じ顔で同じ声で、しかしレイとは異なる表情を浮かべてささやく。
 まるで人形のように無表情な自分の似姿は、怖ろしくさえあった。
 けれど、もっと怖ろしいことがあった。
「ええ。私は本当のあの人に会いたい」
 この境界線の、向こう側には彼がいるはずなのだ。
『また傷つくわ』
「そうね、きっと私はあの人を傷つける。あの人は私を傷つける。けど、それでいいの」
 レイは微笑む。
 母を置いて父を振り切ってここまで来たのは、守りたいものがあるからだ。
 そして後悔があったからだ。
 最初に間違えてしまった。
 初めて出会った日、レイはズァークを傷つけて、ズァークはレイを傷つけた。
 そして二度目を怖れてしまった。
 手を伸ばすことを怖れながら、また傷つくことを怖れながら、たわむれに指先だけを触れあわせて、お互いの目に映る痛みと怖れがまるで特別な繋がりのようだった。
 けれど痛みを忘れて怖れも何もかも消えた目を向けられたあの日、レイはようやく気づいた。
 また間違えていたことに。
「このまま終わりになんてさせない。私たちはちゃんと出会ってすらいなかった。お願い、力を貸して。私はどうなってもいいから」
 だってオッドアイズたちは、絶望して泣いていたのだ。
『そう、それがあなたの覚悟なのね。いいわ、この力をあげる。あなたは"私"に、"私"はあなたになる』
 鏡の中のレイが、出来すぎた慈愛の微笑みを貼りつけて肯いた。
 光の粒を寄せ集めたような腕がくっきりと形を持って、レイを抱きしめて、境界の内側へと引きずり込む。

 ──それは世界が四つに砕ける、ほんの数秒前のことだった。




Brightness Falls from the Zenith // Apocrypha
鏡の中のネイディア





 夢を見た。
 黄昏の空と夜の海の狭間で、真っ白なテーブルに、灰色の髪の少年と葡萄酒色の髪の少女が座っていた。

「莫迦な女だな」
「あなたには負けるわ」
 呆れ果てた少年の声に、少女はつんと言い返す。
「いいや。君は何もわかっていなかった」
 少年の手がことりとテーブルの上にグラスを置いた。
「人間のように脆くて小さな器に、大きな異物を押し込んだら」
 グラスの中に、次々と四つの大きなガラス玉を入れる。
 入りきらず、ガラス玉がグラスの口からあふれる。
 少年はそれを上から力いっぱい押し込んだ。
「入りきらずに、壊れるしかない」
 パリンと音を立ててグラスが割れて、散らばった破片の一つを、少年の指先がつまみ上げた。
「ちっぽけな欠片の一つ、これが今の君だ。受け入れた力が大きすぎて、魂が壊れて、人間ではなくなってしまった」
「覇王龍に変わり果てたあなたも同じじゃない」
「知ってるだろう、もともと俺の魂はオッドアイズに食わせた時から半分混ざっていて、とっくに人間じゃなかった。それを完全な一つに溶かしただけだ。それに俺はわかっていて、自分で壊した」
「そういう自虐がオッドアイズたちを泣かせるの。……それに私だって、自分で決めたことよ」
「バカだな。消えて無くなるだけならともかく、こんな覚悟まで決めていなかったくせに」
 ふっと少年の声が苦笑を帯びる。
「壊れてしまった君の魂は、"俺たち"を斃すためだけに在るあの力に取り込まれて、まったく違うものに成った。君は家族を守りたかったはずだろう? 君でなくなった君は、家族より使命を選ぶ。君があれだけ待ち望んでいた弟にも、何も思えない」
 ひたりと少年の眼を見据えて、少女は言い放つ。
「他人事みたいに言わないで。あなたこそ、こんなことのために自分を捧げたわけじゃないでしょう。本当はあの子たちを解放してあげたかったんじゃないの? なのに今では、覇王龍に生まれ変わったあなたたち自身が、あなたたちを縛りつける呪いだわ」
 しばし静かに睨み合い、先に視線を落としたのは少年の方だった。
「莫迦だったなぁ……」
 そのまま真っ白なテーブルに突っ伏して、くぐもった声をこぼす。
「結局、俺が君を巻き込んだ」
「私が選んだのよ。また忘れてないでしょうね」
「忘れてない。もう忘れない。君が俺を弱いと言ったのも、強がらなくていいと言ったのも、覚えてる。──俺たちのせいで君がなげうったものの重さも、今ならわかる」
「莫迦はお互い様」
 すると少女も自嘲まじりの苦笑を滲ませた。
「私は世界が救われて、父様と母様が無事ならそれでいいと思ってた。正しいと思ってた。自分が消えた後のことなんて考えてなかった。ただ最期に、本当のあなたを見つけたかった」
 投げ出されていた少年の手に、そっと少女が手を重ねる。
「私たち、初めて出会ったときから間違えてばかりだったもの」
「……うん」
「だから選んだことを間違いだとは思ってないけど……どうしてかな、何もかも上手くいかないのね。結局、私のせいで家族はばらばらになっちゃった」
 うつむいた少女の目が悲しみに揺れる。指先に力がこもる。
 少年が顔を上げる。
「俺たちは、君が見つけてくれたから、終わらなかった」
 本当に間違いだらけだった。
 それでもあの時、すべて砕けて終わる前にこの手を取ったことだけは、きっと、間違いではなかった。
 そう信じたかった。
 ひとかけら、彼女の手がすくった想いは残った。
「君は、今度こそすべて終わってしまうと思う?」
 手のひらを合わせる。指を絡める。
 甘くて苦い、微笑みをかわす。
「それはどうかしら。私、とっても諦めが悪い女なの」
「うん。とてもよく知ってる」
 最期の祈りは昏い水の底で、ひとかけら、まだ生きている。

 夢を見た。
 鏡のような境界線の向こう側に映る、少年の姿は真っ黒な闇に塗り潰され、少女の姿はぎらぎらと黄金色に輝いていた。








Brightness Falls from the Zenith

TURN BACK








ズァークという少年だった魂のかけらと、レイという少女だった魂のかけら。
覇王龍と花鳥風月、かつて人間だった成れの果てから毀れて落ちた、ヒトヒラの残骸の祈り。

ネイディア=Nadir=天底、天頂Zenithの反対側。
タイトル画像は逆さま。

11/13のアニメで金レイの人間味の感じられない姿を見たら、らくがきしたい衝動があふれて頭が大変なことになりました。その結果がこれです。
今回は四ドラゴンの出番ないですが、ちらっと触れたりはしています。ズァークの「食わせた」話は「最初」のことです。前作では一応ぼかして?ましたが、そういう意味です。食われてます。
今後のことはこれから考える。なかなか先が読めないのでこの二人でどこまでやらかしていいのか悩む。ついでに妄想とがってくると需要も悩む。

金レイ。ツイッターでも書き散らかしましたが、確かに127話だと花鳥風月カードが集めた自然エネルギーはいったんレイに流れ込んでいたので、ズァークと四ドラゴンが一心同体になって生まれた『さらに強く、さらに巨大な力の権化』こと覇王龍ズァークも人間ズァークとは少し違う自我で再誕したように見えるのと同様、レイも花鳥風月に飲み込まれて『覇王龍を倒すための力の権化』に変質しちゃったのかなと思いました。 ズァークの顔が影絵で人間の頃は目を隠してたのが覇王龍ではしっかり眼を出してたり、逆にレイは回想だと普通だったのに金レイでは彫像のようになって目の表情が消えてたり、描写に違いを付けるだけの理由はあるのだろうなと。
あと覇王龍は何だかんだいって無責任な人の悪意とかモンスターの怒りとか心から生じた狂気の力ですが、花鳥風月の自然エネルギーは人の情も善悪とかの価値観も入り込む余地がない、最初に定められたベクトルで動き続ける自動的な力のイメージ。ドラゴンたちはモンスターカードだけど、花鳥風月は魔法カードというのもあって。


レイの魂は大きすぎる花鳥風月の力を取り込んで砕けて、花鳥風月の力で花鳥風月の入れ物として組み立て直された=鏡の中のレイ=金レイ。
こぼれ落ちた人間レイの意識は実体を失い、「レイである」ことを花鳥風月に明け渡したため失い、「レイという少女だった魂のかけら」に成り果てた。けれど最後の瞬間、同じように覇王龍ズァークにすべてを譲り渡した成れの果て「ズァークという少年だった魂のかけら」と触れ合って、跡形もなく消えてしまう前にお互いを繋ぎとめて生き残った。
そんな感じのらくがきです。