スメリアの子
王、と呼びかける声に重たい目蓋をこじ開ける。
知っている、声だった。
ずっとずっと昔、聞き慣れていた声によく似た声だった。
それは自分の罪を思い起こさせる。
けれどこの声は、知らない。
この声の子は、あの兄の子は。
何も知らないのだ。
思わず手を伸ばしかけて、血まみれの自分の手に打ちひしがれた。
二十年前、ミルマーナでこの国の皇太子は失われた。
その報せを受け取って初めて、自分が犯した罪の重さに恐れおののいた。
緑が色濃く生い茂るあの国の何処かに、痛いほどの強い雨が降るあの森の何処かに、あの綺麗だった兄の骸が汚らしく打ち捨てられているのかもしれないと想像し、数え切れないほどの悪夢にうなされた。
兄の遺体は見つからなかった。無惨に切り捨てられた近衛兵の死体しか見つからなかった。それ故に生存の可能性もあった。だが結局、ミルマーナでの捜索は一ヶ月で打ち切られた。
真っ先に諦めを口にしたのは誰か、今でもよく覚えている。
八年前、この国がようやく得た王位継承者は、王家の血を引かぬ王子だった。
自分とは似ても似つかない、豪奢な黄金の髪を持つ美しい子供を、愛そうと努力した。だが、愛せなかった。それでも長らく子に恵まれなかった、切に子を望み続けていた妃を、不義と詰るのもひどく虚しく思えた。
これはすべて、兄を陥れた罪への罰なのだ。
そう思うことは、いっそ慰めだったのかもしれない。
あの日、ひとりの子が現れるまでは。
不意に喉の奥から込み上げてきた血のかたまりは大きすぎて、息すら詰まりそうだった。
残された時間は少なすぎるのだと、頭の何処かが冷え冷えと囁く。
罪深い真実を告げるだけで、尽きてしまったのだ。
その後はもう、ない。
それが今、ひどい後悔を呼び起こす。
諦めはもはや、慰めにもならない。
今も自分を見下ろしている、兄とよく似た綺麗な眼差しが愛おしかった。
いつからか、愛おしかったのだ。
伸ばしかけた手は、触れかけた指先は、どす黒い血にまみれている。
泣いてもらう、資格などない。
それでも、ただの一度も思い出さなくとも、覚えていてほしいと思うことは、傲慢だろうか。
「アーク……」
この手でこの子に、触れたことすらなかった。
言葉すら、ほとんど交わさなかった。
この子が兄の子と判明してからも、ずっとずっと。
それでも、愛おしかったのだ。
ただの一度も、兄を憎んだことはないように。
もっと早く、すべて話していればよかった。
もっと早く、兄への罪を謝っていればよかった。
こんな最期になって、何もかもを悔やむくらいならば。
アンデルは自分を殺し、国王殺しの罪をこの子にかぶせて、スメリアを掌握するだろう。
そうなればもはやこの国の誰も、この子を兄の子と、自分の甥と、スメリアの子と呼ばなくなってしまうだろう。
死に逝く自分が今、どれほどこの子をスメリアの子と、家族と思っていても。
愛おしく想っていても。
「もっと早く、すべて、話していれば……よかった……」
この手でこの子に、触れたことすらなかった。
言葉すら、ほとんどかわさなかった。
この子が兄の子と判明してからも、ずっとずっと。
もっと早く、すべて話していればよかった。
もっと早く、兄への罪を謝っていればよかった。
もっと早く、この子を正式に王家へ迎え入れていれば、この子の叔父として接することが出来たかもしれないのに。
もっと早く、世界から目をそむけることをやめていれば、もしかしたら。
もう、何もかも遅い。
──ほんのわずか、指先に熱が触れた。
ほのか、おろか、ふれあい
ククルと婚約するはずだった幼い王子がいたように記憶しているのですが、もううろ覚えです。
その王子が実は…云々は捏造設定です。
その王子が実は…云々は捏造設定です。