遙かなる海の歌



 笑ったり戸惑ったり目を輝かせたり、くるくると表情を変ながらカルデアを巡るメルトリリスの足取りは、羽が生えたように軽やかだった。
 あの時の彼女はもういない。
 だから、今の立歌に出来るのは勝手な想像だけだった。


 ふっと目を開けると、立歌は真昼の青空の下にいた。
 今は真夜中で、自分はカルデアにある自室で眠っていたはずなのに。
 また誰かの夢の中だろうか。そう思いながら立歌は辺りを見回す。いつぞやと違ってマシュの姿はなかった。彼女の魔術回路が閉じてしまっているからだろうか。
 真後ろを振り返って、気づく。
 真っ青な空。
 緑のナツメヤシが並ぶ、黄色い日干しレンガの道。
 その果てにそびえ立つのは、かの王がおわすジッグラト。
 ――ウルク。


 かつての賑わいが描かれたウルクの街中を、立歌は走り抜ける。
 一度気づいてしまえば、目をつむっていても辿り着けそうなほどあまりに通い慣れた道筋だった。
 誰も立歌の存在を気にとめない。一瞥もくれない。不思議とぶつかることもない。ならばこれは特異点の名残などではなくて、現実でもなくて、ただの夢でしかないのだ。
 そしてこれが夢ならば。
 カルデアで契約しているサーヴァントの創り出した、夢ならば。
 果たして辿り着いたジッグラトの王の間には、かつてのように王の姿があった。
 他に人影はなく、明るい光の中、ただギルガメッシュの姿だけがあった。
「遅いわ。待ちくたびれたぞ、雑種」
 形の良い唇にうっすらと笑みをはいた彼は、その言葉ほどには不機嫌そうではなかったけれど。
「王様」
 深い静寂は壊滅寸前の頃を思い出さなくもなかったが、あのときと違って夢の中のジッグラトは美しく穏やかな光に満たされていた。
 そのことに、苦しいくらいの安堵が滲む。
「いつまで惚けているつもりだ。この地で、我の前で、貴様のすべきことなど一つだけであろう。まさか忘れたとは言わさんぞ」
 言われて、立歌は弾かれたように傍に寄る。
 ああそうだ。特異点のウルク市で生活していたあの頃。マシュと一緒に日々この王の間に通っては、この人にその日あった出来事を報告していた。
 最初はつまらなさそうに義務的に聞き流されていた話が、平凡な日常の仕事のはずが何故かしょっちゅう珍妙な事件に発展してしまったせいか、いつの間にか彼の歓心を得るようになった。
 笑ったり驚いたり腹を立てたり、率直な反応を見せてくれる王に語ることが楽しかった。
 けれどこれは、何だろう。
「王様。俺を呼びました?」
「たわけ。逆だ」
 俯き加減だった顎が、軽く引き上げられる。真紅の眼差しでじろりと舐めるように顔を覗き込まれる。
「ふむ、少しはマシになったか。SE.RA.PHにいた我を討ったときは、そのまま卒倒しかねんかと思ったが」
 勝者があのような酷い面をしてどうする。呆れた声で、何でもないことのように彼が言う。
 その瞬間、さっと血の気が引くような冷たさに喉を掴まれた気がした。
「SE.RA.PHって、どうして王様が知って」
 あの海の底で、彼と同じ形をしたサーヴァントを斃した。あれは。
「いちいち情けない面をするでないわ。あれは今ここにいる我とは別だ。とはいえ」
 ほとほと辟易したようでいながら、その口振りは苦笑を帯びていた。
「あれは我ではないが、あれがキャスターの我であったことに如何な意味があるのか、貴様は毛筋ほども理解しとらんのだろうな」
 意味。立歌は目を瞬く。
 キャスタークラスのギルガメッシュがあの場所に召喚されていた意味。
 特異点の上でしか成立しない在り方の。
「……王様。俺の知らないところで、たくさんのことが起きてました」
 未来の海の底で。
「よくあることだ」
「俺、たぶん、たくさん助けられてました」
 だから彼女は出会ったときから傷だらけだった。きっと。
「それもよくあることだな」
「けど、たぶん俺は、俺がわかってるよりもっとずっと、助けられてたんです。でなきゃメルトが」
 彼女が自分へ向ける眼差しの深さに、説明が付かないではないか。
 あのとき初めて会ったはずの彼女にとって、あの出会いは初めてではなかったのだ。
 すると、喉の奥でくつくつと笑われた。
「貴様でも面白くないか、己を通して別の己を重ねられる感覚は」
「そういうんじゃ」
「そういうものであろう? あの女は貴様の知らぬ貴様を知っていた。特異点の記憶を持たんサーヴァントどもと、今の貴様は同じ立場だ」
 特異点で出会ってカルデアで再会したサーヴァントの多くは、特異点の記憶を持ち合わせていない。
 彼らは忘れているのではなく、別の存在なのだ。
 それを頭では理解しているつもりでも、どうしても面影が同じなだけに認識がまざる。ごめん。間違えた。気にしないで。そんな言葉を、立歌も幾度となく口にした覚えがあった。
 そうしたささやかなズレを意識した者が、他に旅を知る者たちから"己ではない己"の話を聞き出していることは、単に興味があるだけだからと言われても、気を遣わせているようで立歌も申し訳なく思っていた。
 だが、思い出せなくても"違う自分"だとしても知りたいと思う気持ちは、ようやくわかった気がした。
「王様は全部お見通しなんですね」
「今さら理解したか、たわけめ。そういう面倒に煩わされんために大杯ごと”我”を貴様に預けてやったのだぞ。そも我の前では特異点であろうとあらゆる記憶が等価だが、それでは取りこぼすものも貴様にはあるだろう」
 たっぷりと笑みを含んだその言葉はまるで、とっておきの秘密のようだった。
「そんなすごいこと、やろうと思ってやれるの、王様くらいだと思います」
「ふっ、当然だ、凡百の英霊ごときに真似できるものではないわ。……そうさな、こたびの特異点はカルデアにすら忘れられた旅、これは我しか言ってやれなんだか」
「何をですか」
「よく帰ってきた、立歌」
 声がしみる。
 ――ああ、終わったのだ。
 涙があふれる。この声を想って、別の声を想って、そして彼女を想った。
 この命は、もういなくなってしまった彼女が、自らを賭して繋いでくれた命だ。
 あの海から立歌が生きて帰ることが、この死を嘆き、なかったことにしてくれた彼女の献身に報いる唯一のすべだっただろう。
 けれど。
 小さくしゃくり上げながら涙をこぼし続ける立歌に、ギルガメッシュが苦笑じみた笑みをうっすらと刷いた。穏やかに。
「泣きたいならば泣け。許す。雑種が一人ですべて背負おうなど片腹痛い。それから遙か海の底で貴様が見てきたものを、心ゆくまで語るがよい。あますことなく我が聞いてやろう」
 セラフィックスの事件はすべて、なかったことになっていた。
 帰ってきた瞬間、立歌の中で渦巻いていたものは、行き場を失ってしまった。
 カルデアに上手く紛れ込んでいたBBは、当事者の一人だった。きっとすべてを知っていた。メルトリリスの真実もすべて、すべて何もかも。だからこそBBには言えない。
 それでも取り残されたものは大きくて、一人で抱えきれたものではなかった。
 立歌は今までずっと、ずっと一人きりではなかったから。
「知りたいならば、あの女と最初に旅をした貴様のことも教えてやらんでもない。ただし我が語ってやれるのは事実だけだ。雑種どもの心の内など知ったことではないからな」
「はい。……はい」
 あの海にいた彼女はもういない。
 もう一度出会った彼女は、何も知らない。
 彼女がもう一度出会った自分は、何も知らなかったように。
 今の立歌に出来るのは勝手な想像だけだ。
 あの海に消えた黒衣の彼女が、何を夢見ていたのか。


 だから立歌は願う。
 純白の袖を翻す彼女の空が、うつくしい夢であるように。



The Songs of Distant SE.RA.PH




surfaced/go home



WANTEDにキャスギルがいてパニクったり、2周年の星4配布でキャスギルお迎えしたのでCCCイベ当時は不在で「書けば出る」教が脳裏にあったり、いろいろ衝動に任せて書き出したものの仕上がらないままお蔵入りしてたけど、2018福袋でメルトリリスお迎えして自分で育ててたら思い出して、ふっと仕上がったラクガキSS。
今まで何度もサポで借りたことはあったけど、まっさらなメルトリリスと再会してようやく私のSE.RA.PHが終わったらしい。

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